カマクラン・シャーク

劉度

名越流北条氏家祖、北条朝時は語る

 ほら、これが、俺が初陣の時に身に着けていた鎧だ。

 金の鍬形の兜。鎧は赤糸と銀で飾り付けている。

 胴は鉄板をなめした牛皮で覆ったものを、白い顔料で塗ってある。


 かっこいいだろう?

 初陣は武家の子のほまれだからな。かっこいい鎧をくれって、父上にねだったんだ。


 ああ、胴のへこみは……朝比奈あさひな三郎さぶろう義秀よしひでに斬りつけられた跡だ。


 いやあ、安物じゃあないぞ。出雲から取り寄せた質の良い鉄と、奥州の強い牛の革を、鎌倉の職人に使わせた、間違いなく最高級の具足だ。

 そうじゃなかったら鎧ごと胴を真っ二つにされていたさ。


 噂じゃない、本当だよ。その場で見てたからな。

 これくらいある丸太を一人で振り回して門を破ってきた義秀が、鎧武者をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、だ。

 違う違う。本当にちぎってたんだよ。

 義秀がむんず、と掴んで引っ張ると、腕の肉が抉れて、首は引っこ抜かれて、鎧だって紙のようにちぎられちまうんだ。


 嘘じゃねえよ。今度、足利あしかがのとこの上総かずさ三郎さぶろうに聞いてみろ。あいつの鎧がそうなったからな。

 もう聞いた? なるほど、それが信じられなかったから、俺のところに聞きに来たわけか。真面目だねえ。


 ああ、そうだよ。

 朝比奈三郎義秀は、『強い』。

 

 謀反人、和田わだ義盛よしもりの子だ。

 三十年前に反乱を起こして負けた敗軍の将だ。

 母親もはっきりしない、武家の三男坊だ。


 それでも、義秀は、強い。

 あの人を知っている人間は、誰でもそう答えるだろう。


 そうだな。

 義秀の武名がわかる話を、ひとつしてやろう。

 あの人がサメと戦った時の話だ。


 和田義盛が謀叛を起こすよりも10年以上前、二代目将軍、頼家よりいえ様の治世だったなあ。

 俺はまだ7つで、父上に連れられて、頼家様の海遊びに付き従った。

 海に船を浮かべて遊んだり、御家人たちが弓の腕を競い合ったり。

 子供だからほとんど何もわからなかったけど、見てるだけで楽しかったよ。


 一通りの行事が終わって、浜辺で弁当を食べていたら、急に周りが騒がしくなった。

 なんだなんだ、と思って見ていたら、沖で漁をしていた小舟が続々と浜に上がってきた。

 乗っていた漁師たちが、慌てた様子で船から駆け下りる。そして1人が大声で叫んだ。


「サメだーっ!」


 ほとんど同時だったな。まだ浜に上がっていなかった小舟がひとつ、水飛沫を上げて木っ端みじんになった。

 小舟っていっても、4,5人が乗れる大きさだ。それよりも遥かに大きなサメが、小舟に体当りしてブッ壊しちまったんだ。

 後にも先にも、あんなに大きな魚は見たことがない。頭も3つあったし。


 何? それは物の怪じゃないかって? でもサメだったんだよ。頭が3つあるだけの。

 そりゃあ、普通のサメは頭が1つしかない。だが、普通ではない動物ならどうだ?

 朝廷に献上される瑞獣や奇獣の中には、双頭の蛇や6本指の犬などがいたと聞いたことがあるぞ。

 だから、あの頭が3つあったサメも、奇獣の類だったと思う。


 三ツ首のサメは、海に落ちた漁師たちを次々と食らっていった。頭が3つあるから、食われる人数も3倍だった。

 たちまち浜辺は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。海から必死に逃げる者、助けに行こうと駆け寄る者、恐ろしさのあまりうずくまる者。様々だった。


