第6話 もう一人の自分2
その青年が、この街に現れるようになったのは、いつ頃からだろうか?
ちょうど同じくらいの時期に、
「夜な夜な怪しい人が徘徊している」
というような話を思い出すようになったのは、最近になってからのことだった。
そもそも、その話は知っていたのだが、
「いつ頃のことだったのか?」
ということは、最近まで分からなかったのだ。
というのも、
「意識してしまうのが、いつからだったのか?」
ということは、なかなか覚えていないもので、気が付いた時が始まりだと思ってしまうことで、その時にはすでに意識をしていたわけなので、元々気になり始めた時期がいつだったのかということは、意識しなくなっているといっても過言ではないだろう。
そういう意味で、その青年がこの街に現れるようになったのがいつだったのかということも、まったく意識していなかったのだ。
「怪しい人間の徘徊」
というのは、警察から注意喚起が最初からあった。
この街が都会のベッドタウンであることから、都心部で最近、
「通り魔」
であったり、
「ストーカー」
のような事件が頻繁にあるということから、周辺の市町村でも、
「気を付けるように」
ということで、県警の作ったポスターなどが、最寄りの駅であったり、学校、オフィス街などの掲示板などに、貼られているのを気にして見る人も結構いたりするだろう。
だが、白石氏は、あまり意識していなかった。
それこそ、
「石ころ効果」
といってもいいのだろうが、
「目の前にあっても、気付かすに、意識もしないそんな状態」
を、
「石ころ効果」
というのだが、それは、
「こちらから見ているよりも、相手から見る方が、視線が強いのではないか?」
ということからか、目の前にあっても、その存在を意識しないようにしているということである。
しかも、今まで意識したことのないものが、急にクローズアップされて意識するようになった時って、
「最初がいつだったのか?」
ということを意識しないように考えることで、意識していなかったことを、自分の中で肯定し、下手をすれば、言い訳に使っているのかも知れない。
ただ、さすがに、怪しい人が、
「犯罪者」
だということになると、住民としても黙っているわけにはいかない。
警察は、警戒を呼び掛け、パトロールを強化するだけで、どうすることもできない。
しょせん、最近は、警察官の数が減っていることで、どうしようもなくなっている。
特に警察官が少ないというのは、
「人件費の節減」
ということなのか?
それとも、
「なり手がいない」
ということなのか?
ということであるが、さすがに後者であろう。
これだけ、陰惨な事件が漏れなく市民に襲い掛かってきているこの時代に、
「人員削減」
などして、もし、重大事件が起こったら、それこそ、世間から何を言われるか分からず、本末転倒もいいことになってしまうだろう。
「なり手がいない」
というのは、的を得ていることで、
「警察官というものは、それだけ、危険があるわりに、世間からの人当たりも悪く、割に合わないと思っている人が多いということか」
ということであり、学校の先生といい、公務員がそう思われている場合が結構多かったりするのだろう。
確かに学校の先生などは、頻繁にカリキュラムが変わることで混乱しているだろう。
学校で、勉強を教える以外に、部活の顧問であったり、非行の防止、さらに、苛め、不登校問題に絡んだりして、精神的にも肉体的にも大変である。
だから、
「毎日、実働が平均で10時間以上」
などと言われ、
「休みも休みではなく、毎日出勤を余儀なくされている:
ということである。
かつて、
「学校の先生は楽だ」
というようなことを言われていた時代もあった。
いや、
「公務員自体が楽なんだ」
と言われている時代もあったが、今ではどうなのだろう?
ただ、一つ言えることは、
「ピンからキリ」
ということで、
「暇な人もいれば、忙しい人はまったく余裕がない状態なのかも知れない」
ということではないだろうか。
それは、公務員だけにいえることではなく、民間企業でもそうだろう。サービス業などは特にそうで、
「休みの日が、忙しい」
ということになるであろう。
昭和の頃から考えると、かなり変わったといってもいいのではないだろうか?
