いじめ行為におけるいじめっ子の心理状況について

脳幹 まこと

なぜ取り返しがつかなくなるまでいじめるのか。


 なぜ人はいじめをし、限界を超えて、いきつくところまでいってしまうのか。


 少し前、色々と考えたことがある。

 加害者の心の問題なのか、被害者にも要因があるのか。環境によるものなのか。


 どれもしっくりこなかった。

 動機に比べてやっていることが極端すぎるし、普段の顔との二面性が強すぎる。加えていじめが発覚すると皆揃って「ごめんなさい」だ。

 そうするくらいなら、最初からやらなければいいのだ。そういう常識が分からない人達でもなさそうに見えた。



 最近、その問いのヒントが垣間見えたような気がした。


 いじめのきっかけこそはストレスの発散や、個人に対する不快感なのかもしれないが、それがここまでエスカレートする理由は「言葉」にあるのではないか。


 言葉は何かを定義し、他と区別し、仲間と共有できる性質を持つ。また、実際には起こっていない状態も、比喩という形で表現出来てしまう。


 誰かに絡まれて「蚊のように・・・・・うるさい」と思ったことはないか。

 態度にカチンときて「クソ・・野郎」と苛立ったことはないか。

 頭の悪い反応をされると「サル・・」と呼びたくならないか。


 人は人に優しく出来る、と道徳では教えられる。

 だが道徳や一般常識が守ってくれるのは、人だけであって、仮に「人でなし」の称号が付いたのなら、その前提は瓦解するのではないか。


 要するに――

 いじめっ子は度を超えたいじめをするとき、標的を「人間」だと思っていないのではないか。人間以外の何かだと思って攻撃を加えてはいないか。

 この理屈なら、取り返しがつかなくなるのも自然のことだろう。人は野生の動物の「背景」なんてほとんど考えたりしない。仮に殺してしまったとしても、それで悲しむ人がいると思えないのだ。



 極論だと思われるだろうか。

 また、これは所詮は一部の「心の無い悪人」に対する説明で、一般人には関係のない話だと思われるだろうか。


 しかし、どうやらそうでもないようだ。

 リン・ティレルという哲学者が、少数派排除のメカニズムを以下の通り推察している。


 1.少数派に対し、自分達と区別するための呼称(ここでは便宜的にAとする)を与える。

 2.多数派内で侮蔑表現を浸透させる。具体的には世間的に周知された害虫・害獣などと結びつける。「Aはゴキブリ」「Aはネズミ」という図式を与える。

 3.「ゴキブリは駆除すべき」「ネズミは放置すると厄災を招く」と呼びかける。


 このステップを経て、「Aを抹殺しろ」という物騒な行動が、あたかも常識的で正しい行いであるかのように浸透されてゆく。

 一般人であろうと、良心があろうと関係ない。「近所で害獣が出没」と聞けば、排除してくれ、せめて目の届かないところに消えてくれ、と思うはずだ。

 言葉や思考は繰り返すたびに刷り込まれ、正当性が強化される。

 仲間内で認識が一致すれば、更に強固なものとなる。


 理由のない害意が増大し、果てには異常なほどの暴力や人格否定へと繋がっていく。




 条件が揃えば誰もがいじめっ子になり得る。 

 いじめられっ子の中にもいじめっ子の種がある。その逆もある。白と黒で分けること自体がいじめの免罪符になる。


 いじめやパワハラの事件で関係者が「○○さんは善人だと思っていた(のに、そうでなかった)」とコメントをされるのを見かける。その認識は半分正しく、もう半分は誤りである。

 世間、家族に見せていた姿は間違いなく善人だったのだろう。だがその人だって「人間の基準」があった。それを満たしていない人を処置したに過ぎない。


 かわいい犬や猫と、不快な蚊やゴキブリで反応が違うのと同じことだ。

 蚊に刺されたら、潰したくなるだろう。

 都合が悪いことに、人間はそれに快を覚えてしまう生き物なのだ。


「自分なら人と人以外の見分けくらいつくわ」と思われるだろうが、それは前提が違っている。

 見分けがつくつかないが問題なのではなく、見分けをつける必要がない・・・・・ことが問題なのだ。

 人を傷つけたり、殺しちゃいけないなんて、誰もが知ってる。だが人以外になると、急にあやふやになってくる。そして人は言葉や思考の力で人を人以外で例えることが出来る。出来てしまう。

