第45話 封印の儀


『グルアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ!!!!!!!』


 天を引き裂き、地を喰らわんばかりの咆哮。

 それは神獣である自らを使役し、魔獣の呪を喰わされ続けてきた元主に対する、憎悪の念の放出だった。

 同時に吹き荒れる吹雪。赤と青の雪は、集約され紫の吹雪となり、瞬く間に城の部屋全体を覆う。


「えっ!?」


 吹雪の直撃を受け、サーシャは自身の意識が一気に薄くなっていくのを感じた。赤い雪は精神を、青い雪は肉体を蝕むという。感覚は麻痺し、寒さや痛みすら感じることなくサーシャはその場に倒れこみそうになる。


「城塞魔法〝(ローラ・ウォール)〟」


 だが意識が飛ぶ寸前、目の前に展開された障壁によって吹雪の圧が消える。

 エリカが右手を掲げ、魔法を放ったのだ。目の前の城の床が飴のように伸びて、巨大な盾となって吹雪からサーシャ達を守っている。


「これは、義父様の!?」


 記憶を取り戻していたサーシャには、覚えがあった。

〝城塞魔法〟、王城内に限り、城に施されている防御施設を自在に操作することができる特殊魔法。呪いとして、生涯を王家に捧げるという制約がつく。長年にわたり王家防衛の為に構築さえた王国の最終防衛兵器であり、宰相であるリシュリューが保有していた切り札のはずだ。娘であるエリカが継承していたのか。


「吹雪は私が防ぎます。長くはもちません、すべてを攻撃に」


「了解だよ! 美魔女ヴィラの香粉、7番〝心浄なる白バラ香〟(マリー・ディモルフォセカ)!9番 〝壮美たる水百合(ルイン・メランポジウム)〟!」

 

 エリカの声に呼応したララが、パーティ全体に粉をばらまく。柔らかいバラと、瑞々しい百合の香りが、あたりいっぱいに広がる。途端、サーシャの意識はクリアとなり、呼吸が楽になのを感じた。


「心を浄化し、肌と健康を最高の状態に保つヴィラの香粉だ。雪の状態異常は無くなったはずだ。さっさとやっちゃってね」


「──隷覇舞踊〝煉獄鳥の舞い〟──」


 魔力を帯びたステップを踏み、全身全霊をもって激しい舞いを披露するルーシア。

 魔鳥の形をしたオーラがミュラに舞い降り、その体を包む。


「元ローラント親衛隊長ミュラ・エーゼル、参る!!」


 炎の加護を得たミュラが、先鋒こそ騎士の誉れとばかりに先陣を切る。神獣の神威を相手にも、ひるむことのないミュラの右手に握られているのは、人々の願いを形にしたという虚構の魔剣グラム。それはサーシャがサーカスで見た物と同じものだったが、放たれる光は以前の数倍はあった。おそらくは、この日の為に磨き上げられた真打か。


「グウォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」


 グラムの光に気づいたフェンリルが、神威をもって咆哮し返す。竜殺しの魔剣を眼前にしても、恐れるそぶりは見られない。

 刹那、フェンリルの巨体が勇躍し、音速の壁を蹴破らん勢いで、瞬く間に間合いを詰める。


「──むっ!?」


 ミュラの眼前に出現する岩の様な巨牙。

 瞬時にして、ミュラの身体は上下の牙によって閉じられる寸前の口内にいた。いかなる剣士であろうと、この一撃は防げまい。結局のところ、剣士が自身の背丈の何倍もの巨体の獣に挑むなど、無謀なのだ。


「麗血の水銀(ブラッディ・マーキュリー)」


 だが絶対の死地よりミュラを救ったのは、水銀の触手だった。咄嗟にノートンが放った水銀の触手は、その水圧によって強引にミュラを押し出し、フェンリルの牙から救い出した。

 何の獲物にもありつくことができず、フェンリルの牙が空しく空気を食み、歯ぎしり音が響く。苦々しい瞳でこちらを睨みつける。

 フェンリルの足元に押し寄せる、大量の水銀。それは瞬く間に巨大なうなりとなり、無数の針となって隆起し、まるでそれぞれが意志を持っているかのように、次々とフェンリルに突き刺さろうと襲いかかる。

