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 ショウは黙ってリュウセイの声に耳を傾けていた。まだ自分の推理と齟齬そごがなく、特に引っかかりを覚える部分もなかったからだ。

「サクラの部屋のテーブルの裏に奇妙な絵が描かれていたのだけれど、結局何なのか分からないままだった。残念なことに、あとでもう一度確かめようとした時には、何者かが上から塗りつぶして見えなくしてしまっていたからね。

 でも、あれはおそらく犯人とは結びつかないものだった。何故なら思い違いをしていたのだから、そもそも手がかりとして機能しないんだ。だから絵が何を表わしているか、考える必要はなかったことになる」

 ミソラがわずかに肩を揺らした。サクラの奇妙な絵が無意味だったことに、何か思うところがあったようだ。

「さらに彼女は殺害される前に、自分のランタンを床へ叩きつけて壊していた。自分が殺されることを予想していた彼女は、椅子に座って犯人を待っていたに違いない。椅子に誰かの座っていた形跡があったからね。おそらくサクラは犯人が来た時に立ち上がり、リビングの中央辺りで倒れることになったんだろう。しかし、相手の顔が見えたかどうかははっきりしない。明かりは相手のランタンしかなかったし、俺が前に使っていたもののように、手元を照らすのが精一杯だったかもしれない」

 住人たちの持っているランタンは種類も大きさもさまざまだ。当然ながら光量にもばらつきがある。

「もう一つ推測できるのは、彼女の頭が廊下側にあったという点から、犯人に背を向けていた可能性がある。いや、わざと背を向けて殺されるのを大人しく待っていたのかもしれない。相手の顔を見てしまうと怖くなるものだしね。いずれにしても、犯人の顔を彼女が見た可能性は低いんだ。だからこそ彼女が思い違いをしていたと言えるわけだ」

 反論する者はいなかった。

「また、サクラが壊したランタンについてだけれど、歪んだフレームや割れたガラスが散らばっていた。その中で一箇所だけぽっかりと空いた部分があってね。不自然というほどではなかったものの、怪しいと言えば怪しかった。

 考えた結果、そこにあったものが回収されて空白ができたのではないかと思った。誰がいつ回収したかははっきりしないけど、おそらくユキヤかミソラくんのどちらかだろう」

 マヒロとナギが驚いて二人を見る。ユキヤはこともなげに返した。

「ああ、回収した。盗聴器をな」

 リュウセイは満足気にうなずいた。

「やっぱりそうだったんだね。サクラが俺たちへ話をしてくれた時、彼女ははっきりしたことを言わなかった。言えなかったんだ。ランタンに盗聴器が仕掛けられていることを知っていたから」

 何も知らなかった女性たちが疑うようにユキヤを見る。気にせずにリュウセイは続けた。

「だからランタンを壊したけれど、盗聴器はユキヤに回収されてしまった。たぶん、俺が一人でサクラの遺体を見ていた時だろうね。ショウが来る前に、こっそり拾ったんじゃないかい?」

「ああ、その通りだ」

「受信機はこれだろ?」

 すかさずショウは隅にやった機械の中から、くすんだ緑色の受信機を手に取ってみせる。

「仕掛けたのはユキヤだけど、きっと日常的に盗聴していたのはミソラじゃないか?」

 ミソラは答えなかった。リュウセイは話を進める。

「どっちでもいいけどね。次はハルトさんだけれど、彼は真犯人をかばって自殺したらしい。アトリエに盗まれた食料を探しに行ったら、こんなメッセージを見つけたよ。『仲間外れを持っていって』」

 片手で付箋紙を示してから、もう片方の手で隣に置いた絵を持ち上げる。

「彼は色鉛筆で写実的な絵を描いていた。でも、この絵だけはクレヨンで描かれている。つまりこれが仲間外れだ。ところで何の絵か、分かる人はいるかい?」

 マヒロとナギは首をかしげた。ユキヤとミソラも何も答えず、リュウセイは答えを明かす。

「宇宙船の絵だよ。裏には数字がいくつも書いてある」

 裏返して縦に持ち、はじき絵を見せる。

「上に大きく書かれた数字は四月三十日十時。下に書かれた数字は宇宙船の情報だと考える。全長九十二メートル、全幅四十一メートル、全高二十三メートル、乗員乗客含めて四百十二名。これをそのまま裏返すと、宇宙船の絵だったことが分かる」

