第10話 呉王、動く
ごうごうと火が燃えるかまどに、豆と水が入った壺を載せる。
「大豆は吹きこぼれやすいから、ちゃんと火の加減をみなさいよ」
腰に手を当て指示を下す伍由。
大豆にはサポニンという成分が含まれている。水に溶け出したサポニンは石鹸のように泡立つ性質をもっていて、油断するとすぐ泡だらけになるのだ。
「なんでおれが……」
劉安はかまどの前にしゃがみ込み、愚痴を言う。伍由は、はあ? と声をあげた。
「世の中で大事なのは実践することでしょ。何様のつもりなんですか」
「いや、王様なんだけど、おれ」
「今ここでは、王様の前に研究者であるべきでしょ」
なるほど、そう云われると一言もない。
すぐに壺の中で泡が一気に増え、縁から溢れだした。
「うわあ、どうしよう伍由」
「だからしっかり様子を見ていろと言ったでしょ。早く薪を引いて、火を弱めて!」
「あ、はい……あちぃっ!!」
火の粉が飛んできて、劉安は悲鳴をあげる。
「もう良いよ、淮南王さま」
しばらくして、伍由が豆を一口食べて言う。
「美味しく煮えている。ではこれをすり潰すんだ」
「それもおれがやるのか」
劉安は汗だくで真っ赤な顔をあげた。すでに半泣きである。
「当然」
伍由はそう言って
しかし、と伍由はその壺を見る。表面に釉薬が掛かっているとはいえ、土器なので少し
これを不器用な劉安が力任せに突き回したら。
「確実に割れるな」
「え、なに?」
「何かないかな。もっと丈夫な容れ物。金属製なら一番いいけど……」
握りこぶしを口元に当て、伍由は考え込んだ。
「あ、そうだ」
手を打った伍由は、しゃがんだままの劉安を見下した。
「宮廷の中庭に青銅製の鍋があるでしょ。あれを使おう」
龍や
だが劉安の顔色が変わった。
「阿呆か。あれはただの鍋じゃなく、伝国の
古来、『鼎の軽重を問う』という言葉もあるように、鼎はその国の象徴と言ってもいい大事な祭具なのだ。
「え、国宝と豆腐のどっちが大事だ?」
伍由の問に思わず、うっと言葉に詰まる劉安。
「そ、そりゃまぁ、国宝に決まっているじゃないか。特にあれは、使用する際に張釈之の許可がいるし」
「あ、だったら諦めよう」
あっさり伍由は言った。
豆腐を作るから国宝の鼎を使わせろ、なんて張丞相に言えるはずがないし、言ったら絶対に怒られる。それも、無表情で怒られる。
それはちょっと怖かった。
「じゃあ丁寧に。
「うむ」
だが、文字通り筆より重いものを持ったことがない劉安だ。すぐに両腕がつってしまった。ため息をついた伍由は擂り粉木を引き継ぎ、丹念に豆を潰していく。
「こんなものか」
多少、粒が残っているが、豆腐を作るには、これを布で漉した汁を使うのだから問題は無いだろう。
「淮南王さま、塩水を」
「おう」
劉安は大豆の搾り汁の中に、水で溶かした海塩を勢いよく流し込んだ。
「あ」
「ん、どうした伍由」
え、ええ。と伍由は口ごもった。事前によく言っておかなかった自分が悪いのだが、あまりにも大量に入れすぎではないだろうか。
「やはり不器用だな、と思って……」
卓を挟み、劉安と伍由は困惑の表情を浮かべている。
結局、出来上がったものは、固まっているような、いないような、どろりとした半固形の物体だった。それをそれぞれの大椀に盛ってある。
「これが『豆腐』なのかな」
「書いてあった通りには作りましたよね」
「そうだな」
匙で一口掬って食べてみる。
「ううう」
二人同時に呻いた。伍由が危惧した通り、旨味はあるものの、やたらと塩辛かった。
「やはり本だけでは分からないものだな」
「それ以前の問題だ。この不器用」
結局、『豆腐』らしきそれは、調味料として利用することになった。
☆
東方の大国、
その中のひとつ、
「不肖、呉王から、勇力世に優れた膠西王さまにお伝えしたい事がございます」
使者の言葉に膠西王は頷いた。
「それはおそらく、朝廷の事であろうな」
「明察、恐れ入ります。まさに朝廷は一人の姦臣によって牛耳られ、主上の明知も
「ああ。
苦々し気に王は言う。現に先頃も、晁錯によって膠西国は領土を削減されたばかりだ。
「年来、呉王は病によって朝勤もままならず、自らに掛けられた嫌疑を晴らす事もできません。それを良い事に、その者は我が呉国の領土を削ろうとしているのです」
「それは呉王の心痛、いか程であろう」
「そこでです、膠西王さま」
使者は声をひそめる。王は身を乗り出した。
「申せ」
「君側の奸である晁錯を除くべく、膠西王さまが御立ちになれば、呉王も老体に鞭打ち、国力のすべてを投入して膠西王さまをお援けするでしょう」
「なんと」
王は感嘆の声をあげた。
「我が呉国は中華でも有数の銅の産地であります。さらに塩の専売により軍資金は潤沢、20万もの兵を動員できます。隣国の
さらに
「流石は呉王どの、完璧な戦略だ。よかろう、全ては漢王朝のためである。儂は膠西国をあげ、先陣を切るぞ」
天下を二分する大乱が、ここに動き始めたのだった。
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