 だが水銀の針は堅固な神獣の毛皮を貫通することはできず、次々とフェンリルの毛皮に絡まっていく。


「サーシャ、今だ!」


 ノートンの意図を理解したサーシャは、全魔力を右手に集中させ、解き放つ。


「はい。イエローちゃん、お願い!!」


『最大出力で行きまーす!!』


 サーシャの右手に握られている〝電黄石〟(イエローストーン)から放たれた電撃は、水銀を通ってフェンリルの全身を襲った。美魔女ヴィラをも仕留めたという直接電撃。サーシャが全力で放出したそれは数秒間ではあったが、フェンリルの巨体の動きを封じこめた。

 電撃によってもたらされた僅かな間隙を、見逃すミュラではなかった。


「ぬん!!」


 フェンリルの死角、直上より襲い掛かったミュラは、渾身の力をもってフェンリルの頭部にグラムを振り下ろす。魔獣を狩る希望を集約した虚構の魔剣、竜さえ屠るとされる伝説の魔剣は、輝く光の束となってフェンリルの頭上を叩き込まれた。

 入った。

 勝利を確信するサーシャ。だが──

 刹那、魔剣グラムは無数の光の塊となって、音もなく砕け散った。


「──ウソ!?」


 サーシャは予想外の事態に思わず驚きの声を漏らす。

 数年にわたって国中の観客から集めた、魔獣狩りの希望で錬成された虚構魔法の結晶。

 コバンの魔獣をも容易く消滅させた魔剣は、わずかにフェンリルの毛皮を斬っただけで、骨どころか肉にすら届かないまま四散してしまったのだ。

 唯一、ミュラにとって幸いだったのは、フェンリルの怒りよりも生存本能が勝ったことだろう。ミュラは、彼を振り払おうとするフェンリルの爪を紙一重でかわすと、激しく床を蹴って距離を取り、ひとまず窮地を脱する。

 フェンリルの追撃はない。フェンリルは鋭い眼差しでサーシャ達全員を見つめ、何やら考え込んでいる。グラムの存在がよほど予想外だったのだろう。


「ちっ」


 獲物であるグラムを失ったミュラは、背負っていた予備の剣を構えながら舌打ちする。

 彼が持ち替えた剣には、なんの魔力も宿っていないようにみえた。つまりフェンリルの脅威にはなりえない代物だ。

 フェンリルの肉体を傷つけることができたグラムの一撃を受けて、フェンリルは脅威を再考するだろう。グラムが四散した今、奴が警戒を要する武器は、その場に一つしかない。


『グルウウウウウウウウウウウァアアアアアア!!』


 予想どおりフェンリルは残る最大の脅威を、ノートンが持つ宝剣ファルシオンに見定めたようだ。ノートンを正面に見据えるや、禍々しい雄叫びをあげる。

 刹那、周囲の空気が凝固したかのごとき、凍てついた寒波がサーシャ達を襲う。

 フェンリルは口から銀色のブレスを放ったのだ。 


「城塞魔法〝(ローラ・ウォール)〟 球形隆起!」


 エリカは城塞魔法で床をドーム型に隆起させ、間一髪のところでブレスの直撃を防ぐ。


「気を付けて、こいつは銀の雪の塊だ! ヴィラの回復薬では治癒できないよ!」


 ブレスの正体は、触れるだけで致死に至るという伝説の銀の雪。今は辛うじて防いで入るが、こちら側の動きは封じられてしまった。


「あれは、ヤベえぞ!」


 フェンリルの影が陽炎の様に伸び、複数に分裂したのだ。それらの影が隆起し、白銀の毛皮をまとい実体化する。大きさは本体と同等。フェンリルは宝剣ファルシオンを警戒し、眷属の召喚し使役する戦術に切り替えたのだ。


「──4,8,16体を確認、なおも増殖中!!」


 加速度的に増える眷属を数え上げるエリカ。冷静沈着な彼女の声にも、焦燥の色が混ざっていた。


「どうしますか? マスター」


 サーシャは懇願するような声で、ノートンに指示を仰ぐ。

 だがノートンの瞳には曇りの色はなく、ただまっすぐにフェンリルの姿を見据えていた。如何なる状況でも冷静さを失わず、僅かな勝機をもつかみ取ろうとする不動の意思。それはサーシャには与えられなかった天与の才能と帝王学を受けた君主の姿だった。


「──オレをフェンリルの足元まで運んでくれ、それで事足りる。皆は援護を!」


 ノートンが出した結論に、ミュラ達は無言でうなずく。

 指揮官である彼が、そう指示したのだ。如何なる犠牲をもってしてもそれを実現する。そしておそらくこれが最後のチャンスであるとサーシャは感じ取り、彼女自身も無言で頷いた。

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