第6話 陰と陽

 玉岩八幡の酒盛りの中、ドクロの消えた天井を僕は唖然として見つめていた。頭の中では目の前で起こった出来事を整理しようとしていたのだが、その答えに行きつく事はもちろん、手がかりらしきものさえ何も掴む事はできなかった。


「一体なにをしたんですか、穂波さん?!」


「だから何もしてないし、何も起きてはいないわよ。ただ、霊が勝手にあたしから離れていっただけよ」


 穂波さんは、おつまみに用意してあったポテチに手を伸ばし、パリパリと音を立てながらそれに噛り付いている。


「勝手に離れたって……え、でもそんな事あるんですか? お祓いも、お札もなにもなしに……」


「そうだなぁ~~、鈴木君は幽霊ってどんな奴だと思う?」


 手に着いたポテチの粉をティッシュで拭きながら、穂波さんが僕に尋ね返した。


「どんなって?」


「いやまぁ、結論から言っちゃうと、大した霊魂じゃないのよ幽霊になるのは。

 ほら、誰もが認める大人物とか、悟りを開いたような人が幽霊になって人を祟るなんて事はありえないでしょ?

 化けて出るのは、恨みとか、暗い情念でこの世にしがみついてる霊だけなのよ」


「まぁ、確かにそうですけど……」


「だから、彼等は常に暗く重たい波長の中に居なければならないのよ。明るく軽い波長なんかと同調してしまったら、もうこの世には留まれないから。

 だから、常に自分の波長を明るく軽く保ってれば、向こうから勝手に離れていくか、場合によってはそのまま成仏しちゃうものなのよ」


「う、うーーん……」


 確かに僕は自分と自分の周囲の事を呪いながら下校して、その最中に女の子の霊に憑りつかれた。もし僕の心の中が穂波さんの言うように明るく軽いものであったのなら、霊に憑りつかれる事もなかったという事なのだろうか?


「陰キャが、陽キャに近づきにくいとか、そういう感じでしょうか?」


「間違いじゃないけど、正確でもないかもね、その言い方だと。

 例えば陰キャ・陽キャを内向的な人か、社交的な人かで分けているなら、それは違うわ。

 社交的な人であっても、周囲の人を見下したり嫌がらせをしていたりすれば、その波長は重くなるし、悪霊だって憑りつく事ができるわ」


「付け足すなら、内向的か、社交的かで、霊が人に囁く言葉は変って来るけどね。

 内向的な人には”おまえなんか死んじゃえ”って囁くし、社交的な人……というか攻撃的な人には”あいつなんか殺しちゃえ”って囁いて来る」


 片膝をついた神主さんが、穂波さんの話を補足してくれた。


「穂波は、これで2回目だっけ、霊に憑かれのは?」


「まぁそうだけど、誰だって本人が気づいてないだけで、霊に憑かれる事くらいあるんじゃないの? 死んだおじいちゃんなんて、5回も憑かれたって言ってたし」


 なぜ僕だけに霊が寄ってくるのだろうと思っていたが、考えてみればいろいろな人に霊が憑りついている所を僕は目撃していた。これも穂波さんの言う通りなのかもしれない。


「神主さんも、憑かれた事があるんですか?」


「いや、俺は一回もないよ。少なくとも、自覚した事はないし、憑いたとしてもすぐ離れちゃうからね」


 試しに神主さんにも聞いてみたが、霊に憑かれるとか、憑かれないとか、そういう事とは無縁な人なのだと分かっただけだった。


「それじゃあ、お祓いとか、除霊とかって、やる意味ないって事ですか?」


「まぁ、うちでやってるのは、お祓いする事で安心させる意味合いが強いかな?

 いつまでも霊に憑かれているんじゃないかと不安でいると、心が暗いままになるから霊が離れないからね。

 よそ様でやってるお祓いがどうかは知らないよ」


 神主さんは、そう言いながら僕の前にポテチの袋を移動させてくれた。僕は、少し頭を下げてから、袋の中に手を突っ込む。


 穂波さんや、神主さんのやり方で、例えば平将門の霊を沈めたり、何十年も周囲に呪いを振りまいた人形を祓う事ができるとは流石に思えない。しかし、今僕が頭を悩ませている、日常の中で僕に寄ってくる霊達を退けるのならば、これ以上適した方法はない。だって、自分でできちゃうんだから。


「あの、霊に憑りつかれないように、自分の波長を明るくするのって、どうすればいいんですか?」


「そっか、霊が見える鈴木君にとっては、悩みの種だったねそれが。

 うーん、そうだなー、鈴木君の場合まず、笑顔を作る事を練習した方がいいかもね。 ここに来てからも、ずっとしかめっ面のままじゃない」


「笑顔ですか?」


 そう言われて僕は笑顔を作ったつもりだったが、穂波さんは気に入らないらしく首を振り、傍にあったストローを一本袋から取り出して来る。


「これを歯で咥えてみて」


「こうですか?」


 僕は手渡されたストローを言われた通りに咥えた。


「その状態で口角を上げて、笑顔を作ってみて……、ニィーーって。そう! その状態をキープしたままストローを取ってみて」


「こう、ですか?」


 頬の肉が引きつっている。

 普段の僕は笑顔を人に見せる事はなかった。幼い頃、部屋ではしゃいでいたら、親に五月蠅いと叱られた経験が幾度かあり、それ以来”感情を表にだすまい”と頑張ってきた。また叱られたくなかったからだ。

 だからこれまで、意識して笑顔を作ろうとした事などなかったのだが、それが原因で口角を上げるという動作すらこんなにも難しく感じるようになっていたとは、想像すらできなかった


「うん、いい調子だね。”笑う門には福来る”って言うけど、ブスっとしていると周囲の人も不快な連中が寄ってくるようになるんだよね。霊だってそれと同じで、悪いのがやって来やすいのよ」


