エピローグ

 突き刺さるような冷たい風が通り抜けていく。

 ヨネサンは思わず身を竦ませ、外套の襟を胸元に引き寄せた。夏を目前に控えているとは思えない寒さに、道行く人々も真冬であるかのように防寒具を着こんでいる。

 見上げる空は一面が灰色に染まっていた。ここしばらくは、ずっとこんな空模様だ。


 この異常気象の原因ははっきりしていた。

 霜の巨人フロストジャイアントガジールが活動期に入ったのだ。

 まだ正式に公表されたわけではないが、三年前に初めてガジールがこの地に現れた時にもまったく同じ現象が起きたことから、人々の間でもその噂はまことしやかに囁かれていた。

 あのガジールが再び街を襲うかもしれない……そんな由々しき事態にもかかわらず、服装以外に人々に変わった様子がないのは、この街を守護する冒険者パーティ『レニゴールの絶対守護者』への信頼の表れだった。


「……まったく、いい気なものだ」


 ヨネサンは小さく吐き捨てた。だからこそ冒険者のような商売が成立すると言ってしまえばそれまでだが、あまりに他人事のように振舞われると文句のひとつも言いたくなるというものだ。

 もっとも、領主と直接契約を結び、あらゆる優遇措置を受けてきたパーティにとって、ガジール討伐はもはや義務と言える。戦いは避けられない状況だった。

 だが、決戦を前にして、パーティは大きな危機に直面していた。

 戦闘の要である盾役タンクがパーティを脱退してしまったのだ。

 そして今日に至るまで、代わりの盾役タンクは見つかっていない。


 すべては二カ月前。サイクロプス討伐を終えたあの日、リアムがパーティを脱退したことから始まった。


「……もう、痛いのは嫌なんだ」


 リアムのその発言を聞いて、ヨネサンは最初、彼が何を言っているのか理解できなかった。

 大型モンスターを相手に一歩も引かない戦いぶりから、『不動のリアム』とまで呼ばれるようになった男が、まさかそんな理由で辞めるなど誰が想像できるというのか。

 誰よりも勇敢に戦い、仲間の為に身体を張ることを厭わない。恐怖など微塵も感じさせずに強大な敵に立ち向かっていくリアムを、ヨネサンは――いや、他のメンバーもそうだろう――どこか人を超越した存在なのだと勝手に思い込んでいた。

 今となっては、それがいかに浅はかな考えだったかがわかる。

 リアムだって人間だ。痛いのは嫌だろうし、恐怖だって覚えるに決まっている。そんな当たり前の認識が希薄になってしまうほど、彼は特別だったのだ。

 その特別な存在を失い、パーティは迷走した。

 苦戦が続き、後任として新しく迎え入れた盾役タンクもすぐに脱退してしまった。パーティの雰囲気は悪化の一途をたどり、いつ崩壊してもおかしくない状況だった。


 動揺はヨネサン自身にもあった。なんといってもリアムに負担を強いる戦術を考案した張本人なのだから当然だった。

 効率ばかりを考えて、リアムに掛かる負担をまったく考慮していなかった。むしろ、シールド魔法があるから負担は軽くなっているとさえ思っていた。

 なにより、思い描いていた理想のパーティが、見届けたいと願っていた輝かしい未来が、露と消えてしまったことがショックだった。


 このままガジールと戦って勝てるのか……。


 ヨネサンが試算したところ、戦力的には十分に勝算があると出た。

 ただし、それには「メンバー全員がベストな状態で最善を尽せば」という前提条件がつく。今のパーティに、それは望むべくもないだろう。

 それでも、カイルは戦いを決断した。リアムが去ったことで最も傷つき、自責の念に苛まれているだろうに、折れることなく前に進もうとしている。

 カイルが戦うと決めた以上、ヨネサンも腹を括った。

 リアムを失った今、自分がカイルを支えねばならない……そんな使命感のおかげで、なんとか心折れずに踏みとどまることができた。


 ただ、ヨネサンはカイルと違い、勝つことはほとんど諦めていた。

 重要なのはパーティメンバーに犠牲者を出さないことだ。仲間を失うという最悪な未来だけは、なんとしてでも避けねばならない。たとえ地位や名声を失おうとも、命さえあればいくらでも挽回の機会はある。

