第46話 奇跡の王太子
「──隷覇舞踊〝鳳凰の舞い〟──」
ルーシアが、渾身の魔力を込めてステップを踏む。
炎を身にまとった紅蓮の鳳凰が、その場に出現して跳び舞う。フロアは瞬時にして紅に染め上がり、その熱によって雪が一斉に解け蒸発する。
「ヴィラの香紛、番外、〝マホジョスペシャル〟!」
続いてララが、香粉を振りまく。強い柑橘臭の香粉が、一面に漂う。
「運動力は3割増し、その代わりにカロリー消費と筋肉痛は3倍だ。これでケリをつけてね」
「おうよ!」
ミュラは果敢にも愛刀を手に、再び先陣を切って無数のフェンリルの眷属の中に飛び込む。
「擁護します。城塞魔法〝(ローラ・ウォール)〟組織変換第五格納庫直結」
フロアの三方の壁が組み変わり、地下倉庫と直結される。三方の壁に姿を現したのは、人間の数倍はある武装したゴーレムの群れだった。
「魔操兵(ゴーレム)全機、リフトオフ!」
合計12体のゴーレムの拘束具が外され、フロアに侵入してくる。その動きは鈍重で戦力的にもフェンリルとは比べるまでもないものだったが、一時的に眷属たちの注意をそらす役割は果たせるはずだ。
「ビンの魔人よ、私達を守って!」
『了解いたしました、ご主人様』
自身の役割を理解したサーシャは、ビンの魔人を召喚し、盾とする。何もしない魔人の、いつものこけおどしにすぎないが、敵にはサーシャ達を守るための直掩に見えるだろう。
フェンリルを殺しうる武器は宝剣ファルシオンしかない。敵はそのことを理解していても、新たに出現したゴーレムや魔人の姿を無視するわけにはいかないはずだ。
眷属たちの注意が分散した結果、生じた一瞬の隙──
「麗血の水銀(ブラッディ・マーキュリー)〝水銀回廊〟!」
その隙を見逃すノートンではなかった。魔力で水銀を練り上げ、フェンリル本体めがけて放つ。水銀は巨大な柱となって、フェンリルとノートンの間をつなぐ。
さらにノートンは、自らが作り上げた水銀の橋に飛び乗ると、その上をフェンリルめがけて疾駆する。重力軽減の魔術の加護をも得ているのだろうか、水銀の急流の上を、俊足で跳ぶように駆ける。
さらに刺突の速度が上乗せされる。瞬く間すら許されない。魔術と体術と剣術の達人にしかできない、まさに神速の一撃。
神獣フェンリルの動体視力すら超えた神速の宝剣ファルシオンは、ついにその眉間を貫いた。
『グルギャァアアアアアアァアアアアアア!!』
世にもおぞましい断末魔の悲鳴をあげ、その場に倒れるフェンリル。
「──やった!?」
そのまま塩の柱となって崩れ去ったフェンリルの姿に、サーシャは今度こそ勝利を確信する。
だが勝利を喜ぶ時間など、訪れてはくれなかった。
直後、総毛だつ様な悪寒が、再びその場を支配する。ルーシアの舞踊によって保護されていたフロアの気温が急低下したのだ。空気中の水分が結晶化し、濃い霧となって視界を遮る。
次の瞬間、ノートンの手元を衝撃が襲った。
「痛ッ──」
手元に走った激痛に宝剣を失いながらも、ノートンは衝撃から何とか姿勢を維持していた。
吹き飛ばされ、音を立てながら地面に転がる宝剣。
「──なるほど、眷属を身代わりにしていたか、獣のくせに、用心深いな」
霧の奥からゆったりと姿を現したのは、禍々しい銀狼の姿。
狡猾にも眷属を用い偽装し、自らの身代わりにしていたのだ。
宝剣をはじき落したのも、フェンリルの意図したものだったのだろう。事実、地に落ちた宝剣は、既に4体ものフェンリルの眷属が周りを取り囲み、確保していた。
『グオオオオオオオオオオオオオオオンンン!!』
フェンリルが咆哮する。
雄々しいその叫びはこの戦いに勝利したことを確信した、勝どきの咆哮の様。