 穂波さんの言う通りならば、僕は昔っから悪い人や霊を引き寄せる努力を自らしてきた事になる。


「それから、口癖を変える事かな。

 例えば、”できない””怖い””不幸だ””つまらない””あれが心配だ””あいつは許せない”とか、そんな口癖を呟いていない?」


 穂波さんの指摘はだいたい当たっていた。一人になっている時に僕が呟く事はおおよそそんな内容だったし、心の中でなら四六時中呟いていると言っても過言ではなかった。


「それは言霊って奴ですか?」


「うーん、これも言霊の一部なのかも知れないけど、例えば耳元でしょっちゅう”つまらない”とか”あれが不安だ””これが不安だ”なんて囁かれ続けたら、その人はどうなると思う?」


「気が滅入ってしまって、正常ではいられないかも? でも、自分で呟く分にはあまり影響はないんじゃないかな。他人に言われている訳でもないのに……」


「自分で言ってるからこそ、より深刻なのよ。だって、自分も言葉を最もよく聞いているのは自分自身なんだから。

 自覚していない人が多いみたいだけど、口癖なんて自己催眠をかけているようなものなの。

 だから逆に”できた””愛してる””ついてる””うれしい””楽しい””感謝します””しあわせ””ありがとう””ゆるします”とか、そんな言葉を口癖にすると、自然といい方向に自己催眠が掛かるってわけなのよ」


 穂波さんの言う理屈はわかるし、これからはそうしたいとも思った。けれど、それを実行している自分の姿は想像できない。

 暇さえあれば僕に勉強をさせる事しか考えない親、誰一人味方の居ないクラスメート達と常に僕を不快にする藤田のグループ。彼等に囲まれた状態で、どうしてそんな言葉を呟けよう。


「ま、難しく考えず、できる事からやったらいいんじゃない? 暇な時にでも呟いてみるとかさ。

 ほら、笑顔笑顔」


 穂波さんに指摘されて、僕は慌てて口角を上げる。


「そういえばさっき、古武道の教室をやっているって言ってましたが、いつですか?」


 古武術を習いたい、と心から思ったから聞いた訳ではなかった。もし、今日このまま帰ってしまったら僕の生活は何も変わらいし、穂波さんに二度と会う事もないと思ったからだ。

 せっかく霊から身を守る方法を知る人物と出会ったのに、これで縁が途切れたのでは、僕の運命は変らない。あの冬三郎からも逃れられないだろう。

 とにかく、この人達との繋がりをこのまま斬りたくなかったのだ、今の僕は。


「君に教えるとしたら、健司君と同じになるから日曜の4時からになるかな。歳もおなじくらいだし、同じ初心者だし」


 幸運だった。その時刻なら”塾に行く”とでも言えば親に怪しまれない。無料で教えているという話だから、小遣いにダメージすらないのだ。

 唯一の問題は、塾と時間が被るのでそっちはサボるしかないという事だが、元々あんな場所には通うだけ時間の無駄だったし、悪霊対策の方が今の僕にはよっぽど重要な問題だった。今更それを天秤にかけるまでもない。


「じゃあ、それでお願いします!」


 僕は自分でも驚くほど大きな声で、即座にそう答えていた。



         *      *      *




「この子が石田=健司君。中二だから、鈴木君とは一歳違いだね」


 次の週の日曜、神社の境内で出迎えてくれた袴姿の穂波さんは、まるでポケットのように黒い袴の脇に手を突っ込んだまま、オレンジの服を着た中学生をそう紹介してくれた。

 よろしく、と挨拶をした石田君は角刈りの少し太った少年だ。他にお弟子さんの姿がいないという事は、どうやら僕達が習い始めたばかりの子供なので、わざわざ稽古の時間を別に設けてくれたらしい。


「あ、はい、よろしく」


 少し恐縮しながら返事をする僕に、石田君は満面の笑みで答えてくれる。クラスメートから孤立している僕にとっては、そんな石田君の仕草すら照れくさく感じられた。


「ほらー、また表情がかたくなってるぞ、鈴木君」


 穂波さんに指摘され、僕は慌てて頬に力を入れる。顔の筋肉を動かすのも、普段からサボっていると難しくなるものだ。


「余ってる胴着があるから、まずは鈴木君のサイズに合うのを選ぼうか」


 穂波さんが、奥の方から風呂敷に包まれた白い稽古着を何枚か運んでくる。


「またー、そんな暗い色の服なんか着てーー」


 胴着に袖を通そうとジャンパーを脱いだ僕に、穂波さんが眉をひそめた。僕は、思わず顎を引いて自分服を見つめる。今日僕が着ていたのは、こげ茶色のホロシャツだった。


「なんか、まずいんですか、服の色が暗いと」


 僕は即座にその話に喰いついていた。ぶっちゃけ古武道なんかよりも、そういう話を学びたかったのだから、望むところだ。


「そうだね、自覚はないかもしれないけど自分の気分が暗くなるし、自分に向かって周囲の人から暗い念が集まりやすくなるのよ。

 ほら、周囲から暗い人だって思われたって、何も得する事なんてないでしょ? 制服とかなら仕方ないけど、普段着る服は明るくした方が、運がよくなるわよ」


「あ、なるほど」


 僕は穂波さんの言葉に頷きながら、シャツの上から胴着を羽織った。うん、ちょっと袖が長い気もするが、このくらいで丁度いいだろう。


「じゃ向こうの部屋で、健司君と一緒に着替えて来て」


 穂波さんは、僕に胴着を手渡しながらふすまの向こうの部屋を指す。振り向いてみると、健司君はもう開いたふすまの向こうで手を振って僕のことを待っていた。

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