違和感

違和感

　私の名前ですか？　それは以前お伝えしてあったはずですが……。というより記事になる時は匿名で、ということで了承したはずですよ。

　あ、一応？　そうですか。いえいえ、そこまで敵視だとかしているわけではありませんよ。乙名（おとな）です。え、仮名って思います？　日本中探せば1人は見つかると思いますが、この際もう仮名か本名かはどうでも良いでしょう。あなたは、菊池さん？

　そりゃあ、あなた、名刺をさっき頂きましたから。私の郷里の友人も同じ菊池という人がいますね。下の名前は……昇（のぼる）、良い名前じゃないですか。

　あーはい、本題ですか。私がマンデラ効果研究会を主宰されていると。それについて聞きたい。まあ、それは全く構いませんし、そもそもそれを了承した上で、今回のインタビューを受けたわけですから。

　先にマンデラ効果を説明しましょうか。マンデラ効果のマンデラ、というのはネルソン・マンデラ氏のことです。別にバカにしているわけではありませんが、彼はご存知ですか？

　ええ、ネルソン・マンデラ。南アフリカのアパルトヘイトに反抗し、刑務所生活の後ノーベル平和賞を受賞して、釈放された後は同国の大統領になった、ええ、その人です。その彼が亡くなった年はご存知で？

　大体2010年代です。まあ、菊池さんもそこまで調べているとは思いますが。それでですよ、自分の記憶ではマンデラはもっと前、大抵は……1980年代に亡くなっていたという証言が上がったのです。それもかなりの量が。だから当時存命だったことに驚いたのでしょうね。

　他にはどんなものが？　そうですね、商標だとかキャラクターが多いのですが、この地図……オセアニアが抜けているのですが、少しオーストラリアを書いてみてくれませんか？

　ありがとうございます。この話はまだご存知なくて？　それなら良かったです。あなたは正しい方ですかね。パプアニューギニアがこれで、その南にあるのが正しいです。ただ、もう少しハワイ側にあった記憶を持っている、という証言があるのですよ。

　まさか、数十年前はその位置にあったというわけがありませんよ。そんなに地殻変動が起きるわけがないでしょう。多分太平洋が広大過ぎて、何も無いように思えるのでしょう。最もそんな位置にあればポリネシアが消滅しますからね。

　理由があるのか、ですか。そこまでは分かりません。ただ、人間の脳というのは簡単に事実を捻じ曲げてしまうものです。ですからマンデラ効果の1つ1つもよく探せば、そういった事情がある可能性もあるかもしれませんね。

　特に2つ、3つの記憶が混在して、そこに1つのストーリーを創造してしまうことを聞いたことがあるのですよ。ある詳細不明だとか、記憶上にしかない、ないし録画が普及していなかった頃のCMの実物を探す、という界隈があるというのはご存知ですか？

　それですそれ。都市伝説系のチャンネルでも時たま紹介されていますね。その中で有名なものがあるのですが、多分これが元ネタだろうと言われているのがありまして、数本のCMのツギハギのようなものだったのです。ただ、現物が発掘されていない――そもそもツギハギなのですから、あるはずもないとは思うのですが、未だに捜索が続けられているそうですよ。

　見てみたいですか？　まあ、私もですね。何と言ったってロマンがありますから。あったら良いな、なんて思っちゃうものです。

　あ、そろそろ私の話ですか。なぜ研究会を作ったのですか、と。それはマンデラ効果というものに強く惹かれた、それ以上に無いですよ。いくつかのそういった人たちとSNSでやり取りして、ここ最近で私が代表ということで、サークルを結成しました。

　どのような活動、うーん……。基本的にはサークルといっても匿名の通話だとか、チャットサービスでこういうマンデラがあったんだーとか、これこういう理由でマンデラが起きているんだ、とか。

　え？　おおよそ信じられない、と。私たちは別に国家転覆をしよう、だとか宇宙と繋がっているんだなんて主張はしませんよ。宇宙人がいるのは否定できませんがだからなんだ、という話です。会費も別に取っていませんし。

　ああ、良かった。なんか私たちの研究会がさぞ秘密結社だと思われていれば大変でしたから。一種の娯楽、エンタメです。人生を捧げている会員はいませんよ。ちなみに会員は現在20、行ったかな？　行ってないかも……それぐらいです。皆さん平日は普通の会社員ですとか、一般社会で働いておられますよ。

　私の職業？　オフレコでお願いしますが……とある高校の教師です。物理と化学を。え、かえって驚きます？　別に科学者だって、結構神様だとかそういうの信じますよ。イメージは……神様が作られたこの完璧な世界の完璧な法則を求める、みたいな。

　私はマンデラ効果をどこまで信じていますか、ですか……。実はと言いますか、例えばこれが宇宙人の仕業だとかどこかの研究所のせいだ、という意味では信じていないのです。ただ、マンデラを引き起こす何らかの現象、または脳の回路、そう言った意味で私は信じています。

