三章 とある見習い神官の受難

 今日は懺悔室担当か。誰も来ないといいが……。そう思いながら僕は狭い懺悔室の奥にある、さらに狭い担当部屋に入った。


 悩める信徒が来なければ、こんなに素敵な場所はない。


 僕一人で使える自由な空間。煩わしい上司も同僚もここでは関与しなくていい。自由に本が読める。もっとも、本と言ってもここで読めるのは聖書くらいだが……。


 それでいい。僕は自他ともに認める「活字中毒者」。同僚から、「いまどき聖書なんて誰も読まないのに」、と馬鹿にされても関係ない。聖書、素晴らしいじゃないか。もう20回は通読した。

 なにがおかしいんだ? この美しい言葉を読み解いていくことの素晴らしさが分からないなんて。


 しかし、大概は悩める信徒、いや、下賎の者たちのくだらない愚痴や文句を聞くだけの気が重い仕事。そんな文句を言う暇があるなら本を読めばいいのに……。


 僕は、担当部屋の椅子に座る前に、懺悔室が見える小窓と礼拝堂が見える小窓を開け、目の粗いしゃのカーテンをかけた。これで、薄暗いこちらは向こう側からは見えにくく、こちらからは、それなりに明るい向こうの様子が見えるようになる。よくできた仕掛けだ。

 今日も人がたくさん来ている。懺悔室には入りませんように。僕は神に祈ると、聖書を読み始めた。


 活字に集中しすぎた! 気が付くと礼拝堂の中では何か儀式が始まっているではないか。神父と三人の信者しかいない。……まずい。撤去命令が出ていたのか。気づかなかった……。僕は気づかれないように身を潜めた。大丈夫、向こうからは見えない。何をしているんだろう……あれかな? 特許申請。


 そのとき、ふわりとした風が紗のカーテンをゆらした。


………………………………すべての時間が止まったような感覚…………………………空気が変わった。……神聖な空間。


 神父の声が聞こえる。


"知恵有る者よ 知恵有る者よ

 汝はなにを求む。答えよ"


 なんだ? 神父の声? いや違う! 何が起きてる?

 

 「私は……、私は賢くなりたい。皆を救えるように」


 女の子が答える。


 "知恵ある者よ。汝が作りし物は皆を救えし物なるかや"


 「はい。新たな食は、人々の飢えを凌ぐでしょう」


 本当に子供か? なんだ、この会話は……


 "良きかな、良きかな。知恵ある者よ。我に求めしものを答えよ"


 『讃えよ 讃えよ 我が名を讃えよ

 我を讃える者 平等であれ

 富める者も 貧しき者も

 老いる者も 若き者も

 男なる者も 女なる者も

 全ての者に 知恵を与える

 全ての者は 知恵を求めよ

 知恵を求む者 我が心に適う

 知恵を求む者 男女貴賤別無し』


 聖詠! 聖詠ではないか。しかも聖詠248 なぜそんなマイナーな聖詠を知っている! 教団ではあえて無視している200番代だぞ! 誰だ、この子は!


 "聖詠か。なるほど、バッカスの奴の言う通りか。久しく聞かぬ聖詠を唱えし者よ、汝の名は"


「レイシア・ターナーでございます」


 レイシア・ターナー……、レイシア・ターナー。覚えておかねば。


 "レイシア、そなたに祝福を与えよう。汝の願い我は受け取った。存分に学ぶが良い"


祭壇が光を放つ。なんだ! 魔法陣! 何が起きている? 魔法陣が光を吸収している。キラキラと光の粒が女の子、レイシアに降り注いでいく。


『トルアーデの祝福』


 そうだ、聖書に記載されている『トルアーデの祝福』に似ている。いや、活字では想像できなかったビジュアルが、目の前で繰り広げられていく。 ビジュアル、空気感、光、音、五感全てで感じられる。おお神よ! これが真の祝福なのでしょうか。


 『知恵を求める者は 光を求めし者

 光を求める者よ 我が言葉に従え

 光を受け取れ 光を受け止めよ

 光を受け止めし者よ 祝福あれ』


 歌うような、語るような声は礼拝堂に響き渡る。聖詠267。魔法陣が明るさを増し、はじけるように光った後消え去った。


 神父が倒れ、救援が呼ばれた。僕は全員が去るまで身を潜めた。





 頭の中に声が響く。


”いま、何があったか分かるか”


 圧倒的な威圧を覚えた。


”分らぬなら記憶を封じよう”


 いやだ! あの奇跡を忘れるなど! あれぞ神の奇跡!


”何を意味する。答えよ”


「トルアーデの祝福。それに準ずる奇跡。神の祝福の儀。聖詠248並びに276。知恵を求むる者への讃歌」


 思いつく単語をとにかく並べた。文章になどならなくていい。伝えねば。讃えねば。この感動を。この記憶を無くしたくない!


”よろしい。今の人間にしては信仰があるようだ。もっとも活字への信仰か? はっはっはっ それでも良い。……しかし、お前はまだ認められる程の信者ではないな。今あったことは時が満ちるまで誰にも話す事を禁ずる”


「はっ」


”この教会で一生我に尽くせ。それと、レイシアの師を訪ねるがよい。あれに聖詠を教えた男だ"


「どなたでしょうか? その偉大な師とは」


”自分で調べるがいい。いいか、今日の事は話すな。感づかれてもいけない。よいな”


「はい。御心のままに」


 そして、神の声は聞こえなくなった。

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