第4話 魂なき芸術家



 むかしむかし、まだ人々が魔法やドラゴンを信じていた頃のお話。

 ヨーロッパの地中海沿岸一帯を魔術で支配していた「とある強国」があった。

 その国は広大な領土を長年 外敵から守り抜いたが、やはり盛者必衰は世の定め。建国より二百年後。政治の腐敗と蛮族の反乱により秩序は乱れに乱れ、とうとう国の王は配下を引き連れ都を逃げ出すまでになった。

 領土はやがて術も使えぬ蛮族どもに乗っ取られ、その国の名は歴史の表舞台から永遠に姿を消した……はずであった。ところが、なんと国を捨て逃亡した王はいずこかで野垂れ死んでなどおらず、別の土地で密かに再起を目論んでいた。


 復帰の足掛かりにすべく、王が最初に取り組んだのは魔術を駆使して近海に火山島を作ることだった。更には魔法の霧によって周囲を覆い尽くし、何者も外部からは入り込めない絶海孤島の隔離区域が誕生した。王は信頼のできる僅かな民たちとゼロからの再スタートを図り、そのまま……実にあっけらかんと一八〇〇年あまりの時間が経過した。引きこもりに流れる時間はいつだって矢よりも早いものだ。


 それが十八世紀以上もの長きにわたり、延々と鎖国政策を続けたおバカな国『新生ガリア帝国』の始まりであった。当然のようにルネサンスにも産業革命にも乗り遅れ、外国では最早二十一世紀を迎えようというのに、帝国では未だに現役の馬車が都の道路を走り回っていた。

 およそ三十年前、ようやく開国を経て科学技術の遅れを取り戻そうという動きは国内に出て来たものの……最新テクノロジーの恩恵を受けられるのは一部の特権階級のみ。平和なままに過ぎた長い歳月で頼みの魔術も殆どが失われ、僅かに残った国防策は神々の遺産と呼ばれる神器だけ。

 神器を扱える者はチート使いと呼ばれ、特に優れた人材は国防の最前線で大活躍しているという話であった。しかし、そうでない輩は「やっぱり科学の方が便利だわ、誰でも扱えるし」などと軽んじられ、挙句にチート頼みの卑怯者なんて陰口を叩かれてしまう始末。


 そう、まるでチート眼鏡のアンドレアスのように。


 ガリア帝国ってアミューズメント・パークのファンタジーエリアみたいな国だよね。まるで文明のガラパゴス諸島みたい。外界では絶滅したペガサスやグリフォンが生き残っているのが唯一の長所、幻獣保護の為だけに存続を許された国。

 そんな国なので、当然ながら諸外国からの評価は散々であった。

 アンドレアスは別にこの国が好きではなかったけれど、それを見捨てて外国へ逃げるような真似だけはしたくなかった。此処にはまだ守るべき人が居るのだから。そして彼の手にはスラム街から成り上がる為の力があるのだから。

 それが たとえ時代錯誤なチートと言えども……だ。



 さて、そんなガリア帝国の都アルビオンには彼と女上司の働く私立美術館があった。施設の名はテルク・シノエ美術館だ。

 ヨナタン卿のコレクションと権力を世に誇示するその施設には、毎日のように真贋すら不確かな鑑定品が持ち込まれるのだった。芸術にツバを吐き、巨匠の権威を大金に換えようとする不届き者。その不埒な野望を防ぐことが、今のアンドレアスに与えられた使命であり、出世への早道でもあった。格好良く言えば芸術の番人、美術館のガーディアンだ。