 女性たちが小さく息を呑む。宇宙船はエンジンを上にし、下へ向かうように描かれていた。

「これこそが犯人の動機であり、復讐計画だ」

 言い切ったリュウセイを見てユキヤは軽く鼻で笑い、ミソラがおずおずと問う。

「君たちが捏造したんじゃなくて?」

「残念だけど、俺たちはハルトさんがこの絵を描いているところを見てるんだよ。それに捏造なんてできるわけが無い。俺たちが犯人の動機に気付いたのは今日、ついさっきなんだから」

「どういうこと?」

 マヒロの問いに答えたのはショウだ。

「今朝、このはじき絵を思い出したんだ。クレヨンの油分が水分を弾くから、水彩絵の具で塗りつぶすことで浮び上がる。それで動機が分かったってことだ」

「ハルトさんはこの計画に賛成していたはずだ。何故なら彼はすべてを憎んでいた。自分をこの世に産み落とし、生きながらえさせたすべてをね。だけど良心も残っていたからグレーだった。そして彼は誰がキリさんとサクラを殺したか、真犯人に気付いていた」

 そこで一息つき、リュウセイは目つきを鋭くさせて彼をにらんだ。

「ミソラくん、君だよね」

 表情を隠すように彼がおもむろに立ち上がった。

「証拠はあるの?」

 と、ビスケットを乗せていた皿をキッチンへ運ぶ。

「もちろん説明しよう。まず、キリさんはユキヤがロボットを落としたと思っていた。だからミソラくんが来ても警戒せず、部屋に入れた。次にサクラはユキヤがキリさんを殺したと思っていた。でも実際は違った。犯人はミソラくんだったんだ。

 だからハルトさんは君を階段から突き落とし、怪我をさせることで動きを制限した。俺たちにとって有利になるよう、取り計らってくれたんだ。結果は大成功、三〇四の鍵まで手に入れた俺たちは、確固たる証拠を手に入れた。このスマートフォン、キリさんのものだよね?」

 リュウセイがマヒロたちへ見せたのは赤いスマートフォンだった。

「そう、キリさんので間違いない」

「なくなってたって聞いたけど、ミソラくんが盗んだん?」

 振り返ったミソラは傷ついたような顔で首を振った。

「ううん、知らない。っていうか、そのスマホどこにあったの? 本当に僕の部屋だった?」

「もちろん三〇四号室で見つけたよ。靴箱の上から二番目のところに入っていた」

「靴箱? 何も入ってなかったでしょう?」

「ああ、このスマホだけが入っていたね」

 ミソラはユキヤのそばへ寄り、今にも泣き出しそうな声で助けを求めた。

「ねぇ、ユキヤ。僕、本当に何も知らないんだけど。どういうこと? 何でキリさんのスマホが?」

「落ち着け、ミソラ。大丈夫だ、俺はお前を信じてる」

 と、ユキヤが冷静にミソラの肩を抱き、リュウセイたちを見据える。少し考えるように口を閉じた後で、確信を得たような目つきをした。

「お前ら、見落としちゃいないか?」

 リュウセイは片方の眉を軽く上げた。

「どういうことだい?」

「確かに三〇四号室には鍵がかかっている。でも、その鍵でなくても開けられるんだぜ? ハルトさんならタケフミさんの目を盗んで、マスターキーを持ち出せたはずだ」

 ショウは内心でドキッとしたが、リュウセイが表情を変えずにいるのを見て、今は黙っていることにした。

「ミソラが知らないって言うんだから、そういうことになるよな?」

 マヒロとナギも静かにユキヤへ注目している。

「大方の推理は当たってると思うが、犯人が違うんだ。そもそもロボットが落ちた時、ミソラが証言してたじゃねぇか。上から落ちて来たって。それが嘘だって言うのか? 本当はミソラがロボットを落としたんじゃないかって? 馬鹿言うなよ、ミソラがそんなことするはずがねぇだろ。俺の大事にしてるものを壊すようなやつじゃない」

