終章

第二十七話 朝顔の咲く場所

    終章 ~朝顔の咲く場所~


 力を使い果たした佐那は丸三日間、ぐっすり眠っていたらしい。おかげで翌日に飛び交った瓦版の様子を見損ねてしまった。完全なお祭り騒ぎで、まるで紙吹雪のように摺物が宙を舞っていたとのことだ。それを後で聞いた佐那は「見たかったのに!」と悔しさに地団太を踏んだものだ。

 だが、目覚めてすぐの佐那は、自分の置かれた状況に、困惑するばかりとなっていた。

「いや、だから、幸庵……?」

 陰陽師として、生命力そのものを絞り出すようにした身体は未だに重く、身体を起こすのも辛い状態。けれど、元気があったとしても、布団から出られたかは疑問なところである。何しろ幸庵の腕が、しっかりと彼女の背中に回っていたのだから。

「じっとしていなさい、佐那」

 佐那の枕元には、傷を引き受けてくれている身代わり人形が置かれていた。幸庵の纏う妖力の範囲内にあり、佐那と人形、同時に力を流し込んでくれているようだ。それが証拠に、佐那の身体は芯からポカポカと暖かい。

「私に断りもせず無茶をしてくれたからね。身代わりの人形もかなり傷ついてしまった」

「もう大丈夫だってば!」

 幸庵の腕から逃れようともがくと、ますます抱きしめる力が強くなって、とうとう身動きできない状態にされてしまった。

 この状態を鑑みれば、眠っている間中、幸庵が力を流し込んでいてくれたのは明白だ。幸庵が心配するほど、佐那の身代わり人形は傷ついていない。むしろ、越後屋に忍び込む前よりも良くなっているくらいだ。

 しかし――

「ほうら、佐那。動けなくなってしまったではないか。やはり、まだまだ休んでいてもらわないといけないね」

「いや、違う。それ違う! これは幸庵のせい!」

「ああ、可哀そうな佐那……」

「ぐええ……く、苦しい! 逃げない、逃げないから! 力を緩めて、死んじゃうぅ~」

 佐那の悲鳴が部屋の中で響いた。


    ◆


 ――と、幸庵の腕の中で、さらに二日ほど過ごす羽目になった後、佐那はやっと床上げを許された。

 尤も、それにはもう一つ理由があった。

「幸庵殿には借りを作ってしまったな。全ては俺の不徳の致すところだ」

 奥の間で幸庵に頭を下げるは、左近の姿。

(左近様……)

 佐那は幸庵の隣に同席している。少しやつれた様子ながらも、左近の元気な姿を見て、ほっと安堵の息を吐く。

 佐那が眠っている間に、義賊としての『後始末』は吉平達が全て実行してくれていた。

 越後屋の看板にデカデカと佐那達が見参したことを書き、越後屋の悪徳商売の数々を並べ立てる。普段はここまではしないのだが、騙された仕返しとばかりに盛大にやってやった。おかげで評判がガタ落ちした越後屋からは客が離れ始め、大丸屋に戻りつつあるという噂も聞いている。

「間違いは誰しもあるというもの。左近殿、それ以上気に病むことのないよう」

 幸庵は穏やかな口調で顔を上げるよう促す。

「私のほうこそ、今回はしくじりましたからね。まさかあの櫛が、これほどまでに恨みを溜めていたとは……見立てが甘かった。今回の件で、一番被害を受けたのは佐那だと思いますよ」

「まったくもってその通りだ」

 顔を上げた左近は、今度は佐那に対して申し訳ないと頭を下げる。

「お前に重傷を負わせてしまっていたとは……あやかしの影響があったとはいえ、仲間に何ということをしてしまったのだろうか。佐那、俺はどのように償えばいい?」

 吉平からの情報で、あやかしに憑りつかれていたことや、あの夜の経緯を聞かされた左近は、全てを悟ったという話を聞いていた。

 どうやら、左近自身、うっすらと記憶はあったようだ。それがあまりにも現実離れしていて、信じられなかったらしい。誰に相談するわけにもいかず、一人で苦しんでいたとのことだった。

