エピローグ:たとえ明日が見えずとも



 スラム街の片隅に居を構える酒場、よいどれ天国。

 ただでさえ「うだつが上がらない」下町の飲み屋なのに、小雨が降りしきる平日の昼間とくれば店内は閑散としていた。

 客はたった一人、カウンター席で飲んだくれているアンドレアスだけだった。


 そこへ西部劇を思わせるスイングドアを開けて、ビルギット主任が入ってきた。

 つかつかとアンドレアスに歩み寄り、ドスンと隣の席に腰を下ろした。



「無断欠勤をした挙句、昼間から深酒とは良い身分ね? 新人さん?」

「……すいません」

「いったいどうしたのよ? 仕事だけは固い男でしょう、アンタは?」

「……はぁ」

「何があったの? 困ったら上司に相談してごらん? もっと頼ってもいいのよ、ん?」


「シスターが」

「え?」

「シスター・クラリッサが街を出ていったらしくて」

「それは、その、ひえぇ!? いったいどうして?」


「自分の正体は……清貧会の幹部だって」

「はぁ!?」

「俺の事を、チート使いを仲間に勧誘して引き入れるつもりだったけれど……毎日楽しそうに働いている俺を見ていたら、それをする気が失せたらしくて」

「なんてこと、神様は残酷ね。いつも、いつも」

「彼女、過激な言動が原因でトウの昔に教会を破門されていたそうなんです。人々に振舞っていたスープも、元をたどれば犯罪で稼いだ金。はは、俺に語った正義も全部嘘っぱちだったのかな」

「でも、そのスープで救われた人だって居るのでしょう。資金源はどうであれ」

「そうですけど……俺は、選ばれたチート使いだなんてウヌボレて。結局、何にも見えていない間抜けだった。何にも判っていなかった。カミルの事も、シスターの事も。ああっ、畜生!」


「だからってさ、ウジウジしていたって仕方がないじゃない」

「……」

「男らしく切り替えられないの?」

「……」

「アタシ、アンタが飲んだくれている姿なんて見たくないんだけど」

「……」

「優しくしてあげたら! まったくもう! 情けないわね!」

「しかし」

「しかしも、カカシもな――い! クラリッサさんに教わったモラルが正しいと証明できるのは、もうアンタだけでしょうが! 立ちなさい! 犯罪者どもの手から彼女を取り戻すの! 判るでしょ? 彼女を幸せにしてやりたければ、まず貴方が強く立派にならないと!」

「うぅ」

「仕事をブン投げてどうするの? そんな姿を見せたらシスターも泣くわ! 働いて、働いて、いつか彼女が貴方を頼ってきた時、抱き締めてやれる男になりなさいって!」

「……そう簡単には」

「いや、やれる。アタシだってアンタの前で立派な上司として振舞うのに、どれだけ限界を超えて頑張ったか。その、初めて任された部下だったし、多少はね?」

「今の頑張った貴方なら、もう俺は必要ないっスよ」

「アンタも頑張りなさいよ。アンタがこれから建てるべきは新しい教会なんかじゃなくて。かけがえのない家族と過ごす、温かいマイホームなんだって。どうして男って奴は、こう」

「ははは、本当にバカですよね。いつまで経っても夢見るガキだ」

「ええい、クソ馬鹿野郎め、もう知るか!」



 ビルギットは怒って店を出ていった。

 揺れるスイングドアだけがいつまでも軋んで音を立てていた。


 アンドレアスは溜息をつくばかり。

 そこへカウンターの向こうからバーテンのオヤジが話しかけてきた。



「良いんですか? お客さん?」

「うん?」

「これは余計なお世話かもしれませんがね。ウチの女房が家を出ていった時とソックリなんですよ。先程の女性の後ろ姿。私の勘ですが、すぐ追いかけないとそれっきりですぜ」

「……あぁ」

「かけがえのない大切な人は手放してはいけない。追いかけて説得しないと」

「かもな」

「それに申し上げにくいのですが」

「ん?」

「店内の酒が品切れになってしまいました、全部。もう店仕舞いにしないと」

「はぁ? 何を言って……」



 チートを使わずとも判った。それが嘘だと。

 オヤジの気遣いだった。笑顔のウインクが全てを物語っていた。


 行けよ、すぐに。さもないと後悔するぜ?

 そう肩を叩かれたような気がした。

 酒に濁った頭が どうやら晴れ渡った空のようにスッキリした。

 さりげない善意こそが弱った心によく効く妙薬であった。



「へ、閉店か。じゃあ、仕方ないな。最後に水をいっぱい」

「はいよ」

「すまねぇ。代金は?」

「貸しにしときますよ。出世払いで結構」

「ありがとう。最高の店だぜ、ここは」



 アンドレアスは空になったグラスをカウンターにそっと置き、席を立った。


 ―― そうだ。立ち上がらなければ、今すぐに。シスターと大切な仲間に教わった俺の希望が、こんなクソみてぇな世の中に負けてたまるか。


 店を出ると曇天だが雨は上がっていた。

 さて、主任はどちらの道を行ったのだろう? 右か左か?

 チート眼鏡で確かめてみるべきか?


 眼鏡のフチに指をかけて、失笑と共にその手を下ろした。



「すまんな、相棒。いつもオンブにだっこじゃ、お前にも愛想を尽かされる」



 アンドレアスは頭を振って酔いを醒ますと、まず一歩を踏み出した。

 心を決め進まねばならない、他ならぬ自分の足で。

 いざ、見えずとも前へ。











 ※ 作者より ※

  長文に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

 これにて第一部完といった所でしょうか。

 要望があれば、まだまだ続きを書くつもりでいます。

 宜しければ、感想や応援等を頂戴できれば幸いであります。

 また作品をフォローして頂ければ続きを公開する際にこちらから告知をさせて頂きます。


 未熟な点も多々あったとは思いますが、少しでも楽しんでもらえたのなら幸いです。では、またお会いできる日を心待ちにして――。

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