第6話 再誕

「聞こえるか、悪魔よ」


 聞こえて来たのは、覚えの無い男の声。仲間である兵士の無線に、男は応答を願っている様子である。だが、その文言は、ここにサムが居ると確信している風だった。


 サムはゆっくりと無線を拾った。僧に逃げるよう目配せをし、避難の邪魔にならないよう、少し距離を取る。

 サムは、先ほど話した男の兵士の声を真似ようかと一瞬、考えた。しかし、無線の先にいる男は、悪魔の声を待っている。

 明らかな挑発に、罠の可能性もあるが、それにサムは受けて立つことにした。


「……お前が頭か」


 サムは努めて冷静にそう返した。無線を握る左手は震えないが、サムの周囲を警戒するその視線からは、強い怒りを感じる。


「ハッ、ハッハハハハ!!!」


 サムの応答の何が面白かったのか、男は音が割れるほどの大笑いを無線に返してきた。興奮しているように笑う男に、サムは苛立ちを隠しきれない。


「何が可笑しい?」


「……いや失敬。夢見ごとのようなあの噂が、本当だったことが面白くてね」


 愉快そうな男の声色。無線のザーという音と共に一旦は、その会話が終わる。すぐに無線を入れようとするサムだったが、今もこうして愉快そうに笑っているであろう顔も知らない男を思い浮かべると、冷静ではいられない。

 しかし、聞かないわけにもいかない。冷静になり切れない感情の乗ったサムの声が無線に流れる。


「お前は何者だ?」


「……それはこちらの台詞だが、まあいいだろう。私はダビッド・ウラソフ。わが誇り高き連邦共和国のいち指揮官だ。……覚えているか? お前が沈めた我が国の船のことを」


 ウラソフのその話に、サムはあの船の残骸のことを思い出した。兵士を殺し、敵の重要なものを奪って姿をくらませた過去。

 この一連の事態にサムは合点がいった。恐らく、敵は奪われた物を取り返しに来たのだろうとサムは考える。


「目的は復讐か?」


「いや、違うな。奪われたものを返しに貰いに来たのだ。確かに、この船は数百人の兵士の命をもってしても釣り合わない貴重な物だった……。しかし、それよりもだ。我々にとっては積み荷の方が重要だったんだよ。覚えはあるだろう? お前はあの夜、を狙いに来たんだから」


「……彼らはもう居ないぞ」


 どこまでも人の神経を逆撫でする男だと、サムは憤った。サムが青筋を立てながら入れた無線に、沈黙が残る。しばらく考えていたのだろうか、ウラソフは数秒の間を空けて返答した。


「それは残念だ。らはお前らの国を揺さぶるための切り札でもあったのに」


「おい、口に気を付けろ」


「……?? ……意外だな。悪魔らしくない」


 明らかな不快感を露にするサムの声に、ウラソフは意外な印象を持った。兵士たちのバイタル停止の信号は既に確認されており、それはすなわち無線の相手である悪魔が手をかけた証拠でもある。まさか命を慮るような相手ではないとウラソフは考えていた。

 しばらくして、ウラソフは悪魔の正体に気が付く。


「なるほど。やけに若い声だと思ったが……まさか某国の切り札であるあの悪魔が、まだ青いガキだとはな! なんと情けないことか……」


 そう語るウラソフの声に、嘆きの念などは一切なかった。

 青いガキだと罵られたサムは、眉間に皺を寄せた。自身の言動が幼稚だと罵倒されたからじゃない。ウラソフという敵が、人を物として扱うことに何の抵抗もないような心無い人間であると分かり、尚のこと許容することが出来なくなったからである。


「しかし、それなら興味が湧いて来た。生物兵器がまだ生きている可能性も考えていたが……目標物を、お前に変えよう。きっと、わが国に多大な貢献をもたらすだろうからな」


 どんな風の吹き回しか、ウラソフは堂々とそう言った。その言葉はしっかりと無線に流れ、もちろんサムの耳にも入っている。

 わざわざ、そんなことを宣言するウラソフにサムは、何のつもりだ、と疑念を浮かべる。すると無線の奥からウラソフではない別の声が聞こえてくる。苦しそうに息切れをするその声に、今度は聞き覚えがあった。


「なにか、シャべろ」


「っサム!!!」


「聞こえますか! サムさん……!」


 拙い異国の言葉を発したウラソフの声。それを合図に無線から聞こえた女子と男の必死な呼び声。品質が悪い無線のノイズまみれの音声だったが、サムはその声の主が一瞬で分かった。

 聞き間違える事のない、かけがえのない家族で人生の恩人でもある、紫織と昭成の声だった。


「おまえェ……!!」


 サムは冷静なんかではいられなかった。機械である左手に力が籠り、危うく無線機を壊しそうになる。大事な人が捕まっているという事実を前に、体の制御に気を配れるほどの余裕などサムにはない。代わりに、これ以上、左手に力が入らないようサムは思いきり歯噛みをした。


「その様子だと、ちゃんと聞こえたみたいだな? 実を言うと、彼らのおかげでお前を見つけることが出来たんだ。数年前に行方不明になった筈の船から、信号が送られて来てね。流石、わが国の科学力というべきか……こんな残骸になっても連絡系統は生きのびていたらしい。何の為にこんな機械を弄っていたかは知らないが……感謝の念が絶えないねぇ、悪魔クン」