昭和の終わり頃から考えても、当時はまだ、バブル期だった。
バブル期というのは、
「事業を拡大すればするほど儲かる」
という時代であり、それこそ、
「24時間戦えますか?」
と言われた時代であった。
これは、当時爆発的に売れたスタミナドリンクのCMのフレーズであった。それだけ、皆働けばその分給料がもらえるということで、働くことが当たり前の時代だった。会社が事業を広げれば、それだけ忙しくなるという時代で、銀行も、どんどん融資をしてくれたのだ。
しかし、それが平成になってから、今度はバブルが弾けてくる。そもそもバブル経済というのは、
「実体のない経済」
ということで、
「土地ころがし」
と言われたように、土地を右から左に流すだけで、お金が儲かるという仕掛けだった。
ある意味、自転車操業でも、お金が回った時代だったといってもいいだろう。それだけ活気やエネルギーに溢れていて、
「やった者勝ち」
といったところであろうか?
しかし、一つどこかがほころびると、化けの皮が剥げるのが早かった。
「危ない」
と思った時は、もう時すでに遅く、企業の金回りがどうしようもない状態になっていたのだ。
当時まで、神話として言われていた。
「銀行は絶対に潰れない」
という言葉があったが、一番最初に破綻したのは、その、
「絶対に潰れない」
と言った、銀行だったのだ。
それは、銀行が潰れると、経済が立ち行かなくなるので、潰れないように、国が助けるということから、銀行不敗神話というものが存在したのだった。
そんな銀行が、一番最初にボコボコと潰れていく。
というのも、大きな問題として、
「過剰融資」
という問題があった。
過剰融資というのは、銀行の利益のほとんどは、
「企業は個人にお金を貸して、その利息がそのまま儲けになる」
というものである。
バブル期の場合は、
「事業を拡大すればするほど、儲けになる」
ということなので、企業も一応の融資額を見積もって相談に行くのだが、本音としては、「借りれるなら、いくらでもいい」
という発想であった。
しかも銀行の方も、初めての付き合いなら警戒もするだろうが、今までに何度も融資を行っているようなところであれば、安心しきっているので、さらに融資額をかさましすることになる。
つまり、一千万円貸せば、利子が、百万円だとすると、
「じゃあ、2千万円にしましょう」
といえば、利子は、2百万円になるというもので、元本の返済は間違いないと考えて、百万円だけ、利益が生まれるというものである。
しかし、バブルが弾けて、企業側が、手形が落ちないなどの不当たりを出してしまい、続けてしまうと、破綻することになり、そのまま元本が、返済されない、
「負債を抱える」
ということになってしまう。
それも、一つの企業くらいならまだしも、一つがおかしくなると、その仕入先、納入先に迷惑が被ることになり、さらに、業界全体が怪しくなってくる。結果、日本経済の根本を揺るがすような事態、いわゆる、
「バブル崩壊」
ということになるのだ。
バブルが崩壊すると、まず一番の問題は、
「企業が拡大した部分が、そのまま負債になる」
ということだ。
破産宣告をしたり、民事再生法の適用を受けると、それは、
「破綻企業の救済」
ということになり、債権者には、溜まったものではなくなってしまうのだ。
「民事再生の適用」
というのは、昔の、
「徳政令」
のようなもので、一種の、
「債権棒引き」
とでもいえばいいのか。
「半年以上前の債権は、無効になる」
というようなものであった。
下手をすれば、それを返してもらえないことで、連鎖倒産に陥ることも多くあり、そんな企業が増えれば増えるほど、ダメな企業はダメで、生き残るところは、何とか生き残ることになる。
これは、
「大企業だから大丈夫」
というわけでもなく、金融機関が軒並み潰れたように、大企業も、バタバタと潰れていく。
生き残るための、一番の方法としては。
「企業合併:
するというのが多かった。
それが、
「対等合併」
なのか、あるいは、
「吸収合併」
なのかということで、結構大きな問題だったりするのだが、大企業同士が合併するということも結構あり、そこになし崩し的に吸収されて生き残る企業しか、もう生き残るところはなかったといっていいだろう。
そのために、いろいろ鬼のような改革があったのも事実で、今では当たり前のことのよのうに思われているが、昔は、そんなことは信じられなかった。何しろ、
「あの銀行が潰れる」
という時代だったのだ。
バブル経済が崩壊すると、今までのように、
「収入が増えるから、会社が儲かって仕方がない」
