第1話 witch and doll and human㉟
「も、もういいから! 大丈夫だから! ほ、本当に、そろそろ降ろしてえええぇぇ!!」
フィーはもう何度同じことを訴えだだろうかと、ライアンの腕の中で考える。
講堂を出ると外には無数の警官がいたけれど、その先頭に立つジムが二人の姿を見留めるなり、「突撃ッ!」と叫んでくれたおかげで、目立たずに外に逃げ出すことができた。
そこまでは別によかった。そこまでなら、無事に逃げ出せたことにフィーもホッと胸を撫で下ろしていたのだから。
しかし、しかしだ。講堂を出て警察署の敷地も抜け出したと言うのに、こうしてエリックの町を彼の腕の中に抱かれたまま、駆け抜けている。
知り合いという程ではないが、顔は知っている程度の人々が、そんなフィーの姿におや? とでも言いたげな顔を浮かべているのが見える度、恥ずかしくて死にそうになる。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫! 大丈夫だから!!」
フィーのそんな必死の訴えに、ようやくライアンも状況を理解したのか、ゆっくりと地面に降ろしてくれる。
久々に地面に触れ合ったからかは分からないが、足がぷるぷると震えていて、まるで産まれたての子馬のようだ。イニもそんな彼女をライアンの服の間から心配そうに見つめている。
「本当に大丈夫? やっぱりもう一回抱っこしてもらった方がよくない?」
「イニの言う通りだろ。そんな足なんだし、やっぱりもう一回」
「大丈夫! 大丈夫だからッ! それ以上近付かないで!」
「だけどさぁ……」
そんな風に心配してくれる彼を手で遮ると、自分としては力強く一歩踏み出す。それから、ほら歩けるでしょ? と後ろを振り向こうとしたとき、どんと強い衝撃があって、思わずよろけてしまう。
「おっと、嬢ちゃん悪いな」
その声に何事かと顔を上げると、そこにはタバコを咥えた茶髪の男性が気怠そうな顔をして立っていた。
「あっ、えっと……」
「げっ、ラッシュバレー巡査!」
フィーが何か言うよりも早く、ライアンがそんな悲鳴を上げる。巡査? と頭の中でその言葉を逡巡させてから、それがリリィと同じ階級を指す言葉であることに気がつく。と言うことは、彼もまたムアヘッドと同じ警察と言うことになる。逃げなきゃと思うも、足が思ったように動かない。万事休すかとぎゅっと目を瞑った瞬間、ラッシュバレーが「あー」と怠そうに口を開いた。
「今は非番だから別に巡査なんて堅っ苦しい肩書で呼ばなくていいぜ。俺はただのラッシュバレーなんだし。ってか『げ』ってなんだよ、『げ』って」
「あーいや。別に何でも……」
「何でもって何だよ。ははーん。もしかしてデート中か?」
「なわけねぇよ!」
「まっ、そうだろうな。で、本当のとこはどうしたんだよ? あの人から逃げてきたのか?」
そう言ってケケケと意地悪く笑う彼に、ライアンは露骨にため息を吐く。
「そんなとこだよ。悪いラッシュバレーさん。俺たち行かなきゃ」
「おー気を付けてなあ〜……っておいおい待て坊主! その子の服どころか、お前さんの服まで破けてんじゃねえか」
「え、あっこれは……」
「そんな状態で二人して走ってるってことは……さてはその子を巡って喧嘩でもしたな? それで勝てないと判断したかなんかで逃げてる、と……ってことは駆け落ちかあ?」
隅におけねぇなあ小僧と、ニヤニヤとした笑みを浮かべるラッシュバレーにライアンは「んー」と唸りながらガシガシと頭を掻く。フィーを取り合ったかはともかく、ちょっとした戦いを繰り広げたことには間違いがない。
「えーっと、まあ、そんなとこ! だから急いでんの!」
「いーから。ちょっと待ってろって」
「待ってろって……俺ら時間ねえんだけど?」
「んなの見てたら大体察しはつくさ。これでも警察だぜ? 俺。まあ、そこの建物の中にあるベンチにでも座ってなって。そこなら人通りも少ねえし、嬢ちゃんの体力も回復できるだろうよ」
