第2話 群がる霊能者

 その日、父さんが連れて来た霊能力者が最初にやったのは、霊視だった。


「ハッキリと見えます……、数週間前に交通事故で死んだ女の子の霊で間違いないですね。事故死した女の子は、さぞや無念だったことでしょう……」


 霊視の結果この男は、そう結論付けた。もっとも、これは驚くべき事ではない。ついさっき僕が説明した事に対して、この霊能力者が太鼓判を押してくれただけの事。彼が霊視で新たに発見できた事は何一つないのだから。

 僕はイマイチこの人が信用できずに両親の顔を見渡したが、父さんも母さんもすっかり信頼しているようで、謝礼の入った封筒をなんの抵抗もなく差し出している。


「それじゃ、このままだと危険だからすぐに除霊してしまおう。

 幽霊が出る部屋っていうのは、君の部屋だったね」


 封筒を懐にしまった霊能力者の言葉に従い、僕は自分の部屋に彼を案内した。

 僕の部屋は前日に一通り掃除を済ませたておいたもりだったが、改めて見渡してみるとそこかしこに置き場に困ったカバンや段ボールが目立ち、人を入れるには少し気恥ずかしかった。


「なるほど、確かに嫌な冷気が漂っていますね。でも安心してください、この程度なら大したことありませんよ」


「本当ですか、よろしくお願いします」


 部屋の入った霊能者の言葉に、母さんがすがる。


「大丈夫ですよ奥さん。少し離れていて下さい」


 霊能者は部屋の中央に立つと数珠を身につけ、印を結びブツブツと低い声で何かを呟く。


(……)


 僕は何を唱えているのか知りたくて耳をすませてみたが、その声は小さくてとても聞き取る事ができなかった。


『ええぇぇぇぇーーいっ!』


 ……と思っていたら霊能力者が奇声を上げ始めた。どうやらお祓いのクライマックスという事らしい。


(近所の人に聞かれたら、変な噂が立ちそうだ……)


 僕がそんな心配をし始めた頃、霊能者は急に黙ってこちらを向き、手を合わせたまま頭を下げた。


「終わりました。もう安心していいですよ」


 両親は深く頭を下げ、僕もそれを見て慌てて頭を下げた。何をやっていたのかまるで分からなかったが、それは十分も経たぬうちにあっさりと終わっていた。こんなに簡単に済んで良いものかと、思わず呆れてしまったほどだ。

 ま、この人がインチキだった事は、翌日に判明したんだけどね。

 井戸端会議で母さんが、数週間前の交通事故で死んだのが男の子であった事を知ったのだ。いくら僕が交通事故の被害者の霊だと思い込んでいたからといって、それを霊視で見破れぬ程度の力では、たかがしれている。当然、女の子の霊は僕の部屋ですぐに目撃できた。

 しかしそれなら、この女の子の霊は一体何者なのだろう? なぜ通学路の交通事故現場にいたのだろう? とも思ったが、霊視のできない僕には考えるだけ時間を無駄にするだけだった。


 次に我が家に来たのは、統一真理学会という大教団の人達だった。

 母さんがTVのCMで、この教団が経営する学校を見たのがきっかけだった。TVに出るくらいの確かな教団なのだから、インチキという事はあるまいという母さんの判断だった。

 TVの言う事なら何でも信じる母さんらしいが、TVのCMなんてサラ金だってやってる事だ。型遅れの商品を安売りしている風を装い販売している通販番組だってあるのだから、僕は信用していなかった。

 それに以前に母さんがTVで紹介していた料理を作った時から僕は確信しているのだ。こんな不味い料理を”美味い美味い”と言って食っている連中が、嘘を付かない訳がないと。

 よせばいいのに母さんは、父さんが仕事に行ってる間に教団員を家に招き、高い壺を買わされていた。

 そして、夜には大爆発だ。


「なんで、こんな壺を買ったんだ!」


「これで除霊できるなら、安いものじゃない!