 詐欺師との対決結果は今の所、連戦連勝となる快進撃。

 施設の応接室がたいていの場合、真贋判定の行われる舞台となった。

 チート眼鏡のスキル「年代測定機能」ならば、対象がいつの時代に作られた物かは全てお見通し。巨匠の死後、ごく最近に作られた模造品が真作なワケもなく。

 あとは適当な理由をつけて詐欺師にお帰り頂くだけ、楽な仕事であった。


 無論、表向きはビルギット主任に手柄を譲らなければならない。

 その為、応接室の壁には「イエス・ノー枕」ならぬ天使と悪魔の二枚絵画が飾られていた。持ち込まれた品が贋作であった場合、アンドレアスは悪魔の絵を背にして立つ。本物であれば天使の前に陣取る。実に簡単で覚えやすい符丁であった。

 ビルギットは鑑定に迷ったら彼の立ち位置を見て判断すれば良いだけ。

 トリックというものは簡単であればあるほど、長続きするものだ。このシンプルなやり方で二人は地道な勝利を積み重ねていった。


 そもそも大抵の贋作は出来が悪く、チートの力を借りるまでもない完成度なのだが。稀に「たかが贋作」と馬鹿に出来ない大作が紛れ込んでいた。

 その日に持ち込まれた油絵も、正しくそれであった。

 ソファーに座った客人は、自慢の絵を主任に見せながらニンマリ笑うのだった。



「ビルギット主任は何でも近々『楽園・理想郷展』なる催しを企画しているとか」

「ええ、ストレスや悩み事が多い昨今。企画展でお客様が少しでも心の安らぎを得られたらと……そう考えまして」

「ならば、その展示会に是非ともこの絵を。あの有名なフランスの巨匠ゴーギャンがタヒチ滞在中に描いたものです。親しくなった現地民に一宿一飯の礼として贈った物。タヒチがこの世の楽園と呼ばれているのはご存知でしょう? 間違いなく企画の目玉となりますよ」

「まさか、存在すら知られていないゴーギャンの未発表作品が見つかったとおっしゃるの? それがもし本当なら、実に素晴らしい発見なんだけど」

「もちろん、タダではありませんが。この絵の価値を考えれば、破格の安さでしょう?」



 詐欺師をあしらう「騙し合いのリング」はいつもの応接室。

 今日も(アンドレアスの舌打ちという)ゴングが厳かに打ち鳴らされた。

 怪しげな男は、麦わら帽子にアロハシャツ。

 おまけに派手なサングラスという格好だ。

 南国風の奇抜なファッションに身を包んだ男は、タヒチのギャラリー経営者ジャン下谷を名乗った。(お前は何人だ?)ゴーギャンが残した未発見の真筆なんて、もはや噓臭さの天元突破。にわかには信じ難い話なのだが……ビルギット主任は口車に乗せられ少なからず心が揺れている様子だった。


 ―― おいおい、マジかよ? 確かに本物なら御手柄なんてモンじゃない。世紀の大発見だけどさ。欲の皮突っ張らせると悪党からカモにされるだけだぜ?


 アンドレアスは主任の後ろでにこやかな微笑を湛えながらも、内心では毒づいていた。しかし、主任が真剣に悩んでいるのは何も「常夏の国から来たチャラ男」ジャン下谷の口車ばかりが原因でもなさそうであった。

 単純に絵の完成度が高いのだ。ゴーギャンの作品、そう言われたら納得してしまいそうな風格が確かにその絵からは感じられた。絵画とは目に見える物をそのまま描くばかりではなく、作者の思想をも構図や色使いに取り込んで自己の世界を切り拓くべき。

 そう訴えた芸術家肌のゴーギャンらしい、力強く鮮烈で、印象的な筆遣いだった。


 アンドレアスは主任とのプライベートレッスンで学んだ内容を思い出そうとした。


 ―― えっと、ゴーギャンはどんな画家だっけ?


