英雄と乙女・その後

くれは

二人きりのお茶会

「はじめまして……に、なるのか?」

 戸惑うようなロシュの声に、アリアはくすりと微笑んだ。

「そうね。夢渡りで何度も会ってるから、はじめましてって気がしないけど」

 ロシュは困ったような顔でくすんだ金色の髪をぐしゃぐしゃとしてから、慌てたように自分の手を腹の辺りで拭って、そして差し出した。

「とりあえず、お疲れ様。俺は歌に導かれてここまで来ただけだから……この災厄を止められたのは、あんたのおかげだ」

 差し出された手を握って、アリアもそれに応える。

「あなたこそお疲れ様だわ。夢なんて曖昧なものに応えてここまで来てくれたことを嬉しく思う」


 これは、そうして終わった災厄の、その少し後のこと。




 ロシュは災厄を鎮めた英雄として、アリアはそれを導いた乙女として、祭り上げられた。

 その騒動の中心になってしまった二人はいささかうんざりもしていたけれど、夢の中で最悪の未来を何度も見ていたから、そうでない日々をそう悪く思えないでいた。

 とはいえ、それにも限度がある。

「それにしても、なんでこんなに毎日毎日貴族のパーティに付き合わないとならないんだ」

 田舎の農村で育ったロシュには、立派な服を着てご馳走を食べて踊るパーティというものに馴染めないでいた。最初のうちは食べたことないものやとんでもない贅沢に目を見張っていたが、それも数日、今では居心地の悪さの方が勝っている。

「仕方ないわね、英雄様。わたしだって本当は、研究に戻りたいのだけど……当分は難しそう」

 アリアはソファーに深く沈むと、お行儀悪く足をばたばたとさせる。スカートの裾が翻って、白いふくらはぎが見えたのを誤魔化すように、ロシュは目をそらした。

「おい、人がいないからって気を抜きすぎだろ。一応は導きの乙女なんだから」

「ロシュにまでそんなこと言われたら、わたしもう生きていけない。そもそもわたしだって、そんなに良い育ちじゃないのよ。爵位だって親の一代限りのものだし」

 大袈裟に、アリアはクッションに顔を埋める。その様子に、ロシュは溜息をつく。

「今じゃお互い爵位持ちだもんなあ」

 そして、こうやって膿んだ気持ちをお茶とともに語り合う仲でもあった。

 気を取り直して起き上がったアリアは、小さな焼き菓子を一つつまみ上げて口に放り込んだ。侍女が見たら怒られそうなほどに口を開けて。

 見た目だけならどこぞのご令嬢と言っても良いほどなのに、とロシュはアリアを見る。

 美しい銀色の髪がさらさらと美しく流れているが、研究に夢中になるとこの髪がぼさぼさになることをロシュは知っている。その姿を夢渡りで何度も見た。

 透き通るような青い瞳は理知的に輝いて、古代の魔術を読み解き、未知を知にしてみせる。

 手足は細く、体も痩せ気味だ。これは研究に没頭するとしょっちゅう飲食を忘れるせいらしい。最近はしっかり食べさせられているからか、少しふっくらしてきたように見える。

 そんな変わり者の乙女。でも、彼女だからこそ、災厄を止めることができたのだと、ロシュは納得できた。

 けれど、自分は──。

「なんで俺だったんだ?」

 ロシュの呟きに、紅茶を飲んでいたアリアは目をぱちくりとさせた。そしてティーカップをテーブルに戻すと姿勢をただして考え込む。

「理由はいくつか考えられるの。まず、災厄の始まりの地にあなたがいたこと」

「でも、あの村には他にもたくさんの人がいた。俺なんかより強いやつだって。俺じゃなきゃいけない理由じゃない」

 拗ねたようなロシュの物言いに、アリアは微笑んで言葉を続ける。

「あなたがかつて、災厄の一端に触れていたこと」

「……俺が?」

「そう。覚えてないかもしれないけど、夢渡りの中でわたしは見た。幼いあなたが災厄と出会い、そしてあなたの体の中に災厄の種子が埋め込まれた」

 ロシュは口元を押さえて黙り込んだ。自分の中に災厄がある、ということが、にわかには信じられなかったから。

「あなたが災厄に立ち向かえたのは、あなたの中に種子があったから。災厄に立ち向かったあの剣は、その種子を実体化させたもの」

「つまり……俺は災厄に対して、災厄の力で戦っていた?」

「だと思っている。わたしは、ね。夢渡りの精霊はもういないから、本当のことはわからないけど」

 澄ました顔で、アリアはまたティーカップを持ち上げた。ロシュは目を伏せたまま、災厄との戦いを思い出す。

「……俺が、災厄になる可能性は、考えなかったのか?」

「考えたこともなかった。だってあなたは最初から……」

 不意に、アリアの言葉が途切れる。ロシュが顔をあげると、珍しいことにアリアは頬を染めて視線をうろうろさせていた。

「最初から?」

「あれ、ううん、ごめんなさい、わらかなくなっちゃった。でも、最初の夢渡りであなたを見たときからわたしは……」

 困ったように形の良い眉を寄せて、アリアは自分が言うべき言葉を探すように視線を動かした。その様子に、なぜかロシュも頬を熱くした。

 どくり、と心臓が高鳴った。

「ごめんなさい、どうしてかはわからないの。でも、ロシュ、あなたの名前もわからない時からわたしは、あなたならなんとかしてくれるって、そう感じてた。これも、夢渡りの力なのかしらね。研究したら、何かわかるかしら」

 アリアは困ったような微笑のまま、首を傾けた。銀色の髪が輝いて、美しかった。

 ロシュは素直なアリアの言葉が嬉しくて、「そっか」と頷いた。

 そして二人で照れたように微笑みあう。きっと二人だからあの災厄を乗り越えることができた。今のこの時間も、二人だからこうしていられる。

 言葉には出さなくても、二人ともそう思っていることは、お互いにわかっていた。





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