 サムのことを煽るように、ウラソフは嘲笑する。サムはそれを黙って聞いてることしかできず、わなわなと震えていた。

 紫織と昭成の切羽詰まった声が、サムの脳の内側で木霊する。


「この様子だと、君たちは親しい間柄のようだ。……分かっているな? 君は我々の条件を呑むしかないんだ。一人でここへ来い。正面から、ゆっくりと。今、船の残骸がある海岸に居る。場所は分かるだろう? ……賢明な判断を祈っているよ」


 その言葉を最後に、通信は途絶えた。それを理解したサムは力を抑えるのをやめ、無線機を粉々に破壊する。しかし、それだけでは腹の虫がおさまらない。

 頭を抱えて蹲ってみるが何も効果はなく、サムは我慢できずに近くに生えていた木を思い切り蹴った。木は、幹の真ん中から弾けるように折られ、大きな音を立てて池に倒れこむ。


 その轟音が脳に響くと、サムはようやく気持ちを落ち着かせることができた。

 辺りを確認してみると、周りには誰も居ない。サムが気づかぬうちにみんなは避難の準備を終え、どこかへ消えてしまっていた。

 仲間の様子どころか、警戒すら怠るほどに激昂していた自分にサムは反省をする。

 もしも逃げ遅れた人が居て、その間に敵が攻めてきていたら、きっと犠牲は免れなかっただろう。


 そう思い至ると、サムはあの船での出来事を思い出した。

 あの時も、自身の判断の遅れが悲劇を招いた。救える力があったのに、彼らを見殺しにしてしまった。……サムはずっとそう考えている。

 サムは自分の無力さを嘆いた。また同じことを繰り返すのか、また自分の力が及ばないのか、と恐怖がサムの心を襲う。


 ……しかし、今度は折れることが無かった。


 まだ紫織と昭成が無事であるからという理由もある。

 だが何よりも、夢を抱いて生きていた記憶を取り戻し、過去との折り合いをつけたことによるサムの心の成長が、彼自身を立ち上がらせることができた。


「行こう」


 自分に言い聞かせるように、そう言葉を口にしたサム。

 その顔に恐怖の相はない。彼の瞳にうつるは、冷たく透き通るような覚悟。黒く、確かに燃ゆる火だ。



「指揮官、上陸した件が感づかれました。相手国は、こちら側の速やかな撤退を要求しています」


「……本部に報告は?」


「済んでいます。現在、上の方で交渉を持ちかけられているそうです」


「なら放っておけ」


 部下の報告を聞いたウラソフは、つまらなそうな顔で会話を切り上げた。薄暗い船の甲板の上で、海からやって来る冷たい夜風を肌で堪能している。国際問題に発展しそうな件については、まるで興味が無いようだ。


 例の船の残骸の真横に、これまた大きい別の船が停泊していた。船の周りには多くの兵士が待機しており、厳重な警戒態勢を敷いている。

 ウラソフの手にはハンドガンが握られている。手持無沙汰なのか両手でハンドガンを撫でてはカチャカチャと動作を確認しているが、視線は島の方へ向いていた。


 拘束具で身動きが取れず、その様子を黙って見る事くらいしか叶わない昭成と紫織が、ウラソフの目の前に転がっている。


「フ……それにしても腑抜けた連中だ」


 ウラソフは少し含みのある笑い方で、そう呟いた。

 近くにいた兵士は、その発言に気付かなかった振りをしようとする。しかし、ウラソフがこうして独り言をこぼす時は大抵、周りの人間と会話をしようとしている合図のようなものなのだ。それを知っていた兵士は、上官が不機嫌になっても困るので、嫌々ながらに話を聞く。


「と、おっしゃいますと?」


「この国の政治家どものことだよ。領土問題の中心地であるとはいえ、仮にも権利を主張している奴らが、だ……こうして敵国の船が侵入しているというのに、要求だの交渉だの、口先だけで事を終わらせようとしてくる。抵抗しようとすらしないくせに口だけは一丁前な連中だよ。全く図々しい奴らだ」


 心底、気に食わないといった様子で乱雑に言葉を吐き捨てるウラソフ。面倒くさいと思っている事を悟られないように、首を縦に振りながら話を聞く兵士。その会話の意味も分からず、紫織と昭成は不安な気持ちを抱えてその様子をうかがう。


 ふとウラソフの目が縛られている2人の方へ向けられる。昭成と紫織は緊張で微動だにもできなかったが、すぐ興味が失せたのか、ウラソフは兵士との雑談に戻った。

 ウラソフの目には、昭成と紫織に対する人への尊重のようなものが欠片も感じられなかった。家畜か、別の何かか。とにかく相手を見下すような意図が感じられた。


 そのことに気が付いた昭成と紫織は、ただ悔しい気持ちでいっぱいだった。

 昭成には大人としての責任感が重くのしかかり、何となく自分のせいでこうなっていると分かっていた紫織は、罪悪感を噛みしめている。

 理不尽に床を舐めることになった2人の姿は見るに堪えない。


 強者が弱者を奴隷として扱っているようにも見えるその構図は、まるで、この世の現実の縮図のようだった。


 突然、ウラソフに報告が入った。


「……来たか」


 少し興奮した様子でウラソフは森の方に目をやる。

 砂浜で待機している兵士たちが慌てた様子で臨戦態勢をとり始めた。


「……」


 約束通り、森の中からサムが歩いて来る。抵抗するような様子は無く、銀色の片手をあげて、彼はゆっくりと敵の前へ現れた。



 遮蔽物が何もない砂浜のど真ん中で、サムは足を止めた。手をあげて無防備を主張するサムだったが、周りにいる兵士は銃と拘束具を構えるばかりで何もせず、警戒を解こうとしない。

