第十四話「姉妹の絆」

 愛桜の遺書が神楽に渡ったその同時期、姉の未歩の元にも愛桜の遺書は行き届いていた。だが、未歩はその遺書をずっと見れずにいた。


 机の上にある遺書と睨め合う。読まなければならないと思いながらも、その手は動かない。開いてしまえば、愛桜が亡くなったという現実に向き合わなければならない。それが何よりも恐ろしかった。


「…くっ…。」


 妹の死を受け入れて前に進まなければならないとは分かっている。でも、生まれてから二人で支え合ってきたのが当たり前だった生活、それ無くしてどう生きれば良いのか。手紙を持つ震える手が、その恐怖の大きさを物語っていた。


 どうにも決心がつかず、手元にある遺書を机の上に置こうとしたその時、ふと彼女の言葉が頭に流れる。


――今自分が大切だと思うこと、自分が今出来ることを全力ですればいいんじゃないかなって思います!


 皮肉にも、鈴音に掛けられた言葉が脳内でフラッシュバックした。


「なんで今…。」


 沸き立つような怒りと共に、その言葉を脳内から払拭しようとする。だが、彼女の言葉は決心のつかない自分に深く突き刺さっているような、そんな気がした。今自分に出来ること――それはこの手紙を読んで妹が伝えたかったことを受け止めることだ。それを自分の恐怖心だけで遮ってしまっている。そんなんで何が姉だろうか。


「…よし。」


 少しの決心がついた未歩は遺書の封を丁寧に外し、何枚にも綴られた内容に目を通した。




 最愛なるお姉ちゃんへ


 これを見ているということは、私はもういないということでしょう。契約者はいつ亡くなってもおかしくない…契約者になることを反対していたお姉ちゃんは、きっと私が亡くなったことで深い悲しみや、お兄ちゃんに対して大きな怒りを感じていると思います。だから、なぜ私が契約者となったのかの真実を伝えなければと思い、この手紙を残します。


 お姉ちゃんも知っている通り、私はお兄ちゃんの助けになりたいと思い契約者になりました。お姉ちゃんはその事を、血も繋がらない人に命をかけるなんて…とあまり良い風に思っていなかったと思います。でも、ただ何もなくそう決めたわけじゃないんです。


 実は、私たちが中学一年生だった二年前のあの時、私たちの命を助けてくれたのはお兄ちゃんだったんです。お姉ちゃんは意識を失っていて知らなかったと思います。だけど寸前で助かった私には、彼が救ってくれた命の恩人であると分かりました。だから、私は命をかけてでもお兄ちゃんの助けになりたいって、そしてもう大切なものは奪わせないって思って契約者になりました。これは私が自分で決断したもの。だからお兄ちゃんのことを恨まないであげてください。


 今まで黙っていてごめんなさい。これを言っても真面目なお姉ちゃんは信じてくれないと思って、ずっと伏せたままでした。


 私が亡くなれば、残るのはお姉ちゃんとお兄ちゃんのすれ違い。それだけは絶対に嫌だ。大好きな二人が私のせいでけんかするのは嫌なんです。だから、これだけは伝えておきたいと思ってこの手紙を書きました。


 最後に、私はお姉ちゃんの妹として生まれたことが何よりも幸せでした。私のことを気にかけてくれて、いつも助けてくれたお姉ちゃんに感謝してもしきれません。本当にありがとう、大好き。




「…っ!あいらぁっ!!」


 熱い涙が眼に溢れ、視界はぼやけて見えなくなる。


 愛桜は幼い頃からとても元気な子で、とにかくはしゃぎ回るのが大好き。目を離したらどこかへ行って事件を起こして帰ってくるなんていうのは日常茶飯事だった。だけど、そのせいで他の人たちから悪く見られることも多かった。


「うわー汚ねぇ!泥団子マンだ!」


「いつも汚いからお似合いだぜ!ほらみんな、こいたの近くにいたら菌がうつっちゃうぜ!」


 幼稚園児のじゃれあいに見せかけたいじめ。数人の男子生徒から泥を頭からたっぷり被せられた愛桜は、ただ泣くことしかできなかった。


「ひっく…お姉ちゃん…お姉ちゃぁあん!」


「ははっ!こいつまた泣いてるぜ!この泣き虫!これでも喰らえ!」


 一人の男子生徒が地面にあった泥を手でこねて、泣きじゃくる愛桜に投げつけようとする。その時であった。


「――なっ…あっ!?」


 自身の腕が思うように動かないことに気が付いた男子生徒はその右腕に視線を送る。するとそこには…


「私の妹に何してんの?」


 目頭は立ち、まるで鬼の形相のような顔で未歩は男子生徒に声を上げた。


「は、離せよ!このクソ姉貴!」


「そ、そうだ!こいつ泥団子マンの姉だから、こいつも同じ菌持ってんじゃね!汚ねぇ!ぎゃはははっ!」


 顔をひきつらせながらも、あくまでいじめをやめようとはしない男子生徒たち。だが、そんな言葉にも姉である未歩は屈しなかった。


「…そう。ならこれでどう!?」


 未歩は男子生徒の持っていた泥を素手で掴み取ると、その泥を腕の掴んでいる男子生徒の顔に向かってぐしゃりと叩きつけた。


「ぐわぁっ!」


「私たちが汚いというのなら存分に食らうといいわ!」


「うぐっ…くさい、汚い、見えない…ママ…ままぁぁあ!」


 泥を顔面に塗りたくられた一名の男子生徒は泣きながら校庭から帰っていく。次の敵はどいつだと他の生徒に睨みを利かせると、他の生徒も恐れをなして速やかにその場を立ち去った。


