破局前夜
押田桧凪
第1話
都合よく忘れるとかじゃなくて本当に自分の年齢を覚えてないお母さんに、きょう彼氏を紹介した。
「なにやってる人?」「大道芸」「大道芸?」
予想していた反応がそのまま返ってきて笑いそうになった。もし私が彼の立場だったら、部屋着とはいえ「戦争反対!」とかいう主張の激しいTシャツを着ている親に言われたくなかっただろう発言だ。以上二つの点で私は笑いをこらえる。
「好きなことで生きていくって大変です。でも、楽しいから。子どもたちには挑戦する姿勢を見てほしいから。コロナの時は苦しかったです、僕たち大道芸人たちは次々辞めていきました。でも! 今やっと……」
両手で四つの水晶を回転させながら、ショーの最後に彼はいつもそう言ってギャラリーからお金をせしめてきてくれる。勿論、生きるために。それはつまり、私との生活のために。
初めて出会ったのは彼が最も出没する(クマか不審者みたいな言い方でごめんね?)、近所にある大きな公園でのこと。ベンチで涼んでいた私に「一万円貸して。後で返すから」と彼に言われて、財布を出して千円札十枚になって返って来た時、私はどういう顔すれば良かったんだろうと今になって思う。増えたらうれしくなるほど私は子供じゃなかったから。てっきり、ナンパのつもりでマジックを見せてくれるものだとちょっとだけ期待してたから。夫はATMってよく言うけど、両替機みたいな人が選ばれることなんてないだろうなと思ったから。
(なのに、その結果がこれ?)と先ほどからお母さんは私に視線を投げかけてくる。そう、私が選んだのは彼だった。誰に対しても、呼ばれたら行くの姿勢を貫いているフッ軽な彼は、名前の聞いたことのない怪しい団体やお店からの依頼を引き受けていて、そのくせ私が「帰りたくない」って言った時にはその言外の意味も汲まずに安全を期して帰らせるような人だった。だから、私は「そういう人は恋愛に向いてないんだよ」と、いたずらっぽく笑って、だけど彼は飄々と聞いてないような顔をしている。歯磨きをした後にしかキスしてくれないことに私がモヤモヤしていることも彼はきっと、分かっていないだろう。でも、そんなところが好きだった。
高校の時に英語の先生から「不可能な願いにはwishを使おうね。もう、一生叶わないこととか」と言われて、「たい焼きが生き返りますように」という例文を作ったことがある。それは、実は小学校の時に国語のプリントでたい焼きを「匹」と(間違えて)数えた私に花丸をくれた先生に出会ったことが原因で、(許されることってあるんだ!)と感じたからだった。自由なんだ、と。だから、片道分のきっぷしか買わないみたいな冒険をしない彼とは「合わない」ことは目に見えていたけど、私はそれを楽しみたかったのだと思う。
「大道芸やってて一番うれしかったことは?」「二千円札を入れてくれた人がいたこと」
(いや、だいぶ庶民の価値観! 珍しいけど!)ってツッコみそうになるのを抑えながら、私はこの人は悪い人じゃないと確信したのだった。うん、もう直感で分かってしまった。クラスのみんなの良いところを見つける係に任命されてた私が言うから間違いない。いつも運動会なんかで輪になる時に男子と女子の境目で手をつなぐ役目みたいな、お弁当でソースのしたに敷かれるキャベツみたいな当たり障りのないクッションを務めてた私が言うから間違いないよ。ねえ、お母さん。だから、信じて。
それから、思い出して、今日は何の日か。ピンポーン! あっ、UberEatsがやっと来たみたい。そうケーキ頼んでたんだよね。ケーキと言ったら……もうお母さん何か分かるでしょ。違う違うっ、なんで私たちのお祝いになるのっ、まだ結婚もしてないじゃない。ハッピーバースデーお母さん! あーもうまた今年も誕生日忘れてたんだ?
祝福に乗じて、お付き合いを認めてくれないかななんていう作戦もお母さんには通用しないみたいだとガックリしていると、隣に座っていた彼は(何の変哲もない)カバンから鳩を取り出して見せた。パパパパパッと白い羽が飛んで、ケーキに混入したらどうするの! と私は怒りを露わにした瞬間、それは黄色いパッケージの鳩サブレ―に変わって一件落着。(後でこれの何が面白いと思ってやったのか彼には問い詰めようと思う。)
取り皿をテーブルに並べてお母さんはケーキを頬張りながら、「やっぱり紅茶よりコーヒーが合うわね……」と表情を曇らせているので、「ほら早く出して」と私は彼の背中をつつくが、出せないという顔をつくる。頼りなくて、何だか私まで情けない気分になって、山頂で叫ぶみたいに「もう!」と言いたくなった。
それから、「誕生日おめでとう」が今日だけの合言葉になった日、私と彼は雨に濡れながらふたりで帰る。傘を持ってきてないし、出してくれない人だったから、来世は余分に傘を持った人と付き合おうと決めて、全速力で駅を目指す。
破局前夜 押田桧凪 @proof
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