五章 とある神官見習いの研修 76~78話

「お前達見習い神官の中から、誰かターナー領のアクア教会に一年間研修に行ってもらいたい。誰もいなければこちらから指名するが、受けたものには特別に出張費と研修ポイントの割り増しを行う。明日までに名乗り出てくれ。以上だ」


 朝礼の最後に、神官長が言った言葉に見習い一同はざわついた。ターナー領? どこだ? いや? ターナー? どこかで……。レイシア・ターナー! あの聖詠の!


 僕は大声で、「行かせてください」と叫んでいた。



 応接間に連れて行かれた僕は、上役から派遣の目的を聞かされた。どうやら、ターナー領の神父と領主は結託して協会本部に歯向かっているらしい。様々な言いがかりと条件を付けて本部の人間を遠ざけているというのだ。そんなことできるのか?


 僕に与えられた任務は、ターナー領と教会の内部を探り、月に一度報告書を送ることだ。あとは好きにしていいらしい。出発は2ヶ月後。5月になってからだ。


◇◇◇


 遠い。こんな遠くとは……。地図では見ていたが、実際移動するとこれほど遠かったのか。かたい馬車の座席に、絶えず叩きつけられるような尻の痛みをこらえながら、3日目の昼にターナー領に入った。


 大きな荷物を抱えて乗合馬車から降りた僕は、教会の場所を聞いた。教会は、町の外れにあるという。荷物を抱え、痛む尻を気にしながらかなりの距離を歩いたら、広い草原の中に、ぽつんと教会と孤児院らしき建物があった。


 子供たちが元気よく草原で遊んでいる。町の子供たちだろうか。


 教会から身なりの良い子供が出てきて、手に持った大きなベルをカランカランと鳴らした。遊んでいた子供たちは一斉に孤児院らしき建物に消えていった。


「教会にご用事ですか? あちらにどうぞ。

   神父様~、お客様です」


 少年は、神父を呼びに教会の中に走っていった。教会からまだ若い神父が現れた。


「神官様ですか? ようこそおいで下さいました。お疲れでしょう。こちらに」


 柔らかな表情と声だが、目は笑っていない。明らかに警戒されているようだ。私は言われるまま教会の中に入っていった。



◇◇◇



  翌日から教会のスケジュール通りにこなしてみようと思った。神父は「そんなに急がなくても、1日くらいゆっくりしていたらどうです」と言ったのだがそうもいかない。


 朝、4時半起床。支度を整え神父と合流。

 6時半 礼拝。熱心な市民と孤児院の子供たちが礼拝席を埋める。朝から満堂の教会など、初めて見る光景だ。


 神父が祈りの言葉を捧げる。皆で讃美歌を歌う。朝ゆえにほんのわずかの儀式。さあ終わったと席を立とうとしたその時、軽快な音楽がオルガンから流れた。


 チャン♪チャラチャラララ♪ チャン♪チャラチャラララ♪ チャチャチャ チャララン♪ チャラ チャン チャン♫



「腕を大きく開いて~」

「ス――――」


「腕を閉じて~」

「ハ――――」


「はいっ みんな揃ってスーハースーハー。腕を開いてスー。腕を閉じたらハー。ご一緒に朝の儀式を行いましょう」


「ほら、神官様も一緒にどうぞ」


 神父が僕に言った。やれと言うのか? それがここの習わしなのか? 毒食わば皿まで! やってやろう!


「まずは体をひねりましょう♪ いっちに さんし♫ にいに さんし♫ 吸って~ 吐いて~ 吸って~ 吐いて~♫ いっちに さんし♪」


「体を回して~♪ 呼吸は大事~♪ っはい いっちに さんし♪ にいに さんし♪」


「腕も回しましょう♪ 呼吸といっしょに~」


「首の運動~ っはいっ!」


「最後は深呼吸~ ゆっくりと~ スーハー スーハー スーハー スーハー」


 なんなんだ、これは? この訳の分からない心地よさと、一体感は!


「今日も1日、元気にすごしましょう! これで聖なる儀式『スーハー』は完了です。皆様よい1日を!」


 司会の信者が声を掛けると、スーハーしていた信者たちは、みんな笑顔で帰っていった。



 この教会はなんなんだ? 僕はどうしようかと頭を抱えた。


◇◇◇


「あれはなんだったのですか!」


 僕は誰もいなくなった礼拝堂で神父に聞いた。


「あれか…。誰が言い出したか『神の呼吸スーハー』という儀式だよ。やると健康になれたと大評判で、朝はいつもみんなが勝手に始めるんだ……。(ボソッ)私にとっては黒歴史なのだがな」


 え、最後はなんと?