ということが限界を迎える。
今までに拡大させた事業はどんどん辞めるようにして、事業を昔の規模にする。要するに、
「収入が減ることよりも、経費を節減することで、赤を少しでも減らす」
という方法しかなくなってくる。
事業を縮小することで、人件費が減ってくる。そして、事務所の使わない電気を一切つけないようにしたりするために、残業もしないように、さらに少しでも行う場合は、
「部屋の他の電機は消すようにする」
ということであるが、それは今でも当たり前のことのように行われているが、始まったのは、この
「バブル崩壊」
の時期だったのだ。
この頃から、いわゆる、
「リストラ」
といわれる、人員整理を免れた社員は、残業をすることもないので、それまでの残業手当などを貯蓄などに回していた人は、そのお金を資金にして、
「サブカルチャー」
というものを行う人が増えてきた。
中には早く帰るようになると、帰り道に、
「飲み屋による」
という人もいるだろうが、せっかくだから、
「サブカルチャーを楽しみたい」
という人が増えてきたのだ。
「何かの趣味に時間とお金を使う」
ということで、サブカルチャーの教室などが、当時のサラリーマンのトレンドのようになった時代があった。
昔であれば、
「市町村が細々とやっている、生涯学習教室のようなもので、趣味を行うための基礎を教えてくれるという」
そんなものだったのだ。
その中には、スポーツジムのようなものが一番の人気ではなかったか。少々値段は張るかも知れないが、健康になれて、自分で勝手に器具を使うことができる。これは、結構人気があった。
それ以外に、文化的なこととして、絵画や音楽、ポエムを書くための知識であったり、小説執筆の入門というのもあった。
そのおかげで、文化的なコンクールも結構増え、素人の俄か芸術家が増えてきたものだった。
そんなサブカルチャーの業界がシェアを伸ばしてくると、文化的なサブカルチャーの教室などが増えてきて、中には、そういう俄か作家などが、プロに近づくためというような、新たな業種が出てきたりした。
例えば、
「自費出版社系の会社」
などがそうであった。
「作家になりたいと思っている人に作品を送らせて、評価を行い、その出来によって、いくつかの出版方法を提案する」
というものであった、
普通それまで作家になるには、
「有名出版社主催お新人賞に応募して入選する」
あるいは、
「直接、出版社に持ち込み、編集者に読んでもらう」
というくらいの方法しかなかった。
しかし、後者になると、まず、素人が勝手に持ち込んできたものを見るなどありえない。毎日何十人と持ち込んでくるのだ、いちいち見ていれば、それこそ、それだけで一日が終わってしまう。
まず素人の小説が読まれることはない。
しかし、自費出版社系の出版社の人は、それを読んでくれた上に、批評をして返してくれるのだ。それも、しっかりと読み込んだことが分かるように、欠点もしっかりと指摘してくれるのだった。
それも、最初は欠点から書いてあり、
「それを踏まえても、長所は補って余りある」
という形で、書かれてるのを見ると、さらに長所を引き立ててくれているようで、ありがたいと思うのだ。
このことが、特に、自分のことをよく書いてくれているようで、どうしても安心して、信頼を得るに十分な書き方が実に巧妙だと思えるのだ。
だから、一緒に入っている見積もりも、真剣に考えるのだろうが、値段を見ると、なかなか一介のサラリーマンなどには、簡単に手が出せないだけのものだったりする。それを思うと、
「少々くらいの借金なら」
と思い、一念発起で本を出版しようと考えるのだ。
だが、実際にはそんなに甘いものではなく、ほとんどの人が、
「出版物が、本屋に置かれたりすると、誰かに見てもらえる」
という考えになるのだろうが、冷静に考えて、無名の、いくら最近話題になっているとはいえ、実績のない出版社の本を、有名書店が置くわけがない。
どんなに有名書店で、有名作家のものであっても、売れ行きが芳しくなければ、すぐに返品されてくる運命にあるのだ。
さらに、
「本を出したい」
という人が増えて、飽和状態になっているのだから、どれほど、たくさんのライバルがいるかということも分かり切っているといってもいいだろう。
そんな状態の中で、有名になるための誰かに見てもらえるなど、そもそも、本屋に並ぶことなどありえないと考えれば、本を出すとしても、それは記念に出すという程度で、それであれば、昔からの自費出版の方が、よほどマシだといってもいいのではないだろうか?