なっとウィンクを一つ投げかける姿に、フィーはなるほどと思ってしまう。これは……状況が違えば惚れてしまうかもしれない。
「とりあえずそこで待ってな。すぐ戻るからよ」
ラッシュバレーはそう言うと、さっさとどこかへ消えてしまう。
「ねぇ、本当に待ってていいと思う?」
「どうだろうな……とりあえず待つしかない、か?」
「でもあの人警察なんでしょ? 信じていいの?」
「うーん……多分……」
ライアンとフィーはお互い顔を見合わせると、とりあえず指定されたベンチに座る。先程あれだけの騒ぎが警察署内であったと言うのに、町の様子は笑ってしまう程いつも通りで、逆に怪しく感じてしまう。
「ねぇ、やっぱり逃げた方がいいんじゃないかな?」
「……そうだな。ラッシュバレーさんには悪いけど」
「何が悪いんだ?」
いつの間にか背後に立っていたラッシュバレーに、ライアンとフィーは思わず飛び上がってしまう。
「え? えっ? 早くない?」
ライアンが驚きのあまり上擦った声で言うと、フィーも勢いよく頷いて同意する。そんな二人の様子に、ラッシュバレーがカラカラとどこか楽しそうに笑った。
「あーまぁ、家がこの近くだからな。ほれ、これ持ってけ」
そう言って差し出された紙袋をフィーがおずおずと受け取って中を見ると、そこには女性物の服が詰め込まれていた。
「えっと……服?」
「昔の女やつだが、多分嬢ちゃんなら着れるだろ。未練にかまけて捨てなくてよかったよ」
「い、いいんですか?」
「いいも何も、俺が持っててもしゃーねえモンだからな。お古で悪りぃな嬢ちゃん」
「そんな……ありがとうございます! 必ず、返しに来ます!」
そう言ったフィーに、ラッシュバレーはカカカッと楽しそうに笑う。
「さっきも言ったろ。それは昔の女のモンだ。今更返せとも言われねえさ。後は買ったはいいが、サイズが小さくて着なかったやつ。これは坊主にだ」
「俺に?」
「そ。かっこいいだろ」
ラッシュバレーから手渡されたのは、革でできた黒色のジャケットで、作りが非常にしっかりした上物だと分かる。羽織ってみると重厚そうな見た目に反して軽く、これなら動くのに邪魔にならなさそうだ。
「こんなにいいのもらって大丈夫なの?」
「別にいいんだよ。どうせこの先着ることはねぇんだし、坊主が着てくれた方が服も喜ぶだろうしよ。おっと、こんな話をしてる場合じゃなかったな。引き止めて悪かった」
「いいや。ラッシュバレーさん、マジで助かったよ。ありがとう」
「いいってことよ。あっ、そうだ坊主。大事なこと伝え忘れてた」
ラッシュバレーはやけに真剣な表情でそう言うと、ぐっと二人に顔を近付けた。やはり警察署で起こった話を聞いていて、それについて何か情報を教えてくれるのだろうか。
「避妊はちゃんとな」
最低だこの人。
「うっせぇ色ボケ巡査! 働けバカ!!」
げんなりとした表情を浮かべるフィーと、顔を赤く染めて怒鳴るライアンの様子に、ラッシュバレーはこれでもかと楽しそうに笑う。
「はっはっはっ! 今日は非番でーす。ほら、さっさと行け悪ガキども!」
「わーってるよ!」
ライアンはんべっと舌を突き出すも、すぐに表情を崩す。
「ありがとな、ラッシュバレーさん。助かった」
「いーってことよ。それじゃあ俺は休みを満喫するかね」
真新しい煙草に火を着けると、ラッシュバレーはそれ以上何も言わずに背を向けてしまう。その背中に向かってフィーが一歩踏み出すと、見えないと分かっていても、ぺこりと頭を下げる。
「あ、あの! ありがとうございました!」
「おー気にすんなー」
ラッシュバレーはもうこちらを振り向くことはなく、手だけで返事をしてくれる。彼の指の間に挟まった煙草から、銀色の煙がゆらゆらと揺れていた。
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Lacrima EX MACHINA 海 @Tiat726
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