 体格は自分たちよりも遥かに小さな相手だったが、服の隙間から覗くサムの異様な身体が彼らを委縮させてしまっている。


「抵抗するな悪魔」


 そんな様子を見かねてか、ウラソフが船から降りて来た。現場の頭である指揮官の登場に、兵士たちの士気が僅かに上がる。


何もしてないぞ。おかしいな? 目玉はあるみたいだが」


「ほお、この状況で挑発するか。大した度胸だ…………しかし、こちらからすると腕一本だけじゃ降伏してるように見えなくてね」


「安心しろ。こっちの方は使い物にならないんだ」


 暗に両手を上げろと催促するウラソフに、サムは悪びれも無い様子で、右腕を使えない事を伝える。それを証明するように、サムは上半身を揺らして、だらんと垂れる右腕を軽く振った。


「……捕虜を連れてこい」


 それを見たウラソフは少し考えた後、兵士に人質を連れてくるように指示を出す。ウラソフは先のサムの発言がハッタリだった場合を考慮し、彼の目の前に人質を用意する判断を取ったようだ。


 命令を受けた兵士が、大急ぎで昭成と紫織を連れてくる。よほど急いでいたのか、人質が手足を縛られていることなどお構いなく、2人を軽く引きずる形になった。

 もちろん、その様子を見ていたサムは、こめかみに筋を浮かべる。彼なりに怒りを表に出さないよう我慢しようとしたみたいだが、サムが上げていた左手は握りこぶしをつくり、震える足の踏ん張りが地面の砂を少し抉った。


「う、ぅ」


「さぁ、こいつらが大事だろう。大人しく捕まってくれ」


 苦し気な声を上げる紫織のことを気にも留めないウラソフはそう言うと、兵士たちにハンドサインで合図を送る。

 命令を受けた兵士たちが恐る恐るサムに近づいていく。拘束具を持った2人が先導し、他の兵士たちは銃口をサムから外さないよう銃を握っている。一応、手をあげているサムだったが、明らかに不服そうにしているのが誰の目から見ても分かった。

 重い足取りでサムに近づく兵士たち。サムは渋々といった様子で膝を突き、左手を頭の後ろに回した。その間、サムはウラソフに恨みのこもった眼差しを送っていた。


 震える兵士の手がサムの腕を拘束する。しかしサムは終始、抵抗しなかった。

 鉄の塊のような分厚い手錠がサムの手首を覆う。サムに隙を与えないよう、続いて兵士が足に鎖の付いた枷をかけた。それを見た兵士たちは安心したのか、一斉にサムを組み伏せて身柄を確保する。


 サムの手足にかけられた拘束は、機械の四肢をもってしても破壊できそうにない物だった。さらに、それ相応に重くもあるようで、サムでなかったら少し歩くのさえも難しいことだろう。

 サムが捕まる一部始終を見ていた紫織と昭成は、この絶望的な状況に悔しそうな顔を浮かべることしか出来なかった。紫織に至っては、大事な人が居なくなってしまうという恐怖を感じ、涙を流している。


「指揮官、身体検査も終わりました。出てきたのはハンドガンが1丁。あの義手義足のような物の内側に何か隠している可能性もありますが……他には何もありません」


 そう報告する兵士が、ウラソフにハンドガンを渡す。

 ウラソフは受け取ったハンドガンを注意深く観察する。しかし、これといった異常は無かった。念のため分解までしてみるが、どう見ても自分たちに支給されるモデルの銃だ。殺した兵士から奪った物だろう、というところまで推測できてしまう。

 あまりにも呆気ない幕切れに、ウラソフは面食らってしまった。


「はぁ、口ほどにもない。……こうなるくらいなら、少しくらい張り合いが欲しかったなぁ。なあ?」


 ウワソフは勝利を確信したのか、そう言いながら抑えつけられているサムの左腕を軽く蹴った。サムを激昂させるための明らかな挑発だったが、特に変化はなかった。

 というのも、最初からサムの黒い視線がウラソフに向けられていたからである。



「今のうちに懺悔の言葉を考えておけ。その言葉が、誰にも届かず死んでいくお前を見るのが楽しみだ」


 ウラソフの挑発に乗るようにサムはそう言った。


 これで恨み節を吐こうものなら鼻で笑ってやろう、とウラソフは考えていた。だがウラソフは、そのサムの発言に何も反応することは無かった。いや、できなかったと言っていいだろう。


 それを子供のやせ我慢と決めつけるには気色が悪すぎた。言葉の節々から快楽的な悪意を感じるのに対し、サムの声には感情の一切が無い。その言葉が全てハリボテと思えるほど、発言の内容と乖離した声色だったのだ。