それを思うと、これら、
「自費出版社系の出版社が、詐欺だということになる」
ということが、分かってくることであろう。
ちょうどその頃からくらいだろうか? それまでは、社員の人がやっていた仕事を、次第に、パートやバイト、さらには、派遣社員なるものが行うようになってきた。
派遣社員などは、責任の薄い、あるいはないところでの仕事を請け負う形で仕事をするので、賃金も比較的安く、しかも、3カ月に一度の契約更新をしなければいいというだけで、簡単に人員削減もできるということで、重宝されていた。
ただ、非正規雇用と呼ばれる、派遣社員、パート、アルバイトなどは、あくまでも、
「時間から時間」
となるので、もし、残った仕事があれば、それは社員が引き受けることになる。
自分の仕事もありの、派遣社員などの残った仕事もこなさなければならず、仕事量はいつの間にか、3割増しくらいになってしまい、残業を余儀なくされるということもあるだろう。
しかし、実質的に残業をしても、手当てが出ないという会社も多いようで、結果、正社員にそのツケがまわってくるということで、正社員が結局残業してでも終わらせなくてはならず。しかも、手当てが出ないという、状態にストレスや疲れがたまりまくるという形になってきたのだ。
ただ、最近では、コンプライアンスの問題から、
「ブラック企業」
というものがクローズアップされてきて、無理な残業などはさせてはいけないというような風潮にもなってきているので、幾分かは、緩和されてきているだろうが、実際には、問題となっている場合も多いに違いないのだった。
だから、ブラック企業関係にはなかなか人が集まらないということが多かったりする。そのために、警察などの職業は、人手不足だったりしているようだ。
よく考えれば、交番なども、昔はあれだけ、交差点に一つはあったようなところもあったが、最近では、いくつかの町内に一つくらいで、しかも、パトロールにでも出ていれば、交番自体が留守になることが多く、パトロールも、
「まともに、できているのだろうか?」
ということを考えさせられることになるというものだ。
そんなことを考えると、今の町内などでの、
「おかしな輩」
というものに対して、うまく対応できるかということも難しいようだ。
そんな中、警備もできるだけ警察の方で行っているが、ここの町内は、昔から、
「町内のことは町内で守る」
という意識が強いようで、昔なら、
「街の青年団」
のようなものが形成されたりしていた影響からか、独自の警備隊のようなものが結成されたりしていたのだ。
だから、警察のパトロールとは別に、町内の見回りグループが、最近では、毎日のように出回って、警戒するようになっていた。
というのも、数年前から問題になっていて、今は少し落ち着いてきているものとして、
「世界的なパンデミック」
と言われるような、
「伝染病蔓延」
という時期があった。
何と言っても、世界的な同時流行であり、まだ誰もその正体をハッキリ知ることのできない間、最初は国によっては、かなり甘く見ていて、
「水際対策」
というものを、徹底できずに、
「蔓延を許してしまった」
という国もたくさんあった。
日本などもそれが顕著で、一気に国内でも蔓延していったのだ。
さすがに、諸外国のように、
「都市封鎖」
と言われるような、
「ロックダウン」
であったり、
「戒厳令」
というものは、日本では行うことはできないが、その代わりに、
「緊急事態宣言」
なるものを発令した。
基本的には、ロックダウンのようなものなのだが、あくまでも、それは要請であり、それができないからといって、罰則があるというわけではなかったが、それでも日本人は、最初の宣言の時は、皆がしっかりと守っていたものだ。
その時に、
「店舗の営業自粛」
というものがあり、街中の商店街、地下街なども店がまったく閉まっていて、会社も、
「絶対に出社が必要な人」
というのを覗いて、休業ということになった。
できる会社は、リモートによる対応をしていたというわけで、街中は、ほぼ電気が消えていて、ゴーストタウンの様相を呈していて、鉄道などの交通機関は普通に動いていたので、普段の通勤ラッシュに見られる時間の、満員電車も、同じ時間に、
「一車両に、数人」
という、今までの日曜日の方がまだまだ多いだろうというほどの、通勤ラッシュだった時間帯なのだ。
そんな街は、繁華街の雑居ビルのようなところで、スナックやバーなどを経営している人たちの店が、
「空き巣の恰好のターゲット」
になっているという状態になっていた。
ほとんど店にいくことはなく、するとすれば、たまに店に行って、換気を行うくらいのものなので、そのたまに行ってみると、
「店の中が荒らされている」
という状態だったりする。
キチンと警備が行き届いたビルであれば、そういうことはないのだろうが、すべての店が警備が掛かっているとは限らないので、狙ってくるのだろうと思うのだ。
しかし、それにしても、
「よく、そのビルに警備が掛かっていないということが分かるものだ」
と言えるだろう。
それを考えると、闇雲に考えるよりも、意外と、
「犯人は、身内の誰かなのかも知れない」
と言えるのではないだろうか?
そんなことが流行っている状態で、町内の警備隊が活躍する時がやってきたということであった。
それまでにも、夜中など、ストーカー犯罪であったり、痴漢などが出没する場合など、警備隊が組織されることがあったが、今回は、
「閉店している店に入る、空き巣」
が相手だということである。
今までに経験のない相手であったが、パトロールをするだけでも、
「犯罪の抑止」
というものに繋がっていった。
それを思うと、
「街の警備隊」
というのも、侮れないといえるだろう。
さすがに何かを起こそうとしている人間も、集団で動いているパトロール隊が相手であれば、自重しようというのも無理もないことに違いない。
看板やポスターなどで、注意喚起を行っても、
「石ころ効果」
というもので、思ったよりも、それを抑えることができないのであれば、それは結構きついことであり、その分を、
「街の警備隊」
というものが担っているということであれば、それはそれで、いいことなのだろう。
最近、その警備隊の中に入っている青年で、紫青年というのがいるのだが、彼は、どうやら記憶喪失だったようだ。
そんな彼が、どこでどう知ったのか、白石氏のことを知ったようで、最近になって、白石氏を慕うようになっているのだった。
紫青年は、どうやら記憶喪失のようだった。
見た目も、まわりに対しての態度も、おとなしめであるが、しっかりとした気持ちは持っているようだった。
警備隊に入ったのも、
「こんな自分でも、何かできることがあれば」
ということで、警備隊に入隊した。
もちろん、私有団体なので、試験があるわけでも何でもなく、危険を伴うことなので、受け入れた後で、警察の訓練場で、警備のイロハを教えてもらうことで、採用されることになる。
「なかなか若い人のなり手がいないからな」
というのも、もっともなことで、
「やっぱり、こういう危険なことに首を突っ込むのは、誰でも嫌だよな」
ということであった。
そんな中において、紫青年は、
「どうして君はこういうところに来るようになったんだい?」
と聞かれて、
「自分は記憶がないこともあって、さらに最近のパンデミックのせいで、体よく会社を解雇されて彷徨っていたんですが、ここの警備隊のことを聴き、俺のような記憶喪失でも役に立てればいいということで、申し込んでみたんです」
ということであった。
基本的には、この街で育ち、この街で生活をしている人が、
「我が街のために」
ということで立ち上がってのことだった。
参加資格は、成人していれば、男女ともに構わないということであったが、最初はやはり入隊する人は少なかった。
だが、時代は、パンデミックに入り、会社から解雇された人が溢れてくると、警備隊という仕事で、ほぼボランティアなので、
「これだけで生活ができる」
というわけではないが、他の仕事をしながら、警備もする」
ということで、いろいろと、自分なりにできるようになりたいという思いもあった。
会社が解雇した理由である、
「記憶喪失だから」
という理由は、本来であれば、
「不当解雇」
に近いのかも知れないが、そうは言っても、前に進まなければいけない状態になったことで、今のような形で貢献するということであった。
彼が白石氏を慕っているというのは、白石氏が、この警備隊に所属しているからというわけではない。