 だから「え、人殺しなんて非道なことしておりませんよ?(場違いな虫を一匹除いただけです)」とズレた回答が飛び出してくるのだ。


 そして、言葉やイメージによる実際との乖離は、いじめられっ子側にも降りかかる。自分のことが徐々にブタやゴキブリに見えてくるだけでなく、いじめっ子が決して逆らえないし対話も出来ない、鬼や悪魔に見えてくる。


 私も学生時代、あるクラス内グループと一時期ギクシャクした経験があった。その頃は彼らが近づくだけで自然と身体が震えていた。

 そんな状態でロクなコミュニケーションが取れるわけもない。普通なら出来ることが、出来なくなってくる。その仕草はまさしく小さい獣なのだ。

 相手はその振る舞いに更に刺激される。お互いにどんどん人間から離れていく。こうしていじめが加速していく。


 いじめは幼稚で野蛮で低俗な行いとされるが、理性があろうと、実績を伴おうと、半ば無意識的な連想ゲームのもとに行われる以上、加害者からも被害者からも逃れることは出来ない。




 いじめの厄介さは、グループごとに「人でなし」の条件が異なっている点にある。

 あるグループなら認められていたことが、別のグループになった途端、認められなくなったりする。

 家庭内と会社内の違いなら納得も出来るだろう。家の中でのプライベートな振る舞いが、仕事中に許されるわけではないと分かるだろう。

 だが、進級して別のクラスになっただけで、部署移動しただけで、引っ越ししただけで、グループは変わる。


「人でなし」の条件ははっきりと提示されていない。

 見た目が垢抜けていない、流行に乗っていない、話がつまらない、ノリが悪い、滑舌が悪い、仕事(勉強)が遅い、周りに合わせられない、接し方がぎこちない、不適切な発言をした。

 それっぽいものを挙げようと思えば際限なく出せるが、そのどれが正解かは分からない。


 ともかく、様々な要素が影響して人は判定を下すのだろう。

 一度「人でなし」と許可したなら、いじめの理由付けはどうとでもなる。

 弱肉強食、適者生存、自然淘汰、自業自得、普通、常識、教育、しつけ。人は自分を取り繕う理由を幾らでも作り出せる。


 これらの判断基準は、グループ内における共通認識でしかない。

 だからグループから外に引っ張り出された途端、「目が覚めたように」過ちを認めるのである。


 いじめている方がよっぽど獣じゃん、という意見もあるだろう。

 だがその認識もまた、いじめの輪の外にある輪から見た結果でしかない。

 もっと言うと、その意見は新しいいじめの火種にもなる。「そいつは獣だ(だから何をしてもいい)」と見做みなしているのだから。


 こうして考えてみると、いじめは悪人の行動ではなく、人間関係における現象に近いのだ。


 努力でどうこうなる話ではない。相手は自分を人間だと思っていないから。少し頑張ったところで少々利口な動物だと思われる程度だ。

 だからといって逆襲――動物ショーで急に暴走しだすようなイメージだ――はオススメできない。視聴者としては・・・・・・・スカッとするだろうが、暴走した動物がその後どうなるかは容易に想像がつくだろう。


 だから、いじめにったなら、輪の外まで逃げるか、更に巨大な輪で覆う程度しか打つ手がない。



 いじめは動物の中でも行われる。

 言葉を使って対話さえすれば、そんな原始的な営みから逃れられると思っている。が、言葉は生憎そこまで慈悲深いものではない。


 言葉は残留する意思表示なのだ。一時の感情がずっと残る。過去の発言を掘り起こされて炎上した有名人は数えきれないほどいる。


 また、人は多くの輪の中に同時に含まれている。輪によって何が繊細センシティブな要素になるか分からない。

 例えば「障害者に優しく」という表現。五体満足の人にとっては思いやりに溢れた表現に聞こえるかもしれない。

 だが、「障害」という言葉そのものに、尊厳を踏みにじるニュアンスが含まれている以上、使いどころを誤れば、意図しないいじめが発生する。


 私達はいとも簡単に他人を傷つけることが出来る。



 これを読む人がどれほどいるかは分からない。


 ひとつだけ蛇足を付けるなら、いじめの問題を「社会の闇」といった都合の良い領域に丸投げするべきではないし、逆に「加害者・被害者・その周りだけの問題」と極小化すべきでもないと思っている。

 感情を持ち、言葉を扱う以上、誰もがいじめとの関わりを持つ可能性があると、各自が危機感を持つ他ない。


 もしあなたの接している人から、サルやブタといった「人間以外の何か」を感じはじめたのなら――既にいじめへの道を進んでいるかもしれない。

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