第24話 目覚め

 長い長い夢を見ていた気がする。静かな部屋で私は目を開けた。いつも見ている天井だ。重たい体を起こすとベットにうつ伏せになっているアリサがいた。疲れ切って眠っているようだが、目尻にはまだ新しい泣き跡がついていた。気を失った私の世話をしてくれていたのを想像すると、まだ出会った頃のアリサを思い出した。いつも助けられてばかりな私は情けないと思った。


「……ヘ、レン」


 アリサの寝言に小さく返事をする。


「ありがとう」


 私の小さな返事に少し唸っていたアリサだが、すぐに目を開けて、勢いよく飛び起きた。


「ヘレン! ……? あ! ヘレンだ! や、やっと起きてくれた! よかったあ……」


 そう言ってまたアリサは泣き出した。そっと頭を撫でてやると、涙の勢いは増してしまった。


「ほら、もう泣かないで?」


「だ、だって、ヘレンいきなり倒れちゃうんだもん! ア、アリサ、心配したんだからあ! いくらレオン様が貴族で、お金あっても、かっこよくても、嫌いになっちゃうところだったのお!」


「レオンを? どうして?」


「お守り! ヘレン覚えてないの!? ヘレンはレオン様からお守りをもらったら、倒れたんだよ? ……っ! もっもしかして記憶そーしつってやつ!? へ、ヘレン! ア、アリサのことわかる?」


「アリサ落ち着いて。覚えてるよ」


「ほんと……?」


「ほんと」


「よかった……」


 暴走するアリサを慰めていると、ドアが開き、メアリーさんが入ってきた。


「ヘレン、目が覚めてよかったわ! まだどこか悪いところはない?」


「ない」


「そう、よかったわ。アリサなんて、この二日間ずっとこのベットから離れようとしなかったのよ? 本当に心配したわ」


「ふ、二日間?」


「そうよ、ヘレン。随分お寝坊さんだったのね。本当に大丈夫? メアリーさんに嘘ついたらだめよ? もし、あなたに何かあったら、レオン様であろうとも、メアリーさんは戦ってやるっと決めてるんだから!」


「……」


 アリサとメアリーさんは、この二日間でももうレオンに宣戦布告しているのかもしれないと考えると、少しレオンに申し訳なさを感じた。確かにレオンのあのお守りをつけた後に倒れてしまったが、直接的な原因は海にあるのだろう。真珠も海の産物ならば、そこで海との通り道ができてしまったのもあり得ることだ。私が見たあの夢のような情景たちはきっと海の記憶。偉大なる海のことだ。私にそれを見せたのには理由があるはず。海にいたあの頃ならば、これくらいの干渉で気を失うことはないだろうが、久しぶりに海と接触したのだ。海からの干渉に耐えられなかったのも納得がいく。


「レオンのせいではないから、戦わないでくれ」


「そうなの? でも、アリサからはレオン様のペンダントのせいだとかって……」


「アリサ、私はもう大丈夫だから、後で一緒にレオンに謝りに行こう」


「えっ!? ア、アリサまだ何も……」


「聞こえたぞ? アリサの怒鳴り声」


「うっ! で、でもアリサはヘレンのために……」


 意識は朦朧としていたが、アリサの声は途切れ途切れに頭に響いてきた。泣きながらすごい剣幕を捲し立てていた。少し口が悪すぎたことを除けばアリサは何も悪くないが、レオンは貴族だ。機嫌を損なわれては、これから困ってしまうのは私たちだ。謝ることは形式上だけでも必要なことだ。


「わかってる。だから一緒に行こう?」


「うん……」


「ありがとう。アリサ」


「……! うん!」


 一階に降りると、暗い顔をしたダエルがレオンに説教していた。隣には優雅に紅茶を飲んでいるルイスがいた。今日の「アセビ」は閉店しているようで、彼ら以外、店には誰もいなかった。


「メアリーの子だ。何かあったら私が許さない。お前が思慮深いやつだということは知っているが、いくら何でも軽率だったんじゃないか? そんなに死にたいなら自分で行けばいい」


「……」


 レオンは何も言わないでいる。ダエルがあんなに長く話せるのに驚きながら、私はやっぱりレオンに罪悪感を抱いた。


「あ! ヘレンちゃん! 大丈夫になった?」


「ルイス、何してんの?」


「おお、泣き虫アリサちゃんまで!」


「は?」


「じょ、冗談だってば。レオンが怒られてるなんて珍しくて、目に焼き付けてるんだよ。いっつもオレの方が怒られてるからさ。ほんといい気味だよ。紅茶がいつもよりも美味く感じるね」


「ルイスって趣味悪いんだね」


「……」


 アリサの言葉はまたルイスの心の刺さってしまったようで、ルイスは黙ってしまった。


 これ以上レオンが怒られてしまわないように、ダエルに弁明しようとした。威圧的なダエルに近づくのは少し怖いが、良心のためにも一歩前に進むべきだ。


「ダエル、レオンは悪くないんだ。だから、わっ……」


 急に後ろから手が伸びてきたかと思うと、私はレオンに抱きしめられていた。


「あらあら!」


「あ、レオン様! ヘレンはアリサの!」


「おいおい? レオン?」


 多種多様な声が聞こえてきたが、私の肩に埋まってしまったレオンはどうやら泣いているようだ。


「……泣いてるのか?」


「泣いてない……」


「……ダエルが怖かったのか?」


「怖くない……」


「じ、じゃあ、海が……」


「怖くない!」


「……」


 もう策が尽きたところで、レオンは私だけが聞こえるような小さな声でこう言った。


「無事でよかった……」


 この泣くと子どものようになってしまうレオンは、どうやら心配してくれていたようだった。アリサを慰めるように頭を撫でてやると、レオンは拗ねたような顔をしてこちらを見た。


「子どもじゃないんだけど」


「そうか?」


「そう!」


 もう少しからかってやろうと思ったが、メアリーさんが思わぬことを言い出したおかげで、口から出そうになった言葉たちは大人しく飲み込むしかなかった。


「おっほん! へ、ヘレンが無事に目を覚ましたんだから、外の空気を吸わなきゃね! レオン様! ヘレンをお願いできるかしら?」


「えー? ママ! ヘレンならアリサが……ふぐっ!」


 アリサの口をメアリーさんは急いで塞ぎ、また早口で言い出した。


「アリサはママと一緒にやることあるでしょ? 約束忘れたの? ねっ! そうでしょ?」


「ぷはあ。な、にそれ、ママ! アリサ知ら……ふぐっ!」


 やっとメアリーさんの手から逃れた自身の口で何かを必死に訴えようとしたアリサは、結局またすぐにメアリーさんによって打ち切られた。


「も、もう! アリサったらあ、ほら! 行くよ! ダ、ダエル!」


「……ルイス、お前もやること、あるな?」


「へ? お、オレ? え、ああ! そーだおもいだしたあんなことやこんなことやらなきゃなあおれいそがしいなあ」


「……私もだ」


「あ、あらあ、みんなやることあって大変ね! ということで、レオン様お願いね!」


 そう言ってメアリーさんはアリサを引き連れてそそくさと厨房の方に逃げ込み、ダエルとルイスは店の外で出て行った。

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まだ始まらない物語 凍花星 @gsugaj816

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