「なんでもない。まあ、おかげで朝の礼拝の参加率がうなぎ登りに増えているし、健康になると信仰心まで上がっている。悪いことではないだろう?」


 神父はそう言うと、朝食に案内してくれた。



「孤児院で朝食? いじめですか!」


 ありえない。神職者を孤児院で食事させるなど。追い出そうとしているのか!


「いや、いつも私はそうしているのだが……。嫌なら明日からは別にしますが、今日は他に用意もしていないんだ。今日だけ付き合ってくれませんか、神官様」


 見習いとはいえ、神官の僕に神父が孤児院で食事しろとは……。いいだろう。行ってやろうではないか。



 ここが孤児院? きれいに掃除され、明るい日差しが窓から溢れている。教会の部屋と言ってもおかしくない。孤児院って、もっと汚くて嫌な匂いのするところではなかったのか?

 食堂に入ると、小ぎれいな子供達がおとなしく席に着いている。騒がしくない。孤児院だぞ?


「そうか、今日は水の日か。クリシュ、食前の言葉を」


「はい。作物の実りを育む、水の女神アクア様に感謝を」

「「「作物の実りを育む、水の女神アクア様に感謝を」」」


「私達は大自然の恵みに感謝し祈りを捧げます」

「「「私達は大自然の恵みに感謝し祈りを捧げます」」」


 クリシュと言う少年が先導すると、一斉に祈りの言葉が響き渡る。なんと素晴らしい光景。


「神父、これは孤児なのか? 孤児がこのように礼儀正しいコトなどある分けがない」

「大体は孤児ですよ。神官様」


「だいたい?」

「クリシュ、来なさい。神官様に挨拶を」


 先程先導していた子供が来た。昨日ベルを鳴らしていた子か?


「昨日はご挨拶せず失礼しました。僕はクリシュ・ターナーです。これからよろしくお願いします」


「ほう。立派な挨拶を……。クリシュ・ターナー? ターナー? ターナーって……」

「はい。この領地を収めているクリフト・ターナーの息子です」


「なんで! 領主のご子息が孤児院で食事しているんですか!」

「なんで、ですか? おかしいかなぁ」


「おかしいわっ!」


 それ以上、二の句が継げない僕に、神父が答えた。


「今日は貴族の子供達の教室がありますから。まあ、そう慌てずに。朝食を頂きましょう」


 神父は当たり前の様に食事を始めた。僕は水を飲み干してから、食事を始めた。


「美味しい。孤児はいつもこんな食事を? いや、今日は僕がいるから特別に作ったに違いない。そうだろう、神父」

「いつもと同じだよ〜」


 近くにいた孤児が言った。


「最近は、信者の皆様が、お礼代わりと作物をくださるので、食事が安定してきたのですよ」

「味付けはお姉様がみんなに仕込んだから、間違いはないですよ」


 先程のクリシュ様が口を挟んできた。お姉様?


「クリシュの姉は凝り性でしてね。料理もプロ並みなのですよ」


 神父の言葉にある少女を思い浮かべた。


「それは、レイシア・ターナー様のことでしょうか?」


 一瞬、神父の顔に警戒感が浮かんだ。


「なぜ、レイシアを知っているのでしょう。今はこの領にいないのですが」

「前にオヤマーの教会にいまして。その時、オヤマー様とご一緒に特許の申請に来られたのです。あの米玉、いまは握り飯と言いますが、あれはすごかった。料理に凝っていると聞いて思い出したのですよ」


「そうですか。お会いしたのですか」

「ええ。素晴らしい方でした」


 それ以上は会話もなく、静かに食事を終えた。


◇◇◇


 教会に、身なりのよい子供たちが集まってきた。7歳から10歳くらいだろうか? 立派な馬車で送られてくる子もいる。


「今日はなにがあるのです?」


 僕が神父に聞くと


「ああ。水の日は貴族街の子供が勉強しに来るのですよ。火の日と木の日は街の子たち。月の日は農家の子たち。多くなって来たので分けているのですよ」

「教会で平民に勉強を教えている? なぜ?」


「全ての者は 知恵を求めよ。ご存知ですか?」

「聖詠248番」

「……優秀なのですね。そう、神の御心のままに、です」


 やはり、この人がレイシア様に……。



「なんで孤児院に!」


 貴族の子供たちは、当たり前の様に孤児院に入って行った。


「会場が孤児院ですから」


 何言っているんだこいつは、って風に神父から言われた。えっ? オカシイの僕の方?


