宣託の乙女

雨宮 徹

宣託の乙女

 彼女は翠玉色の瞳から流れた涙を拭きとった。



「私が……私が宣託せんたくさえしなければ……。いっそのこと、生まれなければ、こんなことにはならなかったのに」



「クラリス、宣託の日に誓っただろう? どんなことがあろうとも、君自身が生まれたことを否定しないと」僕は彼女の瞳を真っ直ぐに見つめる。エメラルド色の瞳を。



 僕は彼女を慰めつつも、考えてしまう。もし、あの日、彼女が宣託しなければ、どうなっていたのだろうかと。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「ジャン、こっちよ、こっち。私が見つけた秘密のお花畑は! もう少しで着くわ」



 相変わらず、クラリスは歩くのが早い。



「クラリス、待ってよー」



 僕はへとへとになりながら、なだらかな坂道を登っていた。あとどれくらいで、目的地に着くのだろうか。クラリスの「もう少し」は僕にとっては「かなり距離がある」を意味する。僕は彼女ほど元気いっぱいではないから。





 それからしばらく歩き、丘の頂上に登った時だった。僕の目の前に素晴らしい花畑が広がったのは。



「ジャン、私の秘密のお花畑を見た感想は?」



 クラリスが無邪気な笑顔を見せながら僕に問いかける。僕は素直に「素敵だ」と答えた。



「いけない、もうすぐお昼の時間だわ! もし、時間までに戻らなかったら、お母さまに怒られちゃう!」



「ねぇ、クラリス。もしかして、ここから走って帰るの?」



 僕は嫌な予感がした。



「当たり前よ! さあ、村まで競争よ。用意、ドン」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 村までの徒競走は僕の惨敗に終わった。分かりきってはいたけれども。運動が苦手な僕がクラリスに勝ったことは、一度もないのだから。



「じゃあ、お昼を食べたら、今度は森へ行きましょう!」



 クラリスは張り切っているが、残念ながら僕にそのエネルギーはない。



「クラリス、早く戻ってらっしゃい! お昼の時間ですよ」



 クラリスのお母さんの声がする。洗濯帰りなのだろう。手元の桶には衣服が入っている。



「あら、ジャンじゃない。今日はご両親は隣の村まで出掛けているんでしょう? うちでお昼を食べていきなさいな」



 僕はこくんと首を縦に振った。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「へぇ、秘密の花畑ねぇ。今度は私に見せておくれ」とクラリスのお母さん。



「うん!」



 クラリスはお母さんにも花畑を見せるのか。僕は2人の秘密にしていたかった。想いを寄せる人との秘密。それは、2人の関係を強くしたに違いない。



 そんなことを考えている時だった。クラリスの様子がおかしくなったのは。彼女はうなだれると、いつもとは違う声でこう言った。



「今から5年後、フランスとイギリスとの間で100年に及ぶ戦争が起きるであろう。勝利の栄光を掴むのは――」



 そこまで言うと、クラリスは頭を上げて、「私、一瞬寝ちゃったみたい」と微笑んだ。



「クラリス、今君は――」



 僕の言葉をクラリスのお母さんが遮る。



「ジャン、いいかい? 今のことは、この3人だけの秘密だよ? いいね?」



 いつもは穏やかなクラリスのお母さんだけど、今回は違った。特に最後の一言はお願いというより、半分脅しだった。無理もないかもしれない。クラリスは今後のフランスとイギリスの関係を崩壊させかねないものだったから。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 家に帰る途中、僕は考えた。さっきの言葉は、いずれ誰かの耳に入る。その時、みんなはこう思うだろう。「クラリスがとんでもない宣託をしたらしい」と。



 これまでも今回のようなことはあった。いつだったかは「明日、教会の神父さまが亡くなるだろう」といった宣託をした。そして、次の日に神父さまが亡くなった。クラリスの言葉通りに。いや、正確には違う。クラリスに取り憑いた神さまの言葉通りに。



 今回は村の中の出来事ではない。いずれフィリップ国王の耳にも入って、戦争が始まるに違いない。もし、戦争が起こるなら、宣託を知っているフランス側が有利だ。間違いなく、イギリスへ奇襲攻撃をするに違いない。今回は宣託が外れるかもしれない。戦争開始が早まるという意味で。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「宣託の日から数ヶ月か……。まさか、本当に戦争になるなんて」



 僕は呟いた。



 そう、あの日を境に村の人々がクラリスを見る目が変わった。「クラリスは戦争を引き起こした元凶だ」と。でも、僕は違うと思う。イギリスとはもともと仲が悪かった。いつ戦争が起きてもおかしくなかったのだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ある日の晩だった。夜なのに、外が妙に明るい。僕がパジャマのまま外に出ると、そこに広がっていたのは火の海だった。



「ジャン、なにぼさっとしてるの!」



 クラリスのお母さんが怒鳴る。



「あなたのところの両親は、出かけているんだろう? 私が責任を持って避難させるわ」



「避難? なんで村は炎に包まれているの?」



「それはね、隣の村が襲ってきたのさ」



 理由は分かりきっていた。イギリスとの戦争が始めまって以来、どの村も貧困にあえいでいた。おそらく、クラリスを元凶とみなして、襲って来たに違いない!



 小高い丘に登りきると、焼き焦げた無惨な村の姿が目に入った。あれが、僕とクラリスが過ごした村の最後なのか。そんな風に悲しく思っていた時だった。クラリスのお母さんがとんでもない発言をしたのは。



「クラリス、あんたは不幸を撒き散らす存在だ! 悪いけれど、ここでお別れだ!」



 そう言うとクラリスのお母さんは足早に去っていった。



「お母さま……」



 クラリスはこの世で孤独になってしまった。いや、それは違う。クラリスには僕がついている。



「クラリス、僕が君を守ってみせる」



 それはクラリスへの誓いだった。



「私よりも鈍臭いジャンが?」



「確かに、今はそうかもしれない。でも、修行をして、必ず君を守るナイトになってみせる」



 僕は心の中でこう続けた。僕が死のうとも、クラリスだけは守ってみせると。

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宣託の乙女 雨宮 徹 @AmemiyaTooru1993

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