第47話 怪盗ドレットノートと至高の宝
「ふう、やっとお客さんも落ち着いたね。サーシャちゃん、手伝ってくれてありがとうね」
「どういたしまして、ララさん」
フェンリルの再封印が終わった翌々日の夕方、サーシャはランド亭の店内で給仕を手伝っていた。
窓ガラスに映る自分の姿をチラ見して、身だしなみを確認する。新たにノートンからもらったイヤリングの呪いによって、サーシャの髪は柔らかくカールしたブラウン寄りの金髪に戻っていた。服装も以前のニャン古亭のものに、エプロンを合わせたものだ。
嵐の様なひと時は過ぎ去り、すべてが元通りに戻っていた。王女だった自分の姿が、幻のように思える。
「昨日今日はお祭り騒ぎだったね。さすがに明日は少しは落ち着いてほしいね」
明るいララの声もまた、普段通りのもの。
彼女の服装も、王城での派手なスリットの入った派手なドレスではなく、いつものワンピースにエプロン姿に戻っていた
〝昨日の深夜に現れた神獣フェンリルは、王家に伝わる秘技によって王太子が封印した。しかし王太子はその時の疲労で、再び病床に伏せった〟
戒厳令の解除と共にエリカ内務次官が発表した内容は、概ねそんなものだった。
深夜だったことと、王都に敷かれていた戒厳令のおかげで、王城以外の被害は全くなかった。
戒厳令に身を潜めながら、王城から響く轟音に眠れぬ夜を過ごした人々。彼らは朝になって消えていた赤い雪と、フェンリル封印の報告を聞いて歓喜し、二日にわたってお祭り騒ぎが続いていたのだ。
「王太子様、万歳!」
「ローラント王国万歳!」
「王太子のご健康を祝って、乾杯!」
無邪気に乾杯を繰り返し、王太子を称える人々。
「ごめんね~、もうお酒も食材もなくなっちゃたから、閉店しま~す。また来てね」
ついにお酒も食材も尽きたため、ララが閉店を宣言する。
「ニーアちゃん、悪いんだけど、食材とお酒の注文に行ってくれるかい? この分じゃ、明日もお客さんがけっこう来そうだしね」
「はい。わかりました」
「私も一緒に行きましょうか?」
「近いから大丈夫ですよ。サーシャさんはゆっくりしていてください」
お店に注文に行ったニーアを見送ると、サーシャはカウンター席で一息ついた。
「お疲れ様、急に頼んで悪かったね」
「いいえ、ララさんにはお世話になりましたし、気にしないでください」
ララがカウンターに置いたホットミルクを飲みながら、サーシャは答える。ララさんはフェンリル封印に協力してくれたのだから、お店を手伝うくらいは当然だった。
ノートンことレオニード王太子とは、あれから会っていない。王太子にして腹違いの兄である彼と、どんな顔をして会えばいいのかわからなかった。そもそも、これで良かったのだろうか?
一人でニャン古亭にいると、いろいろと悪いことを考えてしまいそうだったので、ララからの手伝いの申し出は、サーシャにとっては渡りに船だった。
「ふう……」
だがホットミルクを飲んで一息つくと、抑え込んでいた悩みが封を切ったようにでてくる。
最大の悩みは、フェンリルを消滅させずに封印したことだ。人々はフェンリルの封印に歓喜していたが、ノートンは、自身やサーシャの犠牲にフェンリルを倒すことを拒否し、先送りの封印をすることを選んだのだ。そのことを知ったら、人々は手のひらを返して非難の言葉を吐くのだろうか?
「ん? 何か悩んでいるのかな、サーシャちゃん?」
サーシャの思考を読んだかの如く、ララがサーシャの顔を覗き込む。
「……はい。あの、マスターは、王国を、見捨てちゃったんでしょうか?」
王太子としての地位と責務を放棄し、気楽なアイテム商を営むノートン。彼の気持ちはわからなくはないが、本当にそれでよいのかという疑問は残っていた。
「ふむ、サーシャちゃんは、ノートン君が王国を見捨てたと思うかい? ただ先送りに終始しているだけだと、思っているかい?」
「え!?」
「そもそもなぜ、彼は王都でアイテム商をしているか、考えたことはあるかい?
魔法具と呪いの情報が集まる場所、それがアイテム商。そして彼は買えない魔法具は、盗み出す怪盗としての側面も持っている。それは、何のためだと思う?」
「それは……」
「過去からの呪いを打ち消し、呪い無しに奇跡を起こす御業。始祖王すらたどり着けなかった神秘、天位魔法に到達するためさ」
「天位魔法……そんなもの、あるのでしょうか?」
サーシャは思わず疑問の声をあげる。始祖王が持つとされていた天位魔法も、結局のところ呪いを先送りする大隔世魔法にすぎなかったのだ。奇跡の王太子が持つという秘技もまた、人々から期待を集めた虚構魔法にすぎない。呪い無しに無限の魔力を扱う天位魔法など、この世に存在しないのではないか?
「サーシャちゃんは今、以前より幸せかい?」
ララは意味深に微笑みながら、そんな質問をしてくる。
「え、え~と……」
突然の抽象的な問いに戸惑いながらも、サーシャは、
「幸せです」
と答える。
それだけは断言できた。辛い使命、逃れられない血の宿命を背負いながらも、今は兄がいて、みんながいて、そしていかに守られているかを知ったのだから。
「うん。ではこれを試してみよう」
ララは懐から、ガラス製のフラスコを取り出し、中身をカウンターの上に垂らす。
特製の粘り気が強い水銀は、水餅の様にカウンターの上にまとまる。
「サーシャちゃん、この水銀に魔力を込めてみてちょうだい」
「はい。わかりました」
ララの意図はわからなかったが、サーシャは素直に従う。そういえばニーアと初めて会った際にも同じようなことをした気がする。そんなことを考えながら、あの時と同じ銀の駿馬をイメージし、魔力を込める。
実際に魔力を注いでみると、手ごたえが少し異なった。あの時よりも素直に、より強い魔力を注ぐことができた気がする。
事実、魔力が注がれた水銀は、美しい銀の馬となって駆けだす。その足取りは以前よりも優雅に、そして軽やかに思えた。
(──あれ!?)