 もちろん顔の表情なんてものもない。能面のような顔を張り付けたサムの黒い眼が、ただただずっと、ウラソフを射抜いている。


「っ、長居は無用だ。出発するぞ」


 ウラソフは認めたくないだろうが、彼は確かに怖気というものを感じていた。だがその正体が、サムに対するものなのかは分からない。とにかく何者かに付け回られ、監視されているような不快感が、ウラソフを襲っていた。


 兵士たちに銃を向けられながら、サムはゆっくりと立ち上がった。またしても抵抗する様子は見せず、誘導されるがまま船へ乗ろうと歩き出す。


「サム!!!」


「あ、おい待て女!」


「紫織さん!!」


 紫織が兵士の隙をついてサムの元へ駆け寄った。昭成は咄嗟に心配の声を上げることしか出来ない。異常を察知した兵士たちは銃口をサムから紫織へ変える。

 するとウラソフが、ハンドサインで制止命令を出した。瞬時に命令を理解した兵士たちは、困惑気味にトリガーから指を離し、銃口をサムに戻す。


「いいんですか? 殺さないで」


「……ああ。民間人を殺せば、上の仕事が増えるだけだ」


 そう理由をつけるウラソフだったが、彼はいちいち、そんなことを気にするような人間じゃない。実際は、これ以上サムを刺激しない方がいい、と働いた本能から出た判断だった。



「ごめん、なさい……。私のせいで……!!」


「違う。俺のせいだよ」


 涙ぐみながら紫織はサムを抱きしめた。離れたくないと言わんばかりの強い力に、両手を拘束されているサムは応えることが出来ない。代わりに穏やかな顔を晒して、紫織の肩に頭を預ける。


 自責の念に駆られる紫織が、ことの始まりは自分のせいだと主張しようとすると、サムはそれを遮るように言葉を発した。


「俺のせいなんだ。……全部、思い出せたよ。どうしてこんな事になってしまったのか全部、思い出したんだ。紫織のせいなんかじゃない」


 そう、どこか吹っ切れたように語るサムに、紫織は違和感を覚えた。具体的に何が違うと思うのか、それは紫織本人にも分からない。しかし、家族も同然の存在であるサム、今、紛れもなく自分が抱きしめているサムが、紫織には別人のように思えた。


「サム……?」


 記憶が戻ったことを喜ぶべきだと、紫織も分かっていた。しかし、そのことを頭で分かっていても、素直に気持ちが切り替わらない。肌に触れるサムの腕がやけに冷たく感じ、自然と不安な声が漏れ出てしまう。

 これ以上、抱きしめていられなくなった紫織が身体を離す。


「……ごめん」


 紫織がサムの顔を不安そうに覗き込むと、サムは笑みを浮かべてそう呟いた。

 紫織は、それがこちらを心配させまいと張り付けた偽物の笑顔であると分かった。

 きっと、その言葉すら本心でない事も。



 サムが、左手で握っていた何かを指ではじいた。何かの炸裂音が辺りに響くと、突然、爆発が起こる。


 サムは先ほどの拳銃から、弾丸を一発だけ抜いていた。

 銃という明らかな凶器を押収できた兵士たちは、もう武器の類は無いだろうと高を括り、確認をおろそかにした。

 しかし実際問題、硬く握りしめた拳に弾丸が一発だけ入っていたところで、それがどう武器になるというのか。それを脅威と思う人間は、そうそう居ないだろう。


 サムは素手で銃弾を撃って見せた。手のひらを丸めて軌道を作り、撃鉄の代わりに親指で弾丸の底を打つ。結果、銃弾は狙い通りに、少し遠くにいる兵士の方へ飛んでいった。

 銃弾は、兵士のポーチに入っていたグレネードに直撃した。弾丸の速度に反応できる人間が居るわけもなく、巻き起こった爆風で、現場は一瞬にして戦場へと変わる。


 突然の事に何が起こったか分からない兵士たちは混乱し、身を屈めながら銃を四方八方に向け始める。サムはその一瞬を突いた。


 サムは動かない右腕を取り外した。メンテナンス用の機能であったが、これで左腕が自由になる。サムが左腕を振るうと、手錠で繋がったままの垂れ下がる右腕が鈍器として働き、近くの兵士をまとめてなぎ倒した。


 他の兵士がサムの様子に気が付くが、時すでに遅く、サムは倒した兵士から奪ったアサルトライフルを片手で乱射する。

 感覚を空けずに連射された弾丸は、複数の兵士へ全て命中し、もれなくグレネードの誘爆で多くの兵士が爆死していく。


 次々と巻き起こる砂埃に兵士たちは視界を遮られた。サムが居た位置へ、でたらめに弾を撃つが、サムは紫織を抱えて地面に寝転がっており、飛んでくる弾は全て頭の上を通過していた。

