雨男と五月

鰹節の会

「水龍の花」


自分の特性。


·····それはもう、殆ど呪いと言ってもいいその力に気がついたのは、小学生になった頃だろうか。

学友達と公園に遊びに行く時、何故か絶対に雨が降った。


いつもだ。


ドッチボールも、鬼ごっこも、隠れんぼも。

どれほど天気予報が晴れを示していたとしても、僕が遊びに行く日は必ず雨が降った。


いつしか、僕が来ると雨が降るという話が広まった。·····事実だ。


やがて、友人達は僕を遊びに誘わなくなった。


───別にいじめでは無いと思っている。同じ立場なら、きっと僕もそうする。


なんせどこに行こうと、僕がいると雨になるのだ。


·····遊びだけじゃない。


家族旅行も、修学旅行も、祖父母の家への帰省も·····凡そイベントと呼ばれる類のものは皆すべからく雨に見舞われてきた。


やがて小学校から中学校に上がり、何人かの友人は、僕を気遣ったり、この呪いが本当なのか実験したりした。


大事な日には、雨が降る。


僕にとって、それは疑いようもない事実だった。


外で遊ぶことをやめ、友人達との関係をさほど重要視しなくなった僕は、良く言えば落ち着いた、悪く言えば暗い人間へと育って行った。


別に学校に行けば話し相手はいたし、家に帰ればゲームなりやる事は幾らでもある。ただ外に行く日は雨が降るだけで·····。



そして今日も、朝から雨が降っていた。


目が覚めると、雨の音が聞こえてきた。

僕はベッドから天井を見上げながら、その賑やかな音を聞いていた。


16歳になって、大事な日には雨が降るという呪いを嫌という程受けてきた僕は、いつしか降っている雨が自分の呪いによるものか否かが感覚で分かるようになっていた。


自分の中で、何かのスイッチが作動したような気だるさに、僕は自分の呪いが発動した事を悟った。


でも、おかしい·····今日は普通の日だ。別に大事な用事も無い。


机のカレンダーを確認するが、やはり特に何も書かれていない。至って普通の平日だ。


·····考えても始まらない。支度をして、傘を持って学校へと向かおう。






学校が終わっても、まだ雨は降っていた。


長年の経験によると、この雨は、僕の〝大事な用事〟が終わるまでは降り続ける。

そしてそれは、僕が用事に気付いていなくても発動する。


たとえ僕が忘れていたとしても、何か用事がある日は雨が降るのだ。


·····一見、便利なようだが、実際に助けられた記憶はない。


学校の帰り道、バス停へと向かう自分の足先に、雨雫が砕け散るのが見える。

家までは、バスで四駅だ。


·····それにしても、今日は何故呪いが発動したのだろうか。


最初は、学校の宿題を忘れでもしたのかと思っていたが、下校までおかしな事はなかった。


となると帰り道だろうか?

