未定

たなか

未定


「やっちゃった」


 血まみれのナイフが入ったビニール袋をぷらぷらと指先でつまみ、男は口を開けて笑う。男の名前は鬼塚大河。友人である山本はじめをナイフで殺し、愉悦に満ちた表情で自首をしに来た。

 取り調べを受けた鬼塚は、こう語る。

「喧嘩とかじゃないよ。やってみたくて」

 確かに山本は、あまりにも実験的な方法で殺されていた。

 まず頸動脈を深く切って失血死させ、爪を1枚ずつ、全て剥がす。右目はくり抜き、左目をそこに入れてみる。胸部は切り裂かれ、心臓が露わになっていた。

 鬼塚は、その殺害の様子を全て記録していた。血液が吹き上がる高さや爪の剥がれ方、目のくり抜かれ方、右目と左目を入れ替えた際の形状的な不具合の有無、心臓の感触。彼の好奇心が暴走した結果起こった理不尽な殺人だと言える。

 山本の机の上には、何十枚、何百枚もの原稿用紙が散らばっていた。彼の母親は語る。

「一は本を読むのが好きな子で……でもまさか、文芸誌の新人賞に応募してたなんて」

 原稿用紙に書かれた文字は、物語が進むにつれて汚く、濃くなっていく。机の上にあった原稿用紙はその形状を保っていたが、床の上には丸められた物が多く転がっていた。

 鬼塚に下された判決は死刑。当たり前だと誰もが言った。殺害したのはひとりだったが、自己中心的な動機、猟奇的な殺害方法がその理由である。

 5年後、鬼塚の死刑が執行された。彼は逮捕されてからすっかり大人しく、その残虐性も鳴りを潜めていた。「死刑囚でなければ仮出所ができただろう」と言う人もいるほどだった。

 執行前、教誨師が口を開く。

「なにか言い残すことは?」

 ゆっくりと目を伏せた鬼塚は不意に目を上げ、微笑んだ。その笑顔に晴れ晴れとした雰囲気はなく、目の奥には不思議な光と闇が潜んでいた。

 小さく口を開く。鬼塚の声は、静かな教誨室に吸い込まれ、すぐに消えた。




「人間は、本当に残酷なものが好きですね」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 後悔はない。そればかり考えていた。まるで自分を説得するかのように。


 ある日、一は言った。

「新人賞、また駄目だったよ」

 肩を落とし下手くそに笑う幼なじみを見て、俺はなるべくいつも通りに笑ってやる。

「くよくよすんなって」

 一は愛想笑いを浮かべ目を擦った。中指のペンだこは、大学受験の時よりも大きくなっている。

 目の下のクマ、剃り残しばかりの髭、寝癖がついたままの髪。普段は会社員としてきっちり働いているはずなのに、こんななりで良いのだろうか。

 夕飯時の混み始めたラーメン屋の中、スマホの画面を見た一が呟く。

「死刑囚が、本を発行……」

「何、気になんの?」

 少し慌てたような様子で画面を伏せ、「いやいや」と笑った。それが嘘なのは馬鹿でも分かる。

 それから適当な雑談で時間を紡ぎ、7時半頃に店を出た。外は雨が降っている。ボツボツと傘が音を鳴らす。

 何故か店に傘を置き去りにして一は歩き出した。

「傘忘れてんぞ」

 聞こえていないのか、一はふらふらと歩き続ける。

 仕方なく一の傘を持った俺は、追いかけて手首を掴んだ。

「おい、風邪ひくぞ」

 振り向いた一の顔に、作り笑顔は浮かんでいなかった。光のない一重の両目が、ぼんやりと俺を見る。

 口を開けて何か言った。雨のせいで上手く聞き取れず、一に近付く。

 次ははっきりと聞こえた。




「大河、俺の事殺してくれねぇかな。なるべく残酷に」




 3年後、一の小説は映画化された。

 あいつの予想通り、残虐性が人々の関心を引いた結果だった。

 題名は「未定」。本編は完結させたのに、どうしてもそこが思い浮かばず応募できなかった作品だと言う。


「……あぁ、馬鹿だなぁ」

 俺は目隠しの裏で笑った。今度はきっと、上手く笑えているだろう。

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未定 たなか @craz-06N

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