おまけ

第20話

 昔々、何も無かった筈の空間に、一つの意識が生まれた。何故生まれたのかはその意識にも解らない。兎に角、芽生えたばかりの意識は、途方に暮れていた。常にもやもやととても嫌な感覚があり、どうしてもそれが治まらない。どうしたらいいのか考え続け、突然気付いた。己に判らないなら、他の意識に聞けばいいのではないか。だが、その相手が居ない。そこで、その意識は己の一部を削り、他の意識達を創り出すことにした。


 新たに生まれた意識達が最初の意識と一緒に考えてくれると、いつの間にかあの不可思議な感覚が薄らいでいることに、最初の意識は気付いた。

 ならばもっと意識を増やせば、もっともやもやが無くなるのではないか。そう考えた最初の意識は、新たな意識達と相談し、沢山の意識を創ることにした。


 無限ともいえる空間に意識達は命の種を遍く蒔いた。永い年月の果て、空間のあちこちで、ぽつぽつと命の種が芽吹き始めた。


 命の種達には、必ず他の命が必要になるよう設計してあった。最初の意識が他の意識を求めた様に、命達が、あのもやもやとした嫌な気持ち――寂しさを感じない様に。そう願いながら意識は命の種を蒔いたのだ。

 小さい種は大きい種の糧となり、大きい種もやがては小さい種の糧となる。循環しながら、時に支え合いながら命を繋げていけるように、意識は欲望という名の希望をほんの少しだけ世界に振りまいた。


 いつしか「大神様」と呼ばれるようになった最初の意識は、時には我が身を削りながら、他の意識達と共に世界を見守り続けた。


 永い時を働き続けた大神様は、或る時ふと、己の力が随分と弱くなっていることに気付いた。そこで、己から生まれた意識達、大神様の一族に後を託し、少し眠ることにした。次に目が覚めた時には、きっと沢山の意識が溢れているだろう、と、わくわくしながら。


 大神様の一族は、何時か目覚める大神様の為に世界を慈しみ続けた。だが、順調に命が増えて行くにつれ、困ったことが起きるようになった。管理する手が足りなくなってきたのだ。そこで、かつて世界に振りまかれた大神様の力の欠片に手伝ってもらう事にした。


 大神様の力が濃く溜まった場所には、丁度、意識と命の中間のような、新たな意識が生まれていた。精霊と名付けられた彼等は、生まれた場所によって力の違いが顕著で、火から生まれたものは熱を操ることに長け、土から生まれたものは大地を操るといった具合に、それぞれに特技があった。その彼等に大神様一族は、自分達を手伝って欲しいとお願いした。

 精霊はその性質も様々で、悪戯なもの、穏やかなもの、怠惰なもの、他者を愛するもの、全てを欲するもの――神に向かない性質のものや、精霊として生きることを望むものも居た。そういったものに、大神様一族は決して神になることを強要しなかった。大神様達にとって、精霊達も愛すべき命の一つだったからだ。

 神になることを決めた精霊には、一族の力を分け与えた。新たに神となった精霊は、より大きな力を揮うことが出来るようになる。時に危険なその力を制御する為に、彼等は契約という制度を設けることにした。


 許可なく神の能力を使わない事。


 全ての命を平等に扱う事。


 大神様一族と契約を交わした精霊達は、新たな神の一員として大地を護ることになった。

 次第に神界は組織として形が出来上がってゆき、現在に至っている


  *


 神界にある湖畔の柔らかな草の上に、美しい女神が座っている。穏やかな風に長い金髪が揺れ、緑色の瞳では水面に反射する光が煌めく。

 その隣には、大きな黒犬が一匹、金色の瞳を半分閉じ、気持ちよさそうに寝転んでいる。平和そのものの光景。

 女神は先程まで音読していた本を閉じ膝に置くと、黒犬に話しかけた。


「ちゃんと話を聞いているの、フウガ?」

「聞いてるぞ」


 フウガと呼ばれた黒犬は、耳をぴくりと動かし、顔を上げた。

 成り行きでマイアと契約を交わし、神候補となったばかりのフウガに、女神は神界が出来上がるまでを語って聞かせていたのだが、フウガはそれを子守歌代わりに微睡んでいる様にしか見えなかった。


