終幕

第24話

 花の香りがした。

 瞼を持ち上げて見れば、綿菓子のような雲が空に浮かんでいる。上体を起こせば、あたり一面には色とりどりの花が咲いていた。小鳥が囀り、蝶が舞っている。あまりに幻想的な光景は、現実味がない——あ、そっか。

「死んだんだ」

 生前のことを思い出しながら、しかしそれにしてもと眼前に人がる光景を見つめる。

「ここ、どこだろう」

 死後の行き先は天国か地獄しか思い当たらない。ここが地獄だとしたら想像とあまりにかけ離れているが、天国に行けるほどの善行を積んだ覚えもなかった。

「天界だ」

 ふいに、上から声が降ってきた。疑問ではあったが答えが返ってくると思っていなかった。

 驚き、思わず飛び跳ねながら振り返ったそこには——美しい男がいた。

 月光を浴びた水面の輝きを編んだような、銀の髪。顔の横に垂れる房は、左右非対称だったが、それもまた似合っていた。

 川水よりも空よりもずっと深い青の瞳。じっと見つめるほどの惹きこ込まれ、もっと奥深くを知りたくなる衝動に駆られる。

 男は、研ぎ澄まされた刃のように鋭くも、花のようなやわい色香を持つ面立ちをしている。布地の多い衣装を纏い、腰には神楽鈴のようなものをさしていた。

「お前の裁判は俺の権限で省略させてもらった」

「は、はぁ……」

「お前の就職先はとうに決まっているからな」

「えっと……」

「あまり急ぐなって言ったのに。大した年月も絶たずお前はおちおち死にやがって」

 男は呆れた様子で深々とため息を吐いた。そのため息のわけどころか、彼の言うこともこの状況もまだ、把握しきれていない。

「あの」

 ただ、ひとつだけ去来する感覚があった。

「どこかでお会いしましたか」

 そう思ったのは、男がまるでこちらを知っているように話しかけてくるからだろうか。けれど、男の姿そのものに、なんとういうか、懐かしさを感じた。これだけ美しい存在を見ていたら、忘れようもないとは思うのだが……。

 男はおもむろに瞬く。それから悪戯っぽく笑った。

「さぁ、どうだろうな」

「どうだろうなって……あなたは、何者なんですか」

「人に名を尋ねるときは自分から名乗れ」

 たしかにそれはそうだ、と思い、居住まいを正して口を開く。

「告と申します」

 男はわずかに瞳を細めた。そこに宿るやわらかな光に、告の胸が妙に高鳴る。

「俺は花水木を司る神、寧琅だ」

「神様」

「今後、お前は俺の元で神守として働くことになる。これは、その歓迎の印だ」

 宙を切るように、寧琅が手のひらを横に振る。すると、どこからともなく桃色の花びらが舞った。

「すごい、きれい……」

 ひらひら、ひらひらと、絶えず舞う花びらは、まるでお花の雨のようだった。天を仰ぎ感動に耽っていたが、告の視線は引き寄せられるようにまた、寧琅の方へと結ばれた。

 美しい花びらの雨の中に佇む、美しい男。いっそ神々しささえ感じる。

(というか、本当に神様、なんだよね)

 先にしてもらった自己紹介を思い出す。告はこれまで神様に出会ったことはなかった。

 はじめて対峙する神様という存在についじっと見惚れていると、寧琅もまたこちらを見た。

 視線が絡んだとき、告の唇から、勝手に音が生まれ得る。

「寧琅様」

 その名前を舌に乗せると、再び懐かしさが去来した。胸が少しだけ苦しくなった。そのわけは、分からなかった。

「どうした、告」

 寧琅は青い瞳をわずかに細める。

 思わず名前を呼んでしまっただけで、なにか話したいことが浮かんでいたわけじゃなかった。だが呼んだからにはなにかを言わなくては、と思った。

「僕はこれから寧琅様の元で働く? んですよね」

「そうだ」

「あえっと、それじゃあ、あの……どうぞ、よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げると、くすくす笑う声がした。

 顔を上げれば、そこには花が咲くように微笑む寧琅の姿があった。

「ああ。末長くよろしくな」

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花の神守 爼海真下 @oishii_pantabetai

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