 パーティの未来を守る……その為には、彼女の復調が絶対に不可欠だった。




 宿舎から歩いて五分ほど、レニゴールの街のほぼ中心部にある大きな公園に、ヨネサンはやってきていた。

 公園の中央には著名なドワーフ建築家が設計したという噴水があり、憩いの場として多くの住民に愛されている。いつもであれば多くの利用者で溢れているのだが、季節外れの異常な寒さのせいで、さすがに閑散としていた。

 おかげで目的の人物はすぐに見つかった。

 噴水のふちに腰かけ、憂いのある表情で、ぼうっと流れる水を眺めている。

 ヨネサンは近寄り、声を掛けた。


「アリーシャ」


 名を呼ばれた少女はゆっくりと顔を上げた。


「ヨネサンさん……」


 彼女の顔には「どうしてここに?」と書かれてあった。


「この時間はだいたいここにいると、ダイアナから聞きましたもので」


「そうですか……」


 アリーシャはすぐに顔を伏せた。今は誰とも話したくない、そんな意思が態度から透けて見える。が、ヨネサンは構わずに話を続けた。


「私が集めた情報では、もうまもなく奴が動きます。早ければ今晩か明朝には我々も動くことになるでしょう。あなたもそのつもりでいてください」


「わかりました。……それを伝える為にわざわざ?」


 真正面から問われ、ヨネサンは若干の気まずさを覚えた。


「まぁそうなんですが、それだけではないと言いますか……。ここ最近のあなたが少々思い詰めていたようなので、ずっと気になっていたんです」


「……そんな風に見えましたか?」


「自覚がないんだとしたら相当な重症ですよ。なんなら、このままあなたがパーティを辞めてしまうのではないかと心配しているくらいです」


 するとアリーシャは静かに首を振った。


「辞めません。みなさんのおかげで、これまでやってこられたんです。このパーティじゃなければ、わたしは回復役ヒーラーとしてここまで成長はできませんでした。その恩返しをしないまま辞めるなんて絶対にしません」


「それならよいのですが……」


 辞める心配がないと言っても、アリーシャが本調子でないのは一目瞭然だった。


「やはりリアムのことを引きずっているのですか?」


 答えを聞かなくても、みるみる暗くなっていく少女の表情がすべてを物語っていた。


「……わたし、リアムさんがあんな風に思っていただなんて、ぜんぜん知らなかった……。なにも知らないまま、気付かないままたくさんミスをして、いっぱい迷惑をかけて……そのせいでリアムさんの心を傷つけてしまった……わたしは取り返しのつかないことをしてしまったんだって……」


 やはりアリーシャは自責の念に押しつぶされそうになっていた。

 成長過程で多くのミスを繰り返してきた彼女を、リアムは一度も責めることなく、なんでもないことのように受け入れ、支えてきた。絶対に倒れることがないリアムへの絶大な信頼こそが、アリーシャに勇気を与えていたのだ。

 アリーシャのリアムに対する想いは、好きとか憧れといったものではなく、おそらく崇拝に近いものだと、ヨネサンは考えていた。言うなれば心の支えだ。

 その心の支えを自らの手で傷つけていたことを知って、アリーシャはせっかく手に入れた自信を失い、初めて出会った頃に戻ってしまったかのようだった。

 このままでは、とてもパーティを守ることなどできないだろう。


 だが、ヨネサンはちょっとしたきっかけさえあれば、彼女は立ち直ってくれると信じていた。これまでに積み重ねてきた彼女の努力は、その程度で崩れ去ってしまうような脆いものではない。ずっと傍で見守ってきたからこそ、そう確信できた。