 サムは次に、足枷の無効に取り掛かる。まず足首を可能な限り曲げる、よりも畳むという表現がいいだろうか、人間の足では叶わない挙動で足先をまとめる。

 多少サイズが合わず、キリキリと耳障りな音と共に火花が散ったが、サムは枷から自分の両足を引き抜くことに成功した。


 砂埃が止む前に脱出に成功したサムは、アサルトライフルのマガジンを取り換え、銃を構える。

 敵の発砲音、その位置を正確に拾っていたサムは、およそ敵が居る方へトリガーを引く。正確な標準ではなかったが、ほとんどの銃弾が命中し、敵が次々と地面に伏せていく。

 銃声が鳴り止む頃には、ほとんど全ての兵士が死んでいた。



「……」


 一瞬にして返された戦況に、ウラソフは黙って息を潜める事しかできなかった。敵の姿がほとんど視認できず、一方的に味方だけが殺されていく。現実主義者としての一面もあるウラソフだったが、目の前の光景が、まるで現実に起きていることだとは到底思えず、ただただ傍観に徹していた。


「お、お前こっちこい!!」


「!」


 孤立している昭成を見つけた兵士が、彼を人質にしようと声を張り上げた。


「こっちに来ぉおい!!」


 銃を向けながら昭成の方へ駆け寄る兵士。


 しかし間もなく、その兵士は、どこからか飛んできた銃弾にうなじを貫かれて絶命した。



 シャクッ、シャクッ。


 ウラソフの背後から何者かが歩いてくる。その足音は、まるで重い鉄に砂利をかけているかのような、耳当たりのいい音だった。

 しかし、ウラソフは恐怖することしかできなかった。その足音の主が、サム以外にあり得ないことは、深く考えずとも分かったから。


「ま、満足か? もう全員死んだぞ」


「……」


 ウラソフは仰向けになってサムの方へ声を掛ける。その声は、未だ強気にも思える挑発するような声色だったが、明らかに、先ほどのような覇気がない。さらに額には誤魔化せないほどの脂汗が滲んでいた。

 一方、サムは黙々とウラソフに向かって歩を進めている。ウラソフの挑発に反応することなく、彼は硝煙のあがる砂浜を歩いて行く。その足取りは力強く、砂場に残る足跡は心なしか、とても深く感じるほどだ。


「っ、我々はもうてっ――」


 バキッ。


 サムはウラソフの目の前に来ると、間を置くことなく無言で拳を振るった。すると何かを言いかけたウラソフの口が閉じられる。


 突然のことに一瞬、ウラソフの思考が停止した。ハッ、と何が起きたか理解した頃には、雀の涙ほどの余裕も残されていなかった。


「ま、待て!! まだ、話」


 バコッ。


 サムはウラソフに話す隙を与えなかった。それは故意的なものではなく、単純に彼の言葉がサムに届いてなかったから。サムの耳は、ちゃんとウラソフの声を拾ってはいる。しかし、どうやらそれが脳に到達することは無いようだ。


 メギッ。


「ぁ」


 3発目の衝撃で、ウラソフの意識が飛んだ。

 数々の戦果を挙げ、祖国に利益を残し続けたウラソフは「どうすれば、この悪魔と取引ができるだろうか」という思考を最後に、人生に幕を下ろすこととなった。



 ぐちゃ、メちゃ。


 サムは幾度となく拳を振るった。左腕だけを何度も何度もウラソフにぶつけ、血肉どころか骨までをも粉々に破壊している。


 紫織と昭成は、その様子をただ見続けることしか出来なかった。昭成は紫織の目を覆い隠すことを忘れ、紫織は、まるで自分への戒めとでも言うように、その光景を目に焼き付けていた。



 ……ぬちゃ。


「ハァ……ハァ……」


 肩で息をするほど疲れたサムは、生々しい糸が引かれた拳をようやく収めた。砂浜に腰を下ろし、ふぅ、ふぅ、と静かに短く、努めて息を整え始める。

 次にウラソフだった物の懐から鍵を見つけ、手錠を外すと、慣れた手つきで右腕を嵌め戻した。



「……サ、サム」


 紫織が弱々しい声をかけ、サムに近づく。その動きはとても慎重で、割れ物を扱うような、ゆっくりとしたものだった。背を向けているため、サムが、こちらの様子に気付くことは無いと分かっていても、紫織は少し罪悪感を感じてしまう。


「……」


 すると突然、サムが無言で立ちあがった。

 突然のことに、紫織は腰を抜かしそうになるが、何とか持ちこたえる。


「っ? サム……?」


「……」


 困惑せずにはいられない紫織が声を掛けるが、サムは無言のまま紫織を一瞥した後、どこに行こうというのか、迷わず歩き始めた。


「……待って!!」


 サムが真横を通り過ぎそうになった瞬間、我慢の限界を迎えた紫織が、勇気を振り絞って力強くサムの腕を掴んだ。

 呼び止めたはいいものの、その先を考えていなかった紫織は、それ以上、動くことが出来ない。それでも何か言わなければ、という強迫観念に駆られてしまい、紫織は目に涙を溜めて今にも泣きだしてしまいそうな表情をしてしまう。


 その表情を見たサムは狼狽えた。自分のせいで大切な人を悲しませてしまった事を理解し、けれど何もできない自分に嫌悪感を募らせる。


「……っ、う……ぁ」


 遂に紫織が泣き出してしまった。必死に声を抑えようとするその姿に、サムは耐え切れず、その涙を拭ってあげようと手を差し出そうとする。


 そして、視界に自分の手が映った時、それは叶わない事だと思い出した。

 それは、とても人に触れていいような手では無い。触れるもの全てを穢し、柔い肌を傷つけずにはいられない、忌むべき鬼の手だった。

 すこし涙を拭ってやるだけで、紫織の目が破裂し、失明するのではないのか。サムは、そんな世迷言を頭に浮かべ、否定することが出来ない。

 少し前までは怪我人の手当てすらしていた己の手が、記憶を取り戻した途端に別物になったような感覚にサムは今、気付く。それと同時に、自分が考えていたとは一体どういうことのなのか、その考えが足りていなかったと思い知らされた。


