6日目
1
今朝も晴れだった。気温はやたら高く、ソファで眠っていたショウは暑くて目が覚めた。
まだリュウセイは眠っているらしく部屋の中は静かだ。
ゆっくりと体を起こし、ショウはあくびをした。何か夢を見たような気がするが思い出せない。いつもそうだ。現実に戻ってきた途端、夢はどこかへと消えていく。それはまるで幼い頃の思い出のように。
「そうだ、はじき絵だ」
急にひらめいてソファから下り、テーブルへ置いた宇宙船の絵を手に取る。
すると寝室の方から声がした。
「うぅん……」
「リュウセイ、起きろ。見る方法が分かったぞ」
と、手にした絵をひらひらと振ってみせる。
目を覚ましたリュウセイはもぞもぞと動いてから、サイドテーブルに置いた眼鏡へ手を伸ばす。
「何だい、朝から」
「だから見る方法が分かったんだよ」
「えっ、本当に!?」
すっかり目を覚ましたリュウセイは眼鏡をかけながらベッドから飛び出してきた。
「どうすれば見えるようになるんだい?」
「後で説明する。それより、さっさと朝飯食うぞ」
朝食と着替えを終えた二人は、ハルトのアトリエへ来ていた。時刻は午前九時過ぎだ。
「あったよ、水彩絵の具」
リュウセイが棚から筆と筆洗い用バケツ、パレットを取り出した。
「ありがとう。絵の具はあるか?」
「ちょっと待ってね」
と、雑にしまいこまれた画材の山から絵の具を探す。
「これ、使えるかな?」
リュウセイが見つけたのは使われた形跡のある黒の絵の具だった。ショウは軽く押してみて中の絵の具が固まっていないことを確かめた。
「大丈夫そうだ。さっそくやるぞ」
リビングへ戻り、テーブルの上に裏返しておいた宇宙船の絵のそばへ道具を置く。
キッチンのシンクで筆洗い用バケツに水を入れて振り返ると、リュウセイが不思議そうにしていた。
「はじき絵だっけ? 原理としては理解できるんだけど、本当に見えるようになるのかな」
「まあ、見てろって」
ショウはバケツを空いたところに置き、パレットに黒の絵の具を少しだけ出した。水につけた筆で十分に伸ばしてから、真っ白な画用紙を上から塗りつぶし始める。
クレヨンの油分が水を弾き、白で書かれた部分が浮び上がっていく。
「おお」
感嘆の声を漏らすリュウセイにかまわず、端から端まで塗り終えた。現れたのは数字だった。
「4、30、10?」
「横になってるな。何か意味があるのか?」
長辺を縦に、大きく三つの数字が横並びに書かれていた。その少し下には小さめに書かれた数字が並んでおり、92、41、23、412とある。
はっとひらめいたリュウセイが手を出し、画用紙を回して正しい向きで読めるようにする。それから左手で右の端をそっと持ち上げた。隙間から表の絵を見て確信を得る。
「ああ、これだ。すべて分かった」
「どういうことだ?」
リュウセイは左腕の時計に目をやり、時刻を確認してから言った。
「説明したいところだけど、もう時間が無い。すぐに片付けて部屋へ戻ろう」
「分かった」
ショウは手に持ったままだった筆をバケツに突っ込み、シンクへ持って行った。蛇口をひねって水を出す。
「一応、これで手がかりはそろったし、犯人が導き出せるわけだけど……うーん、少し足りない気もするなぁ」
「どういうことだ?」
「読者への挑戦状だよ。作中にすべての手がかりを出して、犯人を指摘できるようにしておくんだ。そして読者へ向けて、犯人は誰か当てられるかって問いかけるんだけど、今の状況でそれを出せるかどうかっていう話」
ちらりと振り返ると彼は悩みながらも楽しそうにしていた。あいかわらず不謹慎な男だ。
筆を水で洗いつつ、ショウは呆れた声を出す。
「よく分からんが、ふざけてないでそいつを乾かしてくれないか?」
