上手くいかなくたっていい

 部室に行くと先輩が不機嫌そうにしていた。分かりやすく頬を膨らませて、俺から視線を外す。こんなに自己主張の激しい「私は機嫌が悪いです」を初めてこの目で見た。どうやらフィクションの中だけの概念ではなかったらしい。

 さて、どうして常にご機嫌でご機嫌大使と書かれたタスキを肩にかけていそうな先輩がご機嫌を45°ぐらいにしているのかと言えば、先輩唯一の後輩であるところの俺と喧嘩をしたからである。思い返してみれば、原因も覚えていないぐらいのささやかな喧嘩ではあったのだが。一つ、問題があった。

 先輩の見目は贔屓目に見なくとも麗しい。黙っているとちょっと声を掛けにくい高嶺の花タイプなのである。口を開けば、ぺらぺらと喋る陽気な人間であることを知っている俺ですら、先輩が無言で空を眺めていると気後れしてしまうのだ。あと、実は少しだけ人見知りなところもあるので、知らない人間に自分から話しかけることも少ない。今はこういう役を演じます、と己に言い聞かせればひどく社交的な人間にもなれるのだけれども、わざわざ日常生活でそれを持続させるのも面倒くさいらしい。

 そういう訳で先輩には友達がほとんどいなかった。数少ない友人とやらも年上の人間が多く、同年代の親しい人間はほぼゼロ。それがどういう事態を引き寄せるかというと――喧嘩に慣れていない人間が出来上がってしまうのだ。

 僕は謝りませんという態度の先輩は、それでも仲直りをしたいのかチラチラと俺の様子を伺ってくる。あまりの不器用さに幼稚園児かなと思い始めてきた。俺がここで譲歩して、先輩と仲直りをしても良いのだが、それだと先輩の情緒の成長につながらない気がする。などと、先輩に知られたら怒られそうなことを俺が考えていると、先輩がじわりじわりと近付いてきた。

 相変わらず無言の先輩は口をはくはくとして、言葉を搾り出そうとしている。先輩の謝罪の言葉が、どれだけ下手だとしてもまずは仲直りをしてあげようかなと思いながら、見守った。俺を練習相手にして、この妙なところで不器用で世間知らずの先輩が、少しでも楽しく生きてくれたら良い。

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