 ゴーギャンがどんな人かと言えば、古くは無縁であった絵描きと芸術家を深く結び付け、自分にしか描けない唯一無二のアートを作り出す事に挑戦した画家だ。

 古来、画家は芸術家ではなく職人だった。画家は依頼を受けて宗教画や肖像画を描くことを職務としていた。まだカメラも存在しない時代ゆえに、貴族様が自分たちの立ち姿を残したければ画家に頼んで肖像画を描いてもらうしか方法がなかったのだ。そしてまた教会の壁画を描くのも画家の役目だった。そんな絵師に求められる物は自我を殺した伝統的なデッサン力と正確さ。

 肖像画以外で画家の描く物と言えば、宗教や神話、はたまた有名な物語の一幕などを題材としたものばかりで教科書通りの型にはまった絵画が沢山作られていた。

 そんな悪しき伝統を断ち切ったのが「印象派」と呼ばれる人たちで「我々は神話や宗教といったフィクションよりも、もっと日常の一幕を題材とすべきであって、目に見える物から受けた印象をそのまま表現すべき」だと主張し、色彩や光の描写に新たな表現である点描画を取り入れる事で古典的な宗教画を否定していった。丁寧に細かく描くことよりも、大胆な筆遣いで見る物に強い「印象」を与えることを目的とした派閥なのだ。画家が己の人生と向き合い、自分たちの文化や内面を直視する姿勢が育まれたのはこの時代である。ゴーギャンはこの印象派の考え方を更に発展させ、目に見える風景を自己流のやり方で芸術へと昇華させようとした画家であった。


 なんせ あのゴッホと親交を持ち、共同生活を営んだこともある男だ。(後に喧嘩別れして耳を送り付けられたのも彼だ)空を青ではなく黄色に染め上げるゴッホとだ。この事実だけでもゴーギャンがどれだけ旧態依然とした絵を嫌悪し、作家のオリジナリティを重視していたかがよく判る。自身の絵も、人の肌や大地の色を独自の感性で塗り、見た物そのままをキャンバスに写す行為で満足はしなかった。

 近現代のポップアートでも、ゴッホやゴーギャンの影響を受けた作品は数多くある。当時は斬新すぎてロクな評価を得られなかったというのだから、先を行き過ぎた悲劇の芸術家という他はないだろう。

 こうした絵画の進化過程は芸術の進化過程そのものだ。芸術の辿った軌跡を展示物というカタチで保管しておく、それこそが美術館の果たすべき崇高な役目であった。コレクションルームに在るのは各時代、各進化段階の代表選手。

 神聖不可侵の侵されざる展示物たち。

 そこに贋作という紛い物が混入する事態は、断じて許容できるものではない。


 さて持ち込まれた絵に話を戻すと。描かれているのは淡く黄色い砂浜を連れ添って歩く漁師夫婦とその娘であった。微笑ましい家族写真のようで、母親の生活感や漁を無事に終えた父親の疲労・充実感までもが伝わってきた。南国で過ごす庶民の人生がどんな物であるかを赤裸々に描き切っているのだ。当時のタヒチはフランスの植民地。島民も決して安寧な日々を過ごしていたわけではないだろう。


 ―― 確かに上手い。だけど、上手な偽物だ。チートはそう言ってるぜ、主任!


 アンドレアスは逡巡しゅんじゅんなく、悪魔の絵を背にして立った。

 その裁定が納得いかなかったのだろう。いつもは無言でうなずくだけの主任が、客人を待たせてまでアンドレアスの方へ向かってきたではないか。

 ビルギット主任はアンドレアスの頬に唇を寄せそっと耳打ちした。吐息をフーフー耳にかけられると、昼間からムズムズ変な気分になるので止めて欲しいと思った。



「ちょっと、間違いないの? アレ、もしかして本物かもよ?」

「私の眼鏡が信用できないと言うのなら、どうして私を雇っているんですか?」

「そうだけど。とても偽物とは思えないんだもの。見てよ、キャンバスの画布(木枠に張られた布、絵を描く部分)色あせ方から見て相当な年月が経過している。あれは絶対に最近の物じゃない。百年物かも」