 あわてて付いていくと、孤児院の食堂に5歳くらいの小さな孤児と、大きな貴族の子が分かれてテーブルについていた。孤児が前で、貴族が後ろに!


 そこに、領主の息子が来た。確かクリシュと言ったか? 子供たちに向かって挨拶をすると、聖詠を唱え始めた。


「讃えよ讃えよ 我が名を讃えよ」


「「「我を讃える者 平等であれ

 富める者も 貧しき者も

 老いる者も 若き者も

 男なる者も 女なる者も

 全ての者に 知恵を与える

 全ての者は 知恵を求めよ

 知恵を求む者 我が心に適う

 知恵を求む者 男女貴賤別無し」」」


 食堂に聖詠が響き渡った。何だこれは?


「では、今日はボクが授業を担当します」


 クリシュ様が授業を? なぜ? 貴族の子供たちの方が年上なのでは?

 分からない。いつの間にか神父はどこかへ行ったので、授業の様子を見ていた。何だこれは? そこら辺の家庭教師より分かりやすい授業。いくつだ?

 授業を終えた後、クリシュ様を呼び止め、なぜ教師役をしているのか別室で質問した。


「なぜって? ボクは孤児に教えているんです。貴族の子はそのついでです。あと、貴族の子供たちに恩を売って、ボクが優秀だと知れ渡ったら、領主になるときも便利でしょ。ボクの生徒たちがいるんだから」


 何を言っているのだ? この子は……。しかたがないので神父に聞いた。


「もともと孤児同士、勉強を教え合いさせていたんですよ。でも、卒園した子たちが、あまりにも優秀なので、街の子たちの親から教えてほしいと頼まれまして。そうこうしているうちに、クリシュ様が5歳の時から孤児院で勉強を始め、それを聞いた法衣貴族の親たちも混ぜてほしいと言い出しまして。さすがに貴族の子供に孤児が教えるのはどうかと思っていたとき、クリシュが立候補してくれたのです。大人気ですよ、クリシュの授業は」


 何を言っているのか理解出来ない。これ以上は無理だ。今日は休みを取らせてもらった。部屋に戻った僕は、そのまま寝てしまった。



 次の日から、僕はありのままを観察しようと努めた。何をしているのか。何が起きているのか。


 次々と、僕の教会に対する常識、信仰への常識が崩れていった。


 ある日私は、1日休みをもらって部屋に籠もり、聖書を通読した。今まで読んでいた聖書の言葉が、まるで違って見えた。


 神の世界と教団の常識は、こんなにもかけ離れていたのか……。



 明日でこのターナー領に来て1か月がたつ。


 私は神父を個室に呼んだ。


「どうしました?」

「気付いていますよね。僕の立場を」


 神父は何も言わない。それが答えだ。


「明日、報告書を送ります。その前に一つお願いがあります」

「……なんでしょうか」


「僕を、あなたの弟子にしてはもらえないでしょうか?」

「は?」


 神父は困惑した顔で僕を見た。当然だ。信用などないのだから。


 僕は、心の内を懺悔するかのように告白した。次々と湧き上がる思い、信仰、聖書の意味。そして、レイシア様の神との対話も……。神罰が当たってもいい。私はこの方に師事したい。



 私の話を聞いてくれた。本気の言葉は確かに伝わった。


 そんな感覚だけで僕はその場に立っていた。


 神父は、僕に微笑みかけこう言った。


「本気か。ならば明日の報告書には、このように書いてくれ。『ターナーの教会は、金もなく信者からも見放されている。神父は強欲でどうしょうもない。とにかく金のない教会だ。孤児院も荒れ放題だ』と」


「なぜですか!」


「無能で役に立たなくて、うまみのない地。なら、誰も欲しいと思わない。それでいいのさ」


「なるほど」


 僕は上司達の顔を思い浮かべながら納得した。


「分かりました。明日確認して頂きます」


「よろしい。ところで今さらなのだが、私はバリューといいます。君の名は?」


 お互い、名乗り合っていない事に気づいていなかった。

 僕はバリュー神父に名を告げ、生涯の師として忠誠を誓った。

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