世界の終わりと夕暮れ空

馬村 ありん

世界の終わりと夕暮れ空

 冷蔵庫の前で腰をかがめると、中から缶ビールを取り出して飲んだ。起き抜けのアルコールがボケた頭を活性化させる。ふと背後から抱きしめてくる両手があった。


「美月、寝てたの?」

 亮太が言った。

 彼が唇を差し出してきたので、あたしは自分の唇を重ねた。

「亮太は何してた?」

「となりで葵とエッチしてた」

「ふうん」


 亮太から身を離し、あたしは床に散らばった制服のスカートとブラウスを拾い上げる。体に押し当ててみると、微妙なサイズの違いを感じた。あたしのではなくて、葵のかもしれない。もしかしたら貴代のものかもしれない。まあ、誰のだっていいけど。

 鏡の前で制服を着る。ぼさぼさ髪のあたし。化粧もしておらずだらけで、かわいさのかけらもない。


 学生服のポケットからタバコを取り出し、亮太は一服しはじめた。理科準備室がタバコの臭いで充満する。あたしは赤いスカーフを締めながら、亮太が喫煙するのをながめていた。

「この部屋ではタバコ禁止ってルールにしたんじゃなかったっけ」

「だれも気にしちゃいないよ」

「生徒会長の言葉とはとても思えないな」

「もう違う。生徒会長じゃない。もう何者でもないんだ」


 理科準備室を抜け、教室棟を渡る。教室では教師たちがひと握りの生徒たちを前に勉強を教えていた。

「意味もないのによくやるよな、みんな」

 亮太が言った。

「ついてきてたの?」

「ああ。やることないし。邪魔だった?」

「別に邪魔じゃないよ」


 昇降口から学校を出る。途中で教頭先生と出くわし「授業中だぞ」と注意された。口頭で注意する以上のことを大人はしないものだ。あたしたちは無視した。

 学校から最寄りのコンビニに行って、食料と酒とタバコとコンドームを買い求めた。――学生の方には売れません――学生じゃないです――そうですか。いつもの儀式的なやり取りの後、あたしたちは望むものを手に入れた。


 理科準備室に戻った。亮太と裸で折り重なり一汗かくと、アルコールからくる眠気におそわれた。ソファの上で眠った。目覚めると、夕方になっていた。

「流星だ」

 亮太が窓の向こうを指して言った。

「南東の方角だよ。見えるだろ」

 夕暮れの空を背景に、無数の星が輝いていた。その中にひときわ大きく輝く星があった。

「あれが二年後に地球に落ちてくるんだ」

「ふうん。あれが」

 

 隕石の落下とそれに伴う人類の滅亡が宣告されたのは、いまからひと月ほど前のことだった。

 私たちは体育館に集合させられた。なんでも総理大臣が国民に向けた演説をするということだった。

 スクリーンのなかの総理大臣は「二年後に隕石が地球に落ちてくる。人類になすすべはない。滅ぶまでの間、どうか心安らかにお過ごし下さい」と告げた。

 これは冗談などではなかった。すぐに新聞やテレビでも、二年後の滅亡のことが盛んに言われるようになった。 


 ……二年後にすべてが滅びる。

 あたしたちのやっていたことは何だったんだろう?

 何のために勉強に精を出してきたんだろう?

 何のために部活動に汗をながしてきたんだろう?

 すべてが無意味になった。


 不安の洪水がどっと押し寄せた。

 

 ふざけるんじゃない。

 二年もの間どうやって心安らかに過ごせっていうのよ。


 タバコを吸えば、心が軽くなると知った。酒を飲めば、心が鈍麻すると知った。誰かと肌を重ねれば、不安がかき消えると知った。そうやってあたし達はこの一ヶ月間を過ごしてきた。


「あの星が地球の海に落下してくると、とても高い津波が巻き起こって、それで地表のすべてが波に飲みこまれるんでしょ?」あたしは言った。「その時あたしはどこにいるのかな? 誰といるのかな? どんな気持ちでいるのかな?」

「そこまで先のこと考えないほうがいいよ、美月」

「どうして? どうせ自分の身に起こることなら想像しておいたほうがいいじゃない。その時心安らかにいられると思う? きっとパニックになってるよね。もし発狂してなにもかも忘れられるのだったら、それはそれで救われるかもね」


 亮太はその裸の体を、その唇をあたしに押し付けてきた。あたしはキスで答えた。体は温まる。それなのに、私の涙はとめどなく流れてきた。

「ねえ、大人たちってさ、どうして平気でいられるのかな。なんで滅ぶことが分かっていても同じ生き方を続けているのかな。お父さんもお母さんも毎日飽きもせず市庁舎に通うの。どうしてかな、怖くないのかな」

「毎日仕事をして、明日があると仮定していられれば、忘れられるんだろう。すべてのことを。一種の現実逃避なんだよ」


「ねえ、死にたくない。死にたくないよ」

「俺だってそうだよ」

 身を寄せあい、泣きあった。となりの部屋から甲高いあえぎ声が聞こえた。貴代の声かもしれないし、葵の声かも知れなかった。

 なんだ、同じじゃん。あたしたちも、大人たちも。

 続けるか、乱れるかの違いってだけでさ。

 結局のところ、知らないふりをして生きていくしかないんだ。あと二年を……。



終わり

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