第11話 朱厭(しゅえん)の宴
「あれが今生の別れになるか」
寂しげに呟いた。
「胴と首がつながったまま故郷へ帰れるとは、目出度いことだのう」
皮肉を込めた調子で呉王は言った。
「まったく。始終、酔いつぶれている能無し相手に、余計な手間を掛けずに済んだと云うものだがな」
「恐れ入ります」
袁盎は頭を下げた。呉王に反乱を起こさせないよう働きかけながら、自分の身の安全を図るという困難な両立を、どうにかやりおおせたのだった。
「ところで袁盎、わしの為に働く気はないか」
呉王の問いに袁盎は、即座に首を横に振った。
「もはや私が呉王さまのお役に立てる事は、ございません」
両袖で顔を隠して言う袁盎に、そうか、と呉王は残念そうに頷いた。
最後に袁盎は顔をあげて言った。
「呉王さまは、かねてより領民へ愛情をお掛けになっておられます。くれぐれも変わらず、善政を敷かれますよう心よりお願い申し上げます」
「当然のことだ」
こうして袁盎は呉王の宮廷を後にした。
☆
「なんだか元気がないな」
城下に出向き、領民と触れ合っている淮南王劉安を見ながら、伍由は首を傾げた。しかし他から見れば、にこやかに平民と接する劉安の姿はいつもと変わらないだろう。これは、いつもその背中を見ている伍由だからこそ気付いたといえる。
「王さま、これはうちの屋根裏から出て来た竹簡でごぜえます。どうか読んでやって下さいまし」
「おお、そうか。ありがたく読ませていただくよ」
「このジジイは古い事をよく知っておりますぞ。きっとお役に……」
「そうか、そうか」
ははは、と笑う劉安。しかしその瞳に力が無い。まるで、心ここにあらずという風情である。
「やはり、呉王からの使者が来てからか」
劉安と呉王の使者の間でどんな会話が交わされたのかは分からない。しかし、どうやらそれ以来、劉安は沈み込んでいるように思える。
彼女の保護者でもある伍被に話してみたが、苦々しい表情で話題を変えられた。伍被は内容を知っているに違いない。
おそらく自分のような子供には言えない内容が話し合われたのだろう。
「あれ、王さま。どこ行った」
いつのまにか劉安は先に城へ戻り、取り残された伍由は肩をすくめて街路を歩いていた。その彼女に後ろから呼びかけた者がいた。
「あんた、王さまの側近だろ。これを王さまに献上したいんだ。取り次いでくれないか」
皮衣をまとったむさ苦しい男だった。後ろに大きな檻がある。その中で子供くらいの大きさの動物がうずくまっているようだ。
「なんですか、これ」
「分かんねえんだ。王さまなら知ってるんじゃねえかと思ってな」
ほう、と伍由はその檻を覗き込んだ。
その姿は、猿のようで猿では無い。ましてや人ではない。
大きさは猿か小児だが、黒っぽい毛におおわれたその身体の四肢は朱く、首から上は白い。伍由も見たことがない動物だった。
檻の奥から伍由を丸い目で恨めし気に睨んでいる。
「なんだか気持ち悪い生き物ですね」
ぞくっと伍由は背中を震わせた。
☆
「これを、どこで捕らえたんだ」
中庭に据えられた檻を見た瞬間、劉安の表情が変わった。恐怖に固まったと云ってもいい。
「へえ。ここからずっと南になりますが、
そうか、と言って劉安は黙り込んだ。
「ところで王さま。これは一体何なんでしょう。たしか、うちの爺さんも昔こんな奴を見たと言っていたんですが」
不思議そうに問う猟師に、劉安は首を振った。
「残念だが、それは私にも分からない」
「中華一の物識りの淮南王さまにも分からない事がありますか」
驚いたように猟師が目を剥いた。
「ああ。私とて何でも知っている訳ではないよ」
劉安は謝礼として大量の金子をその猟師に与えた。何度も礼を言いながら退出していく猟師に目をやることもなく、劉安はその生き物を見詰めていた。
「劉安さま。これは一体、何なのですか」
伍由が傍に寄って訊いた。
「だから知らないと言っただろう」
じっと伍由は劉安を見た。次第に劉安の態度が落ち着かないものになっていく。
「でも、嘘ですよね」
伍由は断言した。
劉安はため息をつく。
「あれは、
やっと劉安は言った。
曰く、その体躯は猿に似て、四肢は朱く、首は白いと。まさに、これだ。
「では、なぜあの猟師に教えてやらなかったのです?」
劉安って結構、知識をひけらかすのが好きなのだと思っていたが。しかし一層、劉安の表情は暗くなった。
「伍由、よく聞け」
劉安は声をひそめた。
「朱厭が出現するのは大乱が起こる兆し、と記されているんだ」
伍由は、やっと劉安の表情の意味を知った。
淮南王(わいなんおう)の叛乱 杉浦ヒナタ @gallia-3
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