サヨナラ・フジコ・ヘミング

深川我無@「邪祓師の腹痛さん」書籍化!

サヨナラ・フジコ・ヘミング


 別れの曲が聴こえる。


 フジコの弾く別れの曲が聴こえる。


 ショパンはどうしてこんなに美しい曲を書けたのか。


 そして、フジコの弾くこの曲は、どうしてこんなにも優しく響くのか。



 フジコ・ヘミングの波乱に満ちた生涯をここで書くのは野暮だろう。


 すでにたくさんのドキュメンタリー番組があり、それを見ることで彼女の人生とピアノの一端に触れることが出来るが、彼女の魂を、音色を、魂を語るにはきっと足りない。


 ましてやここで、私ごときがどれだけ力説したところで、彼女の経験、そこで感じた葛藤、苦しみ、やりきれなさ、そしてピアノを表すことは出来ないように思う。


 なので私は、彼女のピアノと音と魂に触れて震えた、私自身のことを書きたいと思う。


 

 フジコ・ヘミング様


 初めてあなたの作品を聞いた時、私は大して感動もしないトンチキ野郎でした。


 取り沙汰されるあなたを冷めた目で見ている無味乾燥な男でした。


 過剰にも思えるメディアの褒めそやしを嫌厭したのです。


 そして後述しますが、クラシックを遠ざけていたのです。


 あなたの歩んだ道を何も知らない若造が、傲慢にもにあなたの周りを取り巻くメディアの姿を見て、あなたをジャッジしたのです。


 馬鹿なことをしました。


 私はあなたのことを何も見ていませんでした。


 もっと素直にあなたのピアノに、音に、魂に耳を澄ませるべきでした。


 そうすればもっとたくさんあなたのピアノを生で聞くチャンスがあったかも知れない。


 もっとたくさん、あなたから学べる事があったかもしれない。



 私があなたを好きになったのは、妻に出会ってからでした。


 クラシック好きの妻の影響であなたを好きになったのです。


 素直にあなたの演奏に耳を傾ける妻を見て、私はあなたの音色に耳を傾けました。


 後悔しました。


 私も複雑で苦悩に満ちた生い立ちを抱えています。


 それゆえに、クラシックを遠ざけていたのです。クラシックとピアノにトラウマがあったのです。


 しかし同時にクラシックが、ピアノが大好きでした。


 妻が引き合わせてくれたあなたのピアノで、私はそんな自分と再会しました。


 今ではあなたの弾く『ノクターンの一番』が大好きです。


 あなたの弾く『愛の夢』は私の目標です。


 ドビュッシー、特に『版画』は素晴らしい贈り物でした。


 妻と一緒に行ったあなたのコンサートの事は一生涯忘れないでしょう。



 あなたの生い立ちにはドラマがあります。


 メディアは感動のストーリーとしてそれを伝え、そこにフォーカスしたがりますが、私は悲劇と逆転劇があなたを有名にした訳ではないと思っています。


 あなたは初めから、あなたのピアノを、あなたの魂を、優しさと、偏屈さとを持っていました。


 有名になろうが、ならなかろうが、あなたのピアノは唯一無二の神様からのギフトでした。


 そのギフトには同時に試練が備えられていて、血の滲む努力によって花開き、乗り越えた時に成功があった。


 それを掴んで離さなかった、あなたの高潔さが、どれほど励ましになったことか、それをあなたに会って伝えたかった。


 天国のフジコ・ヘミング様。


 いつか会って、直接御礼を伝えたいです。


 あなたの演奏と高潔な魂に、心を震わされた、遅咲きの間抜けなファンより。

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