ロシアンルーレット
加賀倉 創作
ロシアンルーレット
真夏の昼下がり、太陽がじりじりとアスファルトを照りつけている。昨日までの雨が嘘のようで、地表の水分が蒸発したのか少し蒸し暑くもある。水溜りがまだ少し残っている路地を、K氏は散歩していた。帰宅すると、日除けのために被っていた帽子をポールハンガーにかける。そして、風通しをよくするために家中の窓を開けた。開かれた窓から、ゴルフだかテニスだかのトロフィーが日光を反射して、まぶしくぎらついている。リビングのソファに座り、パソコンを開くと、溜まったメールの返信を始めた。そのほとんどが医療関係者からなのだが、それは彼が外科医だからだ。外科医ともなると、一般的に見て、成功者の部類であるのは間違いない。また、彼は目鼻立ちがはっきりしていてすらっとしており、家柄もよく当然稼ぎもいい。妻と二人の子と共に暮らしている。だが、順風満帆に見える彼にも、悩みがある。実は、極度の薄毛なのだ。
「このメールは、誰からだろう」
知らないアドレスから一通のメールが届いていた。件名には無題とあったが、それがかえって好奇心をそそったのだろうか、彼はメールを開いた。
薄毛でお悩みのあなたへ。増毛サプリメントを紹介します。ご興味ありましたら、こちらの電話番号まで。
0120-xxx-xxx
「なんだ、このメールは。なぜ僕が薄毛に悩んでいると知っているんだ。僕を知っている誰かだろうか、気味が悪い」
彼は少々いらだちを覚えながら、いつもより強めにパソコンを閉じた。
その日の夜、K氏は寝床に入ってもなかなか眠れなかった。あのメールが気になって仕方がないからだ。
「このまま眠れないのも体に悪い、あの番号にかけてみよう」
かけてみると、夜分遅くにもかかわらず、ワンコールで繋がった。
「お電話ありがとうございます」
「おい、僕はKという者だが、あのメールは何だ。馬鹿にしているのか。そしてお前は何者だ」
「わたくしは、健康食品のセールスマンでございます。メールをご覧の通り、増毛サプリメントを販売しております」
「買う気はないが、一応聞いておこう、どんなサプリメントなんだ」
「その名の通り、続けて飲めばあら不思議、髪がフサフサになるんです。薄毛の治療薬とでも言いましょうか。
「健康食品を薬であるかのように売るとは、まるでマルチ商法だな。そんな薬あるとは思えないが、どうやって手に入れたんだ」
「それは秘密です。ですがお会いしてもっと詳しくお話することも可能ですよ」
「悔しいが興味が湧いてきた。話を聞かせてくれ」
「承知いたしました。では、明日の十五時にF市役所前の喫茶店でお会いしましょう」
翌日、K氏は謎のセールスマンに会い、サプリメントを一瓶買った。百錠入っているようだが、あやしい商品の割には良心的な価格だった。
「あの価格だと、それほどの効果は期待できないな。見た目も普通の錠剤だ。まぁ騙されたと思って、飲んでみるとするか」
彼は、瓶から一錠取り出して、口へ放り込み、床に就いた。
翌朝、K氏はベッドから起き上がると、顔を洗いに洗面所へ。濡れた顔をタオルで拭きながら、ふと鏡を見る。言われてみれば、ほんの少しだが、髪増えたようにも見える。セールスマンの指示で、食後に毎回サプリメントを一錠だけ飲む生活を一ヶ月続けた。確かに髪は増えた気はするが、劇的な変化とは至らなかった。K氏はしびれを切らして、暴挙に出た。
「これでは時間がかかって仕方がない。一気に飲んでしまおう」
なんと、一度に十一錠も飲んでしまったらしい。体に不調こそ出なかったが、わずかばかりに髪が増える効果も損なわれたようだった。
「わかってはいたが、どうやら飲む数を増やしても効果は増大しないみたいだ。しかし、これではフサフサになるまでの道のりはとてつもなく長いな」