「まったく、恥ずかしいやつらね!」


「お…お姉ちゃん…。」


「愛桜!?大丈夫!?」


 泣きじゃくる妹に近寄り、顔にかかった泥を払ってぎゅっと抱きしめる。


「ごめんね!私がもっと早くに気づいていれば…。」


「ううん、お姉ちゃんは悪くないの。私が悪いの…ごめんなさい。」


「そんなことない!愛桜は何も悪いことしてないじゃない!愛桜はそのままでいいの!愛桜のことは私が絶対守るから!」


「お姉ちゃん…。うん!ありがとう!私もみんなに負けないようにもっともっと強くなる!泣き虫になんかならない!」


 あの日、幼き頃に交した約束からどれほどの月日が経っただろう。家族を亡くし、孤児院に預けられ、安倍家に引き取られる。その間に妹は見違えるほどに逞しく、勇ましく成長していった。だが、私はどうだ。


 両親を亡くしてから生きる意味も希望も無くし、殻に閉じこもった私。そして、いつの間にか私が守られる側になっていた。守りたいだとか大切に思っているだとか口ばかり。私には妹を守る力すらなく、その力をつけようとすることもしなかった。そんなんで何が妹を守るだ。


 私は兄である安倍神楽を憎んでいた。愛桜を命の危険もある悪魔対峙に巻き込ませたから。だけど愛桜は、命の恩人である神楽のために、そして二度と悪魔に大切なものを奪われないようにと剣を振るうことを自ら決意した。神楽はその思いを受け止め、そして側で妹と共に戦い見守ってきた。なのに私は、妹の決断した行動や思いを否定して、そのくせにただ遠くから眺めているだけだった。


 愛桜を亡くした今、私がするべきこと。それは愛桜の思いを受け継ぐことなのでは無いのか。そして、もう二度と悪魔なんかに大切なものを奪われないように戦う。私の手で守る。そのためには力が必要だ。だけどどうやったら…。


――彼女はヤマタノオロチを倒した直後、代償によって亡くなった。


 片目を眼帯で覆っていた警官はそう言っていた。もしかすると、妹の武器はまだそこに残っているかもしれない。


「…探しに行こう。」


 未歩は溢れる涙を手で拭き取り、愛桜が残した遺書を肩掛けのバックへ大切にしまう。外出着に着替え、髪を一本に結んだ彼女の表情は、見違えるほどに凛々しい顔つきであった。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 場所は横浜中心街。

 ここは未だヤマタノオロチが暴れていた痕跡が多く残っており、やっとのことで国が手掛け始めた瓦礫撤去工事もまだほんの氷山の一角に触ったぐらいの様子であった。かつて商業も盛んで、ビルや店が多く立ち並んでいた大都市の影は無く、海は汚れきり地面は割れて瓦礫に埋もれ、モノクロの世界に置き換わってしまった。


 そんな人も寄り付かない、足場も覚束ないその中で、未歩はただひたすらにとある場所へ歩いていた。


「はぁ…はぁ…ここね…。」


 小高い瓦礫の山の上で膝に手を当てて、上がる息を整える未歩。上がる息を落ち着かせながらも一面に広がる瓦礫に視線を移すと、太陽の輝きを反射して輝く一筋の赤色の光を見つける。