事実、フェンリルの脅威となりうる魔剣と宝剣はすでにない。僅かにノートンの水銀だけがフェンリルの足元を囲みつつあったが、毛皮すら切れない水銀など既に眼中にない様子だった。
「マスター!?」
フェンリルに唯一有効だった武器を失い、敗北を覚悟したサーシャは悲鳴に似た声をあげる。
だが眼前のノートンの鋼の様な背中は微動だにしない。
むしろ勝利を確信したかのような、堂々としたものに見えた。
「──獣のくせに油断するとはな。その学習能力の高さが、お前の命取りだ」
不敵なノートンの言葉に、危機を察したフェンリルの目の色が変わる。だが何もかも手遅れだった。
刹那、黄金の鎖がフェンリルの足元の水銀の中から出現する。水銀によって隠されていた鎖は瞬く間にフェンリルを包み込み、その体を縛り、拘束した。
予想外の鎖の出現に、もがきあがくフェンリル。だがノートンの左手から伸びる黄金の鎖は、神獣の力をもってしても、微動だにしない。
「──虚構魔法〝不朽の魔鎖(グレイプニル)〟──」
目の前の鎖はローラントの国中の人々が知る、もっとも有名な伝説の顕現だった。
怪盗ドレットノートが盗み出したとされる〝至高の宝〟、それを守ると信じられている鎖、〝不朽の魔鎖(グレイプニル)〟
神獣の力をもってしても砕けないと人々が信じている伝説の鎖。魔法は単純なものほど、強い力を持つという。神獣の力をもってしても砕けないという単純な魔法であるがゆえにより強く、フェンリルの力をもってしても逃れられない虚構の魔法を成立させていた。
「伝説の鎖グレイプニル!? どうしてマスターが?」
「希望はある、無ければ作り出せばいいんだ、サーシャ」
ノートンは〝不朽の魔鎖(グレイプニル)〟の締め付けを強め、フェンリルの苦痛の悲鳴が城中に響く。
音もなく次々と消滅していく眷属たち。勝敗は決した。もはや眷属を維持する力も、魔雪を降らす力も尽きたようだ。
「ノートン君、これを──」
ララが宝剣ファルシオンを拾い上げ、ノートンに手渡す。
ノートンの右手に戻ったファルシオン。呪い斬りの宝剣は、ついに役目を果たすときが来たとばかりに、まばゆいばかりの白光の輝きを放つ。
「────」
ノートンは目を細め、輝く剣先を鋭い視線で見つめる。
それはサーシャが見たことがない冷徹な顔。大勢を生かすために、個人の犠牲をもいとわない、冷たくも険しい王者の横顔だった。
だがその瞳は何かを思慮し、迷っているようにサーシャには感じられた。
「マスター……!?」
サーシャはノートンの意図を察する。
人々の希望、期待を汲み上げて作り出した〝奇跡の王太子〟という虚構魔法。集約されたその膨大な魔力を用いれば、神獣の心臓を抉り、フェンリルすら倒しえるかもしれない。代償として、ノートンの命は失われる。
サーシャがそうだったように、王家の血をひく者の命を、その代償として──
「血の盟約に従い、我、ローラント王国王太子、レオニード・ローラントが命ず!!」
国中の人々から、虚構の希望として集めた膨大なる魔力が、正当なる王太子の名の下に真価を発揮する。
人々が信じる希望は、宝剣ファルシオンを、奇跡を起しうる光の聖剣へと昇華させる。
まばゆいばかりのその魔力は、地上の太陽となって、深夜の王都全体を照らしあげる。如何なる神獣ですら、これだけの魔力を叩き込まれれば、存在することなどできまい。
だがサーシャの脳裏には不安しかなかった。フェンリルを消滅させるには、結局のところ、ノートンかサーシャのどちらかが犠牲になるしかないのか。
「待ってくださいマスター、レオニード兄様!」
サーシャの身代わりに使命を果たそうとしているであろうノートンに対し、彼女は懇願するかのように叫ぶ。
