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「いや、どちらかと言えばお前らをおちょくるためだろう。昔のことさえバレなければ、ハルトさんが彼女を殺す理由には思い至らないはずだし、実際にそうだった。ミソラを階段から突き落としたのは鍵を盗むためだ。お前らに味方しているように思わせるため、あえてやったんだろうな」

 一度は怪しんだのに、結局自分たちはハルトの手の平の上で踊らされてしまった。キリのスマートフォンが三〇四号室に隠されていたのを証拠だと信じて、誘導されるままに犯人を導き出してしまったのだ。

「そういうことだったの? もうハルトさんったら、言ってくれれば鍵くらい貸したのに。軽い怪我で済んだからよかったけど、びっくりしちゃったよ」

 ミソラが眉尻を下げて唇をむっと尖らせる。傷つけられたショックは癒えていないようだが、事情を理解したからか、すでに許している雰囲気があった。

 ユキヤも同様に、ハルトを責める様子もなく続ける。

「ああ見えて、ハルトさんは悪いことは一通りやったって話してた。手癖が悪いのが自分でも嫌になるって言ってたし、ピッキングなんかも得意だったらしいぜ。ドアガードを外からかける方法も当然知ってただろう」

 ハルトがどんな悪いことをしてきたのか、可能性があることに薄々気付きながらショウは深く考えなかった。あの時にもっと考えていれば、ミソラを悪者にせずに済んだかもしれない。今さら罪悪感が足枷のように体を重くする。

「最後、俺らの復讐計画に気付かせたのは、あくまでもご褒美ってところだろうな」

「ご褒美、か。確かにその方が納得がいくね」

 リュウセイは冷静にユキヤの推理を受け入れていた。

「本来は侵入者のせいにして、誰も犯人探しはしないまま終わるはずだったんじゃないか? それをお前らが邪魔したから、遊んでやろうと思ったんだろうよ」

 キリを殺害した凶器が室内に残されていたのは、誰も調べる人がいないことを想定していたためだった。しかしショウとリュウセイが想定外の行動をしたことで、少なからずハルトは動揺した。サクラを絞殺するのに使った凶器は隠したのだから。

「もっとも、さっき言ったように過去のことが知られない限り、彼が犯人だとは分からない。お前らの未熟な推理でどこまでできるか、試したくなった可能性もあるな。ほら、みんなの前でお前らに推理を披露させたことがあっただろ? あれでお前らの現状を把握して、次にどうするか考えたんだ」

「ああ、捜査に首を突っ込む犯人か。まさにありがちなやつだったね」

 思い返してみればあの朝、急にハルトが声をかけてきたのは怪しかった。推理を披露させたことにも裏があったのだとすれば納得できる。

「それじゃあ、何でハルトさんは自殺したん?」

 ナギの質問にユキヤは少しの間、考え込んでから答えた。

「やっぱり良心の呵責かしゃくがあったんじゃねぇかな? 特にサクラとは気が合うみたいだったし、彼女が抵抗しなかったとは言え、さすがに気がとがめたんだろうよ。元々この世に未練があるような人じゃなかったし、いつ死んだっていいと思ってたはずだぜ。自分がいなくなったところで、結末は変わらないってことも分かってただろうしな」

 するとリュウセイが喜色満面に拍手を送った。

「素晴らしい! ありがとう、ユキヤ。君は見事に俺の推理をひっくり返してくれた!」

 誰もが驚き、怪訝そうに彼を見た。ユキヤもまた不可解だと言いたげな顔で問う。

「どういうことだ?」

「実は俺が披露した推理は、一つの方向から見た場合の真実だったんだ。それはハルトさんが俺たちの味方であるという前提の上で導き出された。本当はもう一つ、ハルトさんが敵だという前提で考える必要があったのだけれど、そのために必要な情報をユキヤがすべて埋めてくれたんだよ」