「ううん。あたしこそ、左近様に謝らないといけない」

 左近の前で、佐那は額が畳に付くほどに頭を下げた。

「あたしの間違った情報のせいで、『朝顔』のみんなに誤った行動を取らせてしまったの。それも二度も。運よく収まるところに収まったけど、一歩間違えれば『朝顔』だけじゃなく『玉楼』も危険な目に遭わせるところだった。あたしこそ罰を受けるべき」

 二人とも、時が止まったように頭を下げ続けるばかり。

 くすり。小さく幸庵が笑った。

「ふふ……みんな謝ってばかりで先に進まないね。ここは一つ、全員が悪かった。今回の失敗を次の糧にする、ということで、手打ちにしないかね」

「……そうだな。大きな失敗はしてしまったが、皆の助けのおかげで、致命的なことだけは避けられたようだ。今後の戒めとしよう」

 ゆっくりと顔を上げると、噛みしめるように左近が言った。

「ほれ、佐那や」

 未だ姿勢の変わらない佐那の襟首へ幸庵の手が伸びた。

「いつまでそうしているつもりかね」

「で、でも……!」

 無理やり引き起こされ、なおも抵抗しようとする佐那へ左近が告げる。

「お前の活躍は聞いているぞ。一人で俺に憑りついたあやかしに立ち向かったそうではないか。そのおかげで『玉楼』の者達は無傷だ。俺も含めてな」

「そうかもしれないけど……」

 佐那はやっぱり納得できない。

 自分が間違えさえしなければ、今回の事件自体が起きなかったのではないだろうか。何より無実の罪を被せてしまった者が救えていない。

「大丸屋が心配なのか?」

 心中を見抜いたかのように訊ねてくる。佐那は無言で小さく頷いた。

「そうだな。我々も表立って謝罪に行くのは無理だな」

「……だよね」

「だが、越後屋がああなってしまったことで、我々も着物の取引先が無くなってしまったからな。今後、全ては大丸屋のものを買おうと考えているのだ」

「左近様……」

 煮凝りのようになっていた心の一部が、すっと溶けていったような気がした。まさか『ごめんなさい。朝顔より』と手紙を書いて、金子を置いていくわけにもいくまいと思っていただけに、左近の対応はまさに納得するものだった。

「あ、ありがとうございます!」

「これでも『玉楼』の楼主であり、『朝顔』の頭領だからな。少しはそれらしいことをさせてくれ」

 仏頂面で返してくるも、左近はすぐに幸庵へ向き直った。

「佐那のことだが、当初の約束のひと月は経過した。俺がつけてしまった傷のことは聞いているが、後どのくらいかかるだろうか?」

 そうだったと、佐那は隣の幸庵を見上げる。浅野屋に馴染み過ぎてしまって忘れそうになるが、元々は左近の側の人間。いつまでもここに滞在するわけにはいかない。錠前破りの上手い彼女がいないのでは、『朝顔』の活動も困ってしまうだろう。

「そうですねえ……」

 ちらりと佐那の視線を受け止めて、ひのふの、と数えてから幸庵は告げた。

「急がなければあと十日ほどでしょうか」

(そっか、もうそんなにすぐなんだ)