だがノートンはサーシャの方を振り返り、口元を緩める。
それは澄み渡るような、優しい兄の微笑みだった。
「──心配するな。オレは、涙を流しながら、使命を語ったりはしない」
ノートンは宝剣ファルシオンを静かに鞘に納める。
そして強大な虚構の魔力の塊を、右手の掌に集約させた。
「人間の業と呪いを喰わせ続けられた神獣よ。すまないが、今はまだ解放してやることはできない」
集約された吐き毛がするほど濃密な魔力。それはついに具現化し、本の形となる。
魔力によって書き上げられた書物、すなわち魔法書だった。
「我が血統の名において、神獣を封じ、従僕となさん」
──虚構魔法〝奇跡の王太子(ロード・オブ・ザ・デビット)〟──
名づけられた真名と共に、魔法書が真価を発揮する。エメラルド色の光が、フェンリルを覆う。
そしてフェンリルは黄金の鎖に縛られたまま、魔法書の中に吸い込まれ、姿を消してしまった。
「──皆、大義だった」
厳かな口調で封印の儀の終了を宣言するノートン。手元に握られている丁寧な装飾が施された古書を思わせるその魔法書は、サーシャの〝負債の女王(クイーン・オブ・ザ・デビット)〟と瓜二つのものだった。
ただ一つ大きく違うのは、魔法書から伸びている黄金の鎖、それはサーシャの〝負債の女王(クイーン・オブ・ザ・デビット)〟の鎖より堅固で、より強靭なものの様に思えた。
「封印したんですか? その本に?」
「ああ。これで、しばらくはもつ」
サーシャの問いに答えるノートン。
全てが終わった今となっては、なんてことはなかった。封印が切れかかっていたサーシャの魔法書から、新たに作成したノートンの魔法書に、フェンリルの封印が移っただけだ。
「……倒したわけでは、ないんですよね?」
「ああ、その通りだ」
虚構魔法をもって作り上げた新たな鎖と、魔法書。その二つをもって封じた神の獣。それによって稼いだ時間は数十年か、数百年か、それとも数年に満たないのか、それはサーシャにはもちろん、ノートンにすらわからないだろう。
確かなのはノートンかサーシャのどちらかを犠牲にすれば倒せたはずのフェンリルを倒さず、再び封じ込めるという選択を、ノートンがしたという事実だった。
「それって、つまり……」
状況を理解したサーシャが口ごもる。
「先祖の責務を、呪いを、オレ達だけが負う必要はない」
責任を感じたサーシャの心を気遣ったのか、ノートンは優しく告げる。
「──〝先送り〟。賢明で狡猾、そして無責任な、先人たちの知恵さ。今はオレたち
もその知恵を拝借する」
遠くない未来、積み重なり膨れ上がった負債の山を、いつか、どこかの世代の誰かが支払うことになるのだろう。そう感じながらも、サーシャは言葉がでなかった。それは奇跡の王太子という期待と責務に向き合い続けたノートンが、ついにたどり着いた結論なのだから──
「エリカ、国王(オヤジ)に伝えろ。〝その方法〟は執らない、別の方法を探す、と」
最後に、城に残す忠臣に対し、ノートンは非情な命令を下す。
「ま、待ってください。今度こそ、私を、連れ──」
ノートンの残酷な言葉に、エリカは初めて抗おうとする。
だが彼女の口が思わず紡いだ言葉を、必死で飲み込む。
その先は、宰相の娘にして、内務次官という要職にある彼女が、口にしてよい言葉ではなかったからだ。
「〝立場は違えど、思いは同じ〟、だ」
ノートンが口にしたのは、写真に描かれていたのと同じ言葉。
それは彼女を縛る、優しい呪いの言葉。
「──ずるいです。レオさん」
一筋の涙が頬をつたる。
それは怨嗟と呼ぶにはあまりに美しく、儚い声だった。
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