「確かにそうですね。ゴーギャンがタヒチで過ごした一八九〇年代の物です」

「なら、どうして!?」

「画布はそうですが、使われている絵の具がごく最近の品ですね。古いキャンバスを下地に用い、それらしく見せかけているだけですよ。巧妙なトラップに過ぎません。どうやら入念な準備をしてきたようですね、我々を騙す。ただ、それだけの為に」

「なんですって? それはつまり……」

「ええ、一八九〇年代に描かれた別の油絵を探してきて、その上から新しくニセの絵を描き足したんですよ。乾いた絵の具が地層となる油絵なら、充分にそれが出来る。違いますか?」

「確かなの?」

「念の為、透視機能でも確かめました。あの絵の下にはまったく別の絵が隠されています。間違いなく贋作ですって」



 そこで飛び出すは、ビルギット主任の百面相。

 この女性は、見ていて面白くなる位に表情がコロコロと変わる人だ。

 理性と欲望が胸中で激しくぶつかり合っているのか、彼女は口をへの字に曲げて全身をプルプル震わせていた。

 駄々っ子のように両手フリフリ、主任は半泣きで訴えた。



「でも、でもさ! あれだけ上手い絵なら本物で通るかもよ?」

「ほう? 真実なんてどうでも良いと?」

「誰も疑わなければ、それが本物なんだって。美術館としては喉から手が出るほど欲しい、巨匠の真作。マスコミも騒ぎ立て、世間の耳目を一身に集めて……アタシも晴れてカリスマ令嬢学芸員としてデビューできちゃうかも! かもよ!」

「でも、売りつけた奴は真相を知っているんですよ?」

「うぐっ!」

「待っているのは、強請りタカリの日々でしょうね。本当の事をバラされたくなかったら、令嬢のお姉ちゃんに一肌脱いでもらおうか、ぐへへ……なぁんて。そのままタヒチで二泊三日のズコバコ小旅行みたいな? お祖父ちゃんが泣きますよ」

「はうう! 嫌ぁ! 蕁麻疹がぁ! そ、それはちょっと困るかな。でもなぁ~~このまま地味な活動を続けた所で……カリスマ学芸員なんてさぁ……見果てぬ夢だよ」

「ふーむ、それも一理ありますね。ここらで一勝負を仕掛けるのも悪くないかな?」

「えっ?」

「いっそ、あの絵を逆に利用してやるっていうのはどうです?」



 長い長い話し合いの末、アンドレアスと主任は騙し合い勝負を「受ける」と結論づけた。それは賭けに等しい冒険。伸るか反るかの無謀なギャンブルであった。されど危ない橋すら渡れない奴にカリスマを名乗る資格などありはしないのだ。

 意を決すると主任は客人の待つソファーへと舞い戻った。



「大変お待たせしました、ジャン下谷」

「いえいえ。慎重さは美徳ですから、我々の商売だと特に。それで、いったいどうなさるつもりなのです?」

「当美術館としては、購入を前向きに検討したいと思います」

「おおっ、それは素晴らしい! 賢明な判断です」

「ですが、条件が一つだけ」

「なんです?」

「購入後『絵の扱い』全般は、すべて美術館に一任すると。それを約束してもらえますか? 展示方法は、コチラで好きなように決めたいのです」

「へぇ、そりゃもちろん? 買った物をどうしようとそちらの勝手ですよ。なんせ巨匠の作品だ、大切に扱って下さいますよね? へへへ」

「……ええ、そりゃもう。相応の扱いをしますよ」

「色々と書類上の手続きがありますから、納品は展示会の直前になってしまうかもしれませんが、それで構いませんか?」

「ええ! 構いませんとも! 専用の場所を設けて、お待ちしております。きっとその作品は展示会の目玉となってくれる事でしょう! うふふ」



 両者はニッコリ笑いながらガッチリ握手を交わした。

 腹の底では舌なめずりをしていたとしても、それはお互い様であった。

 それは詐欺師と策士の全面対決。

 狐とタヌキの騙し合いは利己的な駆け引きその物であった。











「さぁ~て、お日柄もよろしい本日は、テルク・シノエ美術館にお邪魔していま――す。何でもこちらの施設では美人学芸員さんの企画した『一風変わった展覧会』が行われているとか。その上、まさかのサプライズとして重大な発表のオマケつき! これは目が離せませんね! 今日もワクワク、ドラゴンTVのレポーター、ラビラビがお送りします。どうかチャンネルはそのままで!」



