とある男の恥辱の書


 ――――翌日。


 幻影図書館を、一人の若い男性が訪れた。

 焦げ茶色の髪を無造作にセットして、鳶色のスーツを纏ったその人は、一度看板を見上げてからドアノブを捻った。


「いらっしゃいませ」


 来客の男性は、目の前に広がる荘厳な光景に一瞬怯むが、気を取り直して声のしたほうへ進んだ。革靴の底が重厚な絨毯に浅く沈む感触がして、暫く進めば今度は良く磨かれた木の床が硬質な音を奏でる。


「此処は……図書館じゃなかったのか……?」


 書棚の森を抜けた先で唐突に現れたカフェカウンターに、男性はまたも面食らう。

 カウンターに立っている従業員らしき白髪の男性が、赤い瞳を和らげて「ようこそいらっしゃいました」と当たり障りない挨拶を寄越した。

 訝りながらもカウンターに近付き、従業員の正面にある椅子に腰掛ける。


「当館はカフェも併設しておりますので。私は、バリスタの白菊と申します」

「此処で死者に会えるっていうのは本当か?」

「ええ。お間違いありませんよ。お会いしたい方のお名前とお客様のお名前を仰って頂ければ」


 突拍子も無いことを問うても当たり前に答える様子に、眉を顰めて顔色を窺うが、相手は営業スマイルを浮かべたままで表情一つ揺るがさない。


「舞園彩華だ。翔華女子に通っていた。俺は其処の教師で、加賀佳史」

「畏まりました」


 恭しく答えてから数分後。別の従業員が黒い本を持って現れ、カウンターに預けて去って行った。去り際、従業員の男は加賀を一瞥し、僅かに眉を寄せた。

 加賀は本の表紙に書かれた舞園彩華という文字を見つめ、緊張しながら手に取る。指先に感じる僅かな凹凸の加工や指紋のつきにくい材質に、何とも高級そうな印象を受ける。


「それで? どうすればいいんだ?」

「本を手に取り、あなたの心を真実のまま語ってください。故人に伝えたい想いを、真っ直ぐに綴るのです」


 小町に伝えたことをそのまま加賀にも伝え、白菊は静かにその場で控えた。加賀は本を見下ろし、暫く表題でもある舞園彩華の名前を見つめながら、指先でその文字を撫でた。何度も、何度も。乙女の柔肌を扱うような手つきで。

 表紙を見つめる目にも、じっとりとした熱がこもっている。


「……彩華。お前は、俺の自慢の生徒だった。先日、里見から聞いたんだが、なにか未練があるそうだな。正直死んだ人に会えるとかいう話は信じてなかったんだが……もしそれが本当なら、出てきて話してくれないか。担任として出来ることなら、俺が協力するから」


 担当する生徒を亡くした担任教師として、お手本のような台詞だ。悲痛に顔を歪めながら語りかける様を見れば、誰もが加賀を心優しい教師だと思ったことだろう。

 けれど――――


「ひ……ッ!?」


 本の中から現れたのは、頭から血を流し、首があらぬほうへ折れ、全身に擦り傷や打撲痕等を刻んだ、見るも無惨な姿の舞園彩華だった。

 掠れた音が彩華の細い喉から漏れる度に、ごぽごぽと音を立てて血の泡が零れる。白く濁った光のない目が、恨みがましく加賀を睨み付けている。

 確か、里見小町は「いつもと変わらない彩とお喋りさせてもらった」と言っていたはずだ。それなのに、何故。


「う、あぁ……!」


 ガタン、と派手な音を立てて加賀が椅子から転げ落ちた。


「う、ああ……! ち、違う! 俺じゃない! 俺は悪くない!! お前が、お前が俺を受け入れないのが悪いんだ!! 俺をそんな目で見るなァ!!」


 加賀の必死な叫びにも、彩華は何の反応も示さない。色を失った瞳でただ見下ろすばかり。

 引き攣った顔で血塗れの彩華を見上げ、金魚のように口を開閉させながらじりじり後退ったかと思うと、加賀は泡を食って逃げ出した。

 慌ただしい足音が遠ざかり、扉を勢いよく叩き閉める音が館内に響き渡る。


「……本は大事に扱って頂きたいものです」


 加賀が放り出した本を拾い、埃を払う仕草をして、白菊はいつの間にか傍まで来ていた黒藤に本を渡した。


「彼が最も強く覚えている舞薗彩華さんは、あの姿だったのですね」


 思い出を呼び起こす本。死者の情報が綴じられたそれは、表紙に触れた人の精神に強く反応する。先日小町の前に現れた彩華が、日常の中にいる彼女であったように。加賀の中にいる彩華はきっと、彼を侮蔑と恐怖の眼差しでしか見たことがなかったのだろう。

 最期の瞬間まで、ずっと。



「――――ねえ、聞いた? 加賀センの話」

「聞いたもなにも、みんな話してるっしょ」


 休日明けのHR前の時間に、生徒たちが囁きあっている。

 部屋一面にびっしりと盗撮写真が貼ってあったとか、彩華の私物に盗聴器複数個が仕掛けられていたなどといった話が、教室中を飛び交う。


「最近来ないと思ってたらメンヘラになってるわ、通報されて家宅捜索されてるわ、部屋からストーカーグッズがクソほど見つかるわで、ネットでも炎上してんじゃん」

「アイツの科目でいい点取ると髪の毛ベタベタ触られるって話聞いたことあったけど噂じゃなくてマジだったんかな……キモすぎね?」

「それ、されない人もいたから嘘認定されたヤツじゃん? 自意識過剰とかつって」

「あのカスただの勘違いイケメンだと思ってたけど、勘違いストーカー野郎とか最悪じゃん。なんで教師なれてんの? 死ねよマジで。あ、もう死んでるか」

高校うちの制服敷いて首つりとかマジありえねー死に方しやがって。ふざけんなし」

「うちもあのキショカスに声かけられたことあったけどさぁ、髪切って染めたら一生構われなくなってんの、マジウケる」

「はぁ? それマジで言ってる? 清楚系フェチってこと? キッショ!」

「あ、じゃあ髪の毛触られてたのも髪染めしてない奴らだけだった説ありじゃん? うわー! ガチキショ!」


 悪し様に語る少女たちの口を止める者はいない。

 今頃彼の白い本には、不名誉な文言が山のように綴られていることだろう。


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幻影図書館 宵宮祀花 @ambrosiaxxx

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