第12話   悪女スカーレットの始まり⑨ グレージュのほっぺた

 叔父とグレージュの知恵を借りて、なんとか自分の気持ちを整え、落ち着くことができた。


 今度の馬車は、叔父と同席することに。もうグレージュの顔を近くで見なくて済む、そう思うだけで、幾分か気が楽だった。


(でも、このままではいけませんわ。わたくしは感情に任せて、思いっきり彼のほっぺたを叩いてしまいました。人に暴力を振るったのは、初めてですわ……謝らなければ)


 勇気を出して、ティータイムの後片付けをしているグレージュに声をかけた。


 スカーレットの大号泣事件で、叔父の予定になかったお茶会の片付けが入ってしまった。メイドと一緒に茶器を片付けているグレージュのほっぺたは、片方が赤くなっている。


 スカーレットはおろおろしながらも、何枚か持ってきていた予備のハンカチを、水筒の水で濡らして持ってきた。


「あの……」


「はい?」


「あの、あなたのほっぺた、腫れてますわよね……あの、手当になるかわかりませんけど、濡らしたハンカチを――」


「ご自分で叩いたんでしょう? もう忘れたんですか? たいした記憶力ですね」


 茶器をしまったトランクの扉をバンッと閉めて、グレージュは馬車に乗ってしまった。


 外に残されたスカーレット。使用人用の馬車とはいえ、主人である叔父よりも先に乗り込むとは、なんということだろうか。


「ちょっと!? わたくしが叩いてしまったとはいえ、なんて失礼な態度ですの! 手当するって言っているじゃありませんの!!」


「ご自分の腫れあがったまぶたでも、冷やしててください」


 一向に馬車から出てきてくれないグレージュに、スカーレットはあっけにとられた。だが、


(もう、なんか、こういうヤツですのね……。彼が未だに見習い執事である理由が、よく分かりましたわ。叔父様が彼を解雇しない理由もね)


 スカーレットの顔に、いつの間にか浮かんでいたのは、微笑みだった。


「お前には、感謝しておりますのよ。お前のおかげで、耐えることしか知らなかったわたくしは今、希望を持って彼に会うことが出来るようになりました。黙ってニコニコと耐えている自分に戻るのは、もう嫌です。彼が忙しいのを理解した上で、お互いに心の内を何でも話し合える関係性を、目指していきたいですわね」


「それがいいですよ。お嬢様は我慢しすぎです。仕事が多忙な相手には、たくさんのお土産を要求したっていいんですよ。そのお土産を選んでいる間だけは、あの男もお嬢様のことを考えてくれているはずですから」


「お前は頭が良いのね。かなり意地悪ですけれど」


 ゼレビア神官が土産物屋に寄り、棚に並んだぬいぐるみを眺めている姿を想像したら、なんだか和んだ。


(わたくしのことを考えて、お土産を選んでくださる時間……とっても嬉しいですわね。でも、彼の手を煩わせることに変わりありませんもの、申し訳なくも思いますわ……)


 まだ上手く折り合いなんて、付けられず……また悩みだすスカーレットを、グレージュが窓から一瞥した。


「僕にお礼なんて結構ですよ。お嬢様はいつも取り繕ってばかりいますから、その化けの皮をはぎ取ってやっただけです」


 取り繕っ……スカーレットは片眉がピクついた。


「わたくしは皆様に喜んでほしい一心で、ここまで頑張ってきましたわ。そんな自分の過去を、間違っていたとは思いません! それに人は皆、多少は取り繕って生きているものでしょ。全員がお前みたいなデリカシーの欠いた性格をしているわけではないのです!」


「僕、察してほしがる人って、好きになれないんですよね。僕でもわかりやすいように、喜怒哀楽をはっきりと、思ったことを何でも言ってくれる人じゃないと、マジで何考えてるのか分かんなくて、仕事がやり辛いんです」


 それはグレージュの個人的な問題である。そんなことのためにズゲズゲとモノを言われ続けて泣かされたのかと思ったら、スカーレットは猛烈に腹が立ってきた。グレージュに言われた通りに、両目に冷えたハンカチを押し当てながら、近場の木陰に座り込んだ。


(もおお! なんなんですの、あの男は! 土足で人の心を踏み荒らしてきたと思ったら、急に突き放してきて!)


 ハンカチで両目を覆いながら、きっとこの後、自分は泣いてしまうんだと思ったけれど……奇妙なことに、こみ上げてきたのは、また笑いだった。なんで自分がこんな目に遭っているのか、なんでこんなことになってしまったのか、もう可笑しくて。


「お嬢様?」


 年配のメイドが一人、心配そうな面持ちで歩いてきた。だけどお嬢様当人は、木陰でへらへらと笑っている。


「お嬢様???」


「え? あ、どうかしましたの!?」


「いえ、出発の時間が迫っておりますので、お知らせに……あの、またグレージュと揉めていたご様子でしたけど、大丈夫ですか? お嬢様がお望みでしたら、もうしばらく、お一人に」


「え? あ、えっと……」


 何度もケンカする関係だと思われてしまって、スカーレットは猛烈に恥ずかしくなった。


「わたくしったら、見習い執事を相手に、何度もムキになってしまって……はしたないですわね」


 恥ずかしさのあまり、スカーレットは木の影に隠れてしまった。すっかり人肌にぬるくなったハンカチを、どうしようかと手の中で持て余す。


「ここ最近、どうかしておりましたわ。さっきも、あんなに泣いてしまって。もう小さな子供ではありませんのに。おかしいですわよね」


 自嘲しながら、うつむくスカーレットに、メイドが首を横に振る。


「お嬢様、どうか誰よりも、お幸せになってくださいませ。我々一同、心からお祈りしておりますわ」


 スカーレットは、はっと顔を上げた。木陰越しでメイドの顔はわからないけれど、穏やかな、とても優しい声で応援された。


 こんなにみっともない姿を見せてしまい、長々と愚痴ってしまい、今も涙がまた溢れ出そうになってしまう自分を、幼い頃からずっと知っていて、見守ってくれていたのだろうかと、スカーレットは照れ臭くて鼻をすすった。


「ありがとう。でもやっぱり、人前で泣いてしまうのは、すごく恥ずかしいですわね……」


 これからは、もっと自分自身の弱さをよく知り、今日のように感情が爆発する前に、ゼレビア神官と何でも話し合える関係性を築いていこうと、強く決意した。彼が忙しくても、自分がされて嫌な事は、たとえ折り合いを付けるのが難しくても伝えていこうと思ったのだった。



 そして翌日に、国王陛下のお気に入りであるゼレビア神官を、ゴーレムで投げ飛ばして負傷させてしまうのである。


 スカーレットは両親から絶縁され、王命により国外追放に。本来ならば、国王の許しがなければ戻ってこられない身の上であったが、グレージュとともに『行方不明者』の道を歩みだし、現在の逃避行スカーレットへと変貌するのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「ぐぬぬ系」悪役令嬢と、諦めが早過ぎる従者たち 〜婚約破棄され領土も奪われ、復讐するため珍道中!なぜかとんでも過ぎるチート従者ばかり増えてきて手に負えませんわー!〜 小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中) @kohana-sugar

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