 あっという間に一か月が過ぎて、企画展の当日。

 会場となる企画展示室では、色物としか言いようがない格好をしたレポーターと取材班の面々が報道番組の撮影を開始した所であった。

 レポーターは桃色のパーカーを着用した若い女性で、被った頭巾からはウサギの耳が生えていた。フードの耳は本物だという噂もあったが、引っ張ってそれを確認した剛の者はまだ誰も居ないそうだ。

 ラフ過ぎるファッションセンスと小気味良いトークが、性別年齢に関わらずウケが良いのだとか。つまり相手は本物のカリスマであった。


 一方で我らがビルギット主任は緊張で汗ダラダラ。

 生まれたての小鹿みたいに膝をガクガクさせていた。



「う、うわ――! 始まった、始まっちゃったよ。どうしよう、アンドレアス!?」

「貴方がやると決めたんでしょ? ハラをくくって下さい」

「そそそそそ、そんなコト言ったって」

「ほら、もうすぐ出番ですよ、しっかりして」

「うわ――ん、本物のカリスマと並べられるなんて、無理ムリ。お家帰るぅ――!」

「仕方ないなぁ……あんなの別に大した事ないですって。バストなんか詰め物をして大きく見せてるだけ。ハッタリです。ウサギの耳も単なる作り物ですから」

「へぇ、そうなんだ。なら安心……ってアンタまたチートでノゾキを!?」

「防犯の為です。我慢して下さい。普段から私のセクハラに耐えてきたのは、今日この日の為でしょうが! シャキっとして下さい」

「わ、判ってる。判ってるわよ。……そうよね、生半可な精神力でアンタと組めるわけがない。あの子だって、どうせ真っ青になって逃げ出すに決まってるんだ。フン、無様ね」

「ええと……そうですね」

「アタシは凄い! アタシはカリスマ令嬢! いける、絶対にいけるぞぉぉぉ!!」

「……ファイト、オー(小声)」



 何やら自己暗示をかけ終わったビルギット主任は、ヤケクソとしか思えない勢いでカメラの前へ出ていった。控室のモニターでジャン下谷もこの様子を見ているはずだが、最後まで大人しく見守ってくれるかどうか?


 様々な思惑が入り乱れる中、ラビラビの取材が始まった。



「ヤッホッホー! 初めまして、主任学芸員さん」

「どうも、番組をご覧の皆さん。美術界の新生カリスマ、ビルギットです(キリッ)」

「わー、なんか凄い。でも、バラエティー番組じゃないのでそのノリはちょっと」

「へ? そうなの? だってアンタはさぁ……」



(テイク2 しばらく お待ちください)



「コホン、では改めまして。今回の企画展についてお話をうかがいたいのですが」

「ひゃあ……世界中の人がアタシを見てる? ああ、ダメ、興奮で鼻血が」

「あの、学芸員さん? もしもーし? ハロー、ハロー。医療班! 医療班!」



(テイク3 しばらく お待ちください)


 ―― 酷すぎ。でも、ここまでボロクソなら逆に開き直れるよな?


 アンドレアスの想いとシンクロでもしたのだろうか。失態続きで顔面蒼白になった主任は、ガンギマリの目付きへと変貌し、遂に覚悟を決めて流暢に喋りだした。


 流石に前日の晩、百回近くも予行演習をした所はトチるわけもなかった。

 舞台俳優と一緒。演技を体に覚え込ませれば、緊張の有無など関係ないのだ。

 楽園・理想郷展の趣旨を説明し、注目すべき絵画をいくつか紹介して。

 ここからだ。早速ラビラビが企画展のサプライズについて質問してきた。



「それでぇ――、この企画展では仰天の大発表があると聞いたのですが?」

「ええ、よくぞ訊いてくれました。あちらの絵こそが、今回の目玉。目玉も目玉、大メダマ。世間に存在すら知られていない、ゴーギャンの未発表作品です」

「ええ、ゴーギャンってあの? 未発表作品の初お披露目? 視聴者の皆様、これはとんでもないお宝映像となる予感がしますよ、うひょ――ヤッタネ!」

「……という触れ込みで当美術館に持ち込まれた油絵なのですが、実はアレ真っ赤な偽物でして」

「ひえええ!? 全然ダメじゃないですか」

「今回はその巧妙な手口と贋作の恐ろしさを世間に周知してもらうべく、TV局の皆さんにご足労頂いたのです。今日こそは美術界隈の深い闇を白日の下にさらけ出してやろうと固く決心しました。アタシが訴えたいのは、贋作撲滅運動の取り組みです」

「が、贋作なんですかぁ? 古そうで、とても立派な絵に見えますけど」

「そのメッキをカメラの前で剝がしてやろうというのです。いきなさい、作業班!」



 ビルギット主任が指をパチリと鳴らした途端、イザベラを中心とした(この為だけに彼女は二時間かけてバッチリメイクした)作業班が例の絵に近付き、ハケで表面に薬品を塗り始めた。

 伝統的な魔女の秘薬を元にアレンジしたイザベラのオリジナル薬品で、固まった絵の具を即座に柔らかく戻す効能があった。

 唖然としているレポーターの前で華麗に手袋をはめたビルギット主任は、部下に手渡されたパレットナイフを持ち贋作の前に立った。


 作業の為に絵画は額縁を外され、イーゼルに乗せられていた。

 それは一見した限りだとゴーギャンの直筆。

 ナイフを入れるのはやはり少なからず葛藤もあったが、主任は一度深呼吸を済ませてから大胆に絵の具をこそぎとっていった。

 せめて下の絵は傷付けないよう、丁寧に、丁寧に。


 その頃には異変に気付いたジャン下谷が会場に乗り込もうとしていたが、アンドレアスと警備員たちがその前に立ちふさがり邪魔をした。ジャンは以前とは別人のような鬼の形相で怒鳴り散らした。



「アンタら、自分がいったい何をしているか判っているのか?」

「モチロンですとも。購入後、絵の扱いについては当美術館に一任いただく。そう約束したはずです。今更、何をしようと文句は言わせませんよ? 強請目的で絵に安値をつけたのが裏目に出ましたね!」

「お前ら、誰に喧嘩を売ったと思ってる! あの絵を描いたのがいったい誰だと?」

「知りませんよ、ゴーギャンの直筆だと説明したのは貴方でしょう?」

「何にも分かっちゃいねぇよ! お前らにとっては単なる贋作かもしれないが、あの御方は三度の飯より自分の作品を愛しているんだ。それを公開処刑も同然に破壊するなんて! あんなにも完成度の高い絵を! このバカ野郎、お前らに芸術を愛する気持ちはこれっぽっちもないのか? ゴーギャンだぞ!」

「贋作画家風情が、大家を騙らないで下さい! 美術館を愛する気持ちが有るからこその公開処刑ですとも。アンタらのような詐欺師がはびこっている限り、芸術界隈に未来はありません。そもそも、他人の絵を破壊して別の絵を上書きしたのはソッチが先でしょうに。俺たちは犠牲になった元の絵を救出するのです! いったいどの口が我々に文句を言うんだ、ええっ!?」



