ACT.06/〈辻斬り〉オディオ
†
ナザンとロッカートが〈のこぎり谷〉に入ってから、丸一日が経過していた。
その間、いつ辻斬りが出るのかと警戒し続けていたが、結局ふたりが襲われるようなことはなかった。
静かであった。陽の光が届きづらい谷底は常に薄暗い。
鳥の鳴き声と、ふたりの乗る馬の蹄の音だけが、周囲に響いている。
道の脇の木が、一本根元から折れてしまっていた。落雷か何かがあったのだろう。
それを目にしたロッカートが口を開いた。
「そろそろ谷を抜けるな」
「そうなのか?」
「うむ。この折れた木が目印として――昼過ぎには抜けられるだろう」
〈結局、辻斬りは出なかったのう〉
アルキナが言った。
「残念ではあるがな」ロッカートが兜の位置を直す。「もう既にこの谷にはいないのか、あるいはこの私に恐れを成しているのか……」
「まあ、普通はそんなガチガチの
〈もし我が辻斬りの立場でも、わざわざ完全武装の者は襲わぬであろうし……〉
ロッカートは移動の時だけではなく、食事の時も、睡眠の時も「常在戦場」と言い張り鎧を脱ぐことはなかった(当然食事の時は兜は外していたが)。
言うまでも無いが、
「ナザン殿は、このあとキスカルの村へ行くのか?」
「そのつもりだ」
「解けるといいな。呪いが」
「ありがとう――ロッカートは、どうするんだ?」
「ふむ。無論、騎士になることを諦めるつもりはないが、手段については別の方法を考えた方が良さそうではあるな――」
そこで、前を行くロッカートが馬を止めた。
手で、ナザンにも止まるように合図を送る。
ふたりの進む進行方向、道の先――そこに、ひとりの男が立ち塞がっていた。
異様な雰囲気の男であった。
まず、身体が大きい。上背が高く、肩幅が広い。
そして、分厚い。鎧のような筋肉が、着ている服を内側から押し上げている。
短く刈り上げられた頭。顔を上下に分断するような古傷が目立つ。大きめの団子鼻。潰れた耳。への字に曲げられた唇。
腰には剣が二振提げられている。
ナザンは、背中が総毛立つのを感じる。男がナザンとロッカートに対して殺気を放っているのが、この距離でも伝わってきたのだ。
ロッカートが馬を降りた。
剣こそ抜いていないものの、何が起きても対応できるよう、神経を尖らせているのがわかる。
ナザンも馬から降りる。
近づこうとするナザンを、ロッカートが手で制した。危険だから離れていろ、というジェスチャーだった。
「何か、ご用か」
ロッカートと男が相対する。距離は、約七
「オデの名前は――オディオ・ナルメダード」
しゃりん、という音を立て、男が
「立ち会いが望みだど」
抜き放たれた
ふたりの間に漂う緊張感が、高まる。
「……最近、この〈のこぎり谷〉で旅人が殺される事件が多発している」ロッカートは、盾を構えながら、確認のため質問をする。「下手人は貴殿か、オディオ殿」
「そうだど」
オディオと名乗った男が肯定する。
「で、あるならば――」
ロッカートも直剣を抜いた。
「我が名はロッカート。貴殿を討ち倒さなければならない」
ふたりが武器を抜き、対峙する。
「その格好といい、おめえは騎士なのかど?」オディオが尋ねる。
「騎士ではない――今はまだ」
「変なやつだど」
戦いの気配。
殺し合いの
お互い、言葉を交わしながら、すでに終着点がどちらかの『死』であることを感じ取っているようであった。
ナザンが、
「ナザン殿」ロッカートがぴしゃりと言った。「助太刀は無用だ」
「本当に、ひとりで戦うのか?」ナザンが不安げな声を出す。
「無論だ」
「二人がかりでやって、ロッカートがひとりで倒したと証言してもいいんだが……」
「ナザン殿――」
ロッカートが首を振る。
「それは、騎士のする行いではない」
有無を言わせぬ口調であった。
ナザンは溜め息を吐くと、アルキナの柄から手を離した。
「なんだ、ひとりずつ来るのかど?」オディオが口許を歪める。「まあ、オデとしてはどっちでもいいど」
「では――参る」
会話は、そこで終わりだった。
ロッカートが剣と盾を構え、オディオとの距離を詰める。
オディオが迎え撃つ。
構え。
肘を曲げ、上段から突きつけるように
左手には、
――強い。
後ろで見ていたナザンは確信する。構えに無駄がない。洗練された動き。ぶれない体軸。なによりも、身体が軽いのだ。巨体であるにも関わらず、そうとは思えないほどの軽やかさがある。
