最期の森

棚霧書生

最期の森

 ネタに詰まった。画面上のカーソルの位置は進んだり戻ったりを繰り返して、作成中のシナリオ原稿は大して進んでいない。まぶたを閉じて、後ろに伸びをした。

「こんな初っ端で詰まってちゃ、先が思いやられる。はあ……」

 ため息をつくと同時にプシューと変な音が聞こえてきて、慌てて画面を見る。特になにも起こっていない。マウスを動かせば、カーソルもついてくるのでフリーズしたわけでもないようだ。

 保存のコマンドをまじないのように三度押してから、文書編集アプリを閉じた。このままパソコンの前に座っていても、経験上話の続きが思いつくことはめったにない。

 俺は朝からテーブルに置きっぱなしにして冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干し、上着のポケットにスマホと小銭入れを突っ込んだ。

 外へ行くのだ。散歩をすると脳が刺激されて、いいアイディアが浮かんでくることがある……と売れっ子の脚本家が言っているのをテレビで見てから俺も真似することにしている。劇的な効果は見られないが、普段の運動不足も気になってたのでなんとなく続けている。

 クリエイターも三十代になってくると突然死する仲間が出てくる、だいたいそういうやつは食事はジャンクフードで済まし、徹夜しまくりで運動もまったくしてなかったりする。一年にひとりかふたりは突然心不全や脳卒中で亡くなったという連絡がくる。マジで怖い。昨日まで、オンラインゲームで一緒に遊んでたやつが急にいなくなったこともある。

 そんなことがあってから、やはり不摂生は死期を早めるのだと実感したのもあって、生活の中で健康を意識することは多くなった。といっても、本当に意識し始めたのは最近も最近なのだが。

 散歩はここ二週間ほど続けられている。家から徒歩十分程度の場所にそこそこ大きい公園があるので、歩きやすいのも継続に一役買っていた。

「いい天気だなぁ」

 公園には俺以外誰もいなかった。平日の昼間とはいえ、いつもなら小さいお子さんを連れた親子を見かけるものなのだが。まあ、そういう日もあるか、最近はインフルエンザも流行っているらしいし……。

 誰もいない公園の広い道を端っこに寄りながら歩く。車道を走る車の音も聞こえない、今日はやけに静かだ。

 投球練習用に約一メートル四方の正方形を九つに区切ってあるボードがフェンスにくくりつけてあった。そばに軟式野球のボールが転がっていたので、左右を見渡してから拾い上げる。ボール自体に触るのがかなり久しぶりで、童心を思い出す。誰も見ていないのだし、ちょっと投げてみようかなと思った。

 ボードから少し離れた位置からひょいと投げてみる。一球目、ボテボテと地面を転がるボール。勢いが足りなくて、ボードまで届かなかった。ならばと、力を込めた二球目、まさかの大暴投でフェンスを越えて後ろに生えていた木の枝の中に飛び込んでいってしまった。

「ダッセェ、慣れないことはするもんじゃないな……」

 ガサッとボールが木の枝を揺らした、と思ったその直後、木の上から人間が落ちてくるのが見えた。ドサッと重たい音がする。

「はあ!? そんなとこに人がいたのかよ!?」

 地面に落ちた人のもとに慌てて駆け寄る。骨折でもしていたら大事だ。

「大丈夫ですか!?」

「痛い……」

 地面に倒れ伏していたのは、顔の整った若い男だった。常人にはない、ちょっと変わった雰囲気を感じる。

「ああ、鼻血が出てますね。このティッシュ使ってください」

「どうも……」

「他にケガしてるところはありませんか、手足とかはちゃんと動きます?」

「たぶん、大丈夫かな……、アザくらいはできてると思うけれど。ところでボールを投げたのは君?」

 君、と言われてちょっと面を食らった。男は明らかに俺より年下に見える。

「あ、えっと、すみません、そうです。的に向かって投げたつもりがすっぽ抜けまして、全然狙ったのとは違う方向に飛んでしまいました。その先にあなたがいて、……大変申し訳ない」

「いいよ、気にしてない。探す手間が省けたし」

「はあ……探す手間とは?」

「こっちの話。それより、ちょっと僕に付き合ってくれないかい?」

「えっと……病院とかですか? ボールをあててしまったのは俺ですし、支払いならこちらで負担してもいいですが、まだ仕事が残っていまして……」

 わざとではなかったとはいえ、彼にケガをさせてしまった張本人は俺なので、ある程度までは責任をとるつもりでいた。しかし、男にはそういうつもりはなかったようで首を横に振った。