 ジャン下谷を言い負かし、警備員が暴れる彼を抑え込んだのも束の間。

 アンドレアスの心には言いようのない漠然とした不安が広がりつつあった。

 捨て鉢になったジャン下谷が、大声で自らの正体を明かしたからだ。



「へん、俺たち『清貧会』に逆らって、このままタダで済むと思うなよ」

「やれやれ! コイツ、清貧会のメンバーだって? マジかよ」



 それはスラム街を隠れ蓑にして活動する秘密結社の名であった。

 良く言えば義賊集団。金持ち相手に犯罪行為を繰り返し、儲けた金で貧民を救済すると専らの評判であった。一方で悪く言えばゴロツキの集まり、反社会団体だ。

 ジャン下谷の罵声は尚も止まらなかった。



「だいたい、貴様らは気に食わないんだよ、学芸員。権威をかさに着て、いったい何様のつもりだ! これは傑作だ、あれは駄作だと、好き勝手に線引きしやがって! お前らに創作物を全否定された連中がどうなると思っている? 芸術家は誰もが作品に人生をかけているんだぞ。誰かの人生を左右する権利が貴様らにあるのか?」

「知らんね、難しい話は。私たちは美術館を守る番人。残念ながら、それ以上でも それ以下でもないのさ」


 ―― ただ一つ揺るがぬ答えがあるとしたら、巨匠の名を借りて人を騙そうという輩を許すワケにはいかないって事。先達の威光を汚させはしない。それだけだ。そもそも、真の傑作なら誰が見てもそうと判る物じゃないのか?


 実は案外そうでもないのだけれど。

 アンドレアスがそれを知るのはもう少し先の話であった。

 わめき続けるジャン下谷には退場いただき、会場はようやく静けさを取り戻した。

 そして、そうこうしている間にビルギット主任の除去作業も完了しつつあった。



「うっわ――、絵の下からもう一つ別の絵が! 主任これは?」

「これこそが贋作の証明。ゴーギャンが他人の絵を蔑ろにする事など在り得ません。芸術家にとって他の作家は切磋琢磨する競争相手であり、別の道を歩む同志なのですから!」

「なるほど! 全ては絵を古く見せるトリックだったんですね」

「憎むべきは贋作の作り手。我々は神聖な美術館の門番。断固としてまがい物の侵入を拒絶するのです」



 表向きはタヒチの楽園に見せかけた油絵。しかしながら――その下から現れたのは燃え盛る獄炎と、巨大なカマに落ちた罪人たちを嘲笑う悪魔の図。

 楽園の下に隠されていたのは、皮肉にも地獄の様子を描いた宗教画であった。

 額の汗を拭いながら、ビルギット主任は口を開いた。



「楽園なんて真っ赤な嘘。しょせん理想郷なんて実在しないと。そんなメッセージを裏に込めたのでしょう。見えない所まで気を使う。敵ながら見事なセンスですこと」

「うっわ~~キツイ風刺ですね。救出されたこの絵はどうなるんです?」

「楽園・理想郷展の趣旨とは異なれど、今回の目玉ですから。企画展が終わるまで展示を続けますよ。テレビを見た皆様には是非会場まで足を運び、実物をご覧になって頂きたいですね。もちろん、このアタシも皆さまをお待ちしていますから。展覧会場にて、カリスマ令嬢と、君も握手!」

「あの、そういう番組じゃないんで……まったくもう。負けたわ、この人には」



 多少のトラブルはあれど、報道番組は凄まじい反響の中で幕を閉じた。

 絵の下から別の絵が現れる。そんなインパクト抜群の画には序盤のグダグダ感を吹き飛ばすだけの破壊力がしっかりとあったからだ。











 その日の晩、企画展の会場より逃げ延びたジャン下谷は、スラム街の一画にある廃屋へと駆け込んでいた。崩れかけた屋敷の地下には秘密のアトリエがあり、奥の壁にはフェルメール、ゴヤ、ミケランジェロといったそうそうたる顔ぶれの名作が並んでいた。