「……」


 しかし、サムの覚悟が曲がることは無かった。むしろ不思議なことに、どこか安堵さえしている自分が居ることにサムは気付く。それはサムの考えるを保証する、ある種の証明だったのだ。


「……紫織」


 サムが紫織の名前を呼んだ。それは優しい声色で、やはりどこか、昔とは違う感触だ、と紫織は少し悲しむ。


「これで最後だから、話しときたい。といっても俺は何を話せばいいか分からない。だから、何でも聞いてほしい。紫織が知りたいこと全て、今なら……全て答えてあげられる。本当に最後なんだ。……とにかく何か、話をして、ほしい」


 辛くない、と言えばサムにとっても嘘になる。しかし、だからこそ、これがサムの最後のわがままであり、心からの願いだった。

 真剣で、物悲しげな表情を見せるサムに、紫織は、その言葉が彼の本心であり、嘘偽りない真実なのだと悟った。


「ぅ……うぅ、ああぁ」


 だから紫織は堪えきれなかった。とても、涙を我慢する事などできないほどの悲哀の濁流が彼女を襲う。

 今が別れの時なのだと、どうしようもなく理解してしまった紫織は、子供みたいに泣きじゃくりながら話をすることしかできなかった。


「何でぇ……ずっとここに居てよぉ……」


「ごめん。俺がここに居ると、また今日みたいなことが起きる。いや、きっと、今日より酷いことになる。だから、ごめん」


「ぅ……また会える、?」


「……ごめんね」


 紫織の淡い希望が打ち砕かれた。呼吸が更に乱れ、軽い発作を起こし、蹲って泣きじゃくる。

 サムはそれを、何もできずに見ていた。目線を合わせるために両膝を突き、紫織が泣き止むまで、ただ、じっと。


 サムと話をできる時間は、これで最後。その思考に囚われ、紫織は何を話せばいいか分からなくなっていた。

 そして何よりも、聞けば聞くほど、自分が知っているサムでは無くなっていくのではないか恐ろしく、もはや話なんてしなくていいのではないか、とまで考えていた。


「……っ」


 紫織が縋る思いで顔を上げると、サムと目が合った。

 纏う雰囲気は、やはりどこか違う。しかしその顔は、紫織がよく知る家族、思いを寄せる大切な人だった。



 すると不思議なことに、紫織が抱える別れの恐れが薄くなった。サムが別人になってしまったからではない。別人になったと思っていたサムに、自分がよく知る家族の面影を見出したからだ。

 紫織は、これが今生の別れだと思えなくなった。サムが何処か遠くへ行ったとしても、こうして戻って来てくれる。そんな根拠のない自信が、紫織を落ち着かせた。


「……何か、好きなことはあった?」


「……? えっと、どういう」


「サムがここに来る前の、生まれて育ったところで」


「あ、あぁ……好きなこと、か。……雑誌の拾い読み、とか?」


 突然、気持ちを落ち着かせたと思ったら、今度は何気ないことを聞いてくる紫織にサムは動揺した。紫織のあまりの変わり様に、サムは何があったか勘繰りたくなってしまう。


「ぷ、何それ。楽しいの?」


「……楽しいというか、まあ、いい暇つぶしだったかな?」


 思わず噴き出したように笑う紫織を見て、サムは安心した。紫織が何を思ったかは分からなかったが、紫織がいつものように笑うだけで、サムは満足だった。


 それから2人は何気ない会話をした。内容のほとんどが昔のサムについてだったが、たまに、退屈な島での日常を思い出したように話したりもした。

 最初は「もっと他に話すことがあるんじゃないか?」と堅苦しいことを考えるサムだったが、話していく内に「最後だからこそ、こういうのがいいのかもしれない」と思うようになり、純粋な笑顔を浮かべていた。



 幸せな時間を過ごす2人のもとに昭成が歩いて来た。2人が話に耽っていたので、しばらく様子を見ていたようだが、あまりに長話だったので痺れを切らしたようだ。


「お話の最中にすみません……別の場所でお話をしてはどうか、と小言を言いに来ました」


「……あぁ、確かに」


 昭成にそう言われて、サムと紫織は現実に戻って来た。周りに散乱する死体を見て、夢が覚めたような気分に身が引き締まる。


「……いえ、大丈夫です。俺は、もう行きますから」


 サムはそう言って、スッと立ち上がった。遂に別れの時が来た、と悟った紫織は、分かっていた事ではあるが、未練を断ち切れずにサムへ曇った表情を見せる。それを見たサムは、困ったように目を細めた。


「お世話になりました」


「……大丈夫なんですか? 私は、もっと休んだ方がいいと思いますが」


「充分、休みました。あとは……こっちの腕を治しに行かないと」


 サムがそう言うと、昭成はサムの動かくなかった右腕を見た。そして反対側の血に塗れた左腕も。

 昭成は分かっていた。サムが出て行くのは、動かなくなった腕を治すためだけではない、と。


「昭成さん、例の夢のことですが、もう解決できました。痛みも、もうありません。襲ってきた化け物は……あの鬼は、俺でした。全部、思い出したんです」


 サムは昭成を心配させないように、そう言った。昭成は、どこか吹っ切れた様子のサムを見て、目を閉じて納得したように頷く。


「私は、これでも僧の身ですから、サムさんが歩もうとしている道を肯定することが出来ません。…………ですが、どうか自身の体を労わって、お元気でいてください」


 昭成はそう言うと、祈り願うように礼をした。サムも、それに倣って礼をする。

 サムは、昭成に様々なことを教わったこと思い出し、より一層、気持ちを込めた。


「ありがとうございました。……紫織、風邪ひかないようにね」


「……それ私のセリフだから」


 別れを告げるサムに、紫織は少し震えた声でそう言う。そして、服が汚れることを躊躇わず、今度は優しくサムを抱きしめる。涙ぐんでいることを悟られないよう必死に声を抑える紫織だったが、我慢できない肩の震えは、サムによく伝わっていた。


 別れの挨拶を終えたサムは、ゆっくりと紫織から体を離すと、今度こそ、敵の船に向かって歩き出した。その背中を、名残惜しそうな様子で紫織が見つめている。


「……っ、またねー!」


 遠くなるサムの背に向かって、紫織は大きな声でそう叫んだ。

 再会を匂わせるその言葉に、サムは思わず足を止めてしまう。


「………………バイバイ」


 サムは誰にも聞かれないように、とても小さな声でそう言うと、紫織に向かって手を振った。紫織はサムの手振りに気付くと、涙を溜めながらではあるが、ようやく、満足したような笑顔になった。


 サムには、これが叶わない口約束であると分かっていた。それでも、これで紫織が満足してくれるならそれでいいだろう、と考えていたのだ。

 しかし、本人は決して認めはしないだろうが、サムの心の片隅には、いつか自分と彼女たちが再開する、そんな憧憬が、確かに思い描かれていた。



 ――サムが去った、砂浜にて。


「――……私たちも、この島から出ないといけませんね。……良かったんですか? 最後に思いを伝えなくても」


「うん。……私、これでフラれちゃったら、別の人を捜そうとしちゃいそうだし。次会った時に告白すればいいしね。もしかしたら、あっちから告白してくれたり、なんて……あれ……? なんで、昭成が知ってるの?」


「え……あ、あぁ何を、ですか?」


「……知ってたの?」


「……さて、私たちも早いとこ皆さんと合流しましょう」


「…………ねぇ? あとで大人の話したいなぁ、私」


「……はい」



 ――同刻、全焼した寺の前にて。


「――皆ぁ、だいじょぶかぁ?」


「何とかね……――あぁ、忙しくなるな」


「サム兄ぃは? どこ行っちゃったの?」


「……もうあの子の話はしちゃ駄目よ。あれは、鬼の子だったの」


「で、でも! 僕たちのこと、助けてくれたよ!!」



 ――数時間後、某国のとある港にて。


「――おやじ! このボート誰のだ?」


「あ? ……なんだ救命用のやつじゃねぇか。いつからここにあんだ?」


「ちょっと目離したら着いてたんだよ……けど、誰も居なかったんだよなぁ」



 ――さらに数時間後、某国のとある研究所にて。


「――期待していた分に、残念だ。心底ね」


 薄暗い部屋。複数の大きなモニターが壁一面に貼られており、その中のひとつからそんな音声が聞こえる。その声は、モニターの前に立っている白衣の男に向けられていた。


「もはや君のプロジェクトに出せる金は無い。国はかなりの猶予を与えた。速やかにその研究所から出て行く準備をしろ」


「待ってください! まだ試したい理論があるんです……!! あと半年、いや! 3カ月の猶予を頂ければ、確実に成果を出して見せます!!」


 一方的に告げられた免職の意に、白衣の男は納得がいかないのか、必死に声を荒げて弁明をする。白髪が目立つボサボサの髪、頬は痩せこけ、目が真っ赤に充血しているためか、白衣の男が弁明するその様は、まるで命乞いをしているかのようだった。


「はぁ、そもそも成功作が1人だけなど、国を守る兵士として破綻しているのだよ。その成功作も、数年前に任務先で謀反を起こして鎮圧された。最初から実を結ぶことなんてないんだ、こんなものは」


 別のモニターから別の男の声が聞こえて来た。その嘲笑交じりの音声が部屋に響くと、白衣の男はわなわなと震えだした。


「……それは、あなた達のせいでしょう」


「……何?」


 白衣の男の反抗的な声に、モニターの人間たちはザワザワと声を漏らし始めた。


「みな平静に。……言いたいことがあるみたいだな、君」


「えぇ、ありますとも。何度も言ってきましたがね……! 私は、はっきりと申し上げたはずです! 実戦投入には早いと!! 彼が、唯一のサンプルだったんです!! それを、目先の利益に囚われた、あなた方が!! 海の底に葬ったのでしょう!!! 彼が生きていれば、こんなことにはなっていない!!!」


「……それで?」


 男の絶叫に、まともに耳を傾ける人間は居なかった。モニターの人間達は、白衣の男に白い目を向けているだけで、感心を示すことは無い。


「……ハ、ハハ」


 白衣の男は、自分が狂人と思われていることに気付くと、乾いた笑いをこぼした。

 その様子を見たモニターの男は、面倒くさそうにため息をつく。


「終わりか?」


「……私は、無敵の兵士を創ることに興味など無かった。ただ人間の可能性の、その最後まで……この目で見たかったんだ。それが、こんな老害共のせいで……」


 白衣の男は、本心を偽ることをやめた。赤裸々な告白、その辛辣な言葉にモニターの人間達はまたザワザワとどよめく。

 もう、このプロジェクトへの援助が断ち切られることは決定した……筈だったが、突然、雲行きが怪しくなった。



 ドゴーン!!


 研究所に大きな爆発音が響いた。とてつもない揺れに白衣の男は膝を突き、異常を察知したモニターの人間達が、慌て始める。


「何が起きた……? ……全員無事か? 一体どうしたんだ?」


 白衣の男が、所内連絡用の無線を入れる。

 ザー、ザー、という音が止むと、部下の一人から切羽の詰まった連絡が入った。


「チーフ! 襲撃です!! 監視カメラをぉ……がァ」


 まるで今、事切れたかのような部下の報告に、白衣の男は焦って監視カメラの映像をモニターに映した。

 白衣の男は数十個の監視カメラ映像を漁り、ついに襲撃犯と思しき人間が映る映像を見つける。


 そして何故か、白衣の男は心底嬉しそうな顔を浮かべた。


「おい、何が起きている!? 何を見た!!?」


「ハハ……!! ハッハハ……」


 不健康そうな白衣の男の顔に、生気が宿った。ただならぬ雰囲気を察したモニターの人間達が息を呑む。

 白衣の男が興奮した様子で、独り言をつぶやき始めた。


「私は、このプロジェクトを始める時、全てを捨てると誓った。ここに人生の墓標を立てようと。……どうやら、それが叶うみたいだ。あぁ、この目で行く末を見ることが出来ないのが残念だ」


 男は嬉しそうにそう言うと、今度はモニターの人間達に語りかけ始める。


「お偉い方。私は、初めて子供の命に手を掛けた、あの瞬間に……自分の魂を悪魔に売り渡しました。……あなた方に、その覚悟はありましたか?」


 それが白衣の男の遺言となった。


 部屋の扉が勢いよく開かれると、瞬く間に、白衣の男の頭が、飛んできた銃弾に吹き飛ばされた。白衣を真っ赤に染め上げ、身体が地面に吸い込まれるように倒れる。


 暗がりの奥から歩いて来た襲撃者。その正体が露わになると、モニターの人間達は動揺を隠しきれないほどの、驚愕の表情を晒した。


「……」


 ここに居る誰もが、その顔を知っていた。何人かは実際に会った事すらある。

 まるで幽霊を見るかのような目が、モニター越しに襲撃者に注がれた。


「……お前らも見つけ出してやる。必ず」


 襲撃者、かつてデーモンであったサムは、右手でモニターを指さし、そう言った。

 サムはモニターに映る一人一人を睨む。怒りを宿した黒い目で、射抜くように。


「……何を、する気だ……デーモン」


「またその呼び名か? ……ラストメッセージは届いてないらしいな」


 自分に対し、兵器の名を口にする連中を威圧し、サムは苛立ちを隠そうとしない。サムを見ている人間達へ、モニター越しに、その圧力が重く降りかかる。



「なら改めて宣言してやる。……俺の名前は、サムだ」


 サムはこれから秘密裏に指名手配をされ、追われる身となる。


「お前らが食い物にしてきた……彼らの、弱者の怒り、その化身だ」


 この瞬間、サムは国を敵に回したのだ。一体、どれだけ無謀なことだろうか。


「絶対に許してはやらない。後悔させてやる」


 しかし、その冷たく燃ゆる覚悟に、一切の淀みは無い。


「お前らを、略奪者どもを根絶やしにできるなら、俺は鬼になる」


 サムはこれから一生、両の拳を固め、弱きを助け、強きを挫く。


「俺は、お前らが全てを奪っていった彼らの……someone's demon誰かの鬼だ」



 デーモンが生まれた研究所は、一夜にして壊滅した。研究所員は一人残らず死亡し、警備にあたっていた軍人にも数名の死者が出ている。

 デーモンが生存していた事実が判明し、政府は対策を講じようとしたが、デーモンのデータは研究所ごと消え、研究の第一責任者であった白衣の男も殺害されたので、国の情報に保存されている古い記録しか残されていない。

 そのため、サムを無力化する有効な手段の開発は、困難を極めた。


 その間にも、サムが動きを止めることは無い。弱者が搾取される理不尽を捜しては、彼なりの正義を振るうのだろう。

 褒められたことでは無いのかもしれない。しかし、それでも窮地から救われた人間は確かに居た。


 彼の名前は、そのうち国を震撼させることになる。


 国に追われる現代の英雄は「誰かの鬼」と名乗った。


 それゆえの呼称は――――サムデモン。



 To be continued ……?

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奪われ続けた少年が機械仕掛けの鬼になる話 へぶほい @HebuHoi

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