「ああ、そうだった。ごめんごめん」
と、リュウセイは笑いつつ絵を両手に持って窓辺へ向かった。今朝も気温が高いため、ベランダに出しておけば数分もせずに乾くと思われた。
二階へ下りると不安げな顔をしたマヒロとナギに遭遇した。
「ショウ、リュウセイ! タケフミさんがいないの、どこにいるか知らない?」
「いや、オレたちは知らないが」
「何か嫌な予感がするんや」
と、ナギが泣きそうになりながら言った直後だった。近くで銃声のような発砲音が聞こえた。
はっとしてリュウセイは叫ぶ。
「駐車場だ!」
急いで階段を下り、ハルトの遺体を置いていた駐車場へ向かう。
「タケフミさん!」
遺体のそばにタケフミが座り、ぐったりと壁にもたれていた。
ショウはすぐに近くへ寄って彼の呼吸を確かめる。銃弾は後頭部を貫いたのだろう、壁にべっとりと血が付いている。どうやら銃口を口にくわえて撃ったらしい。
右手には拳銃が握られたままだった。呼吸はもちろん、心臓も止まっていた。
後ろから様子を見ていたリュウセイが言う。
「自殺だね」
「ああ。やっぱりハルトがいなくなって辛かったんだろうな」
昨日の夕方、静かに涙を流し続けた彼を思い出し、ショウは苦い気持ちになる。
リュウセイが「二〇八号室へ急ごう」と、肩をたたいた。うなずき返して立ち上がり、彼の後に付いて行く。
リュウセイはマヒロたちにも声をかけた。
「君たちも一緒に来てくれるかい? 犯人が分かったんだ」
「えっ」
「ほんま?」
驚く彼女たちへうなずき返して階段へ向かう。頭の中でなんとなく推理は固まっていたものの、ショウはあまり気乗りがしなかった。
途中で二〇二に寄り、これまでに見つけた証拠品や手がかりを持ってきた。
中に声をかけることなく扉を開けて、室内へ足を踏み入れる。
「ユキヤ、ミソラ」
リビングではミソラが遅い朝食を取っており、奥の部屋にはあいかわらずデスクチェアに座ったユキヤが見えた。
振り返った彼がこちらを見て言う。
「何だ? みんなして」
「タケフミさんが自殺した」
冷静にリュウセイが伝えると、ユキヤは表情を崩すことなくわずかに目を丸くした。
ミソラは「さっきの音、やっぱりそうなんだ」と、何でも無いことのように言う。
テーブルの上に置かれた小型機器を隅へ寄せ、ショウとリュウセイはそれぞれに手にした証拠品や手がかりを並べた。
「やっと犯人が分かったよ。それについてこれから話そうと思う」
マヒロとナギが不安そうに顔を見合わせ、ミソラは無言でビスケットをかじった。
「へぇ。誰が犯人なんだ?」
腰を上げたユキヤが挑発するように問いかけ、リュウセイは電波時計を確認した。時刻は午前九時三十八分。
「話を始める前に、俺たちはハルトさんからこんなことを言われた。『人間は間違う生き物だ。簡単に嘘をつくし、無意識に矛盾する。勘違いや誤解もするし、価値観が違えば見方は変わる』と。彼は人間をよく分かっていたらしいね。どうか彼の言葉を念頭に置いて、俺の話を聞いてほしい」
返事をする者はいなかったが、それを了解と受け取ってリュウセイは話に入った。
「始まりはコンシェルジュロボットが落ちた夜。あの日、キリさんは不機嫌そうに『くだらない』と言って、真っ先に部屋へ戻った。何故なら誰がロボットを落としたのか、彼女には分かっていたからだ。しかし、それは彼女の思い違いだった。別の人物によって彼女は殺害されてしまった」
リュウセイの声とミソラのビスケットをかじる音だけが聞こえる。