「……私も同じですよ。なんといっても彼に負担を強いるような戦い方を考えたのは私ですからね。諸悪の根源と言っても過言じゃないでしょう」


「そ、そんなことは――」


 否定しようとするアリーシャを、ヨネサンは手で制した。


「もちろん、私やあなただけではありません。メンバー全員が、誰も彼の心の傷に気付けなかった。その罪はあまりにも大きい。ですが、だからといって、このまま悲嘆に暮れていていいはずがありません。我々はまだ終わっていない。それに、誰かを守れるような人間になりたいというあなたの想いが消えてなくなったわけではないでしょう?」


 真面目な顔で何度も頷くアリーシャ。

 そんな少女に向かって、ヨネサンはできる限り優しく問いかけた。


「前に言いましたよね。望む未来は手を伸ばさなければ掴めないと。今あなたが一番望んでいることはなんですか?」


「一番望んでいること……?」


「あなたが今一番したいことでもいいです」


 アリーシャは少し考えてから口を開いた。


「……リアムさんに、謝りたいです……これまでのこと、全部……」


「ならそうしましょう」


「えっ?」


「別に死に別れたわけではないんですから、会おうと思えばいつでも会えるでしょう」


「で、でも、リアムさんはわたしになんか、もう二度と会いたくないって思っているに決まってます……」


 そう言うと、アリーシャは再び下を向いてしまった。

 ヨネサンは深々とため息を吐く。


「まったく、相変わらず思い込みの激しい人ですね。彼はそんな人間じゃないって、あなただってよく知っているでしょう」


「それは、そうですけど……」


 アリーシャの態度は煮え切らない。そういったところもまた彼女らしかった。


「だったらこうしましょう。我々の力でガジール討伐を成功させるんです。そして、その戦果を手土産に彼に会いに行きましょう。自分たちだけでもやっていける。だから安心してくれ。そう彼に伝えてあげるんです。謝罪なんかよりも、きっと喜んでくれるはずです。そうは思いませんか?」


「あ……」


 アリーシャの表情に理解の色が帯びた。


「少しはやる気になりましたか?」


「……はい」


「それはなによりです」


 ヨネサンは軽く笑って頷いた。


「ヨネサンさんは、本当にすごいです。いつもわたしが迷ったときに、道を示すような言葉を言ってくれる……。パーティに誘ってくれたときもそうでした。本当に感謝しています」


「そんな大層なことを言った覚えはありませんが……。感謝してくれているのでしたら、いい加減、さん付けするのやめてもらえませんかね。私の名前でさん付けされると間抜けに聞こえるんですよね」


 冗談めかして言ったが、さん付けを止めてほしいというのは本心だった。


「ごめんなさい。それで呼び慣れてしまっているので……」


「ひょっとして私は嫌われているんじゃないかと心配になるのですがね」


「そ、そんなことないですからっ!」


 アリーシャが勢いよく両手をぶんぶんと振った。

 変わらないその仕草に、思わず苦笑する。

 感謝しているのはヨネサンも同じだった。アリーシャとの出会いがきっかけで、多くの大切なことに気付くことができたのだから。


 ふいに右手が温かい感触に包まれた。

 アリーシャの小さな手がヨネサンの手に伸ばされていた。


「……どうかしましたか?」


 突然のことに思わずどもりそうになったが、どうにか普通に言えた。


「一緒に、頑張りましょう」


 わずかに濡れた少女の瞳が真っ直ぐに向けられる。ヨネサンには、その瞳に宿る輝きこそが、向かうべき未来を指し示す希望の光のように思えた。


「言われるまでもありません」


 ヨネサンはアリーシャの目を見て答えた。

 心の奥底から熱い闘志が湧き上がってきていた。

 カイルが集め、鍛え上げたパーティには、数字では測れない無限の可能性がある。

 だから、もし許されるのならば、今度こそもっと斬新で、効率的で、仲間に犠牲を強いることのない完璧な戦術を考えるのだ。

 その為にも、仲間は誰ひとりとして死なせない。

 絶対に。

 空いた手を強く握りしめながら、ヨネサンはあらためて誓うのだった。



                  了

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ある盾役の憂鬱外伝<盾の少女と未来への道標> SDN @S-D-N

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