幕間劇 真面目に語るシモネッタ
先日、七不思議の怪事件をどうにか解決したアンドレアス。
しかし、場当たり的に作品を褒めるのにも限界はあると悟り、もっと美術の造詣を深めていかねばならぬと決心するのだった。かといって地道な独学には限界があるし、チマチマとそんな事をしている時間もなさそうだ。
そうなると、どう学ぶべきかを相談できる相手はもう一人しかいないのであった。
「あら~~、良い心がけじゃない。ちょっと見直したわ」
「まぁ、気になりますよ。実際シモネッタさんはどんな方だったのかって」
「ボッティチェリやシモネッタに関する本なら腐るほどあるけど? ホイッ!」
ビルギットはデスクの上に(それは主任が愛するデスクと噂された)山のような本を積み上げた。正直、それを全部読むのはかなり抵抗があったけれど……これも自分から言いだしたことだ。
スラム街のチート使い、読書勉学中……。
「うん? あれぇ? この本にはボッティチェリの作品である『ヴィーナスの誕生』に描かれた女性は『シモネッタではない』と書かれていますよ?」
「そこが『諸説ある』の恐ろしい所でねぇ。昔の事だし、現存する資料も少ないしで、みんな好き放題に自説を創作しちゃっているワケで」
「ひぇっ、ヤヤコシイですね」
「ただ、シモネッタ否定派の根拠はちょっと弱いかな? 彼等の言い分はこんな感じ。『春』や『ヴィーナスの誕生』はシモネッタの死後に描かれた作品であり、特に『ヴィーナスの誕生』は死後七年ほど経過しているはずだから、そんな昔のモデルを描くわけがない……って所ね」
「それはそれは、男の妄執をナメ過ぎですね」
「別に女性でも、引きずる人は引きずると思うけど。それはともかく、ボッティチェリ先生のシモネッタ愛はどうも本物だったようなのね」
「肖像画でもシモネッタを描いているのか。生涯愛し続けていますね、この人」
「あの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチもシモネッタを描いてる。いかにイタリアで愛される存在であったのかということね。まさに偶像(アイドル)だわ」
「そりゃ、すごい。そんな伝説と直にお会いできたのか。光栄だったんですねぇ」
「知らずに死にかけたんじゃないの? まぁ、いいけどさ」
シモネッタはイタリア商人の娘であり、メディチ家のジュリア―ノに見初められて一躍世間の耳目を集める存在になったという。しかし、幸福な時は長く続かず、シモネッタは若くして病死してしまう。されど、死後も大勢の人の心で彼女は生き続けたのだ。多くの芸術家たちの作品を通じて。なんと、はるか後世にまで。
アンドレアスには素晴らしいエピソードだと思われたのだが。
ビルギット主任はデスクに肘をつきながら浮かぬ顔をしていた。
「なんかさぁ~~、愛が重すぎるのよね」
「え?」
「だってね、人は年をとるんだもの。若い時の美しさをいつまでも保てるワケでなし。期待に応えられるのも限界があるっていうか……シモネッタさんが伝説になったのは、若くして病死したからでもあったと思うの、不謹慎かもしれないけど」
「それは別に仕方のないことだし。花というのは、いつか枯れるからこそ儚く美しいものですよ。それに齢を重ねて経験を積んだ人にしか、出せぬ魅力という物もあると思いますけど」
「……そうだよね。私は無様でも長生きしてやるんだから!」
―― こ、コイツ、自分とシモネッタを重ねて悩んでいやがったのか。
口元が少し痙攣していたが、アンドレアスは無言を貫いた。
老いは万人に共通する悩み。
主任にだってそれを悩む資格はあるのだから。
シモネッタのようなカリスマを「目指す」女性として当然の感傷であった。
咳払いをしてから、尚もアンドレアスは本のページを進めていった。
「えー、なになに? 『春』に描かれた女性の顔は全て同じ物であり、異なる配役に同じモデルをあてがった可能性もある?」
「あきれた情熱でしょう? あの絵に描かれた女性は全てシモネッタだったかもしれないの。女神ヴィーナスだけでなく、その周囲に立つ女性も全て。右端の幽霊のような男性は、シモネッタを死に至らしめた病魔だとする説もあったわ」
「げげげ! しかし、そうなると……」
「ええ、あの絵から飛び出す幽霊は一人じゃすまなかった可能性もある。絵には総勢六名ものシモネッタが描かれていたのですからね!」
「六人!? シモネッターズ!? じょ、冗談じゃないっスよ」
かくも芸術家の愛というものは「深い」ものであった。
芸術作品はそんな愛の結晶。
そこから霊が出現したとしてもいったい何を不思議がることがあろうか。
さしものアンドレアスも、美術館の恐ろしさを知って青ざめるばかりだった。
「な、七不思議の残り六つは大丈夫でしょうね?」
「さてね? でも何とかなるんじゃない? コッチには伝説すらも鎮めたチート使い様が居るんですから」
「カリスマなら自分で何とかしましょうよ!」
「裏から支えるって約束でしょ? 新聞の取材を受けて、手柄だけはアタシのもの」
そしてまた、芸術に関わる者たちの業も深い。
終わりなきドラマは、欲深き人の心から生まれてくるものだ。
それが いつの時代であろうとも。
この世にアートがある限り、愛のドラマに終わりはない。
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