かなりの使い手であることが、構えを見るだけでわかった。
先程は、ロッカートの手前、ナザンは矛を収めたが、もしもロッカートが押され、負けそうになった場合は、乱入し、助太刀に入ることを決めていた。
価値観の相違だ。
もしかすると、助けに入るという行為は、「手出し無用」と言っていたロッカートの
だが、ナザンにとってはそうではない。本人がどれだけ大事にしていようとも、命よりも優先すべきものではないと思っており――彼の命を助けるためならば、騎士道を踏みにじり唾を吐きかけることも辞さないつもりでいた。
たった一日しか共に過ごしていないが、ナザンはロッカートに死んで欲しくないと思っている。マイペースで周囲を振り回す性格だが、決して悪人ではない。
ナザンは、ロッカートに悟られないよう、そっと臨戦態勢に入った。
オディオが、半歩踏み出す。
ふたりの距離が、少しだけ縮まった。
ロッカートも相手の実力を見て取ったのだろう。腰を落とし、盾を自らの前面に来るように掲げる。慎重だ。
ロッカートが横に動く。その動きに追従するように、オディオが身体の向きを変える。ぴったりと、
隙が無い――。
全身を鎧で包んだロッカートと、革の服で防具らしいものを身につけていないオディオ。
装備の印象とはあべこべに、ロッカートの方が攻めあぐねていた。
「来ないのかど?」オディオが嘲る。「そっちが来ないなら、オデの方から行くど」
すっ――と。
オディオが、一歩踏み込む。
速い。そして、軽い。羽のように、まったく体重を感じさせない踏み込み。
そして、踏み込みの勢いのまま、突きを繰り出した。
(遠いだろ!?)
ナザンが目を見開く。ふたりの間合いはまだお互いの剣が届く距離ではない。
そのはずだった。
地面を踏み込んだ筈の足が、滑るようにそのまま移動する。宙に浮いているかのような、奇妙な足捌きだ。
オディオの状態が沈み込む。踏み込みの勢いのまま、身体全体をバネのように伸ばす。
腕が伸び、
肘が伸び、
脚が伸び、
腰が伸び、
背が伸びる。
鋭い突き。
ロッカートが盾を動かす。
「――っ!」
恐ろしい突きであった。間合いも長く、速度も速い。
だがそれ以上に、精密な突きであった。
先程オディオが放った突きも、正確に腕の継ぎ目を狙っていた。あと一瞬でもロッカートが盾を動かすのが遅れれば、確実に肘関節を貫いていただろう。
「はッ!」
気迫と共に、今度はロッカートが切り込む。
カウンターだ。
突きを放った直後――オディオの身体は伸び切っている。その隙を逃さない。
金属音。
オディオは、不安定な体勢ながら、左手の
追撃。
ロッカートが間合いを詰める。
至近距離ならば直剣が有利だ。相手の肉に押し付けて、引いて斬ればよい。無論オディオの
直剣と
「ぐっ……」
オディオの顔に焦りが浮かぶ。押し込まれている。単純な
手を緩めない。
シールドバッシュ。ロッカートは手にした盾を相手に叩きつける。本来は防具であるはずの、盾を使った殴打。
「がぁ!」
オディオが、完全に体勢を崩した。
一気に畳みかける。ロッカートは力を込め、そのままオディオを地面に押し倒した――かにみえた。
一瞬のことだった。
オディオが倒れる瞬間、自らの脚をロッカートに引っかけた。
それと同時に、右手の
倒れこみながら、身体全体を捻った。
回転。
ふたりの身体がダンスでも踊っているかのように半回転する。
がしゃん、という音。
奇妙な光景であった。
確かに、ロッカートがオディオを押し倒した――。
その筈なのに、いつの間にか上下が入れ替わっていたのである。
地面に倒れ込んだロッカートと、その上に馬乗りになるオディオ。
オディオが上。ロッカートが下だ。
「しまっ――」
オディオが、
狙いは、兜の――覗き穴。
刃が、肉を貫く音がした。
「ぐげっ」という、蛙が潰れた時のような声。鎧を着たロッカートの身体がびくりと跳ね――そして、動かなくなった。
オディオが、立ち上がる。
「まずはひとり」
辻斬りの男は、地面に落とした
「次は――お前だど」
灰狼のナザン -Accursed Travelers- 朽尾明核 @ersatz
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