事故には気をつけたいものである。


いつもならば、遠くに見える濃い緑の山々も、今は霧がかって見通しが悪い。

傘から零れる滝のような雫が、ズボンの裾に染み込んでいく。


しばらく行くと、バス停に着いた。


毎日利用するバス停は、木造の小さな小屋だ。ジブリアニメに出てきそうな、やや古ぼけた雰囲気で、人も少ないので気に入っている。


しかし今日は、珍しく先客がいた。


「あっ·····」


木のベンチに座って、スマホを見ていた一人の女性が、こちらに気がついて頭を軽く下げた。


不意をつかれて、やや困惑気味に頭を下げ返して、僕は少し離れた所に腰を降ろした。


バスが来るまで、あと五分ほどだが、雨の日は遅れる。どうせまだ十分は来ないだろう。


スマホをカバンから取り出すも、充電が切れているのを思い出して、僕はため息をついて外を見た。


灰色のアスファルトを挟んで、雨と霧に包まれた淡い田圃の風景が、ずっと続いている。


「良い景色ですよね」


ふと、隣から声をかけられて、僕は顔を向けた。


「そう·····ですか?」


もちろん悪くない景色だとは思うが、毎日見ているから感動は無い。それにこの雨だ。


「私、隣町から来てるんです。バレーの試合があって」


「大変ですね」


綺麗な人だった。


短く整えられた髪に、やや日に焼けた肌。女子高生らしく、幾つかキーホルダーの着いたカバンを抱いて、梟のように顔を傾けて、こっちを見ていた。


隣町は、バスの七つ駅の終点だ。

山を超えたところにある。


行ったことは無いが、海があるらしい。


そんなことを考えていたら、バスの重いエンジン音が近づいてきた。


ガラガラの車内で、僕は後ろから三番目の席に座った。

彼女は、一番後ろの角に座った。


雨が降っていた。




◇◇



一週間が経った。


目を開けたら、また雨が降っていた。

スイッチが入った感覚があるから、やっぱり僕の呪いが発動したんだろう。


結局、一週間前もなぜ発動したのか分からなかった。別に何も起こらなかったからだ。

今日はどうなのだろうか。


僕は傘を持って出発した。

いつもの様に、学校は時間が過ぎ去った。


バス停に行くと、またあの女性がいた。


「また会いましたね」


「あ、はい·····」


彼女はニッコリと笑った。

ちょっと尖った歯が見えた。


僕は少し離れたところに座った。

でも、スマホゲームがつまらなかったので、顔を上げた。


彼女は景色を見ていたので、僕も景色を見た。


でも、いつもの景色でつまらなかったので、またスマホに戻った。


またバスが来て、僕は後ろから三番目の席に乗った。彼女は一番後ろの席に乗った。

·····角かどうかは、見ていなかったから分からなかった。


雨はやっぱり降っている。





◇◇◇



今日は日曜日だ。


とはいえ、前にも言った通り、僕は友達と遊ぶのには不自由な体なので、休日は予定を立てずにぶらつく事にしている。


今日は、少し遠くへ行きたい気分だった。


僕は家からバスに乗って、学校で降りる駅を通り過ぎた。


隣町に行こうかと考えたけど、ちょっと遠かったのでやめた。

その代わりに、いつもの駅の一つ後、五つ目の駅で降りる事にした。この駅には神社があるらしい。


雨の降っていない景色が、僕は好きだった。結局人間、晴れている方がいいのだ。特に、雨続きの僕はそうだった。


そんなことを考えながら、バスからの景色を眺めてた。


田植えの頃より少し育った青い稲が、爽やかそうに揺れていた。


僕は揺れるバスの中で欠伸をした。

バスの車内は僕だけだった。



駅に着くと、そこは知らない場所だった。

勿論、行ったことのない場所だから当然だ。


バス停前の林が、やや暗くて不気味なのは、初めて来たからなのだろうか。

スマホで地図を見ながら、田んぼに囲まれた道を進んだ。


少し歩くと、小高い山の入口に石段が見えた。高くもなく低くもない背の木々を見ながら、僕は石段を上がって行った。


苔むした狛犬に出迎えられて、神社へと着いた。


人がいないからか、それとも朝だからか、嫌に神聖な空気だった。


昨日の夜、僕の知らないうちに雨が降ったのか、境内は露に濡れていた。


入口で手を清めて、小銭を投げ入れて柏手を打った。


ここは水神を祀っているらしい。

木彫りの龍の装飾が、社の天井から僕を見ていた。


僕は自分の雨降り体質が治るように願って、お守りを買った。こういうことこそ、神様の領分なんじゃないかと思った。




◇◇◇◇



学校からの帰り道、僕はややイラついて傘越しに空を見上げた。


曇天から、小さな小さな雨粒が降り注いでいる。


いい加減、理由もなく呪いを発動させるのはやめて欲しい。それとも、僕はなにか大事なことを見過ごしているのだろうか。


バス停に着いた。


彼女はやっぱりいた。

もしかすると、彼女が雨でも誘ってるのだろうか。


「また、雨ですね」


僕は意を決して問いかけた。

彼女は一瞬びっくりしたようにこっちを見て、答えた。


「そうですね。いい天気です」


「·····」


「好きなんですよ、雨。」


僕が不審者を見るような目で彼女を見ると、彼女はムッとした顔で呟いた。


「綺麗じゃないですか、雨って。」


「変な人なんですね」


僕は雨が嫌いだ。


いつも大事な時に降る。


「雨って、不思議な感じがするんです。」


そんなものだろうか。景色が見えなくなるだけだ。


「それがいいんです、音も景色も、いつもより奥行がでる」


·····そんなものだろうか。


「そんなもんですよ」


彼女があまりにも生き生きと語るものだから、僕は気圧されて頷いてしまった。


彼女は笑っていた。


僕はバスの座席に座った。

彼女は、僕の1つ後ろに座った。




◇◇◇◇◇



ある日、バス停の彼女が俯いていた。

悩みでもあるのかと声をかけると、ポツポツと語り始めた。


「実はね、特技があったんだ」


雨の音の中で、彼女は声を張った。


「信じてもらえないかもしれないけど。」


特技って?


