第7話 大団円

 嫉妬心というのは、思春期の頃に感じたことがあった。

 中学2年生の頃、それまで女の子など、意識したこともなかったのに、急にその子が気になったのだ。

 というのも、最初から、気になっていたということに間違いはないのだろうが、それよりも、友達も彼女のことが好きだったようで、それを聞かされた時、何かムズムズしたものを感じたからだった。

 ライバル意識というわけではなく、心の中で、

「友達も彼女のことが好きだということなら、俺が諦めた方がいいのだろうか?」

 ということを考えたりしていた。

「嫉妬心というものを、最期に感じたのは、いつだったというのだろうか?」

 思い出してみると、あらためて思い出すには、少し時間が掛かる気がしたのだ。

 時系列で考えようとすると、不思議な気分にさせられる。

 というのも、

「嫉妬心というのは、一番、時系列で思い出すことができないものだ」

 ということであり、

「感覚として、曖昧なものなのではないか?」

 と感じるからだった。

 自分が今までに何人の女性に対して嫉妬心を抱いたのかというと、

「最初が中学2年生の頃だ」

 ということはわかっているが、それ以外の時は、いつだったのかということがピンとこないのだった。

 中学2年生の頃に嫉妬心を抱いた女の子、その子のことが初恋だったのかと言われると、そこもハッキリとしない。

 というのも、一度小学生の時に、気になる女の子がいたのだが、その頃は、もちろん、相手を女性として見ていたわけではないので、

「初恋と言えるのだろうか?」

 と考えるが、

 確かに初恋であることは確かであろう。

 その頃は、女の子に慕われたいという気持ちが強かったのだろう。そういう意味で、女性を好きになる基準として、

「自分のことを慕ってくれる女性がいること」

 だったのだ。

 完全に、

「俺のことを好きになってもらいたい。好きになってくれれば、こっちも好きになってやるのに」

 というような、

「何様のつもりだ」

 というような、完全に高飛車な感覚になっていることだろう。

「俺が本当に好きになる相手は、少なくとも、好きになってくれそうな女性が基本なのである」

 と言えるだろう。

 だから、本当にキレイな人で、幾人も男を従えるような女は、好きになれないのだ。

 好きになってくれるのであれば、

「一途な気持ち」

 ということでなければ、信用できないという感覚で、きれいな女性というのは、皆から好かれているので、男をもてあそぶタイプで、

「俺はもてあそばれるなど、プライドが許さない」

 と考えているに違いない。

 そんな嫉妬心というのは、中学2年生の頃と、ほとんど変わっていないような気がする。そういう意味で、

「最終的に、白石が好きになる女性」

 というのは、

「嫉妬心を抱かせてくれるような女性」

 ということになるのだ。

 気がヤキモキしてしまい、ムズムズした気持ちになるのだが、その思いをひっくるめての、恋愛感情なのではないかと感じるのだった。

 今から思えば、女性を好きになる時期、季節というの自分にはあるような気がした。

 そのほとんどが、晩秋から冬にかけてだった。

 だから、必然的に、春からの季節、夏にかけてまでのこの季節は、ほとんどが、

「失恋のショックから立ち直ろうとしている時期だ」

 と言えるのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、

「冬の時期を思い浮べていると、恋愛感情がよみがえってきて、春先くらいから、気持ちがどんどん下がっていくと思うのだ」

 しかし、冬だからといって、いい時ばかりではない、何といっても、

「嫉妬心がもたげてくるのは、相手と付き合っている時がほとんどだ」

 ということになると、付き合っているという感情のさらに向こうに、嫉妬心が燃え上がってくることを皆分かっているので、

「何度、気持ちが左右されていたというのだろう?」

 と冷静に考えるべき時期が、何度も気持ちが揺れ動いていたのではないかということを感じさせるのだった。

 それが、感情を揺さぶるという、そんな季節を感じさせるものだった。

 あれはいつのことだったか、好きになった女性がいて、その人に、

「好きです」

 と告白したのだが、

「ありがとう。あなたとは、お友達以上には思えない」

 という、一種の、

「地獄のセリフ」

 を言われたのだが、それは、25歳の時、それまでに何度も人を好きになって玉砕する形になって、同じセリフを何度も言われてきたが、それまでは、

「ああ、そうなんだね」

 と言葉では、優しく失意の中で言っていたのだが、実際には、

「何だ、こいつ。俺が好きになってやったというのに」

 と、必死になって、自分が悪いわけではないと、自分に言い聞かせるような捨て台詞をかましていたのだった。

 だが、その女性に限っては、

「諦めなければいけない」

 と思いながらも、放っておくわけにはいかないという気持ちになっていたので、自分から離れることはどうしてもできなかった。

「あんたなんか嫌いだから、どっかに消えてよ」

 と、罵倒された方が却ってよかったくらいである。

 それなのに、嫌ってくれないことで、変に執着している自分がいた。

「下手をすれば、ストーカーではないか」

 というほどで、今までの白石だったら、相手を嫌うことで、

「両成敗」

 ということで、諦めもついた。

 しかし、この時はどうしても別れることができず、

「それでも、自分を正当化するにはどうすればいいか?」

 ということを考えると、

「俺が犠牲になって、この女性の幸せだけを考えればいいんだ」

 と思うようになっていった。

