ワット・ヘブン
うらかた
天国病
人のひしめく駅のホームの先頭で私、橋渡 丈太(はしわたし じょうた)は誘われていた。
「僕は貴方に死んで欲しいんです。僕はいわゆる天使です。よろしく。」
そういう天使は手を出した。握手を求めているのだろう。
ゴー、ガタン、ガタン、ガタン。
直後、電車が通っていく。手を出していたら危うく体を持っていかれるところだったろう。
最近、命を狙われるようなやり取りが多い。まぁ、死に誘なったりせずとも私は容易に死んでしまうとは思うのだが、天使とやらは私が死なないと思っているらしい。
というのも私は線路に飛び込むために為に、駅に来たわけだからである。
私はあの時、直前に飛び込んだ者の死に様が大変醜かったから辞めた。
空っぽな家への帰路に就くべく駅から歩を進める。
『何故、家が空っぽなのかについて』だが、一昔前から、世間では天国病(てんごくびょう)なるものが流行っているそうだ。
人々は次々に自殺していき、ついには4800万人程度の者が自殺し、死にたかった7200万人の者だけが生き残った。
皮肉な話だ。死にたかった者はいつも我慢していたがために生き残り、普段そんなことも一度想像してさえいなかった連中は普段「そんなこと」と言っているようなことで死んだのだから。
まぁ、更に人は死んでいき人は6000万人程度になったが、人は案外しぶとく生き残った。それどころか、今でも人は問題なく発展し、その暮らしを保っている。
私の家族は恐らく天国病で死んだのだろう。私が出かけている間に、3人で練炭自殺をしていた。
普段、私に「そんなこと」と言っていたので、家族に対して失望こそしたが、泣きも嘲笑いもしなかった。
私にとって家族とはその程度の者なのだろう。
しかし、まぁ、天国病流行後の政府というやつは実に動きが早く、的確で、今では何不自由なく暮らし、成人し、広くなった家でぼんやりと暮らしている。
仕事に関しても適材適所でしっかり回っている。今では機械の終わった仕事の最終確認をする人付き合いの少ない仕事をしている。
次に、さっきのように何故天使と名乗る者が、話しかけてくるのか、それは...。
「ここからは僕がお話ししましょう。」
「なら頼むよ。もうすぐ家に着く。眠いんだ。」
ふぁぁ、と息を吐いて帰宅した。ん?話、誰かほかにいただろうか?
私はそう思って眠りについた。
「それでは僕から今後について話させていただきます。僕たち天使は人類を綺麗にすべく天国病、人に死にたいという気持ちを常に想起させる病気を流行らせたわけですが、人類の滅亡には至りません。様々な恨みつらみを抱え、神にその責任を押しつけるのでしょう。私たちはそれらに心を痛め、日々弱々しくなる神様などみたくはありません。」
「なので、僕たちで説得、だまし討ちを決行したわけですが、僕たちは純粋でそのようなことには向いていません。1割程度の削減しか、叶いませんでした。」
「そこで、俺たち悪魔の出番だ。俺たちほど、人を愛し、人の崩し方を知るものを少ないだろうよ。」
「そうですか、では、僕たちは帰りますね。ここは気分が悪くなりますし、神様のもとにすぐに戻りたいのです。」
「ああ、いってらー。」
「おはよう、起きろー。」
朝7時、私を起こす何者かへの違和感と共に起床した。
「初めまして、俺は悪魔。一緒に幸せになろうぜ。」
それは目玉焼きとベーコンを皿に乗せながらそう言った。
「は、初めまして?」
「おはようは?」
「おはようございます。」
「ありがとう、まぁ、敬語はいらないよ。」
私は流されるまま、リビングの今まで滅多に使わなかったテーブルに着いた。すると。
「飯だ。ぜひ食べてくれ。俺は頼まれてここに来たんだぜ。そして、君を幸せでまともな人間にしに来たわけだ。」
「どんな人間がまともだと?」
「笑いたいときに笑い、悲しいときに悲しみ、そして、弱い。俺の大好きな人間だ。」