「違うよ。病院はいかない。僕にはその必要もない」

 受け答えに違和感を覚える。この男、どこか変だ。まだ具体的にどこが変とは言えないのだが、なにかがある気がした。

「それなら、どこに付き合えと言うのですか?」

「ビャウォヴィエジャの森みたいなとこ」

「ビャ……エジャ……?」

 初めて聞く単語で全く聞き取れなかった。日本ではなさそうだと思った。

「知らないかい? じゃあ、白神山地にするよ」

 今度のはさすがにわかる。東北にあるユネスコ世界遺産にも登録された山地帯だ。

「とにかく森ってことですか? でもどうして森に行きたいんです?」

「君がそう望んだから」

「あの……言っていることが全然わからないんですが?」

「死ぬときは自然いっぱいの緑が見えるとこがいいって思っていたでしょう?」

 なぜ、そのことを知っているのだろう。たしかにオンラインゲームの中で自然あふれるステージを見たときなんかには、こういうとこで土に還りたいもんだと言ったことは何度かあるが……。もしかして、こいつ……。

「オンゲで一緒になったことあります? 使ってるニックネーム教えてもらえれば、誰かわかると思います」

「君とゲームをプレイしたことはないよ」

「じゃあアンタは誰なんだよ……」

 男にイラッときて、丁寧な言葉遣いをつい忘れる。

「僕はしがない死神だよ。君の死を担当してる」

「死神……? あんまり、大人を馬鹿にするなよ。ボールをあてちまったのは悪かったが、これ以上からかうつもりなら御暇させてもらう」

「からかってないし、君はもう現世には帰れない。天国に行きたいなら僕についてくるしかない」

「まだ死んでもいないのに、なんで突然そんな話になるんだッ! 失礼する!」

 踵を返して、目に飛び込んできた圧倒的な光景に息を飲んだ。公園は消失し、俺は大きな木々に囲まれ、立っていた。美しい緑。自然のままの自然。まさに、死ぬときはこんな景色を見てから死にたいと思った想像そのままだった。

「なんで……」

 夢でも見ているんじゃないか。夢であってくれ。こんなの夢でなくては困る。

「僕のこと信じてくれた?」

「どうなってるんだ! 俺は、いつのまに、いや、待ってくれ、ここはどこなんだ……? 俺はどこに来ちまったんだ?」

「面白い混乱っぷりだね。しかし、君の場合は突然死だったから、そうなるのも致し方ないことかもしれないね」

「ふざけるな!」

 俺は男の胸ぐらを掴んだ。怒鳴りつけようとしていたのに、言葉がまったく出てこない。自分が死んだらしいということが上手く理解できない。情報処理のために脳みそがフル回転して熱を上げる。熱い、頭にカッときている。血管がブチ切れそうだ。

「プシュー……。覚えてないかな、それが君の死因だよ」

「は……?」

「だから、君の死因。動いた拍子に頭の血管が切れちゃったの」

 そういえば、パソコンがプシューと変な音を立てていた。慌てて画面を見たけれどなにも起こってはいなかった。あれはパソコンの音ではなかったのか。俺の、頭の中の音だったのか。

「たまにね、自分が死んだことに気づかない人っているんだ。痛みや苦しみを感じる前に意識を失った人は特にそう。だから、死神の僕がさまよってる君を探しにきたってわけ」

「死んだのか、俺」

「そうだよ、おつかれさま」

「本当に突然だな」

「そういうこともあるさ」

「散歩くらいじゃダメだったか」

「あとで人生記録係から、生前の行動を確認させてもらうといいよ。結構、面白いと思うよ、どうすれば突然死を避けられたのかとか考えるといい」

「次に活かせるか?」

「転生できるかってこと? それは僕にはわからない話だ」

 死神でもわからないことがあるのか。もっと問い詰めたいと思ったが、なんだか風船から勢いよく空気が抜けるみたいに気力がなくなっていく。死人だし、生気がかけるどころじゃなく、なくなったからかもしれない。

「あーあ、シナリオ書きかけのままになっちまったな!」

 俺の声は森の静寂に溶けて消えた。


終わり



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最期の森 棚霧書生 @katagiri_8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