 そう思うと、

「俺は騙されたとしても、それでいい。信じた俺が悪いということでいいではないのだろうか?」

 と考えると、女を好きだという気持ちを抑えて、ただ、自分の信じた道を突き進む紳士だということで片付けようと思っていたのだ。

 本心がどこにあるのか、自分でも分からない。ただ、

「俺は、彼女を好きではないのに、彼女のために何でもすると決めた律義な男だ」

 ということで、彼女が依存してきたりすれば、何でもできるだけのことはやった。

 本来なら、

「これでは、彼女のためにならないから、やってはいけない」

 などということも考えない。

 何しろ、自分は、彼女のためにやっているわけではあるが、それは自己満足のためであって、彼女のためになるかならないかなど、考える必要もないからだ。

 要するに、好きだと言った自分の気持ちを踏みにじったわけだから、どうなろうと知ったことではない。ただ、彼女のためにできるだけのことをしようと思っただけで、

「彼女のためになること」

 というのをしようと思ったのではない。

 それだけ、見せかけの優しさを与えるだけだ。そう、それは、彼氏としてでもなく、恋人としてでもない。友達としてというだけだと思っていたのだが、何か、気持ちの上で落ち着かないものがあった。

 それがどこから来るのか分からなかったが、それがどこからくるものなのか、すぐに分かった気がした。

 というのも、

「彼女に対しての嫉妬心があるからだ」

 といってもいいのではないか?

 彼女を、友達だとしてしか思っていないはずなのに、彼女が他の男と親密に話しているところなど見ると、無性に腹が立ち、何もできない自分に腹が立つのであった。

 それこそ、彼女に対しての、

「嫉妬」

 というものではないだろうか。

 嫉妬があると、他の人との交流も上の空になり、自分がどれほど中途半端なことをしているのかということを思い知るのだった。

 白石氏が、なぜ今頃、嫉妬という意識を思い出したのか?

 ということを考えていた。

 実際に嫉妬というものを考えていると、最近現れた紫少年に、何やら、月光の印象を思い浮べるのだった。

「なぜに、月光の印象なんだ?」

 という思いであるが、

 中学生のちょうど思春期の時期に知り合った時、最初から、月光の印象が、紫少年にはあったのだ。

 それが、

「嫉妬だったのだ」

 ということを、ずっと忘れていた。中学生のその時に、嫉妬だということに気付いていたのかどうかも怪しいところである。

 自分が誰か好きになった人がいて、その人に対して、確か、彼も同じように好きになったのが同じ子だったのだ。

「もし、ライバルが他の人だったら、そんな意識になることはなかったはずだ」

 と思うのだが、ライバルが紫少年だということが分かると余計に腹が立つ。

「いや待てよ。それでは年齢がまったく合わないではないか?」

 と思う。

 紫青年とは、十数歳も年齢が違う。

 ということはどういうことなのだ?

 紫青年は、あの時の少年ではないということになるのだろう。

 だが、当時の同じ感覚しか、彼のことは感じない。

 そう思っていると、ふとしたことに気が付いた。

 紫青年は、記憶を失っているという。

「自分にも躁鬱の気はあるが二重人格性はない」

 と思っているのだが、どこか、ぽっかりと開いた穴がある気がするのだった。

 それを感じると、

「紫青年が、自分のもう一つの人格ではないか?」

 と思うのだった。

 そして、その記憶の中にある同じ人を好きになったという感覚は、ひょっとすると、記憶の中にあるものだけではなく、

「さらにこれから起こることの前兆ではないか?」

 という不可思議な感覚があるのだった。

 ドッペルゲンガーというものが、

「見れば近い将来に自分が死んでしまう」

 と言われている。

 それはきっと、最高に感覚が敏感になっていて、

「予知能力を示したのではないか?」

 という思いであった。

 つまり、自分と、紫青年の将来について、

「予知能力が働いた」

 ということになるのではないか?

 と感じるのだった。

 そう思うと、紫青年が、

「もう一人の自分」

 だということを感じると、彼が自分の中にいる、

「ハイド氏だ」

 と感じたのだ。

 その思いによって、月光というものの発想が、完全に、

「月に向かって吠える、オオカミ男のように見えるのだ」

 それが、

「変身」

 という発想で、次第に夢の中で、薬がなくとも、月光によって、自分がハイド氏に変化していることが分かった。

 そして、その元が、紫青年なのだ。

 しかし、紫青年はどうしたというのだ?

「それは、中学生の頃にいたという、自分の中の埋まっていない部分の、欠落した記憶を、辻褄合わせで埋めようとした、デジャブ現象ではないか?」

 と思えてくるのだった。

 ドッペルゲンガーにデジャブ現象、それらのものが、記憶喪失から、躁鬱症。さらには、二重人格性を形づくる、

「ジキルとハイド」

 のお話に繋がってくるのではないだろうか?

 その正体が、人間の中で一番醜いといってもいい、

「嫉妬」

 というものではないだろうか?

 醜いものであると同時い、人間として、一番人間らしいと言われる、

「もう一つの人格」

 を、一緒に併せ持っていることになるのであろう。


                 (  完  )

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二重人格の正体 森本 晃次 @kakku

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