　どういうことかと言えば、正直それ以上でもそれ以下でもないのですが。私が子どもの頃、ノストラダムスの大予言って本当有名でしたよね。あの頃はなんとなく世界に終末が訪れて、教えに縋ろうとして、とかくカオスな時代でした。

　あら、ノストラダムスの頃に生きていない？　まあ、簡単に言えば1999年の7の月に地球が滅びると予言した人、多分実際は解釈した人の問題でしょうが、それで借金返さなくても良いやって、地獄を見たとか。実生活に酷い影響を与えたんですよ。それで人生棒に振る訳にはいかないですからね。あくまで娯楽として、エンタメとして付き合わなければって思うんです。

　死亡説ってありますよね？　マンデラでは無くて、色んな証拠から〇〇は死んだって、そういうの。ないし〇〇年で既に入れ替わっているだとか。あれって今ある証拠から死亡している理由を目ざとく見つけて、鬼の首を取ったように言う訳です。

　ええ、菊池さんの言う通りマンデラは少し違うんですよ。証拠が一切ないんです。あるのは当人の記憶だけ。カントの哲学、私は少しかじっただけですが。見る、嗅ぐ、触るなど、要は感覚から私たちはそれがなんなのか知るわけです。だから証拠と言うのは現実的にないんです。――もしかすれば記憶を脳波として観測すればギリギリいけるのかもしれませんが。まあ無理でしょうね。

　そうだ、少し思い出したことがあったんですよ。二重スリット実験って分かります。私は化学専攻で量子力学は少し聞きかじっただけですが。

　ええシュレディンガーの猫とか、コペンハーゲン解釈です。ああ、コペンハーゲン解釈は良くご存知で。量子は凄く小さな粒子……例えば原子とか電子、光子などと思ってください。二重スリット実験の話は専門家の方が分かりやすく言ってくださると思うので、簡単に言うと量子力学の、コペンハーゲン解釈の中では、観測するまでは確率でしかその存在を決定できないんです。そして、観測しない状態は私たちには分からないんです。

　じゃあどうするかって？　今の解釈ではそんなもの考えないんです。観測していない間のことはどうでも良い、別に観測してないのだからって。ね、横暴でしょ？　でも計算が楽なんだから良いんです。今の所これが最も説明が付く解釈です。だからいくらでも解釈はできるのですよ。

　その中に多世界解釈があるんです。まあパラレルワールドです。不思議ですよね、まさか科学の中から非科学的とも一般的に言われる考えが発生する、だなんて。

　あ、ああ。こんなことばっかり話してしまって。すいませんね菊池さん。別に気にしない？　菊池さんは優しいですね。まあ、科学的な話は終わりです。菊地さんはオカルトの雑誌ですからね。そっち系の話もしましょうか。といっても特段の内容はありませんが……、聞きたいですか？

　すいませんね、Noとは言えないような質問をして。先ほどの多世界解釈、それがこの一瞬一瞬にパラレルワールドが生成され、ごくごく小さな確率でその世界を行き来することがあれば、果たしてどうでしょう。私は別に多世界解釈論者ではありませんが、私のネクタイ。今は紺と黒のチェックですが……これがチェックだという証拠はあるでしょうか。別にチェックだろうが、紺一色だとしても分からないでしょう。逆に言えば、それぐらいの些細な「誤差」は日常に淘汰されるのです。

　まあ、ここまで詳しいなら多世界解釈論者と疑われるのかもしれませんね。例えば菊地さん、とある推しアニメの描写の些細の変化。あなたはそれに気づくことはできますか？　違和感のような薄いものでも、ここだ、という明確な指摘でも構いません。

　無理？　ま、正直私も無理です。しかしその違和感がどこか一定の基準値を超えると、多くの人に共有され、そしてマンデラ効果を生み出すのかもしれません。もちろんこれも仮説然としたもので、証明もできません。何よりこの考えばかり見ていては見えない世界もあるものです。……なんだか、道徳みたいな話になりました。私は嫌いでしたけど。

　ああ、もう取材時間終了ですか。私としてはもっと話してみたかったんですけど。やっぱり記者さんは大変なお仕事でしょうね。陰ながら応援していますよ。カフェ代でしたか。これぐらい、と言うのも失礼ですが、私が奢りますよ。どうもご遠慮なさらずに。

　そうだ、菊地さん。一応連絡先でも交換しても構いません？　いやいや、やましいことなんて無いですよ。名刺はどこにしまったけな……。ああ、あった。へー。菊地さんの「ち」の方って地面の「地」なんですね。「池」の菊池さんもいますからね。あれ、前話してましたっけ？　私の友人は池で。ごっちゃで困ったものです。