春と雪

京野 薫

第1話

 自然に出来た物とは思えないような美しさに満ちた物は数多いけど、その中でも空に舞う桜の花びらほどその言葉が似合う物は無いと思う。


 ふわりふわり、ひゅ~、くるくるくる、ぶわっ。

 そして……ぱっ。

 そんな擬音がいつも浮かんできて、私の心は春の空気と一緒に暖かくなる。

 春の空気は仄かな淡い色がついてるようだと思うけど、それは沢山舞う桜の花びらの力が多いんじゃ無いかな。

 

 それに桜の木も素敵。

 私だけかな? と思うけど、桜の木ってなんであんなに重厚で……艶めかしいんだろう。

 花びらが男性を知らない少女達の戯れなら、木や枝はそれらを知り尽くし、しゃぶりつくして美しくなった「女」って感じ。

 ああ……下品な事を。


 これじゃ、あの人……雪さんに嫌われちゃう。

 今からあの人との大切な逢瀬なのだから。

 桜の花びらのように無垢で見惚れるような美を持つあの人との。


 雪さんに会ったのは偶然だった。

 私の生まれ育ったお屋敷は「ジヌシ」と言うお金が沢山あるお家らしくて、いつも色んな人が出入りしていてとっても広い。

 お庭も兄妹で駆け回ってもぶつからないくらい。

 

 でも、私はどこか苦手だった。

 いつもどこに居ても、冷たい暗い影が差している。

 仄かに匂う家具や衣装の匂いも私には威圧感を感じた。

 ひやり。

 そんな言葉をいつもお屋敷の中では感じていた。

 まるで、その影からにゅっ、と手が伸びてきてどこかに連れて行かれるような……

 おじいさまとお母様がなぜか、2人で良く寝室に籠もっているあの空気も怖かった。

 よく分からないけど、まるでお母様がどこか知らないところに連れて行かれてるようで、怖い。

 このお屋敷には人さらいばかりいる。

 その点、外から来るお客様はみんな春のほわっ、と言う空気や夏のキリッとした引き締まった空気。

 色んな色や空気を持ってきてくれて嬉しい。

 

 そんなある日。

 私はお庭を1人で歩いていると、突然足首に何かが触れたような感触を感じた。

 驚いて足下を見た私は思わず悲鳴を上げた。

 そこには蔵があったのだけど、その下の地面との隙間に細長い空間が出来ていて、そこに付いた鉄格子から手が伸びていたのだ。

 

 女性の手。

 

 腰が抜けそうになって、その場にへたり込んだ私はその鉄格子の隙間から覗いた女性の顔と目が合った。

 暗闇に雪のように真っ白な首が浮かんでいる。

 そしてその首は笑顔を浮かべていた。

 とっても怖いし気味悪いはずなのに、なぜかその笑顔は優しかった。

 まるで昔のお母様みたいに。


 そう、お母様にそっくり。

 そのせいか、私はその首に話しかけた。


「あなた、だあれ?」


「わたしは雪。あなたは?」


「わたしは沙織」


「綺麗な名前ね」


 その首さんはまた優しく微笑んだ。

 真っ暗な暗闇のはずなのに、私の目には雪さんの首の周囲だけほわっと明るくなった気がした。

 

 それから私は暇を見つけては蔵の下に住んでいる雪さんとお話しした。

 と、言っても雪さんは子供の頃からこの隙間に住んでいるらしく、話題が無いのでもっぱら私がお話ししていた。

 それを雪さんはキラキラと目を輝かせながら聞いていた。

 そして、雪さんはポツリと言った。


「ねえ、沙織ちゃん。良かったらこっちに……」


 雪さんがそう言いかけたとき、突然後ろで聞いたこと無いような怒鳴り声が聞こえた。

 弾かれたように振り向くと、そこにはおじいさまが立っていた。


「おじい……さま」


 おじいさまは私に見向きもせずに鉄格子の所に駆け寄ると、何度も蹴りつけた。

 雪さんの悲鳴が聞こえて、雪さんは暗闇の中にぴゅっと消えた。

 見るとそこには暗闇だけ。

 光も飲み込むような墨汁を垂らしたような暗闇。


「沙織! 二度とここには来てはいかん」


 なんで……と言おうとしたけど、怖くて声が出ない。

 

「わかったか。それを破れば……お前も」

 

 そこまで言ったところで、突然おじいさまは害虫でも見たように顔をぐにゃりと歪めると、早足で歩き出した。


「沙織! 早く来い!」


 慌てて頷いて歩き出そうとした私の足首に小石がコツリ、と当たった。

 振り返ると、暗闇からまた雪さんの首が見えた。

 顔を血で濡らしながら、まるでお菓子を見た時の……ような笑顔で私を見て、小声で言った。

 

「蔵の……一番奥。出っ張りがあるから持ち上げて」


 その夜。

 私は、こっそりと蔵の中に入った。

 怖かったけど、それ以上にワクワクしていた。

 雪さんに会える。

 そして、なんだか本で読んだ大冒険をしているようで、心が浮き立つ。

 雪さんの言葉通り、奥の板に出っ張りがあった。

 これを掴んで持ち上げればいいのかな?

 すると……かちゃり、と軽い音がしていとも簡単に板が持ち上がった。


 やった!


 私は蝋燭を持ったまま、階段を下った。

 カビの匂いかな? それに厠の匂いもする。 

 なんだか酷く臭い。

 でも……凄い。 

 まるで物語の主人公になったみたい。

 そう、きっと私は退屈していたのだ。

 いつ引っ張り込まれるか分からない暗闇と生きるのに。

 雪さんとの出会いは、きっと物語だ。

 だとすればきっと何かが変わる。


 一番下に降りると、そこには……雪さんがいた。

 奥はアチコチ破れた畳が6畳ほど敷いてあり、横には2人くらい入れそうな大きな桶が有り、その横に雪さんが座っていた。

 暗闇の中で蝋燭の明かりに照らされた雪さんは、まるで夜の作ったお人形のようだった。

 夜の暗闇で輝くお人形さん。


「沙織ちゃん。やっと……来たね」


「うん」


 私はドキドキしながら言った。


「ずっと会いたかった。初めて見たときから」


 雪さんはそう言って、私に近づいた。


「ねえ、ギュッとしてもいい?」


 雪さんの言葉に私はすぐに頷いた。

 雪さんの身体からはお香のとても良い香りがして、美しい雪さんをより際立たせていたから。

 私は近づいて、雪さんの身体に包まれた。

 ああ……春の香りだ。


 そう思った次の瞬間。

 

 突然私は雪さんに両腕を強く掴まれて、桶の所まで引きずられた。

 訳が分からず呆然としている私は、そのまま頭を掴まれて桶の中に顔を漬けられた。

 

 苦……しい!

 なんで! 助け……て!


 恐怖と苦しさで混乱する私の耳に雪さんの声が優しく入ってきた。


「3分から5分だったっけ。ちょっとだけ我慢してね。死んじゃうかも知れないけど、もし生きてたら私とずっと一緒に居られるから。長い間酸素が行かないと脳は壊れちゃうんだよ。そしたら、あの方はあなたをここに放り込むから。良かったね沙織ちゃん。私たちずっと友達だよ」


 雪さんの言葉を聞きながら、沢山の何で? がまるで桜の花びらの様に浮かんできたけど、すぐに風に吹かれた花びらのように……ぱっと……消え……た。


【完】 

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春と雪 京野 薫 @kkyono

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