 過保護な幸庵のおかげで、身代わり人形の胸の穴はほぼ塞がっていた。全快は近いと想像していたものの、こうして具体的な日数を聞かされると、ちくりと胸が痛んだ。

「そうか……」

 左近が腕を組む。その視線は佐那へと向かい、微笑みを浮かべていた。

「幸庵殿と、よほど親しくなったと見える」

「へ……?」

 何を言われたか理解できず、口をポカンと開けていると、左近の顔が引き締まった。

「先ほど、お前は罰を受けたいと言っていたな。ちょうどよいものを思いついた」

「は、はい!」

 厳しい声に自然と佐那の背筋が伸びた。頭領である左近の命令は、天からの声にも等しい。一体どんな罰を申し渡されるのだろう。緊張して続きを待った。

「『玉楼』と『朝顔』からも暇を出す」

「そ、そんな……」

 目の前が真っ暗になったような衝撃に、佐那は口をわななかせる。左近は厳しい表情のまま佐那を見詰めた。

「しかしな、安心するがいい。浅野屋さんがお前を身請けしたいらしくてな」

 佐那は反射的に幸庵の顔を見た。その頬がぴくぴくと震えている。左近へ視線を移すと、先ほどまでとはうってかわり、やっぱりな、と言わんばかりの表情。

「ね、ねえ……」

 今度は別の意味で身体が震えた。怒りの感情を抑えながら問いかける。

「二人して、あたしを嵌めた?」

「嫌か? お前が嫌ならこの話はなかったことにするが」

 真正面から問いかけられ、佐那は言葉に詰まった。

 嫌かどうかと問われれば、もちろん返答は決まっている。だが、それでは『朝顔』が困ってしまうのではないだろうか。

 迷う佐那の背中を押すかのように左近が続けた。

「別に今生の別れというわけではない。お前の頼みであれば、幸庵殿は何でも許してくれるだろうよ。そうだろう、幸庵殿?」

「私は押しに弱いですからねえ」

 苦笑いを浮かべて幸庵の手が佐那の頭を撫でた。

「――あ、あたしは……」


    ◆


 カッコーン。

 鹿威しの澄んだ音が中庭に響いた。

 左近の去った奥の間で、佐那は一人、呆然と己の気持ちを持て余していた。

 幾部屋もある広い屋敷に、様々な樹木の植えられた風流な中庭。池の周りには桜につつじ、そして紅葉もある。そして、一番手前には、鮮やかに花開いている白い朝顔の花。ひと月しか滞在するつもりがなかったので気が付かなかったが、一年を通じて四季折々に楽しめるような構成になっている。

(あたし、ここに住むんだ……)

 これからの生活に、まだ実感が沸かない。

 人が途切れることのない浅野屋は、あやかし達が働く店という、ちょっとした秘密を抱えている。名実ともに佐那はその一員となり、幸庵を助けるのだ。

「いやはや、左近殿も面白いお人だね。普通、身請けするとなればこちらが金子を払うべきなのに、私の懐の方に金子をねじ込まれてしまったよ」

 表から足音がして左近を見送りに行っていた幸庵が戻って来る。ぼーっと庭を眺めている佐那の表情を見ると、慌てて駆け寄った。

「ど、どうしたんだい? 涙なんか流して。どこか痛いのかい?」

「ううん」

 ふるふると佐那は首を横に振った。

「私の元に残るのが、泣くほど嫌だったのかね……?」

「そんなことないって知ってるくせに!」

 不安に揺れた幸庵の瞳。佐那はそれを、目尻を拭きながら一蹴する。

「綺麗だよね、この庭」

 佐那が中庭に身体を向けると、背後から抱えるようにして幸庵の腕が回った。

「気に入ってくれたかね。春夏秋冬。様々な表情を見せてくれる。まるで佐那のようにね」

「ふふ……あたしってそう思われてたんだ」

 背後を仰ぎ見ると、幸庵が真剣な瞳で見下ろしてきていた。

「佐那や。君を身請けしたとはいえ、私はあやかしだ」

 そんなことは知っている。一体何が言いたいのだろう、と佐那は続きを待った。

「人間とあやかしの婚姻は滅多にない異色のものだ。私は妖狐だが、元は獣だからね。一緒に住むとなれば、人間の常識からはかけ離れたような一面を、佐那はたくさん見てしまうかもしれない」

「……それで?」

「私は佐那を解放するために『玉楼』から身請けしたのだよ。今日から君は自由の身だ。もちろん私はこれからも君を山ほど甘やかすつもりだが、万が一にでも不安におも……ふがっ……!?」

 幸庵が何を心配しているのか理解し、佐那は彼の頬を思いっきりつねっていた。

 それと同時に、無性に腹が立ってしまった。幸庵が優しいのはわかるが、これは彼女の意思を完全に無視している……というか、散々今まで甘やかしてきて、今さら何を言っているのだろうか。