 当然ながら、それらは全て贋作。同一人物の手によって描かれた偽物であった。

 床には赤絨毯が敷かれ、中央には玉座めいた肘掛け椅子が置かれていた。

 そんな椅子に腰を下ろし、ヒジ掛けを指でトントン叩きながらジャンを待ち構えていたのは……謎めいた覆面の人物。フクロウの仮面をすっぽり被った怪人であった。余程に相手を恐れていたのだろう。部屋に飛び込むなり、ジャン下谷は床に額をこすりつけて謝罪を始めた。うす暗い室内、フクロウ怪人の目だけが不気味な光を放っていた。



「も、申し訳ございません、ソウルレス様。計画は失敗に終わりました」

「ああ、TVは見ていたよ。まさか、あのゴーギャンが見破られるとは意外だったね。権威をかさに着るだけの無能集団かと思っていたが、思ったよりも目端が利くらしいな」

「そ、それが相手にはチート使いが居るみたいで。見破られたのもそのせいかと」

「ほう?」

「かつて下町で『チート眼鏡の何でも屋』をやっていたアンドレアスという男です。何度か清貧会と衝突した過去もあり、一部界隈では有名だとか」



 フクロウ怪人は身を乗り出して、チート使いに興味津々といった様子。



「それは面白い! 私の贋作が神々の遺産、チートすらも騙しきれるか? 極めた技を試される時が来たというのだな。フフフ、なんと遣り甲斐がある課題ではないか。なぁ、お前もそう思うだろう?」

「さ、左様でございますね。ネタさえ割れていればこっちの物ですよ。次こそは……きっと」


「ああ、しかし……私の絵を巨匠の真作として美術館に飾りつつ、同時にブルジョワどもから大金を強請り取る。一石二鳥の素晴らしい計画だったのだが……残念ながら絵に描いた餅でしかなかったか。まったく惜しいな、あのゴーギャンは」

「あはは、絵に描いた餅、油絵だけに……ですか?」

「なにが可笑しいか!」

「ひっ、申し訳ございません」



 アゴで合図すると、地下室の暗がりより部下たちが現れ、ジャン下谷を挟んで連行していった。ジャンは哀れみを誘う声で許しを請うたが、フクロウ怪人はもはや顧みもしなかった。



「私を愚弄してタダで済むと思うなよ? この借りは高くつく!」



 フクロウ怪人にして、秘密結社『清貧会』の大幹部。

 ソウルレスの哄笑は留まる所をしらなかった。












 そんな迫りくる危機など露知らず、企画展を大成功させた美術館はかつてない盛況を見せ連日の大賑わいだった。ビルギットも毎日のように取材を受ける立場となり、贋作サギ撲滅キャンペーンの立役者としてマスコミから持ち上げられていた。


 ―― やれやれ、もう俺なんか必要ないんじゃないのかね?


 美術館の中庭、芝生の上でアンドレアスが暇を持て余して寝転んでいると、そんな彼にすすんで声をかけてくるもの好きが居た。



「あー、いたいた。アンドレアスさん、今度の休日はお暇ですか」

「うん?」



 目線を向ければ壺を抱えたワンピース姿の女性が立っていた。

 ビルギット主任の友達、ヤスミン嬢だった。



「もし暇なら私と一緒にお出かけしませんか?」

「君と? なんで?」

「えへへ、ヤダなぁ。男女が二人きりでお出かけなんて、当然デートに決まっているじゃないですか。恥ずかしいな、言わせないで下さいよ」



 今度の休日はシスターを誘おうと思っていたのに。

 驚くほど興味は湧かなかったが、クラリッサを誘った所でどうせ断られるのは目に見えていたので。(あの人はいつも『何かの用事』があって忙しいのだ)たまには気分転換も悪くないかもしれなかった。


 少なくとも、この娘は上司でもなければ、惚れた女性でもないのだから。

 共に出かけるのが何とも気楽だった。

 案外、こんな人の方が結婚相手としては向いているのかもしれなかった。



「別にいいよ。君も退屈するだけだと思うけどね」



 アンドレアスは気さくに笑いながら親指を立ててみせた。

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