「下がれっ! 我が矢で打ち払わん!」


 そんな中、いち早く動いたのは結城ゆうき七郎しちろう朝光ともみつ殿だ。

 自慢の強弓を引っ提げて波打ち際に立つと、サメに向かって矢を放った。

 弓の名手って言われるだけの事はあって、海を泳ぐサメに見事に命中した。

 だが、それだけだ。


「なに!?」


 矢はサメの体にあっさりと弾かれた。朝光殿は目をまんまるにして驚いてた。

 しょうがないさ。鮫肌、って言うくらいサメの表皮って硬いんだもの。太刀の鞘に巻く事もあるくらいだからな。

 朝光殿の腕が悪い訳じゃない。あの場の誰も、サメを射抜くことはできなかった。


 遠間からの弓矢が効かないとなると、近寄って太刀で斬りつけるしかない。

 誰もがわかっていたけど、誰も動けなかった。

 当然だ。三ツ首のサメが暴れ回っている海に入るなんて、いくら勇猛果敢な武士たちでもそう簡単にできることじゃない。


「ぎゃあああ!」

「ひいいっ!」

「あがあああっ!?」


 そうして迷っているうちに、また一艘、小舟がサメに沈められた。乗っている漁師たちは3人とも宙に投げ出され、飛び上がったサメに食い千切られた。


 あんまりな光景に呆然としている俺の横を、誰かが歩いていった。

 背中は広かった。筋肉がみっちりと詰まってて、湯気が立っていた。

 肩は硬かった。岩のようにゴツゴツしていて、刀も通らないんじゃないかって思った。

 首は太かった。頭と同じ太さの筋肉がみっちりと詰まっていた。

 腰は細かった。無駄な肉は紙一枚分も残ってなくて、それでも七つの俺の肩幅よりも太かった。

 すべてが筋肉だった。


「スッ……ゲェ……!」


 ああ。朝比奈三郎義秀だ。

 上半身裸で、袴だけを履いた義秀が、海に向かって歩いていったんだ。

 それだけで壮観だったよ。感動して涙が出そうだった。

 筋肉の化身。あるいは、運慶が彫った仁王様が顕現したんじゃないかって、本気で思った。

 俺の隣にいた三浦のオッサンも大した筋肉だったけど、義秀とは比べ物にならない。

 ……そういやあのオッサン、なんで脱いでたんだ?

 まあいい。


 周りの武士たちも、いち早く海に向かった義秀を囃し立てていたよ。


「おお、和田殿の三男、三郎義秀か!」

「ヒューッ! 見ろよあの筋肉、まるで玉鋼だ!」

「水練が達者だと聞く! あやつならば……!」


 だけど、誰かが気付いた。


「あれ、刀は?」


 そうだよ。くるぶしまで海に浸かった義秀は、素手だったんだ。


「オイオイオイ」

「あいつ死んだわ」


 どう思うよ?

 太刀も無しに、三ツ首のサメと海の中で戦うなんて、なあ?

 死んじゃうだろう?


 だけど義秀は海に腰まで浸かると、そこから泳ぎ出した。

 浜に向かって逃げてくる舟を器用に避けて、サメに向かっていく。

 サメもそれに気付いて、三角形の背ビレを義秀に向けて真っ直ぐに突っ込んでいった。


 どちゃっ!


 肉がぶつかり合う音が、遠い砂浜にまで響いた。

 みんな義秀が食われたと思っただろう。目を背けている人もいた。

 だけど、俺ははっきり見た。


 頭突きだよ。

 義秀を食い殺そうとサメが口を開いた、その顎を両手で抑えて、サメの鼻先に義秀が頭をぶつけたんだ。

 お互いの泳ぐ勢いと、頭の骨の硬さを叩きつけられて、サメがのけぞった。

 鼻先はひん曲がって、破れた肉の間から血が溢れ出ていた。


 人間ならあの一撃で倒れてただろう。

 だけど、相手はサメだ。

 しかも頭はあと2つある。


 義秀が頭突きを食らわせたのは真ん中のサメの頭だ。

 だから、左右のサメの頭から挟み撃ちを受ける。

 義秀は右のサメの頭に蹴りを食らわせ、その反動を使って左のサメの頭に肘打ちを叩き込んで、虎口を脱した。

 この場合はこうこうかな。


 殴られたサメはますます暴れだした。

 浜辺に寄せる波が高くなる程だった。

 殴られた痛みと、自分の血の匂いに狂っていた。


 義秀は波間で立ち泳ぎしていた。

 波に揺られてはいるんだけど、一歩も動いていないと錯覚するほど落ち着いていた。

 三ツ首の猛獣を前にして、逃げるなんて素振りは欠片も見せなかった。


 なんていうかさ。

 憧れちゃうよね、武士として。


 暴れるサメが、再び義秀に襲いかかった。

 頭突きを食らった頭も回復して、3匹掛かりだ。左右に逃げても顎からは逃れられない。

 だから義秀はサメの頭を蹴って飛び上がった。上に逃げたんだ。


 判断は正しかったと思う。

 だけど、サメの方が一枚上手だった。


 ばちん!


 凄い音がしたと思ったら、飛び上がっていたはずの義秀が海面に叩きつけられていた。

 大黒柱のように太いサメの尻尾に叩き落とされたんだ。奴の武器は牙だけじゃなかった。


 海に落ちた義秀を目掛けて、サメが猛然と突っ込んでいった。

 そうしたら、また義秀がサメの頭を蹴って飛び上がった。

 あの尻尾の一撃を受けてまだ動けるって事は凄かったよ。だけど、さっきと同じだ。


 ばちん!