「あ、あれは…!」


 そのあかりに向かって未歩は、反射的に足場の悪い地面を急いで駆け下りる。だが、


「ぁ…ぅ…わぁぁ!!」


 片足を置いた途端、突如として地面が崩れ落ち、そのまま前に姿勢を崩して瓦礫と共に音を上げて転がり落ちる。


「いったた…。」


 正面から転がり落ちた結果、肘や膝などの部分からはすりむき傷が出来てしまう。しかし、転げ落ちた先で見上げると、そこには一直線で地面に突き刺さった紅の剣があった。


「くっ…。」


 蟻地獄のように瓦礫で生まれたクレーターの中心。その中で一人の少女はぐらつきながらも何とかバランスを取って両足で立った。


「これが…愛桜の武器。」


 剣が突き立つは、神楽の守り人メンバーから聞いた愛桜が亡くなった最後の場所。まるで生きた証を示すかのように、モノクロの色がない瓦礫の中にぽつりと聳え立っていた。


「愛桜…。」


 腕を伸ばし、剣にそっと手を触れたその時、


「――な、なに!?」


 途端、触れた先から眩い光が発せられ、周囲を光が包み込んでいく。


「うっ…!」


 その眩しさに思わず瞳を閉じ、腕で目元を覆う。すると…


「…お姉ちゃん。」


「…お、ねぇちゃん?」


 どこからともなく聞こえたお姉ちゃんという言葉。聞き覚えのある声。未歩は想定外の言葉に半信半疑になりながらもゆっくりと目を開けると――


「――う、うそ…。」


 真っ白で何も無い空間にただ一人、未歩の前に立っていたのは紛れもない愛桜の姿であった。


「あ、あいら…?あいらなの!?」


 姿形はそのまま、傷や汚れひとつも付いていない。目の前にいるのは間違いなく愛しの妹であった。


 とはいえ、彼女は亡くなったはずであると頭では分かっていた。だが、長年姉妹として過ごしてきた未歩の心は、目の前にいる彼女は偽物でも何物でもない、紛れもない愛桜本人であるとそう叫んでいた。


「うん、お姉ちゃん。久しぶり。」


「あいらっ…本物のあいらなのね…!わたし…わたし…!」


 突如現れた愛桜を一目見て、目頭が一気に熱くなり、未歩の頬には反射的に涙が次々に滴れる。


 メガネを外して涙を手で拭う未歩。そんな啜り泣く未歩の肩に小さな手が優しく触れた。


「お姉ちゃん、ごめんね。この剣は私の血液と思いが込もっているの。だから、今話している私は剣にある思いだけの存在。生きているわけじゃないの、本当にごめんね。」


「そっか…そうなんだ。でも私はあなたともう一度会えて嬉しい。嬉しいよ!」


「うん、私も嬉しい!」


 二人は肩を寄せて強く強く抱きしめ合う。


 もう二度と触れることができないと思っていた彼女の温もりを記憶に刻むように、ただ強く…。


「お姉ちゃん、お願いがあるの。」


 明るい彼女からはあまり見られない神妙な口調。それに合わせて彼女の腕からは力が抜けるのを感じる。それに応じて、未歩も力を抜いて真正面に彼女と向き合った。


「私、この場所からずっと見てきた。お姉ちゃんの声も、お兄ちゃんの涙も…。それだけじゃない、世界中の人々の悲しみや怒りも全て、私の中に流れ込んできたの。」


 家族を失い嘆く者、築いてきた資産が崩れ絶望する者、理不尽な死に対して怒りを露わにする者。


 剣は思いを介する。悪魔によって生まれた多くの感情が愛桜の魂を抉り続けた。


「悪魔は意味の無い命を奪っていく。これ以上…もう私たちのように苦しむ人達を増やしたくない!だからお願い、悪魔からこの世界を…みんなを守って!お姉ちゃあん!」


「…っ!あいらっ!」


 涙ながらに叫んだ彼女の声は、幼き日に助けを求めたあの時にそっくりだった。


 彼女は今でも何一つ変わっていない。元気で明るくて、心優しい子。そして、私の妹。


「ふふっ、もうほんっとうに愛桜は泣き虫なんだから…。」


 未歩そう言いながら、涙で滲ませる愛桜の頭をそっと撫でた。


「分かったわ!それがあなたの願いならば、必ず、私が必ずあなたの思いを繋いでみせる!この世界を、私の手で守ってみせる!だから愛桜、安心しなさい!」


「お姉ちゃん…。それでこそ私のお姉ちゃんだよ!」


 顔をくしゃりと歪ませて、今精一杯できる満面の笑みで愛桜はそう言った。


「じゃあ…あとは頼んだよ。私の大好きなお姉ちゃん。」


 その刹那、愛桜の体に金色の光の粒が漂い始める。


 これが別れになると本能で感じ取った未歩は、もう一度彼女を強く抱き締めた。


「ありがとう愛桜っ…ずっと天国で見守っていてね…!」


「うん…ずっと見守ってるよ。大好き。」


 金色の粒が彼女の姿を覆い尽くす。未歩の手が虚空に触れたその瞬間、瞬きをしたその内に現実世界へと景色は移ろっていた。


「あいら…。」


 風の音だけがただ耳元へ囁く。そこでやっと自身が現実に戻ってきたのだと言うことを知る。


 手を伸ばした紅の剣。気がつけば、紅の剣と横並びに藍色の剣がもう一本地面に突き刺さっていた。


「これは一体…。」


 不思議に思いながらも双方の剣を抜き取り、右手に藍色、左手に紅の剣を手に取った。


「…愛桜の声が聞こえる。そう、これが愛桜のでもうひとつが私のという事ね。」


 未歩は二本の剣を交互に振るった。


「はっ!はぁあっ!」


 剣の軌跡に現れる冷気と熱気。愛桜の剣は温度を高める火炎の剣だったようだが、もう一本はその逆で氷結の剣のようだ。


「…ありがとう、愛桜。私がこの力であなたの願いを叶えてみせるわ。だからずっと、そばにいてね。」


 どんな苦難も乗り越えてきた二人の関係は突如として引き裂かれてしまった。だが今この時より、剣に宿った愛桜の思いと共に、契約者として世界を救うための第一歩を踏み出すのであった。

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神楽の守り人 白石楓 @kaede_siraisi

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