「キリさんは最初、眠っている間に殺されたのだと思った。でもサイドテーブルに置かれたマグカップの、ちょうど影になる辺りに血が付いていてね。本来ならマグカップの方に付くはずの位置だった。つまり殺害された時、そこにマグカップは無かったことになる。では、どこにあったのか? 床だよ。彼女は就寝前にハーブティーを飲む習慣があった。その時に犯人から刺され、ハーブティーの入ったマグカップが床へ転がったんだ」
補足するようにショウは口を開いた。
「あの部屋に入った時、変な匂いがしたんだ。血の臭いだけじゃない、青臭い匂いだった」
「犯人はマグカップをサイドテーブルに置き、彼女の眼鏡も外して置いた。しかし、部屋にはハーブティーの香りが残ってしまっている。時間が経てば薄れるだろうけど、念には念を入れて外からドアガードをかけた。ドアガードがかかっていれば、何度も扉を開け閉めしたり、開けっ放しにするから、それで少しでも匂いを逃がそうとしたんだ」
「実際にあの日はサクラとタケフミが、何度も扉をガチャガチャやってたからな。ただし、オレの鼻はごまかせなかった」
「彼女は飲み終わってから茶葉を食べるつもりだったんだろうね、マグカップの底に茶葉が残っていた。その証拠に、ベッドの下で茶葉の一部を見つけたよ。これはミソラくんが育てているもので間違いなく、キリさんがハーブティーを飲んでいる時に襲われたことの証明になる。この花びら、みんな見覚えがあるよね?」
リュウセイが示した花びらに全員が注目し、マヒロが「ローズペタルだ」と、小声で肯定した。
「だけど就寝前なんてプライベートな時間だ。寝室へ入れる人間は限られている。だから犯人は彼女が眠っている間に殺されたことにしたかった。そのために侵入者の存在を作り出そうとして、昼間に食料を盗んだんだ。どこかに潜んでいる誰かがやったことにすれば、犯人を探そうとする人はいないと思っていたんだね」
自分たちの行動を振り返ったのか、ナギが「探してたの、ショウくんとリュウセイくんだけやった」と、気まずそうにした。
「そう、俺たちだけだった。犯人にとって、俺たちの行動はさぞかし邪魔だったことだろう。でも殺すことはなかった。俺たちの知らない何かがあったからだ。それさえバレなければいい、ということだったらしいね。
話を戻して、どうして就寝前に殺害したのかについて話すよ。それは彼女の油断を誘うためでもあるし、彼女に何か確かめたかったことがあったからではないか。その結果、殺害することにしたんだ」
「何を確かめたかったんだ?」
ユキヤの問いにリュウセイは即座に答えた。
「たぶん、彼女の考えじゃないかな。どうしても変わらないのか、考え直す気はないか、とかね。返答次第では殺されずに済んだかもしれない。犯人にはそうした、温情のようなものがあったんだと思うよ」
「優しさじゃなくて、気の迷いだった可能性もある」
と、ショウが口を挟めば彼はうなずく。
「そうだね。こればかりは犯人に聞いてみないと真実は分からない。さて、次はサクラだけれど、彼女はキリさんと仲が良かった。そのために誰がキリさんを殺したのか、思い当たる人物がいたんだろうね。俺たちにキリさんの人となりを教えてくれたよ。正義感が強く、不正を許せない人だったと」
リュウセイはマヒロに顔を向けて言う。
「マヒロもキリさんは女性のリーダーだったと話していたね。タケフミさんも彼女はここでの暮らしをよくしようとしていたと言っていた。そんな彼女が侵入者を探そうとせず『くだらない』と一蹴したことで、サクラはぴんと来てしまったんだ。それで犯人探しを始めた俺たちに、どうにかして手がかりを与えたかった。しかし、彼女もまた思い違いをしていたらしい」
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