他の社会福祉に協力しているからというわけでもない。
ただ、紫青年に言わせれば、
「自分と似たところがあるが、自分にないところもしっかりと持っている」
ということから、尊敬しているということだったのだ。
「紫青年は、まだ18歳で、高校を卒業し、大学入試に失敗したことで、少し精神的に病んでしまったようで、記憶喪失も、その一環だ」
ということだったのだ。
最近、現れるという怪しい人物も、ハッキリ顔が分っているわけでもなく、ただ、防犯カメラで、
「いかにも、怪しい」
という感じの写り方をしているというのだが、ただ、今のところ、犯罪の報告があったわけではない。
ただ、最近は、
「物騒な世の中になってきた」
ということで、
「緊急事態宣言中の空き巣事件」
を筆頭に、さすがに、痴漢というような、身体に危険が及ぶ犯罪は減ってきていたが、陰湿という意味での、
「ストーカーまがい」
の犯罪はグッと増えてきていたのだ。
直接の被害があるわけではないが、実際にストーキングを受けている人間からすれば、これほど気持ちの悪いものはない。
特に、ネットでの攻撃というのも多く、顔が見えないのをいいことに、増えてきているという意味で、今は、皆がマスク着用が義務付けられているという意味でも、
「相手の顔が分らない」
ということで、
「これほど気持ち悪いものはない」
といってもいいだろう。
それを思うと、今街で起こっていることは、
「まだまだ序の口であり、どちらに転んでいくか分からない状態だ」
と言えるのではないだろうか?
ただ、こんな世の中において、紫青年のような人間は、珍しいと言われた。
「記憶喪失という状態でありながら、自分たちの街とは関係がない人なのに、一緒に警備隊で行動してくれるというのは、何て健気なんだ」
ということで、彼に対して、警備隊の人や、警察までもが、敬意を表していたのだ。
そんな中で、
「なぜ、そんなによく知っているわけでもない白石氏をそんなに慕っているのか?」
ということが、皆の疑問の共通項であった。
「何か引き合うものがあるということであろうか?」
と考えるが、その引き合うものがどこから来るのか分かっていなかったのだ。
ただ、白石氏が、最近少しずつ、紫青年と関わるようになってから感じたことは、
「彼も、何か二重人格なところがあるのではないか?」
ということであった。
これも、他の人では分かりにくいことではないだろうか?
ということを感じさせられるもので、やはり、
「自分は、二重人格ではないが、躁鬱の気があるということで、紫青年を、闇雲に無視できない何かがある」
と考えるようになったのだ。
といっても、別にいつも一緒に行動しているわけでもないし、リアルな行動範囲に接点があるわけではないが、お互いに、どうしても気になっているようだった。
紫青年は、白石氏のことを、
「気にしている存在」
ということを公言しているが、白石氏の方では、気にし始めているのであったが、実際に、
「気にしている」
と、悟られないようにしているくらいであった。
だが、そんな様子というのは、結構分かるというもので、まわりからは、
「白石さんも、紫青年を気にしているんだろうな」
ということであった。
しかし、白石氏が、紫青年のことを、
「二重人格なところがある」
ということで気になっているとは誰も思っていないだろう。
見た目は、裏があるようにはまったく見えない紫青年であったが、
「記憶喪失になっている」
ということであったので、余計に健気に見えたのだ。
逆に白石氏は、紫青年が、
「記憶喪失だ」
ということを、自分から公言していることを明らかにしているところに、違和感を感じたのだ・
その違和感は、
「記憶喪失というのは、普通なら知られたくないと思うはずなんだけどな」
という思いからだった。
他の人の中にもそれは感じていたのかも知れないが、それ以上に、
「行動がその疑念を補って余りある」
といった感じに、健気さを感じたのだった。
記憶喪失というのは、軽い症状を以前感じたことがあった白石だった。
その記憶喪失というのも、どこの記憶だったのかを忘れるくらいに、短い期間であり、それも、小学生低学年くらいのことだったので、親もまわりも、白石が、
「記憶喪失だった」
ということも忘れているくらいだろう。
医者も、
「原因はわかりませんが、短い間でしたので、問題はないと思います」
ということを言っていた。
どうやら、ごくまれに、小さな子にはあるようで、なぜそのようなものがあるのかというのは、実際に記憶喪失に期間が短く、本人が自覚するのにも、少し時間が掛かるからだった。
何しろ、小学生の低学年、大人になって記憶に残っているかということすら微妙な頃のことではないか。それを思うと、
「医者も分からないことってあるんだ」
という程度で、本人もスルーしているくらいだった。
それよりも、中学になってから感じるようになった、
「躁鬱状態」
という方が気になっていた。
明らかに病気であり、それがどれくらいの症状なのかということを、考えるようになったということである。
躁鬱状態はあくまでも、
「病気」
として認識するようになり、それを意識するようになると、今度は、
「二重人格性」
つまり、
「ジキルとハイド」
のようなものが気になってきたのだ。
実際に、
「躁鬱と、二重人格は関係ない」
というようなことであったので、必要以上に気にしないようにしていたが、本当のところはどうなのか分からないまま、ずっとこの年まで来ていたのだが、もうこの頃になると、
「どっちでも関係ない」
とばかりに、無視できるようになっていたのだ。
だが、紫青年を見るようになって、実際にあまり感じたことのなかった、
「二重人格性」
を思い出すようになったのだ。
きっと、それは、
「二重人格性と自分の躁鬱を一番意識していた年齢が、今の紫青年の年齢くらいだったのではなかったか?」
ということを、思い出したからなのかも知れない。
「記憶喪失の人間に、昔の自分の記憶を引き出されるとは、何とも皮肉なことなのではないか?」
と感じさせられたのだった。
紫青年のことが気になるようになってきたのは、ちょうど知り合って、1カ月くらいが経っていた頃くらいだっただろうか?
警備活動をしながら、時々、一人で屈みこむようにして、床を見ていることがあった。
「何しているんだい?」
と仲間の警備員がいうと、
「ああ、靴紐がほどけまして」
というではないか。
それを聴いて、最初は誰も何も言わなかったが、それがほぼ毎日のことであれば、次第に皆、気になるようになってきた。
白石氏は、最初そのことを知らなかったが、警備員が話しているのを聴いて、
「やっぱりおかしいな」
と思ったのだ。
記憶喪失が治るきっかけになるという意味での行動かと思ったのだが、その様子を見た人から言わせれば、
「何かおかしいんだよな。顔がまったく別人になったかのように感じるんだ」
というではないか?
「どういう風にですか?」
と聞くと、
「うーん、何か憔悴感があるというか、疲れ切っているように見えるというか、顔色も悪いし、とにかく、同じ人間には思えないんだよ」
というのだ。
よく聞いてみると、いつも同じ時間に起こることのようで、それも、1カ月ほど、毎日のように、警備隊に同行していれば分かるというもののようだ。
「最初の1か月くらいは、2人で一組という感じで、研修期間ということのようにしようか」
ということを言われていたようである。
だから、そんな毎日の話を聴いて、自分もその様子を見ていると、
「やはりおかしい」
と感じるようになった。
ただ、他の人が感じている、
「おかしい」
というものと、白石が感じている感覚では、これも何かが違うという感覚になっているのだと感じたのだ。
そして、その感覚をハッキリとさせてくれたのが、白石が好きな女性を見る、紫青年の視線であった。
今、35歳になった白石が、それまで、あまり女性を好きになるということがなかったのに、この年になって、初めて好きになった女性だった。
「女性が嫌いだ」
というわけではなく、性格的に、
「相手から好かれないと、好きになるということがないタイプ」
だったのだ。
というのは、
「どうやら、俺は、嫉妬心が湧いてくることで、その人が好きなのかどうかということを判断しているようだ」
と感じるようになったのだ。
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