〈大丈夫です、マイア様。俺がきちんと聞いてますから〉


 黒犬の胸の辺りから、はきはきとした少年の声が女神に答えた。


 少年の名はクウガ。もとは普通の人間だったが、黒犬のフウガと魂が混ざり合い、ひとつの身体を共有している。彼等は今、一人と一匹で一柱の神候補として神界で修行中の身だ。 


「クウガ、余りフウガを甘やかしてはいけないわ」

「俺だって、ちゃんと勉強してるぞ。マイアこそ、クウガにばかり甘いんじゃないか? ニンゲン、嫌いなんだろう?」

「確かに人間は嫌いでした。どこまでも欲深くて、果てしなくずうずうしい者ばかりだと今でも思っているわ。でも貴方達のお陰で、そういった者ばかりではないと学べましたから……それより、フウガが座学をクウガ任せにしてるのは本当の事よね?」


 マイアはあっさり受け流し、フウガも小さく「まあな」と肯定した。


〈でもマイア様、本当にフウガも頑張っているんですよ。フウガのお蔭で、俺達、自力で入れ代われるようになったんですから……ほら〉


 クウガの声が聞こえたと思うと黒犬の姿が揺らぎ、代わりに十二、三歳位の、浅黒い肌をした精悍そうな顔立ちの少年がマイアの目の前に現れた。

 日頃、年齢の割に利発で落ち着いているクウガは、余程親友を自慢したいのか、珍しく青い瞳を輝かせながら得意そうに胸を張った。


「俺は全然感覚が解らないんですけど、フウガが言うには、しっぽの辺りに力を籠めると変身出来るらしいです。旅をしてた時の姿もとれます。それに、とうとう『待て』を覚えました!」

〈生きてた時は『待て』なんて必要なかったからな〉


 少年の胸元辺りから聞こえるフウガの声に、マイアは溜息を吐いた。


 フウガとクウガに神格を与えたことに、マイアは少なからず責任を感じていた。本来なら死者の国へと旅立つ筈だった一匹と一人を、神候補にしてしまった原因は自分にある。いや、自分にもある。いやいや、もっと正確に言えば、自分も巻き込まれたも同然ではあるのだが。


 フウガもクウガも、現状をまるで気にしている素振りを見せないが、それがまた、マイアを悩ませている。

 神界にやって来たばかりの一匹と一人に神界の様々を教える為、自身の勉強や仕事の合間を縫って彼等を訪れているのだが、どこまで彼等が真剣なのか計り兼ねていた。


「貴方達、もうすぐ最初の試験があるのでしょう? 基礎中の基礎を見る為の簡単な試験とはいえ、ちゃんと勉強しないといけないわ。先程の本の内容は、最初の試験に必ず出るのよ……フウガ、しっかりと頭に入れておいてね」

〈何で俺を名指し?〉

「……逆に、何で名指しされたのか分からないのかが、解らないわ。言っておくけど、試験は受かるまで何度でも続くわよ」

〈じゃあ、何度落ちても平気だな〉


 能天気なフウガの声に、マイアはにっこりと、


「落ちない様に勉強しろと言っているのよ? 優しく言っている内に勉強しなさいね……確かに、何度でも試験は受けられるわ。前例は無いけれど、余りに酷い成績を取り続ければ、神候補から外されることになるかもしれないでしょ。試験は段々と難しくなっていくし、今の内からきちんと知識を身に着けておかないと大変よ」


 真剣な面持ちで話に耳を傾けていたクウガが訊ねた。


「もし、試験に落ち続けて神候補から外されたら、どうなるんですか?」

「以前話した通り契約は解除となり、神格を消されて、本来の行き先だった死者の国に行くことになるでしょう。癒着した魂も剥がして、一人と一匹としてね」

〈それだけか?〉

「ええ。神界で過ごした記憶は消されてしまうかもしれないけれど。いいこと? 便宜上試験と呼んでいるけれど、本来は神候補から一神前の神になる契約を少しづつ強化していくという事なの。落ち続ければ、貴方達は何時まで経っても死者でも神でもない、力を持つことも許されない半端な存在のままよ」