 途端にユキヤの顔が不機嫌に歪んだ。

「お前、わざとミソラが犯人だって言いやがったな?」

「導き出された答えがそうだった、ってだけさ」

 と、リュウセイは少し笑ってから真面目な顔で続けた。

「ということは、サクラの残した絵は宇宙船だったんだ。そしてあれを消したのはおそらくハルトさんだね。彼女と仲の良かった彼には、あれが何を示しているか分かった。そしてより分かりやすく焼き直すことで、俺たちをご褒美にたどり着かせたというわけだ」

 矛盾に気付いてショウはたずねる。

「さっきは考える必要がなかったって言わなかったか?」

「ああ、俺も人間だからねぇ。自分の推理がもっともらしくなるよう、少し嘘をついて隠しただけだよ。昨日の時点で、あのよく分からない絵が宇宙船かもしれないとは思っていたんだ」

 開いた口がふさがらなかった。初めからユキヤに推理をさせるつもりで騙したのだ。探偵はそちらの方が真実であろうことを予測していた。

 リュウセイはちらりと左手首に目をやってから問いかけた。

「それで復讐計画についてだけれど、もうじき宇宙船が飛ぶんじゃないかな?」

 はっとしてショウは叫んだ。

「そうだ、宇宙船! ユキヤたち、本当に墜落させようとしてるのか!?」

「ああ、そうだぜ。お前らもやめろって言うつもりか?」

 先回りされてショウは唇をぎゅっと閉ざす。代わりにリュウセイが返した。

「できればやめて欲しいと思うけど、君の態度からして聞き入れてもらえそうにないね」

「当然だろ。これまでにどんだけの時間を費やしてきたと思う? 親父の作った制御システムはあちこちいじくり回されて、内部に入り込むだけでも大変だった。けどな、どうしてもやり遂げなきゃなんねぇから頑張ったよ。乗船者リストにミソラを傷つけたやつの名前があったからな」

「あいつに復讐できる唯一のチャンスなんだ。止めたって無駄だよ」

 と、ミソラがこちらをにらむ。ショウは勇気を出して口を開いた。

「でも、やっぱりダメだ。無関係の人を巻き込むな」

「あながち無関係でもないだろ。俺らを見捨てて宇宙に逃げようとしてるんだ。どうせみんな、ろくでもないやつらに決まってる」

「何でそんな、ひどいことを……」

「ひどい? 今さらたった四百人殺すくらい、どうってことないだろ? お前たちだって殺してきたくせに、何言ってやがる」

 言い返せなかった。ここでは誰もが罪人だ。自分が生きるために他人を蹴落とし、名も知らない人々の命を奪ってきた。

 それでもショウは黙って見ていられず、ボディバッグを開けて巾着袋を取り出した。

「オレのこと、覚えてないか?」

 緊張で声を震わせながら、袋から二冊の手帳を出してテーブルの上へ置く。母子手帳だった。

 一冊には「椎葉雪夜」、もう一冊には「椎葉しょう」とあるが苗字が二本線で消されており、上に「市井いちい」と書かれていた。

「母親の遺品から見つけたんだ」

 ユキヤは目を瞠り、ショウと母子手帳とを交互に見る。

「これは、どういうことだ? まさか、お前……」

「そうだよ、兄さん。オレはずっと、雪夜を探して生きてきたんだよ」

 今にも泣き出しそうな顔をしながら、ショウはじっとユキヤを見つめた。

 母親を失ったあの日から肉親である兄を探すことで、どんな辛いことも乗り越えてきた。生きて会えるとは思わなかったが、運命的に再会することができた。兄のいるこの場所で、ショウは穏やかに過ごしたかった。それだけが彼の願いだった。