「何をするんだい」

「それは、あたしの台詞!」

 怒ったような表情をする幸庵の膝の上に、佐那は自分から乗った。驚いたように目を見張る彼の両肩に手を乗せる。

「あたしの心はね、幸庵に盗まれちゃったの」

 は……、と幸庵が口を開く。そんな彼を可笑しく思いながら続けた。

「あたしは義賊として、幸庵の屋敷に忍び込んだ。だけど、そこで捕らえられて、幸庵に優しくされているうちに、この心は盗まれちゃった。義賊も真っ青な手口でね」

「そうか……佐那に離れて行かれるのを怖がっていたのは、私のほうだったか」

 幸庵の右手が佐那の頬へと伸びた。触れるのを恐れるように、反対側の手が腰へと回る。佐那は微笑みながら首を微かに傾げた。

「盗賊ってね、盗んで本当に気に入った物は売らずに手元に持っておくの。さて、幸庵はあたしの心をどうしたい?」

「佐那……」

 幸庵の顔が近づいてきて、佐那は瞳を閉じて顎を少し上げる。

「んっ……」

 柔らかい感触が唇に触れ、慣れない感覚に反射的に身を引こうとすると、後頭部に回った手がそれを許さない。おずおずと幸庵の首に腕を絡めると、佐那の腰に触れた手が彼女を力強く引き寄せた。

 長い長い、永遠にも感じる時間が過ぎ、やっと佐那の唇は解放される。

「ぷはっ……息が止まるかと思った……」

 無意識のうちに息を止めてしまっていたようだ。はぁはぁ、と喘ぐ佐那を見て幸庵の肩が震えた。どうやら笑っているらしい。

「もう……! 笑わなくてもいいじゃない!」

「ははは、すまないね」

 頬を膨らませて拗ねると、その頬に優しく唇が触れた。そのまま耳元で囁かれる。

「断っておくが、今日から私の理性は当てにできないよ。それでもいいのだね?」

「ええっと……」

 そういえばそうだった。夫婦となれば、幸庵が遠慮する必要はどこにもなくなる。今までも同じ布団で眠っていたが、その意味は全く異なるものになる。初めてその事実に思い至り、頭の中が大混乱に陥る。

「い、嫌なわけじゃないよ?」

 首元まで真っ赤になって佐那は口籠った。

「だけど、今日は待ってっていうか、せめて祝言をあげるまでは。ほ、ほら、『朝顔』から呼ばれるかもしれないし。あ、あ、あたしの心の準備も……」

 あたふたと言い訳を始める佐那を見て、とうとう幸庵が吹き出してしまった。

「わかっているよ」

 背中をポンポンとあやすように叩かれて、まるで子供扱い。それはそれで非常に面白くない。相反する感情に翻弄されていると、顎に手を当てられ、顔が幸庵へと固定された。

「あやかしの寿命は長い。佐那がその気になるまで気長に待つよ。だが――」

 今までに見たことのない、にやにや笑いに、佐那は本能的に身の危険を感じた。

「こちらは許可が取れたようだからね。佐那の心が溶けるまでこれで責めてあげるよ」

「ちょっ、こっちも手加減し……んふぅ……」

 逃れる間もなく佐那の唇は再び塞がれていた。バランスを崩した拍子に幸庵の膝から落ちるも、そのまま畳へと押し倒され、口づけの嵐に襲われた。

(ああ、幸庵……)

 必死にそれに応えながら思う。

 義賊としての佐那は今日で終わり。これからは幸庵とともに生きるのだ。盗まれた心は永遠に幸庵のもの。佐那が死ぬまで手放されることはない。

「ふふふ……あたしも年貢の納め時かな」

「では、私の腕の中の牢獄で、生涯を送ることを申し渡そう」

 面白がるような表情で、幸庵が裁きを下す。

 佐那は微笑みを浮かべると、観念して目を細めたのだった。


〈完〉

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義賊の少女は優しき妖狐に心を奪われる 美夕乃由美 @mmiyu_tatala

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