救いとは何か( ;∀;)

 小説という媒介の存在意義というものを定義出来る人間は少ないと思う。僕は様々な角度や深度により、小説とは「その意味」を変容するものであると考えています。これはとても歪んだ捉え方である事をここに自白しておきます。読解力の本質は筆者の描こうとした世界を明確に把握し、明瞭に理解し、明白に読み解く事です。ですので、僕はそういった意味では、恥ずかしながら素人創作者としての意識がある事により、全く違う読み方を時としてしてしまうのです。ゆえに最初に「媒介」という言葉を使いました。

 さて、本作を拝読させて頂き、僕が最初に感じた事はやるせなさです。人間と言う生き物は自らが生きていると感じ日々を過ごしていますが、実は周囲により形作られた概要の産物でもあります。妙な例えで言えば、量子力学により説明される部分でもありますが、僕は人間という概要もそう言う産物である思っています。さらにもう一段言うのならば、湯川秀樹先生より提唱された「素領域理論」の素領域を微細な泡だという考え方にもすごく納得出来て、この泡の集合体で宇宙が形成されているのなら、泡と泡の間の領域、これこそがいわゆる完全調和の世界という考え方にも僕は納得しているのです。

 ゆえに人間と言う生き物は、漠然とその完全調和の世界を感じるものですが易々とは辿り着けません。仏陀の言う所の悟りとはその世界の事を示します。物理学という知はそういう領域に辿り着きつつあると感動している僕です。少し小難しい馬鹿な事を書いてしまいましたが、これは僕のテーマのひとつでもあるのです。

 さて、僕は本作を媒介にしてこんな事を考えていました。お読みの通りそれはとても歪んだ解釈です。ですがこの物語が本質的に内在する部分、僕が勝手に想う現代文学の主軸でもある「マイノリティに変質してしまった人間像」を捉えている事に起因します。そこにあるどうしょうもないモノを皆様が筆者様の想いに添い解釈した場合、どの様な言葉が出て来るのか。心に何かを残す物語とはストーリーを浅く単純に解釈せずに、その奥行に潜むものまでを感じる事により読解が広がるかと思います。

 お勧め致します。

 ここにある「何か」を感じてみて下さい。それは分かり易いものではないのです。

 宜しくお願い致します( ;∀;)