第13話 離別

 背中が焼けるように熱い。魔力を限界まで絞り出しても追いつかない。リブも唇を噛み締めて震えている。

 目先に小さな窪みを見つけつかさずもぐりこむ。気休めにもならないがすこしでも被害を抑えたい。さらにうずくまるようにしてリブをかばう。

 

 無駄な足掻あがきなのだろう。わかっている。古代の腐竜エンシェントロットドラゴンから放たれた白い閃光を前に、為す術などありはしない。戦慄、恐怖、そして──絶望。足が動いたのは偶然。昨夜の戦闘がなかったとしても到底防げるものではない。


 だからといって指を咥えて死を迎え入れるつもりはない。俺ので巻き添えになるなんてありえない、あってはならない。例え自分を犠牲にしてもリブだけは絶対に死なせるわけにはいかない。


 「ヘカテェェェェェェェェェェ!!」

 思いもよらない人名が自分の口から出た。自分でも驚いたが、あの鮮烈な登場が脳裏に深く刻まれていたのかもしれない。

 「ふふっ、頼りにされるのは良い気分ですね。後はに任せない!!」

 あいもかわらず能天気な返事が返ってきた。

 

  

 

 あれほど凄まじかった衝撃波はぴたりと止んだ。

 俺は恐る恐る目を見開く。近隣の木々はすべて灰塵かいじんと化し、はるか遠くまで一望できた。

 リブもどうやら無事のようだ。驚いた表情でなにが起きたのかわかっていない様子だ。安心しろ。俺もわからない。 


 後ろを振り返ると、赤茶けた大地に一人、戦乙女ヴァルキュリーが悠然と立っていた。

 あの極太の破壊光線をどう防いだのだろうか。剣一本で凌いだとは到底思えないが、戦乙女ヴァルキュリーがいる位置から消滅の息吹は二つに分断されている。先ほどの強さをかんがみれば十分可能性はあるが、にわかには信じ難い。

 しかし理由はどうあれ辛うじて窮地を逃れたのは事実だ。 

 「……へ、ヘカテ?」

 「非情なまでの心をえぐる精神攻撃、さすがは伝説の竜の娘、あなどがたしです。高潔で可憐な私でも膝をつくところでした」

 不敵な笑みでひとりごちる。

 「そ……それは大変でしたね」

 「それはお互い様です。セディスちゃんを優先してしまい申し訳ありませんでした。あのまま放っておいたら消し炭になってしまいましたので。背中の傷に関しては責めないでくださいね」

 「そんな気なんて毛頭ありませんよ」

 「ついで申し訳ございませんが、セディスちゃんの介抱をしていただけると幸いです」

 ヘカテのすぐ後ろに竜の娘セディスが横たわっていた。気を失っているのかぴくりとも動かない。

 「承知しました」

 敵か味方かは今のところわからないがヘカテの指示に従う。古代の腐竜の娘らしいが親とは似ても似つかない。定番なら人型から竜にでも変身でもできるのだろうか。

 「ありがとうございます。ひどく衰弱しているようなので丁重に扱い願います。それと、目覚めましたらただちに私のことは“おばさん”ではなく“お姉さん”と訂正するようきつく注意をお願いします。これは最重要事項です。いいですか、もう一度いいます。年齢はかなりいっていますがこれでも生娘なんです。君も呼び捨てではなく“ヘカテお姉さん”と──」

 「それよりヘカテ!」

 俺は遮るように声をあげる。

 「ちょ、そんなに声を荒げなくとも聞こえますから。それに呼び捨ては止めてほしいといったばかりですよ」

 ヘカテは気圧されてたじろぐ。

 「……傷だらけですごく痛そう」

 リブは俺の腕からするりと抜け出してヘカテの元にいく。

 「助けてくれてありがとうございます、ヘカテお姉さん」

 「あらあら、リブちゃんはお礼がいえて偉いですね。そこのちょっと捻くれた男の子と違ってとっても素直」

 「ザックは恥ずかしがり屋なんです。ヘカテお姉さんは綺麗きれいだから」

 「お世辞でもとても嬉しいわ。リブちゃんもとっても可愛らしいわよ」

 「あ、ありがとう……ございます」

 顔を真っ赤にしてリブはうつむく。

 「リブちゃんにもセディスちゃんの面倒をお願いしてもいいかな?」

 「はい、任せてください!」

 「ありがとう。これで心残りはないわ」

 ヘカテは満面の笑みをうかべる。




 「ヘ、ヘカテ…………おねぇさん」

 背中越しに俺は呼ぶ。いいようのない気恥ずかしさにしどろもどろになる。

 「ふふっ、まだ恥ずかしいのかな?」

 「僕の内情を知っているくせに…………それはいったん置いておいて、まだ戦うつもりですか?」

 「無理に大技を使ったせいで魔力が枯渇している。今が千載一遇のってやつね」

 「そんなことを聞きたいわけではないですが?」

 「これ以上苦しませるわけにはいかないの。彼女が苦しむ姿を見るのもそろそろ限界なの。これでもけっこう古い付き合いなのよ」

 「いや……そうではなくて……あなた自身のことをいっているのです」

 「セディスちゃんが目覚める前に決着をつけないと。お母さんがこれ以上傷つくの姿なんて見せられないわ」

 「………………あなたの姿の方がよほど僕には堪えます」

しばし口を閉じた後、ヘカテの後姿にやりきれない想いをぶつける。

 「利き腕を失ってるんですよ!。なんともないわけないですよ!」


 青巒せいらんの甲冑は砕け散り素肌があらわになっていた。あれほど美しかった白髪は血に染まり、右腕を失った肩口の傷を隠している。

 左手に握られた剣が小刻みに震え、切っ先から血が滴り落ちていた。

 「心配はご無用よ。これぐらいの怪我、なんともないわ」

 ヘカテはあっけらかんとして答えた。


 


