告白の電話
僕は温かいお茶の入ったマグカップを片手に持ち、窓の外に広がる街の夜景を眺めた。お茶を飲み干してマグカップをテーブルに置き、部屋の照明を消した。ベッドに腰を下ろしたその時、電話が鳴った。すでに0時をまわっていたが、それほどに大事な用があるのだろうか。枕もとの明かりをつけ、受話器を取り上げた。「もしもし、どちら様?」あまりに非常識だから、ぞんざいにしゃべった。「私の告白を聞いてほしい」「は?」意味が分からない。「遺言のようなものだ、つまり私は死にゆく間際にたったひとつの真実を語る」「もう寝ます。それじゃ、おやすみなさい」「今あなたが受話器を置けば、私の知る真実は未開の深い海に沈んだまま、永遠の沈黙にかき消されてしまうことになる。聞くことをおすすめする」眠気は遠のき、興味も湧いてしまって、電話を切る理由が霧消してしまった。僕は仕方なく彼の告白とやらを聞くことにした。
神のみを信ずるということはつまり、神以外のいかなるものも信ずるに値しないということ。まさに今、私に残された最後のたった一つの問いは、“何者も、誰ひとりも、受話器の向こうのあなたさえも、全てが過ぎ去った死の間際のその瞬間にさえ、信じることができないのは、それはなぜだろうか”ということ。一般に、多くの月日を悩みながら過ごせばそれだけ“問い”はより尖鋭化し、より致命的なものとなってゆく。そして“問い”が鋭敏になればなるほど答えはますます遠のいてゆき、輪郭を欠いた朧げな影のように、捉えどころのないものとなってしまう。だからまさに私は、神はもとより、占いだって、科学だって、運命すらも信じられる、と思ったのだ。なぜならそれらは独立した意思をもたないから。人間は意思をもつ。ある人間を理解することはできても、彼を信じることは到底できない。その一方、神を信じることはあっても、神を理解することは到底できない。
矛盾を孕んだ言明、解釈しきれない現実、そのような事象の全てを自己の認識、知覚のうちに取り込み、構造的かつ体系的な説明を与える。それは、事象をひとつひとつの要素に分解し、因果の全容を分析的に解釈してゆくという地道な営みであるかもしれない。あるいは、考え得るあらゆる要素同士をおよそ妥当な因果律によって結びつける理論を構築し、当該の理論によっては説明のつかない事象を例外とする、もしくは対象として認識しないというやり方もある。前者の場合なら人間は、この世を生き続ける限りにおいて解釈しきれない事象に振り回されながら生きていくことになる。それはつまり、人の一生は世界を理解するにはあまりに短いという意味において。後者であっても構築された理論の壁を突き破って異形の怪物が飛び込んでくるかもしれないし、あるいは死角に潜む理論の隙間や歪みをすり抜けて非科学的で呪術的な霊たちが忍び込んでくるかもしれない。人間はいつか訪れるかもしれない、理論の崩壊と理性の消失の瞬間に怯えながら過ごさねばならない。どちらの場合にしたって、つまるところ世界を理解できないまま、あるいは世界を理解したつもりになってこの世界を生きていかねばならない。即ち、真の意味で世界を完全に理解することは、原理的に叶わない。
世界を理解することもできなければ、神を理解することもできない。だから人間はまじないを信じ込み、神にすがって生きることしかできない。かほどに薄弱な生き物が愛を知ることなど絶対になく、そもそも愛されてすらいないのだ。
受話器の向こうで何かが潰れるような鈍い音がして、電話は切れた。彼の唱えた、呪文の如きたわごとは概ねこのような内容だった。枕もとの明かりを消してベッドにもぐりこむ。部屋を満たす静寂に意識をくゆらせながら、遠く離れた港で海面に投げ込まれる金属バットのことを考えた。
短編集 森野熊惨 @sen1you3fu3
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。短編集の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます