チートメガネのアンドレアス ― 影から支えるカリスマ令嬢学芸員、異世界美術館の悩み多き青春 ―

一矢射的

第1話 ズルい奴だと言わないで



「あ、あの作品が贋作がんさくだったの――!? ひ――ん、嘘でしょう?」

「残念ながら本当だ」



 ここは帝都美術館の館長室。

 本来なら静寂を重んじるその場所で、うら若き乙女の情けない絶叫が真夜中の沈黙を引き裂いた。壁の柱時計がさす時刻は既に零時。コッソリとあくびをかみ殺すデスクの館長なんかそっちのけ、夢中で話し込んでいるのは高貴な身なりの老人と赤い制服を着込んだ女性であった。

 髭の老人は帝国博物館、及び並立した美術館のオーナーであるヨナタン卿。歴史と美術の収集家なる異名を持つ大富豪だった。


 プラチナブロンドの女性はその孫娘であるビルギット。

 彼女が被った制服の帽子からは、癖毛でボリュームのある、まるでチアガールのポンポンじみた お下げが二つ後方へとはみ出ていた。二重まぶたでお目目はパッチリ吊り目気味。まだ多少のあどけなさは残るものの、絵に描いたような美人だった。美術館だけに。


 ビルギットは若干十九歳でありながら美術館の主任学芸員を務める才女であった。

 作品の保管、管理、修復作業、展覧会の企画、将来的に施設が収集していきたい作品の調査や持ち主との交渉などが学芸員(キュレーター)の主な仕事であった。経験や知識がなければとても務まる激務ではない、ハッキリ言ってしまえば祖父のコネで半ば強引に勝ち取った役職であった。

 本人も懸命に努力はしているのだが、いかんせん実力不足が目立っていた。

 この度も、彼女の強い推薦で購入した絵画が実は偽物であった衝撃の事実が判明し、こうして大問題になっていた。会議であの絵は間違いなく真作だと断言し、太鼓判を押したのは彼女。たとえ身内と言えども責任追及を免れない状況だった。

 祖父のヨナタン卿は深くため息をつくと、ヤンワリ説教を開始した。



「なぁ、ビルギットよ。お前が夢をかなえようと勉強に励んでいることは我々も重々承知している。だがな、美術館の予算は限られているのだよ。贋作ふぜいにくれてやる余裕はない」

「そ、そんな事わかっていますぅ! ワザとじゃないんだモン」

「だもん! ときたか! やれやれ、孫娘ながら甘やかし過ぎたか。そのザマではとても美人のカリスマ・キュレーターなんて評判は勝ち取れまいよ」

「でも、でもぉ、近頃の美術界隈ときたらすっかり下火で、施設の客数も右肩下がりなんですよ。業界を盛り上げるカリスマの存在は必須ですって。そこにきて、ほら、私には母様ゆずりの美貌がありますから」

「美貌はあっても実力が足りておらん。少しは身の程を知れ、まったく!」



 オーナーはそこで館長から手渡されたコップの水を飲みほし、一息いれてから孫娘への説教を再開した。



「いいか、いつの時代も芸術にはカネが付き物だ。そのカネを目当てにたかってくるハエ共もまた未来永劫につきることはない。贋作画家、詐欺師ディーラー、反社会団体のゴロツキ。そんな海千山千の悪党連中にまだ未熟なお前が立ち向かうのは土台無理というもの」

「そ、それは判っていますけれどぉ……だからって何の華もないオジサンを美術館の代表として表舞台に立たせるんですかぁ? そんなの、これっぽっちも話題になりませんって」

「それでなくとも近頃は貧民街を根城に秘密結社が暗躍していると聞く。金持ちというだけで許しがたいと思っている連中だ。大切なお前の身に何かあってでは遅い。頼むから目立つ真似は謹んでくれまいか? カモと舐められたらオシマイだ」

「い、嫌ですぅ――! アタシ、絶対に諦めませんから!! この美術館を絶対に立て直してやるんです! それが今は亡き母の願いでもあるのだから」


「まぁまぁ、オーナー。要は彼女をサポートする人材さえ居れば良いのでは?」



 絶妙なタイミングで助け舟を出したのは、ダンディな口ひげをカールさせた年配の館長であった。ヨナタン卿は思いがけない発言に眉をひそめた。



「サポートする人材だと? しかし、孫娘はこの通りハネっかえりの強いジャジャ馬だ。レイピア道三段、短筒狙撃(火縄拳銃)は五段、手綱をとれる男など世界中を探しても居るかどうか。求められるのは鑑識眼だけではないぞ」

「お、おじい様、大丈夫です! このビルギットちゃんには、しかと心当たりがありますから! というか、もう見込みのある奴にツバはつけてあるんですよぉ。後はおじい様のGOサイン待ちで」

「ほう? 流石は我が孫娘。段取りが良いじゃないか、いったいどんな奴かな」

「学芸員の知識はロクにないんでぇ、デシャばる恐れはまったくなし。それでいて必ず偽物は見分けるチートみたいなズル――い鑑定が出来る奴……まさに、この仕事には打ってつけの人材です」

「チート? おいおい! まさか、そいつは……?」



 のけぞったヨナタン卿に孫娘はズバリ言ってのけた。



「そう、あらゆるゴマカシを見破る看破の達人、チート眼鏡くんです」

「あ、アイツかぁ? あの下品なチート男を大切な孫娘の傍に置けというのか?」


「まぁまぁ、オーナー。こうして本人が希望しているのですから。物は試しとも言います。一度は組ませて好きなようにやらせた上で、それでダメなら潔く諦めてもらうという感じで。ねっ、そうしましょう。もう夜も遅いことですし」



 各人の思惑が交錯する中、深夜の密談はこうして終わりを告げた。

 求められるのは美女カリスマ・キュレーターを「それっぽく」作り出す補助役。

 ゴーストライターならぬ、代理のゴースト鑑定家。

 贋作で儲けようという輩に立ち向かうのが、また偽物の作られたカリスマとは。

 芸術のはらむ闇はかくも深く、底知れぬもの。

 欲望うずまく悲喜劇はいかなる結末を迎えるのか?

 それを知るのは芸術の女神ミューズのみであった。












 場面かわって、三日後。

 早朝から にぎわいを見せている市場の一画にて、とある男女が野菜を値踏みしていた。その露店で扱われている商品はジャガイモが詰まった大袋。

 山積みになった芋袋はどれも安価ではあるが、その場で中をチラ見するのは禁止されている為に、肝心な鮮度の方がまったくもって不明なのであった。

 下手をすれば芋の半分は腐って使い物にならないハズレ袋を引きかねなかった。

 小銭が入った革袋を握りしめながら、客の修道女は隣に立つ若者へ質問した。



「果たして どれが良いおイモでしょう? 判ります、アンドレアスさん」

「お任せあれ、シスター。必ずやご期待に応えてみせましょう。このメガネでね」



 眼鏡がなんだというのか? 謎に満ちた物言いをする、その男。

 アンドレアスと呼ばれた この男こそが、物語の主人公であった。

 容姿でまず目につくのは山嵐か、ウニのように四方八方へツンツン尖った頭髪。

 夜の闇を切り抜いたかのような前髪を真ん中でサクッと二つにわけ、その隙間からは柳のごとき細い眉毛と真鍮製の丸メガネが姿をのぞかせていた。

 端正で顔の真ん中をすっきり通った鼻柱へと二本の指で眼鏡を押し上げながら……その若者はキザったらしく言ってのけた。

 それはチート機能を発動させる為の合言葉であった。



「第三機能、オン!」



 あまりオオヤケにする情報でもないので、秘密を保持すべく彼に代わって説明せねばなるまい。読者の皆様にだけ、こっそり秘密をお教えしましょう。

 実は彼がかけている眼鏡はただのメガネではなかった。

 超絶覚醒神器改・百徳メガネ。

 世界に二つとないそのチートアイテムは、なんと百種類ものステキ機能(サイトスキル)を有し、鑑定、解読、透視、測定、更には紫外線カットなど実に様々な恩恵を持ち主にもたらすのだった。それがどのような経由で彼の手に渡ったのかは一切合切が不明であった。

 ただ一つ確かなのは、アンドレアスがこの街の夕闇キノコ通り、悪名高き貧民街もしくはスラム街とよばれる区域で生まれ育ったこと。それだけだ。過酷な環境で生き延びてきた青年が、偶然手にしたチートの力で成り上がりを目指すのは当然の判断。

だがしかし、出世を夢見る若者は彼一人だけではない。

 世知辛い格差社会、果たしてそう上手くいくかどうか……?


 ともかく、そんなチート眼鏡がこの場で用いたのは「年代測定」機能だった。

 ズラリと並んだイモ袋をざっと眺めてから、アンドレアスは一つを手に取った。



「これですね、シスター。これが比較的……まぁ、この中ではお買い得かと」

「おおっ! 素晴らしい。どうして判ったのです」

「それは人目があるので、後にしましょう」

「そうでしたね、私としたことが。ヘイ店主、すいません、この袋を下さいな!」



 購入を済ませると、二人は露店を離れて人気のない台車置き場へとやってきた。



「では説明しましょう。さっきのは百あるスキルの一つで『眼鏡で見た物の古さを見破れる』機能なのです」

「まぁ、物の古さを」

「野菜の場合は畑で収穫されてからどれだけ経過しているか、ですかね。人の場合はその人の頭上に実年齢が見えます」

「あら、嫌だわ? じゃあ私の年もバレてるの。女性に古さだなんて!」

「ええと、失礼。すぐ切ります。機能オ――フ! はいこれで大丈夫。ちゃんとただの眼鏡に戻りましたから。もうシスターの美しいお顔しか見えませんよ? うんうん、シワ一つない」



 シスターはプンプン怒りながらアンドレアスに抗議した。



「んもぉ――! 人の秘密を暴きたがるのが貴方の悪い癖でしてよ、アンドレアス。それで友達を失くした件、まだ引きずっているのでしょう」

「へいへーい。未だに親身な忠告をしてくれる人なんて、もう貴方だけですよ。その、ですね……ぶっちゃけ言って気持ち悪くないんですか? 人の本性を暴ける私のことが?」

「ふっ、主はいつも私たちを見守って下さるのです。常に人目があると思って生きるのは信徒なら当たり前のこと。そこに貴方の監視が加わったとて、別に何ともありませんよ。私なんかでよければ好きなだけ眺めていなさい、透視だろうと何だろうと、さぁさぁ!」

「滅相もない。秘密を暴こうという試みは、疑いの気持ちがあるからこそするもの。恩人である貴方に対してそんな感情、あるわけがない」

「あらあら、お上手ですこと」



 チートは必ずしも人間を幸せにするとは限らなかった。

 眼鏡を手に入れた途端、周囲から不気味がられ、友達がゴソッと姿を消したのは言い逃れようがない真実だった。

 ちなみに『年代測定機能』で見えたのは芋の古さだけでなく、それを入れた袋の古さも箇条書きで眼鏡のレンズに表示されていた。ついでに、それが置かれたゴザや台の古さまでも。

 あまりにも、情報過多。

 使い手の意志を必ずしも汲んでくれないのが、眼鏡の欠点でもあった。

 秘密をベラベラ喋ったら命に関わりかねないので、いくら信頼しているシスターが相手であろうとアンドレアスもそこまでは語らなかった。代わりに彼が語ったのは、この後の予定についてだ。



「シスター、こんなに野菜を買い込んで また大鍋のスープ作りですか? 毎日、毎日、鍋でグツグツと。まるで森の魔女みたいですね」

「魔女とはね、ふふ、貧しき人たちがお腹を空かせているのですよ、アンドレアス」

「教団から『ほどこし』予算がおりているとはいえ、そう多くはないのでしょう? 少しは手を抜いたって神様も怒らないと思いますよ。教会の建物だってボロボロなのに、お金の使い道を別に考えた方が良いのでは?」

「見捨てられた教会を勝手に使っているだけですから。立派な建物がデーンと建っていた所で誰も救われません。けれどスープならば大勢の人が一日を生き延びることが出来るのです」

「どうも……こう。私が信じる格好良さと貴方が信じるそれでは違いがありすぎて」

 

 ―― まったくもう、お人好しなんだから。善人ほどいらぬ苦労して、悪党どもは潤ってやがる。こんな世の中は間違っているぜ。やはり俺が何とかしてやらないとな、アンドレアス!


 うん? 心の声と実際に話す時の一人称が違う? それは仕様です。

 彼がイメージする理想のアンドレアスは格好良く「俺」で話すのに、いざ人前で話すと どうしても「私」になってしまう。なりたい自分と理想の間には大きな剥離があるものです。


 せっかくチートを手にしたのだから、せめてオノレと好きな人ぐらいは幸せにしてやりたい……それがアンドレアスのささやかな願いであった。


 生憎これまでの所、そんな彼の人生設計が上手くいっているとは言い難かった。

 しかし、それも昨日までの話だ。

 今日からアンドレアスは変わる、そういう筋書きだった。



「あの、すいません。今日はスープ作りを手伝えそうもないんです」

「あら、何か予定が? ムッ? もしや、お仕事が見つかったのですか?」

「実はそうなんです。チート眼鏡の『何でも屋』は一時廃業しまして、今日からは美術館で働いてみないか……と。オーナーの孫娘から勧誘されました」

「それは素晴らしい! 神よ、この素晴らしい恵みに感謝いたします。まったく若い者が毎日ブラブラしているなんて、世界の損失ですよ」

「さて、どうだか? 雇用主はかなりのワガママで苦労が絶えそうもありません」

「働くとはそういうことです。そして、人を上っ面だけで軽々しく判断してはいけませんよ、アンドレアス。貴方も知っての通り、人間には誰しも二面性があるのです」

「はぁ?」

「貴方は薄汚い裏の顔を暴くのは得意でしょう? しかし汚いだけが人間ではありません。綺麗な面だって必ずやあるはず。そっちはどうです? 見ていますか、ちゃんと?」

「このメガネに見落としはない……そのはずですが」

「よく観察して、ワガママ娘ちゃんの良い所を見つけ出し、優しく指摘してあげなさい。そんな眼鏡がなくともイケメンなら誰もが出来る気づかいですよ?」

「富豪の娘に媚びるなんて……私は貴方の方がずっと」

「もう一度いいましょうか? 人を上っ面だけで判断しない。とうぜん私の事も」



 ニッコリ笑ったシスターの顔はなぜかとても寂し気に見えた。

 ぼう然とするアンドレアスの手から野菜が入った袋を受け取ると、シスターは丁寧な一礼をしたのち彼へ背を向けた。



「それでは御機嫌よう。神の祝福が貴方と共にあらんことを」

「え、ええ! 貴方にも、クラリッサ」



 お尻をフリフリ、重い野菜袋を抱えながらシスター・クラリッサは去っていった。

 なんなら、あの修道服のロングスカートを眼鏡で透視して中を拝むこともできた。

やろうと思えば、今からでも。

 生のヒップをしかとこの目に焼き付けることは可能だった。

 あるいはスープ作りを手伝いながらほんのちょっとボディタッチするぐらいなら、冗談で許してもらえたかもしれなかった。


 しかし、アンドレアスにとってそれは許し難い冒涜なのであった。

 シスター・クラリッサは聖女。

 スラム街の酔っ払いがふざけて彼女に抱き着いた時は、本気で殺意を抱いた。

 弱みを握って脅してやろう、そう提案した悪友とはその場で喧嘩別れした。


 ―― もちろん、出来るさ! やろうと思えば! でも、そんなのって……あまりにも格好悪いじゃないか! もっと格好良く成り上がりたいんだよ、俺は!


 そして何よりも、クラリッサに嫌われ軽蔑されるなんて耐えられるはずもなかった。そうですか、つまり貴方はそんな人だったんですね。静かな罵倒を受ける光景を想像しただけでアンドレアスはゲロを吐きそうになった。それと同時にちょっと興奮してもいた。

 まったく、男という生き物はどうしょうもない存在なのだ。


 いやいや、全幅の信頼があるからこそ、それを裏切るなんて許されない。

 チート使いに必要なのは何よりも鋼のような自制心。

 そんな決意を貫き通してこそ、社会での生存が許されているのだ。

 人類全体を敵に回して戦う覚悟がない限り、やはり自制心は不可欠だった。


 ―― あのワガママな雇用主とも、ある程度の信頼関係を築ければ良いが……それは余りにも望み薄だな、やれやれ。


 小さくため息をつくと、彼は未練を捨て去り初出勤へと向かうのだった。そのわびし気な背中に漂う哀愁は、とても選ばれたチート使いとは思えない程であった。

 いやいや、初出勤だというのに、いきなりこのザマでは男がすたる。

 アンドレアスは小さな拳を天に掲げ、誓いを立てた。


 ―― そこで見ていろよ、神様! 俺は必ずや立派になって、シスターのボロ教会を建て直してオツリがくるほどの寄付をしてやるんだから!



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