第19話

 マイアは徐々に透けていく青年の手を取った。


「貴方達と過ごした時間のお陰で、私は少し変わることが出来ました。もう以前ほど人間を疎ましく思う事はないでしょう。フウガ、クウガ、貴方達の事は決して忘れません。ありがとうございます」


 青年の姿が、再び黒犬と少年の姿に分かたれ始めた。姿が消えきってしまう直前、青年はマイアの手を引き彼女を抱き寄せ、


「俺達を見付けてくれてありがとう、マイア。俺、カミサマってよく解らないけど、マイアは尊敬する。もう二度と会えなくても、この恩は絶対に忘れないからな」


 フウガは屈み込み、マイアの唇に己の唇でそっと触れた。


「〈あっ〉」


 チョウキとクウガの声が被った。


〈そそそ、そういうのは、相手の許可をとらないでしたら駄目なんだぞ! 神様ごめんなさい!〉


 大慌ての少年の声とは対照的に、青年はきょとんと、


「え? 何か不味いのか? 尊敬する相手にする挨拶なんだけど……クウガにもしたことある……んん? なんか、身体が……」


 消えかけていた筈の青年の輪郭が淡い光に包まれた。マイアはそれを……真っ青な顔で見つめていた。


〈あれ? なんか神様の反応、俺の思ってたのと違うような……女のひとって、そういうものなの?〉

「何がどうなってるんだ? それに、さっきよりも、もっとクウガとくっついてる気がするぞ」

〈あ、本当だ! 全然離れられない〉


 チョウキが大げさに溜息を吐いた。


「あーあ。君達、やっちゃったねぇ」


 その言葉の間にも少年と黒犬の姿は薄れ、やがて完全に姿を消すと、そこにはマイアの見慣れた金色の瞳の青年が立っていた。


「あのね、君達は『神の祝福』を受けたんだよ」

「カミノシュクフク?」

〈どういうことですか?〉


 青年の胸元から、クウガの声が聞こえる。


「つまりね、ワンコ君と少年は、二魂一組で神様候補としてマイアちゃんと契約したってこと。一定以上の神格の神はね、他者を神にする許可を与えられるんだ。主に、口付けすることでね。さっき俺がマイアちゃんにやって見せたでしょ、あれと似たようなものだよ」

「口、あるのか! どこだ? なあ、どこが口なんだ?」

〈フウガ、驚くところはそこじゃない。あの、俺達、これからどうなるんですか?〉


 チョウキが唸った。


「神の祝福を授ける為には、俺みたいに特殊免許を持ってないと駄目なんだ。君等がこのまま『死者の国』に逝くなら、マイアちゃんとの契約は解除することになる。本当なら契約反故にはそれなりの罰則があるけど、今回の件は、ワンコ君なりに最大の礼を尽くしたって事みたいだし、君等は神界の偉いおじさんにねちねちと礼儀を叩き込まれる程度で済むだろう。問題はマイアちゃんだ。特殊免許無しで、神格を与えちゃったからねえ」

「でも、マイアは何もしてないぞ!」

〈そうですよ!〉

「甘いよ、君達」


 これまでとまったく違う、チョウキの冷たく低い声。


「力の行使はそれだけ責任が伴うのさ。免許ってのは、一時の感情を優先しないという証なんだ。マイアちゃんは君達に心を許し過ぎた。油断してたと判断されて然りだね。当然、さっき取ったばかりの免許は剥奪、その後は、良くて見習いからのやり直し、悪くて百年程度の禁固刑……」


 マイアは青い顔のまま頷いた。


「神界に戻り、速やかに裁きを受けます。後のことは、チョウキ様にお任せいたします……お手数を掛けますが、フウガとクウガを宜しくお願い致します」

「何とかならないのか!」

〈それなら、俺達を罰して下さい!〉

「まあまあ、マイアちゃんも君達も落ち着いて」


 チョウキはいつもの能天気な調子で、


「もう一つ道が無くはない。マイアちゃんが、特殊免許の申請をするんだよ。俺の指導の下、免許取得に必要な実技を先に済ませたことにするんだ。勿論、俺は本当の事を告げ口するようなことはしない」


 だって、面倒だからね……と、ちかちかと瞬く。


「後はマイアちゃんが多少の説教と数年の座学を受けるだけで、今回の件が優秀な見習いが増えただけの話となる。これなら誰も困らない」

〈つまり、俺達が神様候補として働けばいいんですね?〉

「話が早くて助かるよ。ただ、そうなると、君達の魂の癒着を剥がすのは当分無理かもしれない。その状態で安定しちゃったから、迂闊に剥がすと、お互い消滅しちゃうかも」

「え? 全然このままでいいぞ」

〈俺も平気です。今までだってずっと一緒だった訳だし〉

「よし、言質は取った……ん? 何でもない、独り言だよ」


 マイアが大慌てでフウガの袖に掴みかかり、ゆさゆさと揺さぶる。


「貴方達、私の事はいいから、もうちょっとよく考えなさい!」

「機転の利く少年とワンコ君の鋭敏な感覚を併せ持つ神か。活躍が期待出来るねえ。さて俺は、マイアちゃんの特殊免許申請と報告に戻らないと。そんじゃ、またねー」

「チョウキ様、お待ちくだ……ああ、もう居ないし!」


 光の珠はとっくに空の向こうに消えていた。

 呆然と動きを止めたマイアに腕を掴まれたまま、二魂一身のなりたて神様見習い達は、楽しそうに相談を始めた。


〈なあ、フウガ、これからは神様を呼び捨てにしたら駄目だぞ〉

「なんでだ?」

〈俺達の先輩になるんだから〉

「成程。センパイって言うのは、群れのかしらみたいなもんか? じゃあ、何て呼ぶか」

〈うーん、マイア様? マイア先輩? それとも、マイアお姉ちゃん?〉

「迷うな」

〈神様、どれがいいですか?〉

「貴方達、話を聞きなさ……」

「これからよろしくな、センパイ」

〈よろしくお願いします。俺、頑張ります〉


 マイアはがくりと膝を折った。


「どうしてこうなるの……」


 その呟きは、空しく砂嵐にかき消された。

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