 あなたの連れて来た霊能者こそ、インチキだったでしょ! あの時、謝礼にいくら払ったのよ! それこそ無駄じゃない!」


 二階の部屋に閉じこもっている僕の耳にまで、一階で夫婦喧嘩している声が届いて来る。普段ならこういう日は、とっとと寝てしまって嫌な音が耳に入らぬようにしてしまうのだが、今は幽霊がどこで覗いているかも知れず、怖くてなかなか寝る気にもなれない。


ガシャーーン!!


 なにかが割れる音がして、びっくりした僕は様子を確認するため階段を駆け下りた。別に僕が二人の仲裁をできるわけではないが、何があったのか不安で不安で仕方なくなっていたのだ。

 割れていたのは、コップだった。母が鬼の形相でリビングの床を拭き、ふて腐れた父が椅子に腰かけたまま僕を睨んでいる。


「どうした康太?」


 父は、何事もなかったかのように取り繕いたかったのかもしれないが、それが無茶である事は本人も知っているのだろう。その不機嫌さが声の響きに漏れてしまっているのを隠そうともしない。


「コップが割れる音がして、驚いたから……、どうしたの?」


「なんでもないから、あっちに行ってなさい。

 だいたい、こんな事で気を散らすなんて、勉強に集中できてない証拠だ!」


 集中力がないのは自覚しているが、いくらなんでもそんな言い草はないだろう。


「はい……」


 僕はいつものように言いたい事も言えずに、うなだれてリビングに背を向けようとした。けれど父さんの癇癪は、それだけでは収まってくれなかったようだ。


「だいたい、おまえが霊なんかを家に連れてこなければ、こんな事にはならなかったんだっ!」


 くやしかった、父のその一言は。

 僕は、何も悪い事はしていない、運が悪かっただけだ。僕は被害者なのに、なんで同情するどころか、実の親からなじられなければならないんだ!


(なんで僕ばっかりこんな目にっ!)


 歯を食いしばったまま、僕は父さんに背を向けて、すごすごと二階へ続く階段を上がり始めた。


(いつだってそうなんだ。いつも父さんは僕のせいにする……僕を悪役にする)



         *      *      *



「鈴木ーー! 鈴木康太はいるかーーっ!」


 僕の名を叫んで昼休みが始まったばかりの教室に入って来たのは、体育の安田先生だった。


「はい……なんですか?」


「おまえの父さんが、交通事故にあって入院したと連絡があった!

 すぐに迎えが来るから、荷物をまとめて正門で待ってなさい」


(え……)


 これも少女の霊が起こした呪いなのだろうか? もしそうだとすれば、父さんは無事なのだろうか?


(まさか呪い殺されるなんて事は……まさか、まさかそんな事は……)


 ホラー映画やホラーゲームでは、呪いが徐々にエスカレートしていくのが定番だったのを思い出し、僕は血の気が引いていく思いでカバンにノートを詰め込んだ。


「クスクスクスクス、本当に呪われてるんだな、アイツ」


 先生と一緒に廊下に出ると、教室の中から藤田達のあざ笑う声が聞こえて心がささくれ立つ。


(本当に最低だあいつ等は! 人の不幸がそんなに可笑しいのかよ?! なんであいつ等じゃなくて、僕が酷い目にあわなきゃいけないんだ!)


 本当に世の中とは不公平なものだ。


 学校に連絡したの母は、正門でタクシーを呼んで待っていた。僕と母を乗せたタクシーは、父の搬送された隣町の緊急病院へと向かう。

 この事故が霊の仕業なら、昨日買った教団の壺など何のご利益もなかった事がハッキリと証明された事になる。しかし、タクシー内の母は父の怪我の不安ばかりを口にするだけで、壺については一言も触れようとはしなかった。



         *      *      *



 父さんは命に別状はなかったものの、足の骨が折れていてリハビリも含めて一か月入院しなければならないようだ。事故を起こした相手の保険によりお金の心配はないものの、父さんの顔色は優れない。