 先ほどまでの敵対心は薄れ、ユキヤはすっかり動揺していた。心当たりがあったのだろう、確かめるように問いかける。

「弟……じゃあ、お前が本当に、あの小さかった弟なのか?」

 記憶があったことにほっとして泣き笑いの顔になった。

「覚えてたんだな、よかった」

「ショウ……」

 思わず歩み寄ろうとするユキヤの腕を、ミソラが強く引っ張った。

「ユキヤ、もう十時になるよ」

 事前に設定してあったのだろう、パソコンデスクに置いた二つ目のモニターが自動的に起動する。映ったのは宇宙船の発射を見守る中継映像だ。

 飛行機型の宇宙船のエンジンはすでに動き始めていた。徐々に勢いを増しながら前進し、ついに機体が離陸する。

「飛んだ」

 上昇していく宇宙船に誰もが目を奪われていた。ユキヤが期待するように小さく繰り返す。「動け、動け」と。

 直後、機体が大きく傾いた。

「あっ」

 ミソラが嬉しそうに声を上げる。バランスを崩した宇宙船が見る間に地上へ向けて落ちていく。

「やった!」

 すでにユキヤはシステムに入り込んでプログラムを書き換えていたらしい。宇宙船が地面へ衝突して燃え上がり、機体の破片が周辺へ飛び散る。

「終わった。これでやっと終わったんだ」

「僕たちの復讐が終わった。よかったね、ユキヤ」

「ああ、よかった」

 恐ろしい黒煙が立ち上り、燃料に引火したのか爆発が起こった。より激しく燃え上がるのを見て、ショウは呆然とつぶやく。

「止められなかった……」

「もう少し早く動機に気付いていれば……」

 と、リュウセイも苦々しく漏らす。しかし、たらればの話をしても無意味だ。現実に最後の宇宙船は墜落した。生存者は一人もいないだろう。

 すでに宇宙で暮らしている権力者たちは今頃、パニックに陥っているに違いなかった。計画の最後を飾る宇宙船が地上で死んだのだ。

「はは、ざまあみろだ」

 ユキヤの嬉しそうな声が恐ろしく、ショウは両耳をふさぎたくなった。これでいいのかと問いかけたかった。こんなむごいことをして、罪悪感を覚えないのかと。

 ぐるぐると思考が渦巻く。立ち尽くしていたショウの耳に、今度はマヒロの声がした。

「よかった、よかったんだ、これで。わたしたちを見捨てたやつらなんて、苦しんで死んじゃえばいいんだもの」

 彼女の隣でナギも言う。

「そうやね。少しくらい、痛い目見せてやったってええやんね」

 世界は終末、地上に倫理など存在しない。人が殺されても犯人を追う者はなく、自身が殺されようがどうでもよく、多数の人の死に行く光景には喜びさえする。

 ふいにミソラが振り返って笑顔を見せた。

「ねぇ、みんな。お祝いにハーブティー飲もうよ」

 はっとしたようにマヒロも表情を明るくさせて問う。

「いいね。ハーブ足りる?」

「六人分だよね? うーん、ちょっと足りないかも。二人とも、一緒に来てくれる?」

「ええよ。手伝う」

「わたしも」

 テーブルに置かれた鍵をミソラが手に取り、普段と変わりない様子で二人を連れて出て行く。

 リュウセイがため息をついた後でショウの肩を抱いた。

「終わったんだよ、ショウ。俺たちにはどうしようもなかったんだ」

 うつむき、下唇を痛いくらいに噛む。また死にたい気持ちが胸にあふれてきて辛かった。

 ユキヤはそばまで来ると、頭を優しく撫でてくれた。

「特別に俺のパソコン触らせてやるよ。お前は弟だからな。もちろんネットもつながってるぞ」

 ショウは顔を上げなかった。生きる目的はすでに達成してしまった。ずっと会いたいと思っていた兄は四百人もの人を一度に殺しても平気な顔をし、二十年以上会うことのなかった弟を優しく受け入れてくれている。

 笑うことなどできなかった。ショウはただ拳をぐっと握りしめ、この息苦しい世界から逃れる方法を考えていた。(終)

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終末世界の殺人 晴坂しずか @a-noiz

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