だがサーシャが真に驚いたのは、銀の馬がサーシャの頬に触れた瞬間だった。
以前と同じ様に、呪いによる電流を覚悟するサーシャ。だが予期していた電流によるショックはなく、銀の馬は母親に甘える仔馬のように、サーシャの頬の周りを駆ける。ほんの少しだけ静電気の様な電流を感じるが、微々たるものだ。
「呪いが、減ってる!?」
「そう、呪いの効果が軽減されている。つまり君の魔法は、天に近づいている」
ララの言葉に、サーシャは驚き目を見開く。
「ノートン君が持つ強大な魔力。それは血統がもたらしたものでも、使命がもたらしたものでもない。
幸せな状態こそ、呪いの反動なく、強大な魔力の行使を可能にする。幸福が無償のエネルギーをもたらし、そしていつかきっと、天に届く、奇跡を起こすのさ」
〝涙を流しながら、使命を語るな。何故なら幸福は、すべての正しさの前提だからだ〟
サーシャの心に響いたのは、ノートンがかつて語った言葉。
魔力量は術者の精神力に比例するという。ならば、もっとも強く気高い精神状態こそ、無限の魔力の源となりうるのは、自明の理だったのだ。
「────」
サーシャは瞳を開いたまま、言葉もでない。
「そしてそれはあの始祖王をも超えるという事でもある」
不可能だと思われた天位魔法。その入口に、ノートン達はたどり着いているという事か。
「ララさん、あなたは、いったい!?」
何者ですか?
続くそんな問いをララは察したのだろうか、
「なにせ彼は私が盗んだ〝至高の宝〟だからね」
魅惑的にウィンクしながら、自らの正体を明かした。
「──ララさんが、〝怪盗ドレットノート〟!?」
その瞬間、サーシャは全てを理解した。
〝盗めぬものはない〟、そう謡われた稀代の怪盗ドレットノート。
そしてドレットノートが盗んだ、この国の未来そのものとされる〝至高のお宝〟。それこそノートンであり、さらにフェンリルを封じる切り札として作られた虚構魔法こそ、宝である彼を守るという不朽の鎖グレイプニルだったのだ。
そう、すべてはこの二人によって周到に準備されたものだった。
「そもそもノートン君が本当に王国を見捨ててるなら、猫人になる呪いをかけてまで
城下に住んだりはしないさ。呪いの負債なんて捨てて、君を連れてとっくに他の国に旅立っているはずだからね」
サーシャを安心させるためにだろうか、優しく諭すララ。
「今日も王都の城下でニャアニャアつぶやきながら、彼はこの国を救う最良で最短のルートを歩んでいるのさ」
そして冗談っぽく猫の鳴きまねをした。
だがサーシャの顔はあまりの事に反応できず、時が止まったように、目を見開いたままだった。
「──ここにいたのかニャ、サーシャ。遅くなってすまなかったニャ」
聞きなれた猫人の男の声。
ランド亭の入口に立っていたのは、銀髪の兄、王太子レオニード、ではない。
上質なスーツにお洒落な蝶ネクタイを着こなした細身長身の体に、猫面の顔をした猫人の男。
サーシャがよく知るニャン古亭の主人、ノートンだった。
「あら、ノートン君、遅かったね」
「色々と後始末に時間がかかったニャ。仕事中もエリカにずっと小言
を聞かされて、もう参ったニャ」
「彼女には貧乏くじばかり引かせているからね、いたわってあげなきゃだね」
「ミュラとルーシアはどうしているニャ?」
「ミュラ君は地獄の筋肉痛で寝てるよ。ルーシアちゃんはミュラ君の看護中さ。邪魔したら悪いから、サーカスのテントに行ってはだめだよ」
まるでいつもの一仕事が終わったかのようなに、なんでもない会話をするララとノートン。
その二人の姿を見ても、サーシャは何も言うことができない。
「そういえば面白い情報を仕入れたニャ。王都外れのトミナ地区で、錬金術師パラケルススの魔法具が見つかったらしいニャ」
「ほう、古の錬金術師の魔法具か、それは面白そうだね」
「というわけで、サーシャ、明朝一番に出かけるので、帰って準備するニャ」
自分に対して話しかけられていることを理解していても、サーシャは反応できず、まるで無機質な人形のように、ただノートンだけを見つめていた。
確かなことは一つ、ノートンの頭は王家の呪いを解くことでいっぱいな事だ。
もちろん自分と妹であるサーシャの幸せを、前提としてのものだったが──
「どうしたサーシャ? 惚けてないで、さっさと帰るニャ」
サーシャの優しく手を取り、ランド亭を後にするノートン。
間近でその猫人の横顔を見つめながら、サーシャは初めて口を開いた。
「──マスター、その〝ニャ〟って語尾、わざとですか? たまに付け忘れてますよね?」
口から出たどうでもよい質問。
だがノートンは一瞬だが、とても困ったような顔をして、
「……ひ、秘密だニャ」
と言葉を濁した。
「キャー、あざとい、イヤー!!」
サーシャはノートンの右腕を力いっぱいに胸に抱きしめて、思いっきり叫んだ。
猫人アイテム商ノートンと負債の姫君 「呪い付きのアイテムはいかがかニャ?」 蒼空 秋 @reo0720
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