「一か月かぁ、出世レースに響くなぁ……」


 そう言って、残念そうに父さんは病室の天井を眺めているばかりだった。

 僕と母さんは、父さんの着替えを取るために一度家に戻ったが、そこに待ち構えていた集団に驚愕する。


「お気の毒でしたね鈴木さん」


 それは、母さんに壺を買わせた統一真理学会の信者達だった。どこで聞きつけたのか、、彼等は僕の家の前でわざわざ目立つ白い教団服を着て、数人で待ち構えていた。


「今忙しいんです、帰ってください!」


「大変なのは分かっています。ですが、こんな時だからこそ我々を頼ってください!」


 リーダー格らしきおばさんが、大きな声で母さんに迫る。


「いえ、もう結構です! 壺もお返しします!」


 しかしもう母さんは、もう彼等を信用などしていなかった。


「申し訳ありませんが返品は受け付けていませんし、仮にそれができたとしても、もっと悪い事が起こりますよ。むしろあの壺が家にあったから、この程度で済んだのです!」


「帰ってください!」


「あの、本当に霊を払いたいのなら、もっとご利益のあるお札を買った方がいいですよ。

 ちょうど今、持参して参りました。お安くしておきますので……」


 今度は教団服を着た人当たりのよさそうなおじさんがしゃしゃり出て、懲りずにセールスを始める。


「帰ってください! 今忙しいんです!」


「いや、しかしですね、このお札は……」


「帰ってください! 帰ってください! 帰ってください!!」


 母さんはもう、教団員達が何を言ってもそれしか言わなかった。言わなくなってしまった。


(ああ……、どうしてこんな事に……)


 僕は家のドアにもたれながら、その不毛なやり取りを眺めていた。


(これも、あの少女の霊を僕が家に連れて帰ってきたからなのか? もしかして、僕になにかバチでも当たったのだろうか? 気付かぬ内になにか悪い事をしてしまっていたのか、僕が?)


 確かに思い当たる事がない訳じゃない。僕は完璧でもなければ聖人でもないのだから、、探せば悪いところもいっぱいある。当然の事だ、それは。


(もしかして勉強を嫌がったのが……サボって親を困らせたから、嘘を付いてサボっている事を隠しているから神様が罰を与えているのだろうか?

 それじゃあ結局、全部僕が悪いのか???)


『死んじゃえよ、いっそのこと。おまえにとっても、世の中にとっても、それが最善なんだ』


 不意に頭の中で声が響くが、暗い考えから逃れられなくなっていた僕は、それを当然のことのように受け入れていた。


(ああ、本当にもう死んでしまいたい。これまで生きてても、楽しい事なんてまるでなかったじゃないか。友達だって一人もいない。これからだって、駄目な僕に良い事なんて起こる訳がない。

 そうさ、僕なんて生まれてこなければ良かったんだ……、でも自殺するとしたらどういう方法がいいのだろう? 

 首吊りとかはどうだろう、部屋のどこに縄を結べばいい? リストカットは痛そうだし嫌だな、もっと楽に死ねる方法は……)


プルルルルル……


(…………あ、電話に出なきゃ……)


 不意に家の中から電話のベルが聞こえてきて、僕は危うい妄想の世界から現実へと引き戻される。


「電話がきましたので!」


 母はすぐにドアのカギを開け、僕と一緒に家に逃げ込む。すぐに玄関脇の窓から外を伺うと、教団員達がぞろぞろと引き上げて行くのが見えた。

 入信する前に母があいつらのヤバさに気づいてくれたのは、不幸中の幸いと言えるかもしれない。


「はい! 鈴木ですが!」


 すぐに電話に出た母の声は険しい。今時固定電話にかけてくる者の殆どは、勧誘やセールスくらいなのだから無理もない。母の友達はいつもスマホに連絡してくる。

 が、今回はすぐに母さんの声のトーンが和らいだ。信者達に囲まれたせいで、まだ不機嫌なままの筈だったのに。


「あ、父さん。スマホの番号知らせてなかったっけ?

 え? お祓い? 金剛大寺って、あの有名な……」


 母の声から電話の内容を読み解いてみると、どうやら母方の祖父が心配して有名な寺の高僧を呼んでくれることになったらしい。


(ああ、良かった……いくらなんでも、数百年続いたお寺がインチキって事はないよな。

 今度こそ、今度こそ上手くいくぞ!)


 ようやく見えたその僅かな光に、僕は心底安堵していた。

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