「なんとなく分かるんだ、今日の天気が」


なんだそれ。


「産まれた時から、ずっと。」


便利だな。


「うん。でもね、分からなくなっちゃったみたい」


それで悩んでたのか。


彼女は、雨の降る田圃の景色を眺めながらため息をついた。


「まぁ、悩みはそれだけじゃないけど」


何か言ったようだったが、僕には声が小さくて聞き取れなかった。



バスの中で、僕は後ろから二番目の席に座った。·····彼女は僕の隣に座った。




◇◇◇◇◇◇


「そのお守り、神社のやつでしょ?」


彼女は、定位置になった隣の席で、僕のカバンの御守りを握った。


「私も、家に同じの持ってるよ」


すごい偶然だね。


「君っていつも素っ気ないよね」


·····そうかな。


「うん、暗いっていうか、そっけない。」


なんか悪いな。


「はぁ·····」


彼女はそういって、僕から外の景色へと目線を移した。生憎の雨だった。

僕はバスの車内へと漏れてきた雨の音を聴きながら、彼女を見た。


「この後、空いてる?」


まぁ、特に用事はないけど。


「じゃあさ、神社行こっか」


面倒臭いね。


「いいじゃん。」


僕は一駅乗り過ごした。彼女は二駅早く降りた。


雨音に包まれながら、僕らは石段を登った。境内では、紫陽花が咲きかけていた。


彼女は紫陽花の蕾を見てた。


僕も紫陽花を見た。

きっと綺麗に咲くんだろうなと思った。


「知ってた?この神社、中入れるんだよ」


僕は彼女に引かれて、神社の休憩コーナーに入った。



自販機でジュースを買った。


体育館を三分の一に縮めたような空間に、ベンチと机がいくつか並んでいる。

そのうちの一つに座りながら、僕は外の雨のことを考えた。


「ね、今度さ、海に行かない?」


「隣町の?」


「うん」


彼女はゼリー飲料を飲みながら、足をばたつかせた。僕は真顔のまま、ミルクティーを口に含んだ。


「そういえば、僕も言ってなかったけど」


呪いを受けてるんだ。

それも飛びっきり嫌がらせに特化したやつを。


「大事な日には、絶対に雨が降るんだ。小さい頃からずっと、ね」


「ふーん、だからかぁ」


彼女は納得したように、僕の方を見た。


「いっつも雨降ってるもんね、君。」


随分と不名誉な言い方だ。


「でもそっかぁ·····」


彼女は僕の方を見てニヤニヤしだした。


「ね、その呪い、私が消してあげよっか」


無理に決まってるだろ。ジュース飲んだら、そろそろ帰ろう。


「そうだねー」


彼女はニヤニヤしたまま、缶ジュースを飲み干した。そしてベンチから勢いよく飛び立つと、こっちを向いた。


「早く行こ、多分、晴れてるから。」


そんな訳が無いだろ。


彼女に手を引かれて、僕は外へ出た。

有り得ない事に·····本当に有り得ないことに、境内は降り止んだ雨粒に濡れて、この世のものとは思えないほど神秘的に輝いていた。


「·····なんで」


「ね、紫陽花、ちょっと咲いてない?」


呆然と傘を手に提げた僕を他所に、彼女は紫陽花へと駆け寄った。


「こっちは咲いてるよ」


彼女は、咲きかけた紫陽花の地面を指さした。そこには、淡い黄色の花が咲いていた。


「野生の花かな」


「違うよ、姫金魚草」


僕は空を見上げた。

やっぱり晴れていた。


「じゃ、海行こうね」


彼女は笑ってそう言った。

だから僕は笑って頷いた。



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