 凄い音がしたけど、義秀は海面に叩きつけられて

 サメの尻尾を、こうやってさ、抱きつくように抱えていたんだよ。

 楽そうに見えるけどな、家の柱が倒れてきたとして、お前、受け止められるか?

 無理だろう。もちろん、俺だって無理だ。


 でも、義秀はやった。やったんだよ。

 全身でサメの尻尾を受け止めて、そのまま尻尾を抱え込んだ。


 めきょっ!


 頭突きとも、尻尾とも違う音が浜まで聞こえてきた。

 サメの尻尾がくの字に折れ曲がっていた。

 腕で締め上げて、そのまま圧し折ったんだ。

 凄いよね。


 でも、サメも凄かった。

 全身を猛烈に回転させて、義秀を吹き飛ばした。

 尻尾が折られているのにあの動き!

 そして咆哮を上げて、義秀に飛びかかった。


 義秀は頭と頭の間に体を滑り込ませて噛みつきを避けた。

 そして、左の頭を片腕で締め上げて、空いた腕で何度も殴りつけた。

 だけど、血を流したのは義秀の手だ。

 鮫肌だよ。おろし金みたいになっているサメの表皮が、義秀の分厚い手の皮を削ったんだ。

 そもそもサメは義秀の何倍も大きい。殴った所でダメージは入らない。


 だから刀を持っていくべきだった、だって?

 いやいや、お前は義秀って男をちっともわかってない。


 殴っても通らないとわかった義秀は、両腕をサメの首に掛けた。

 すると、二の腕の力こぶが倍以上に膨れ上がった。首を絞められて、左のサメが悲鳴を上げた。

 それだけじゃない。抱えたまま、こう、腕を捻った。


 みぢっ!


 その日一番の大きな音と、凄まじい量の血がほとばしった。

 わかるか? サメの首を腕の力で捻じ切ったんだ!

 すげえ! すげえよ、義秀!


 でも、サメだって凄かった。何しろ首を捻じ切られてもあと2つある。

 サメの首を投げ捨てた義秀に猛然と向かっていった。


 食らいつく寸前で義秀はサメの顎を両腕で抑えた。

 全身の筋肉が盛り上がって、血管が浮き出ていた。

 遠目に見たら、サメが肌色の岩を咥えているようだった。


 義秀を咥えたまま、サメは物凄い勢いで泳ぐ。

 痛みと怒りのあまり、前なんて見えてなかっただろう。

 逃げる小舟を何艘も弾き飛ばしながら、サメは砂浜に向かって突っ込んできた。


 陸は人の世界だ。

 海は魚の世界だ。

 サメは魚の世界では最強かもしれない。

 だけど義秀は陸の生き物だ。


 義秀が二本の足で人の世界を踏み締めた。

 そして、サメの巨体を抱え上げた。

 自分よりも何倍も大きく、頭の数も2倍のサメの体を!


 サメは必死にもがくけど、頭を義秀の両腕にガッチリと挟み込まれて逃げられない。

 そして義秀は、地面に向かってサメを力いっぱい投げつけた。


 がきょっ!


 肉が裂け、骨が砕ける音だ。

 後にも先にも、戦場ですらあんな音は聞いたことがない。

 この世で義秀だけが奏でられる、決着の音だった。


 サメは地面に叩きつけられて、頭の付け根から真っ二つになっていた。

 ピクピクと痙攣していたけど、死んでいるのは誰の目から見ても明らかだった。

 そして三ツ首のサメを退治した義秀は、勝ち誇るわけでもなく、筋肉から湯気を立たせて悠然と立っていた。


 ああ。文句なしに、義秀は強かった。

 あの和田合戦でも、結局誰にも討ち取られなかったからな。

 どこに行ったか知ってるか? 知らない? 高麗に渡ったなんて噂があったが。

 それは嘘? 残念だ。


 いや、敵だけどさ。

 怪我もさせられたけどさ。

 それでも忘れられないんだよ。

 あれだけ純粋な強さっていうのは。


 だから、この話、残しておいてくれよ。

 本にするんだろう、俺の話を。あの人の強さを、後世にまで語り継いでくれ。

 北条の敵なのにいいのかって? いいんだよ、存分にやってくれ。何なら俺をやられ役にしてくれてもいい。

 やられても満足なくらい、格好良かったんだから。


 ところで、本の題名は決まってるのか。

 おお、そうか。

 『吾妻鏡あづまかがみ』。

 なるほど。いい名前じゃないの。

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