彼は髪を増やしたい一心で、再びセールスマンに電話をかけた。
「お電話ありがとうございます」
「サプリメントのことで話がある」
「かしこまりました。ではまた例の喫茶店でお会いしましょう」
明くる日、K氏の目の前に、足組みしながら優雅にコーヒーを嗜むセールスマン。
「それで、今日はどういったご用件でしょうか」
「おい、あのサプリメントはまるでだめだな。効果はほんの少しだけ、複数個飲んでも逆に効果がなくなってしまう。どうにかならないのか」
すると、セールスマンはコーヒーカップをひっくり返しそうになりながら、ひどく驚いた様子で聞き返した
「一度に複数個飲んだのですか」
「あぁ、十一錠だったかな。一気に飲んだよ」
「あれほど用法は守るようにと伝えましたでしょう。あれほど、あれほど念押ししたのに。お客様、何が起こっても自己責任ですからね。何か体に変化はありませんか」
「そんなにまずいことをしたのか。そういえば不思議と最近頭痛がないような。僕は頭痛持ちなんだ」
「それです。きっとそれです。ああよかった。素晴らしい、おめでとうございます」
「なんだ、説教の次は急に祝福ときたか。どういうことだ、事情を説明してくれ」
「わかりました。こうなっては全てをお話しするしかないですね。実はこのサプリメント、れっきとした薬なんです。飲む数によって効果が変わりますが」
「なるほど、一錠なら毛が増え、十一錠なら頭痛が治る。では二から十錠飲んだ時もそれぞれ効果があるのか。なんてすごい薬なんだ。寧ろ用法を守らず色々試した方がいいように思えるが」
「それが大きな落とし穴なのです。Kさま、あなたは豪運の持ち主です。あなたは豪運によって死を免れました」
「死を免れた?いったいどういう意味なんだ」
「このメモを見て驚かないでくださいね…...」
セールスマンは一枚のメモを取り出してみせた。そこには、恐ろしいことが書かれていた。
一錠飲むと 髪が少し生える。
二錠飲むと 死ぬ
三錠飲むと 咳が治る
四錠飲むと 死ぬ
五錠飲むと 腹痛が治る
六錠飲むと 死ぬ
七錠飲むと 熱が治る
八錠飲むと 死ぬ
九錠飲むと 死ぬ
十錠飲むと 死ぬ
十一錠以上 不明
「これは…非常に危なかった。あと一錠少なかったらと思うと、恐ろしい」
「そして、薬の秘密はこれだけではありません。これはいわゆる薬の素というものです。実は世の中の薬は、この量や濃度を絶妙に調えて作られているのです。その調合の正確さゆえに、いわゆる副作用による死亡事故はほとんど起こりません。しかし稀に、心臓麻痺などの突然死、異常行動による転落事故などを引き起こす場合があります。ひと昔前に、流行性の感冒にかかった子供がとある薬を飲んで、死亡するケースが度々あったのをご存知でしょうか。それがわかりやすい例ですね」
「いったい君は何者なんだ」
「わたくしは世界中に薬の素を売り捌く会社に勤めております。そこの研究員とでも言いましょうか、薄毛に悩む人を見つけては薬を勧め、あわよくば何錠も飲んでもらって、新しい効果を見つけ出す、そんな仕事です。でもわたくしはそんなこと心が痛むので、絶対に複数個飲まないように忠告するのですが、何せ増毛効果が弱いものですから、一気飲みする人が絶えないのです。しかし十一錠も飲んだのはあなたが初めてです。これで頭痛薬が作れる。そしてわたくしの昇進は間違い無しです。
「そうか…ところで、コーヒーは飲み終えたかね?」
「ええ、昇進祝いのブラックコーヒーは実に香り高い」
「二錠分、いれておいたよ。僕の命を危険に晒したお礼だよ」
〈完〉
ロシアンルーレット 加賀倉 創作 @sousakukagakura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます