はいしゃさんに行こう

馬村 ありん

はいしゃさんに行こう

 週刊誌に目を走らせてみるが、内容がいまいち読み取れない。文字を見る目が上すべりする。貧乏ゆすりをする両足が待合室のフローリングの床をギシギシと鳴らしていた。迷惑になると思って足を止めた。


 受付をチラと見やる。デスクの上では、歯科助手の女性がパソコンに何かを入力している。どんな内容を打ち込んでいるかは、皆目見当もつかない。きっと歯科的に必要な、歯科的な情報を、歯科的な態度で書きつけているのだろう。

 天井に取りつけられたテレビは、夕方のニュースを放映している。国会の本会議がはじまり、与野党の攻防戦が……。動物園でアザラシの赤ちゃんが生まれ……。東名高速で自動車五台の絡んだ交通事故が……。


 気がつくと、続き部屋になっている診察室のほうに目を向けていた。施術の音が聞こえる。シューと水を吹きつける音、キィンと機械が作動する音。冷や汗が出る。ああ、俺の順番はいつ来るんだ。やるなら早くやってくれ。いつまで気を持たせているつもりなんだ――。

 受付の女性はやけに悠長に構えているように見えて仕方ない。僕の焦っている様子を感じてよろんでいるのではないか。そんな妄想じみた考えさえ浮かんでくる。


 あのー、僕の順番忘れられていないですかね?

 そんな台詞セリフを口にしようとした瞬間、名前が呼ばれた。小声で返事をして、足にはいたスリッパを鳴らしつつ、僕は診察室へと足を運んだ。

 パーティションで区切られた部屋の最も遠い個室へとたどり着いた。胸の高さのドアを開くと、歯科助手の女性が両手に歯科用のエプロンを抱えながら待っていた。その目はどこかうつろであり、イラ立ちを抑圧しているようにも見えた。


 施術台に横たわるなり、エプロンを首に巻かれた。一度口をすすいでお待ち下さいと言われ、僕はそうした。しばらく待たされる。五分待ち、十分待っていると、これなら雑誌でも持ってきたらよかったと、後悔の念が頭をよぎった。時計とにらめっこしているとようやく歯科医が姿をあらわした。


「田代さん、きょう奥歯の手術していきますからね」などとわかりきったことを歯科医はいった。僕はうなずく。

 僕の頭上のライトの電源がオンになった。それから歯科医と歯科医助手が距離を詰めてきた。視界がせばまった。僕は周囲三十センチも見通せなくなった。

 歯科医は僕におおいかぶさるようにして、金属のヘラのようなもので僕の口のなかをかき回してきた。ドッドッドッ。心臓が高鳴る。


 次に、なにか細長い金属のようなものが口のなかに突っ込まれた。いよいよ奥歯を削られてしまうと身構えたが、シュー! それは水を吹き出す機械のようだった。

 ホッとしたようでもあり、まだ後に待ち受けていることを思い知ることになる。ああ、本当にやるなら早くやってくれ。僕は無意識に足を突っ張らせていたことに気がつく。


 それからよく分からない金属の管を二、三本、口の端を渡して中に突っ込まれた。舌でふれると冷たい感触があった。それらに喉穴が圧迫されているような気がして、なんだか息が苦しくなってきた。

「田代さん、痛かったら言ってくださいね」

 来た! ついに来た!


 するどい回転音がして、ドリルが歯の表面をえぐりはじめる。キュイーン! 奥歯が揺さぶられる。それはビリビリと頭全体を揺さぶり、ひいては脳をも揺さぶる。

 僕はこれが大嫌いだった。まるで紙をかみしめた時のような不快感に襲われるのだ。振動のひとつひとつに、脳の表面を刃物の先端でなぞられているような気持ちになる。


 ドリルは歯の表面を削りつづける。僕は耐えた。耐えに耐えていると、いつしか終わった。それはそうだ。何事にも終りがある。歯の手術も遅かれ早かれ終わる運命なのだ。

 患部に薬が塗られると、奥歯は再び銀のカバーで覆われた。


 気がつくと、歯科医は何も言わずに姿を消していた。歯科助手が僕に「歯石をとってまいりますね」と言った。

 ああ、終わったのだ。奥歯をドリルでえぐるという苦行が。

 気が楽になった。歯のいたるところに水流を吹き付けられて、ステンレス製の鉤爪みたいなもので歯をこすられているが、それは気にならない。なんせドリルじゃないから。


 苦行に耐えた自分へのご褒美にとなりのコンビニでショコラケーキでも買おうかなと企てる。虫歯を治したばっかりでケーキなんていかにも学習能力がなさそうな感じだけど、食べたいものは食べたいのだからしょうがない。

 そんなことを考えていると、奥歯に痛みが走った。反対側の奥歯だった。痛い! 


「どうやら反対側の奥歯も虫歯みたいですね」歯科助手は言った。「来週また来てください。今日と同じ手術しますから」


終わり

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