「ユキヤだって僕の大事なものを大事にしてくれる。だから壊せるわけがないよ」

 ミソラの反論にリュウセイは無言で小さくうなずく。どうやらユキヤの推理に同意しているらしいが、ショウはリュウセイが一体どういうつもりなのか分からなくなってきた。

「でもハルトさんならロボットを落とせる。思い入れがあるわけじゃないし、苦手意識すら持ってた。さらに、あの夜は三階にいたしな。となると、キリさんとサクラを殺したのも、おそらくハルトさんだろう。タケフミさんのことで相談があるとでも言えば、就寝前だろうが部屋に入れただろうさ。なんたってキリさんは昔、タケフミさんとデキてたからな」

 はっとしてショウは遺書へ視線を落とす。リュウセイもまたそれを見つつたずねた。

「ハルトさんの遺書に、キリさんが色目を使っていたと書いてある。これは本当のことだったんだね?」

「ああ、事実だ。といっても、俺らがここで暮らし始めた頃の話であって、今でも続いてたかどうかは知らない。ハルトさんは浮気されてることに気付いてたけどな。だから俺らと仲良くなったんだ、寂しさを紛らわせるためにな」

 キリについて聞いた時、タケフミが声を詰まらせたのを思い出す。あれは一時でも関係を持った相手に対する悲しみだったのか。

 思い返せばユキヤも証言していた。キリとタケフミが一緒にいるところをよく見かけた、と。

 ミソラが補足するように言った。

「そういえば、ランタンに盗聴器を仕掛けるようになったのって、ハルトさんに頼まれたからだったよね。タケフミさんがどこで何してるか知りたいから、って」

「そうだったな。ミソラが退屈しのぎで盗聴するようになっても、ハルトさんは何も気にしてなかったみたいだ。特に文句は言われなかったし、定期的にあの二人の会話を盗聴してたくらいだしな」

「なるほど、ハルトさんはする側だったんだね?」

 確かめるように聞き返すリュウセイへ、ユキヤは当然のごとく返した。

「ああ、俺たちはハルトさんと仲が良かったからな」

『人間は間違う生き物だ。簡単に嘘をつくし、無意識に矛盾する。勘違いや誤解もするし、価値観が違えば見方は変わる』――今となっては予言のような言葉だ。ハルトは意図的にショウとリュウセイを惑わせていた。それは無論、ことを意味する。

「それなら動機は? ハルトさんはどうしてキリさんを殺害したんだい?」

 リュウセイの落ち着いた問いにユキヤは答えた。

「簡単だ。すべてを憎んでいたハルトさんは、俺らの復讐計画に賛成してた。キリさんも最初はそうだったんだけどな、やっぱりやめろって言い出したんだよ。ただでさえ彼氏の浮気相手だ、ずっと気に食わなかったんだろう。我慢の限界が来たから殺した。サクラは口封じで合ってるよ。キリさんは盗聴器に気付いてたっぽいし、話をしていてもおかしくない。

 実はあの数日前、キリさんと言い争いになったんだ。ハルトさんも居合わせていたから、我慢の限界が来たのはその時だったんだろうな。でもあのハルトさんだ、人前で怒ることはなかった。頭に来てたのは俺の方だったから、キリさんやサクラが俺を犯人だと思い込んだのも無理はない」

「そのことを黙っていたのは何故だい?」

「話せば俺に疑いが向くだろ? そうしたら復讐計画もバレる可能性があった。お前らにまで邪魔されたらたまらねぇからな、ミソラと話して隠しておくことにしたんだ」

 彼らにとっての最重要事項は復讐だった。間近に迫るその時のために、どうしても計画を隠しておく必要があったのだ。

「じゃあ、どうしてキリさんのスマホを? ミソラくんに罪をなすりつけるためなのかい?」

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