 俺とヘカテのやりとりを尻目に古代の腐竜は衰弱していた。

 魔力を大きく失い、いまや虫の息だ。首をもたげて睨むのが精一杯といった様子だ。


 ──最後マデ邪魔立テスルカ死ニゾコナイ──


 声量も乏しく圧力プレッシャーが完全に消えていた。

 「お互い瀕死のようね」


 ──死ヌワケニハイカヌ、守ラナケレバ、大切なナニカヲ──


 「……安心して、あなたの願いはきっと叶えられるから」


 ──アンシン、キサマがワレニアタエル、ダト、ナニヲ──


 「苦しませずに一撃で仕留めてあげます!」

 ヘカテは大きく息を吸うと剣を正眼に構えなおす。

 「私の合図と共に全力で走りなさい」

 「…………相打ちですか?」

 俺はその意思を汲み取るようにして素早く立ち上がる。

 ヘカテは一瞬目を見開いたがすぐにいつもの調子に戻った。

 「勘の鋭い子はあまり好きじゃないわ。子供は無邪気に楽しく遊んでいればいいのよ」

 「この世界では難しいです。奴隷ならなおさらです」

 セディスを抱き上げて皮肉交じりにのべる。

 「まあ君ならそう思うのも仕方ないわね。でもね、私はそう神様に願って今までがんばってきたのよ。何年も何十年も何百年もね」

 ヘカテは苦笑いする。

 「あの三馬鹿のせいで徐々に綻びが出始めている。古代の腐竜エンシェントロットドラゴンもあなたのお母さんも呪いによって肉体を蝕まれていたのよ」

 「ん、今なんていいました!?」

 驚きのあまりセディスを落としそうになった。

 「原因不明の奇病として悪魔の爪痕は知れ渡っているそうだけど、あれは疑いようのない呪いよ。気休めでも聖水が効くのが何よりの証拠よ」

 「それだけですと根拠が薄い気がします。一般の病気も聖水で治るものがありますので」

 「君も呪いによってとても大きな負荷を受けている。この世界は三馬鹿を中心にまわり、脅威となる存在はすべて呪いにかかる仕組みになっているのよ」

 「俺にも…………呪いが?」

 「ええ、とびっきりの呪いよ。普通なら生まれた瞬間に絶命してしまうほど強烈な呪いよ」

 会話を交わしながらもヘカテは一分の隙もみせない。腰を低く保ち、全身の魔力が湧きあがっていくのがみてとれる。

 「……最後に私の我儘を聞いてもらえないかな?」




 珍しくヘカテが弱気に聞いてくる。今までみせたたことのない表情だ。

 「この状況で断るなんて選択肢がありますか?。本当は勝利をその手に掴んでからゆっくりとお茶でもすすりながらがいいですね」

 冗談交じりに返答する。

 「君ならわかるでしょ?。私の時間なんてとっくにないから──」

 「魔力消費のわりに回復が異常に遅いから変だと思っていました。底を尽きかけているのが嫌でも目に入りますので。まるで使い捨ての電池のようです」

 「そうね、この世界にはないものだけど、君の中を覗いたらそんなものもあったわね。使い捨てか──たしかに私たちはそうかもしれないわね」

 「でんちってなに?。食べ物?。おいしいの?」

 リブが首をかしげてこちらに問いかける。

 「後で教えるよ。この場から生きて帰れたらだけど──」

 俺は陰鬱な雰囲気に飲まれまいと大仰に肩をすくめる。

 「それはヘカテお姉さんに任せなさい!」

 ヘカテは不意に俺の額に口づけをする。

 「本当は唇にしたかったけどリブちゃんの前だから遠慮しました。ふふっ、感謝しなさい」

 「な、なな、なにを、してくれるの、ですかっ!?」

 理解不能な行動に錯乱。思わず抱き上げていたセディスを落としてしまった。誠に申し訳ございません。

 「……は伝えました。願わくば君の幸せを一番に望みます」

 ヘカテはそういって俺たちから離れていく。

 「さらに奥に進めば私がいた村があります。隔絶された空間となっていますので二三日は身を隠せるでしょう。それ以上は君ががんばってなんとかしてくださいね」

 「いつまでも待ってますから、

 俺はそう告げる。地面に転がったセディスを片手で担ぎあげ、硬直したリブの手を握る。

 「……君も大概だね。最後ぐらい気持ち良く別れたいのだけれど。本当に捻くれてるんだから──」

 「自分と関わって不幸になって欲しくないだけです。この気持ちはあなたにもわかるはずです」

 「痛いほどわかるよ。だけどね!!」

 ヘカテは一度言葉を飲み込み駆け出す。常人の視界では捉えきれず、荒れた地面からちいさな破裂音がリズミカルに聞こえる。

 「私は君と出会えて良かったよ!」

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最底辺は生きづらい ~孤独に、孤高に、孤立する~ ひとりぽち @hitoripoti

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