業報

路地表

業報

「あの山を越えたら、どんな景色が待ってるんだろうね。大きな海や燃え続ける火山、ひたすらに寒い氷河や──まあ、僕たちには関係のないことだけれど…」

「…うん」

「僕は、必ずあの山を越える。ここで生きるくらいなら、死ぬほうがマシだ」


マコトは、心の中で決意するように、誰にも聞こえないように、そう唇を動かした。



 山をひたすら削る父親たち。何やら希少な金属を掘っているようだが、その正体も成果も、僕たちは何一つ知らない。家に帰ると母親はいつも家におり、文句一つ言わずに家事に人生を捧げていた。

 険しい山脈に囲まれた僕たちの棲家すみか。夏は肌を溶かす程に暑く、冬は体の芯まで凍えさせる。


業報ごうほうからは、何者も逃れられない」


 父親はいつもそんなことを言いながら、酒を浴びるように飲んでいた。


 盆地に生まれた僕たちには何も関係のない話だった。けれども、マコトの話は、僕の中の何かを弾けさせた。聞こえないふりをしたけれど、彼の本音は、僕の芯を突き通した。


 何のために生まれて、何のために生きるのか。

 何を見て、何を感じるのか。

 何を知って、何を学ぶのか。

 何故死にゆき、何を遺すのか。


 15歳の僕には、全てが謎だった。

 苦悩故に、解決したかった。

 好奇心は、金脈だ。そこに全てが眠っている。眠るものは、起こしたくなる。


 そうだ、刺激が足りないのだ。


「マコト」

「どうしたの?」

「今夜、山を越えよう。…君も、望んでいただろう?」

「……」

「僕ら2人で、出来ないことなんて何もないよ。あの日、聞こえないふりをしたけれど、君の本音は聞こえていたよ」

「…聞こえていたんだね」

「うん、こう言ってはなんだけど…。僕は君のせいで、外を見たくなってしまったんだ」

「ふふ。僕のせいにするのかい?」

「そうさ。君のせいだ」


 僕たちは、獅子すら眠る夜に旅に出た。

 台所にあった母親の包丁と少しのパンを持って、待ち合わせの公園へ向かった。

 マコトは、やっぱりすごい。母親のへそくりを丸ごと持ち出していた。


「これだけのお金があれば…僕ら、何でもできるじゃないか!」

「いや、お金はただの手段さ。目的じゃない」


 そう言って、数十枚はある札束を僕に見せた。マコトのそういうところが、僕は本当に好きだ。


 昼間は常に誰かに見張られている気がする。ナツおばちゃんもヒデキおじちゃんも、みんな敵だったに違いない。

 街灯一つない町。僕たちは闇に溶け込んでしまう。悪い方へ向かう僕らにとって、暗闇は都合が良かった。


「こっちから行くと、民家は一つもないんだ」

「何でそんなことを知ってるの?」

「そりゃ、そうだろう。思い出さ」


 マコトは、いつも僕の前を走る。兄のように頼りになる親友だ。マコトについて行けば、全てがうまく行くに違いない。僕ら2人なら、何でもできる。

 何故か、ふと不安がよぎった。

 明日は、父親の仕事は休みだ。きっと昼まで寝ているはずだ。母親だって、昨日から祖母の家に泊まっている。念には念を押して、ベッドは自らの形を模して寝てるように見せかけている。

 杞憂きゆうに違いない。頭を振って夜の底へ駆け降りた。


 山のふもとまで来た。大きく黒い山が僕らを迎える。

 長い長い林を掻き分け、僕たちはひたすらに走った。時々、枝や葉っぱで肌が切れる。そんなものは、何も気にならなかった。

 僕らはもう少しで、自由になるのだから。


 とうとう、山の頂上まで来た。僕たちは遂に勝利したのだ。

 頂上からのぞむ風景は、奥の奥まで暗闇だ。暗すぎて何も見えなかったが、それこそが、僕らの未来はまだ描かれていないように思わせてくれた。

 上を見上げると、満月だった。月を囲むように星々が煌めく。


「綺麗だねえ…マコト」

「本当だね。昔を思い出すね」

「どの思い出のこと?」

「…お母さんが死ぬ前、僕の家で誕生日会をしたろう?」

「ああ、したね」

「突然部屋の電気が消されて、驚いて僕ら抱き合った。二人で震えていたら、真っ暗な台所の奥から、お母さんが誕生日ケーキを運んできたこと、覚えてる?」

「もちろん、忘れはしないよ」

「良かった。…そのケーキを彩る、蝋燭の光みたいだなって、思ったんだ。幸福の象徴だね」


 光は希望だ。闇を蹴散らし、僕らを明日へ向かわせてくれる。あの頃の胸の高鳴りを、今感じている。

 僕らだけを照らす満月は、祝福の光に違いなかった。遂に、呪いから逃れたのだ。



 そう思った直後、向こう側から強い光が直撃した。途端にサイレンが鳴り響く。あまりに突然のことだった。足はすくみ、腰は砕けそうだった。光線を手で遮り、向こうを見通す。そこにあったのは、自然から突然生えてきたような、巨大なコンクリートの壁だった。盆地を監視するように、ぐるりと円周上にそびえ立っていた。その壁の高さは、山の2倍はあった。田舎にはおよそ似つかないその無機質さに恐れおののく。

 光に呑まれながら茫然ぼうぜんとしていると、町では見たことのない重厚な装備をした大人たちが、僕らを取り囲んだ。ただの子どもに過ぎなかったことを、改めて知らされた。


「…馬鹿なことをしたな」


 聞き慣れた声が耳を刺激する。

 音のありかを探す。

 そこには、僕の父親がいた。


「ああ、良かった。昔、この道を教えておいて良かった」




 業報は前世の行いのみで決まる。

 人々をどれだけ欺き、騙し、出し抜こうとも、意味がないのだ。

 太陽と月だって、奴らの味方だ。

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業報 路地表 @mikan_5664

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