「なるほど。というと、私はそうはなれそうにないな。」
「あながちそうでもない。きちんとした食事と運動、休息があれば、お前もきっとなれるさ。今までがそうでなかっただけでな。」
そう言って、私の皿にカットされた色とりどりの野菜とドレッシングを少量盛り付けていった。それらの野菜はみずみずしく、目玉焼きやベーコンの火入れも完璧である。
私は溜飲を下げ、今までにないほどに勢い良く食べていたことだろう。
「うまそうで良かった。」
悪魔はそう言って私の食事を見守ってくれた。
悪魔は私に運動をさせると言って、私を外に連れ出した。
外は手が痛くなるほどの冷気で満ち満ちていたが、不思議と苦ではなかった。
「君の体は本当に硬いね。なかなか骨が折れそうだな。」
悪魔は腕をぶらぶらさせながら言う。私は思わず笑ってしまう事を避けようと、口を紡ぐ。彼がそうしていれば居なくならないような気がして。
「笑いたいときに笑え、お父さんはそっちの方が好きだぞ。」
彼はいつの間にか、父親らしいマネをするようになった。
私はそれを嫌とは言えなかった。
「まぁ、これくらいでいいだろう。さぁ、ウォーキングだ。話せる程度の速さでな。」
「ああ、わかった。」
「お前はどうしてあまり泣かなくなったんだ?」
「突然聞くな。父に言われたからだろうか?」
「もっと詳しく。」
「私は小さい頃から変わり者だと、計画通りでないと取り乱すのだと、言われていた。そんなときに私は苦手な野菜、そう、ピーマンを肉と多めに食べ、満足していた。あとは、好きな肉を味を損なわず食べられると、そうしたら、父は野菜を盛り付けると言ったんです。『野菜なくなっているじゃないか。もっと食べなさい。』その私の意図を何にも想像していないような行動と言葉に悲しくなって泣きました。そしたら父は『男が泣くんじゃない、みっともないだろう』と言って殴るのでした。それ以来、私は泣いたことはありません。」
「それはつらかったなぁ。俺ならその父親、殴り飛ばすけどな。そうはいかないのだろう。力関係でも、家族としての立場としても。」
「はい...。」
私は汗だくな顔にかこつけて泣いた。悪魔にはお見通しであるように思えた。
「そしたら最後は休息だ。風呂に入って、ゆっくり寝るんだな。」
風呂でぼけーと湯船につかりながら思う。
悪魔はなんで、こんなに良くしてくれるのだろうと。
そして、私は思い出す。悪魔に何かを返せているかという不安と、何をしても悪魔の行為には届かないという無力感を、私は急いで風呂を出た。そこには変わらぬ彼がいると、彼がこの苦しさを解決してくれると期待して、そう期待してしまったのだ。
悪魔はいなかった。ただ、紙の切れ端に当たり前のようにこう書かれていた。
「君は俺がいなくてもどうにでもなれる。君の生きたいように自由に生きてくれ。じゃあな。」
私は何を思っただろうか。
再び、あの駅のホームに向かっている。
どうやら私たちは人は皆同じ目にあったらしい。
悪魔に騙され、正常に、当たり前に戻された。私たちはもうごまかせはしなかった。
皆、笑い泣きただ一目散に駅のホームを目指す。
日々は楽しく、悲しければ泣ける。
笑いながら私たちは前へ進める。
ここは、ひょっとして天国といえるほど、素晴らしいのかもしれない。
しかし、私たちにはそんな幸せはあまりにも重荷で、ましてやそれに費やされた人のことを考えれば、耐えられるはずはなかった。
私たちは躊躇なく黄色い線をまたぎ、その鉄の箱の前に飛び込む。
「「「ありがとう、さようなら。」」」 ゴッ...。
「天国は何か、だって?天国なんてどうでもいいじゃない。」
「あなたは天国に行けないんですから。」
ワット・ヘブン うらかた @urakata_kurasi
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