 マイアはそれ以上口に出さなかったが、もし彼等がマイアと交わした契約を解除することになれば、咎めは彼等ではなくマイアに向かう事になる。例え、彼等が落第し続けたことが理由だとしてもだ。

 もっとも、彼等が死者の国に行くことを望むのなら、そうなっても構わないとマイアは思っている。自分を慕ってくれる彼等の足枷になりたくはなかった。

 だが、クウガはマイアの表情で悟ったのだろう。


「フウガ、俺達は良くてもマイア様に迷惑をかける訳にはいかないだろ? 俺達が神様になれなかったら、マイア様の立場が悪くなるよ。酷い罰があるのかもしれない」

〈えっ、例えば?〉

「神籍剥奪のうえ何千年も禁固とか、永久に休暇無しとか、消滅するまでただ働きとか」

「そこまで酷いことにはならないわよ!」


 だが、クウガの脅しが効いたのか、フウガは神妙な声で宣言した。


〈そうか。ならマイアの為に、勉強しよう。それに、今更クウガと離れるのは嫌だからな〉

「うん。俺もだよ、フウガ」


 マイアの胸中は複雑だった。

 この子達はいつも、互いの為に頑張る。分かち難い存在だと思っている一匹と一人をこのまま一緒に居させてあげるには、彼等が一神前の神と認められるしかない。してみると、偶然とはいえ彼等に神格を与えた事は、運命だったのかもしれない。

 ならば、自分に出来ることは一つ。彼等が一神前の神と認められるまで、しっかりと監督しなければ。


 マイアは決意を新たに、


「さあ、勉強に戻りましょう。クウガ、何か質問はある?」

「神様には、精霊からなるものなんですか?」

「そうとは限らないわよ。余り多くは無いけれど、生き物から神になった方達もいるわ。実際、貴方達だって私と契約を交わせたでしょう? ただ貴方達の様に、まったく種族の違う二つの魂が同居している例は、私も聞いたことが無いけれど……」

〈この間、鷲の頭したカミサマを見かけけぞ。身体はニンゲンだった〉

「伝令係のアドラ様ね。あの方に限らず、人間型を好む方は結構いらっしゃるわ」

〈なぜ?〉

「単純に便利だからよ。読み書きするのだって、器用に動かせる手があれば楽でしょう」

〈そうか。今度は鳥の姿の時に会いたい。美味そうだろうな〉

「アドラ様の前でそれを言ったら、神罰下すわよ」

「俺が責任もってフウガを止めます」


 マイアは、本日何度目かの溜息を吐いた。


「……くれぐれもフウガをお願いね、クウガ。他に質問はある? 無いなら、フウガ、今度は貴方の番よ。本当に私の話をちゃんと聞いていたか、証明してもらうわよ」

〈ああ、任せておけ〉

「最初の契約は、幾つあったでしょう?」

〈二つ。勝手に力を揮わないことと、依怙贔屓はしないこと〉

「正解よ。良かったわ、本当に聞いていたのね。では、二人に聞くわ。大神様のお話の中で、重要だと思ったのは何処?」

「大神様は、全てを慈しんでくれているということです。だから、神様は依怙贔屓してはいけないんだということが解りました」


 マイアは、微笑み頷いた。


「クウガは、良い神になるでしょう。次はフウガの番よ」

〈重要な事か。……多分、『休暇大事』、これだな。大神様だって、やっぱり、働いたらちゃんと休まないと〉


 黙りこくってしまったマイアに代わり、クウガが重々しく頷いた。


「正解」

〈だろ? 狩りだって同じだぞ〉

「流石だね、フウガ。偉いぞ」

〈照れるなあ〉


 クウガが得意気なフウガを褒める。

 まざまざと脳裏に浮かぶ、はち切れそうに尾を振っているだろうフウガの幻影に、マイアは頭を抱えた。


 これが依怙贔屓でなくて、何だと言うのだろう。ああ、大神様。どうか彼等と、それ以上に、私の心の安定をお守り下さい。早くも挫けそうです。


 一匹と一人が一神前になる道程は、まだまだ遠そうだった。

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砂は水の夢を見る 遠部右喬 @SnowChildA

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